第八話「煉の居場所」
「いわゆる多重人格っちゅうやつや。心が壊れそうになるのを別の人格を作って回避する。
煉の場合、両親が見つからない現実をいまの煉に代わってもろうとるのや。いまの煉には
私の事もあんたのこともわかっとらん。見知らぬお姉ちゃんとしか思ってないやろな」
 地面を掘り続ける煉を寂しげに見つめる雫。
「ならあたし達が知ってる煉はどうなるのよ!」
「わからん」
 雫が顔を伏せる。
「わからないって……前も同じようなことがあったんでしょ!?」
 怒り任せに柳華は雫に掴みかかった。
「前はここへこさせんように部屋へ閉じこめただけや。そしたら1週間ほどしたら元に戻
った……」
「なら1週間たてば元に戻るってこと……?」
 膝をついて煉を見る。
 何か取り憑かれたように煉は土を掘っている。掘れば両親に会えると信じているんだろ
う。会えば全てが元通りになってまたみんなが笑って暮らせると……。
「……いないよ」
 上からの声に柳華は顔をあげた。声の主はミュウだった。
「何がいないの?」
「レンだよ。いまのレンにはいつもかんじてたいろがないの」
「よくわからないわよ。それってどういうことなの?」
「ずっとレンはいまのまま。もうレン戻ってこないんだよ」
「うそ……」
 涙を浮かべるミュウを見たまま柳華は呆然となった。
「何や? 何と話しとるんや?」
 訝しむ雫に後ろから鈴城が小声で囁いた。
「妖精? んなアホな」
「いいえ。兄貴も見えているとおっしゃっとりました」
 兄貴という言葉に雫は頷く。
「ならホントやな。妖精はなんて言ってるんや?」
「言いたくない」
「ええから言いや!」
「もう、煉は戻ってこないって」
 震えた声で柳華は呟く。
「あん? 聞こえんで」
「もうあたし達が知ってる煉は戻ってこないって!! そう言ったの!」
 今度は大声で叫んだ。声の大きさよりも突きつけられた現実にショックを受けて雫がよ
ろめく。
「なっ、なんてでまかせを口にするんや。んなことがあってたまるか!」
「わかってる。あたしだって、あたしだってなんとかしたい! ねぇミュウ、何か方法は
ないの? 妖精ならそんな方法のひとつやふたつはあるでしょ?」
 ミュウは首を横に振った。
「ミュウじゃムリ。お母さんか長老さまならできるかもしれない。でもみんな妖精界にい
るし〜。もどるほうほうはかだいを終えた時に水晶さんがつかう魔法だけだから……ごめ
んね」
「そんな……。どうすればいいのよ」
 微かな希望はそのまま闇にのまれた。柳華は煉を見た。
 もうここにいる煉は二度と憎まれ口をきいてくれない。二度と名前で呼んでくれない。
二度と喧嘩もできない。
 もう二度と……。
 そう考えたら大粒の涙が瞳から零れた。
「リュウカ〜」
 同じように涙を零すミュウが頬にすり寄ってくる。右手で抱きしめるようにミュウを寄
せながら願った。
―― お願い! 誰もいいから煉を返して。お願いだからあたしの知ってる煉に戻して!!
 想いの全てを込めて柳華が願った次の瞬間、りぃ〜んという鈴の音が柳華の耳に届いた。
「え?」
 顔を上げると空から雪が、黄金の雪が降ってきていた。すると煉の体が金色の光に包ま
れる。その現象は煉だけではなかった。柳華やミュウも光に包まれていた。
「な、なんや!?いったい何が!」
 目の前で起きている摩訶不思議な現象に雫は目を丸くした。煉と柳華の体が金色の光に
包まれただけでなく、宙に浮き始めたのだ。
「妖精が何かしようとしとるんか?」
 2人を包む光がいっそう輝きを増す。たまらず目を閉じる雫と鈴城。
「あ……」
 次に目を開けたとき、煉と柳華の姿はどこにもなかった。

 暖かい。全てを癒してくれるような暖かさだった。しかし暖かさは不意に失われた。
「あっ!」
 取り戻そうと伸ばした手を何かが握った。目を開ける。手を握っていたのは煉だった。
「きゃっ!」
 思わず彼の手を振り解く。
「あ。……ごめんなさい」
 拒絶されたと思ったのか、煉がしゅんとなる。
「ち、違うの。ちょっと驚いただけだから」
「怒って……ないの?」
「うんうん。怒ってない怒ってない」
 慌てて笑顔を浮かべた。
 今の煉はまるっきり子供だ。ちょっとの事でも過敏に反応してしまい、小さな拒否でも
大きく傷ついてしまう可能性がある。
 だから、
「安心して」
 子供が安心するような優しい声色で柳華は話しかけた。
「よかった。あ、あのねお姉ちゃん……手、繋いでもいい?」
 上目遣いで煉が言う。
 すぐには頷けなかった。なにしろあの煉の顔で『手を繋いでもいい?』なんて可愛げに
言われたのである。あまりのギャップに調子が狂ってしまうのだ。
「……だめ?」
 煉の瞳に涙が浮かぶ。
 頭の中で煉じゃない、煉じゃないと念じてから柳華は右手を差し出した。
「えへっ。お姉ちゃんの手って暖かい」
 煉が手を握ってくる。その顔には笑顔が浮かんでいた。出会ってからまだ見たことのな
い煉の笑顔。でも知っている煉の笑顔じゃない。
 もし本当の、自分が知っている煉が笑ったらやっぱり違う笑顔なんだろう。その笑顔を
見たいと柳華は心から思った。
―― ぜったいに元の煉に戻してやるんだから!
 固く誓いながら頷く。
 しかし……。
「いったいここってどこなの?」
 周囲を見渡す。雪がないことからさっきまでいた森ではないことは確かだ。
「うみゅ〜」
 ぴょこ、と服の胸ポケットからミュウが顔を出した。
「わっ! