第七話「真っ赤な雪」
 12月24日……クリスマスイブ。
「クリスマスといえばケーキだとは思わないか?」
 不敵に笑って煉は拳を握りしめた。
「みゅ?」
「いきなりどうしたのよ?」
 コタツでみかんを食べていたミュウと柳華は揃って首を傾げた。
「ノリの悪いヤツだな。ここで普通はオー、とかけ声をあげるもんだぞ」
「あんでそんな体育会系みたいなことしなきゃいけないのよ。……そもそもあんたってそ
ういうキャラ?」
 指摘されて煉は小さく呻くと、
「ああそうかよ。買ってきてもお前らには絶対に食わせん!」
 ドスドス足を踏みならしながら部屋を出ていった。
「なんだったのかな〜?」
「さあ?」
 煉の意図がわからない2人は顔を見合わせた。
「けれどこれは好都合ね」
 そう言って柳華はコタツの中から編みかけのセーターをとりだした。今もコタツの中で
編んでいた煉へのクリスマスプレゼントだ。完成率は70%というところ。
「なんとか明日には間に合いそうかな」
 12月に入ってから煉に見つからないよう隠れて編んでいた。初めはご馳走でもと思っ
た。でも、みそ汁を蒸発させる腕前では無理と諦めたのだ。
「ん〜」
 セーターを編む柳華を不思議そうにミュウが見る。
「……あに?」
「あのね、レンのカラダよりもおおきくないかな〜?」
 ミュウの指摘に柳華は呻いた。
 確かに編んでいるセーターは大きい。楽に大人が2人は入ってしまうほどはあるだろう。
なぜか最初は調子がよかったのに気付けばこうなっていた。
「い、いいのよ。色々とあいつには借りがあるから感謝の大きさってやつ」
「そっか〜♪」
 お子様なミュウはすんなり納得した。
「煉が帰ってくる前に少しでも仕上げたいから静かにしてて」
「オッケ〜♪」
 敬礼してミュウは転がっていた少女漫画雑誌を広げて読み始める。黙々と柳華はセータ
ーを編むのに専念した。

 その頃、自転車で駅前のケーキ屋を訪れた煉は腕を組んで悩んでいた。
「生クリームか生チョコか……」
 どちらを買うかで1時間も悩み続けている。煉としては生チョコ派だが、柳華とミュウ
は生クリーム派だ。
「まいった……」
 ここで生チョコを買えば柳華とミュウは怒り出すだろう。交換を要求されるのは確実だ。
ならば二個とも買ってしまえばいいのだが、財布の中には一個分のお金しかない。
「やはり贅沢はできない運命なのか……」
 懐の寂しさに煉は嘆いた。さらに30分も悩み続けていると、
「ママ、雪だよ!」
 店内にいた少女が外を指さして叫んだ。
 他の客と一緒に煉も窓の外を見る。少女の言う通り小さな粉雪が空から降ってきていた。
「……ゆ……き」
 呟いてふらふらと店を出る。
「いかなくちゃ……2人を助けないと。嫌われる、痛いのは嫌……嫌……嫌だ」
 小声で呟く煉の瞳から光が消えた。

 そして、そのまま彼は人混みの中に姿を消した。

「わぁ! ねえねえお空からヨーグルトが降ってきた〜♪」
 大はしゃぎするミュウの声に柳華は顔を上げた。窓の外に目を向けると、雪が空から降
ってきていた。
「あれはヨーグルトじゃなくて、雪っていうのよ」
「へぇ〜。こっちじゃ雪って白いんだ〜♪」
「妖精の世界は違うの?」
「うん。ようせいかいのゆきはきんいろだよ♪ ねんにいっかいしかふらないの。ゆきが
ふったつぎのひはおうごんさいっていうおまつりがあってみんなで大騒ぎするの〜♪」
 身振り手振りも加えて説明してからにこりと笑うミュウ。小さな妖精達がお酒を飲んで
酔っぱらう姿。柳華はその様子を想像して苦笑した。
 と、来客を知らせるインターホンが鳴った。
「誰だろ?」
「ササキかな?」
 柳華も同意見だった。この部屋に来るのはお隣の笹木さんか世羅くらいなものだ。しか
し、どちらも滅多に来ない。訝しみながらロックを外したとたん勢いよく扉が開く。
「煉はどこにおる!」
 客は煉の姉・雫だった。雫は土足のまま部屋に入ると、何度も煉の名を呼びながらベッ
トの中やらコタツの中を覗き込む。
「いったいなんなの?」
「兄貴の一大事なんです」
 声に振り返ると真後ろに鈴城が顔あった。いきなり強面を見せられ柳華は腰を抜かす。
「い、いきなり出現しないでよ!」
「すいやせん」
「まあいいわ。……んで、何が煉の一大事なの?」
「雪です」
 鈴城は外の雪を指差した。
「雪?」
「あんた、煉をどこに隠したんや!」
 部屋を探し尽くした雫が柳華の襟首を掴み上げた。
「隠してないわよ! つい1時間半前にケーキ買いにでかけたの!」
「なんやて!? 鈴城、車をだしな!」
「へい!」
 一礼して鈴城が駆け足で出ていった。
「いったいなにがどうしたってのよ」
 解放された柳華は雫を見て愚痴った。
「雪を見ると煉が煉でのうなってしまうんや。……3年前の惨劇を思い出してな」
「惨劇?」
 柳華が問う。外で車のクラクションが鳴った。部屋を出た雫が目を閉じて、言った。
「私らの両親が死んだ日や」

 柳華は黙って流れる景色を眺めていた。車内の重い空気を感じたのか、ミュウも大人し
く膝の上に座っている。あのあと一緒に行くことを告げると、雫は素直に承諾した。
 あまりの抵抗のなさに拍子抜けしてしまうほどだ。
「……あんたには知る権利があるかもしれんな」
 窓の外を見ながら、黙っていた雫が口を開いた。
「無理しなくてもいいと思いますけど」
「いいんや。これも私の罪やさかいにな。……同居しとるようやがあんた、煉の笑顔を見
たことはあるか?」
「え?」
 問われて柳華は煉との生活を思い返した。
 自分に向けては一度もない。あるとすれば大学祭のとき……。
「一度だけある。でも、相手はあたしじゃなかった」
「おそらく無理してたやろな。3年前のあの日を境に煉は笑うことを捨てたんやから」
 自嘲の笑みを浮かべる雫。そして、3年前の過去をゆっくりと語りだした。

 3年前の12月24日。
 この日、月影家は一家で温泉旅行へ向かっていた。日頃他の組との抗争で会話のないた
めに父・亮介が提案したのだ。
 極道としてではなく普通の一般人として普通にチケットを購入し、組員達の見送りもな
く普通に送迎用のバスに乗り込む。
「それにしても温泉なんて何やジジ臭くない?」
 雫は最後尾の座席で胡座をかいた。
「胡座をかきながら言う事じゃないと思うよ」
 ジジ臭い姉を見て煉は頭を抱えた。隣に座っている弟の蒼司がやれやれと肩をすくめる。
「うるさいわ!」
「やめんか2人とも。他のお客人に迷惑だ」
「そうよ。これ以上騒がしくしたら2人とも窓から放り出してミンチにしてしまいますよ」
 笑顔で恐ろしいことを口にする母・響子に家族は凍り付いた。
「もちろん冗談よ。半分」
 誰もこの母には逆らえない。慌てた雫は笑って誤魔化した。
「母さんの冗談はいつも肝が冷えるな」
「同感」
 頷く雫。
「それにしてもよく僕らを泊めてくれる旅館があったものだね」
 窓の外を見ながら蒼司が言った。
「そこの旅館の女将さんとは親友なの。昔は彼女と色々しのぎを削ったわ……」
「……それにしても凄い雪だな〜」
 気まずい雰囲気を払拭しようと煉は話題を変えた。窓の外は一面雪景色だった。いまも
空からは雪が降り続いている。
「煉、向こうへ着いたら早速雪合戦で勝負や。あんたもやで蒼司」
「そんな幼稚なゲームをなぜ僕が─」
 雫は無言で殴り飛ばした。
「姉の命令」
「ぜひ参加させていただきます」
 いつも通りだった。煉が何か話題を出し、雫が答え、蒼司が口答えをして殴られる。そ
んな子供達を誠二と響子は笑顔で見守った。
 しかし、そんな平和な時間は唐突に奪われた。
「うわあああああああっ!」
 運転手の悲鳴。鈍い衝撃のあとの浮遊感。そして数秒後、世界が揺さぶれるような衝撃
がバスを襲った。雪道に滑ったバスがガードレールを突き破り崖へと落下したのである。
 平和な時間は瞬時に壊れて地獄と化した。落下した衝撃でバスは折れ曲がり、エンジン
から火が上がった。
「くうっ。いったい何が起きたんや……」
「喋らないで」
 目を開けた雫は煉に抱えられていた。
「父様や……母様、蒼……司は?」
「父さんと母さんは他の人達を助けてる。蒼司は先に安全な場所に置いてきたよ。いま姉
さんもそこへ連れて行こうとしてるところ。体は痛む?」
「体が動かへん。私……死ぬんかな?」
「多分頭を強く打ったショックで体が麻痺してるんだと思う」
 そう言って煉は雪の上に上着を敷くと、その上に雫を寝かせた。周りには他の乗客達が
寄り添いながら真っ赤な炎を呆然と見ている。
「これで寒くないよね?」
 さらに着ていた服を被せた煉は立ち上がった。
「父様と…母様を…お願いな」
「うん」
 笑って答え、煉は走って両親の元へと向かった。

 けれども煉は両親を助けず、小さな女の子を助けて戻ってきた。

「女の子を預けたすぐ後に煉から直接父様と母様が死んだことを知らされた」
 雫の手が着物を強く握りしめる。
「私はわからなかった。両親を見捨ててまで見知らぬガキを助けた煉の行動が理解できん
かった。葬式を終えて2人を失ったのを実感した私は全ての怒りを煉にぶつけたんや」

「なぜや! なぜあないなガキを助けて父様や母様を助けんかった?! 2人を助けてく
れる言うたやろ! なあ煉! 答えや!」
 煉は無言で俯いたまま答えない。
 雫は襟首を掴み上げると、そのまま引きずって外に放り出した。
「弟だろうと父様と母様を見殺しにしたお前を私は許さへん。死にさらせ!」
 懐から拳銃を取り出す。雫は迷わず引き金を引いた。ぱぁんという乾いた音が静かな住
宅街に響き渡った。
「姐さん何が……煉の兄貴!? 姐さんなんてことを!」
 音を聞きつけた鈴城が雫を後ろから羽交い締めにする。
「離せ! こいつが! こいつが父様と母様を!」
「何を馬鹿なことを。兄貴がそんなことするはずがありやせん! お気をたしかに! お
い、誰か円さんをお呼びしろ! 煉の兄貴の一大事だ!」

 右胸に銃弾を受けた煉は仰向けのまま虚ろな表情で空を見上げる。

 倒れた彼の体を起点に真っ白な雪が煉の血を吸って赤へと染まっていった。

「その血の色を見て私はようやく自分のした過ちに気付いた。私かて2人が子供を優先さ
せるのはわかっとった。でも、そやけど2人を失って心が壊れそうやった。父様や母様を
奪われた怒りをぶつけたかった!」
「……これ」
 柳華はハンカチを差し出した。雫は大粒の涙を流し、着物にいくつもの染みをつくって
いた。その涙が彼女の後悔を物語っていたからか柳華は怒る気になれなかった。
「ありがとう。……そのあと煉は円はんのおかげで一命を取り留めた。けど代わりに心を
なくした。私だけでなく他の誰にも感情を表に出さのうなったんや。心のない人間なんて
死んだも同じ……私が煉を殺してしもうた」
 両手で顔を覆う雫の頭をミュウがそっと撫でた。
「いたいのいたいのどんでいけ〜」
 もちろん雫にはミュウが頭を撫でていることなど知りはしないし、感じてもいないだろ
う。ミュウ自身わかっているはずだ。でも、そうせずにはいられなかったのだろう。
「リュウカ〜。このヒトとってもかなしいの。このひとみてるとミュウ……うえぇぇぇぇ
ぇん」
 ミュウが柳華の胸に飛びつく。ミュウは心の妖精だから雫の悲しみが伝わってしまった
のだ。柳華はミュウの頭を撫でながら、
「なんか何を言っていいのかわからないけど、あんまり考えすぎるのも良くないと思う」
「そんなの無理や! 煉と再会してから毎日あの時の夢を見る。夢でいつも煉は言うん
や。姉さんなんか助けるんじゃなかった、て!」
「ああ、それない」
 きっぱりと柳華は断言した。
「だってあいつかなりのお人好しだしさ。大学祭の時だって困ってるヤツいたら助けてた
し、世羅の時だってそうだった。それに一緒に暮らしてるとなんとなくわかるんだ」
 煉は優しい。まずは料理。小さなことかもしれない。でも毎日バイトを終えて疲れてい
ても一度もやらないことはなかった。
 熱を出したときもそうだ。わざわざバイトを休んでまで看病してくれた。まあバイト中
はコキ使われることもあるが……。
 総じて煉は何よりも親しい人間を大事にしている。
「あいつは血は繋がっていないからって家族を見捨てることなんて絶対にない」
「……そうやろか」
「あたしなんかよりわかってるんじゃないの?」
「そう……やな」
「一度よく話し合ってみるといいわね」
 ゆっくりと雫は頷いた。同時に車が停止する。車は峠のカーブ―バスの事故現場―で停
まっていた。

 3人は車から降りた。ガードレール脇にはまだ枯れていない花束が置かれていた。事故
の被害者が献花したのだろう。
「ここからは歩きや」
 そう言って雫が歩き出す。ガードレールの外に崖を下りる階段が作られていた。
「私が方々駆け回って作らせた。他の遺族も協力してくれてな」
 柳華の考えを読みとったのか、雫が呟く。
「ねえリュウカ。……あそこ」
 階段をおりると、ミュウが前方を指さす。そこには薄暗い森の中で煉が地面を必死に掘
り返していた。
「煉!」
 柳華は叫び、駆け寄った。
 煉は素手で地面を掘り続けていたのか、爪は剥がれ、裂けた皮膚からの出血で手は真っ
赤にそまっていた。
「アンタなにやってんのよ!?」
「……お姉ちゃん、だれ?」
「え?」
 柳華の顔が青ざめた。
「何言ってんの? 頭でも打って記憶喪失にでもなった?!」
「? よくわからないけど僕ははやく見つけないといけないんだ。邪魔しないで」
 煉は柳華の手を振り解くと再び地面を掘り返し始める。
「言ったやろ」
 後ろから雫が言った。
「雪を見ると煉は煉でのうなってしまうんやって……」


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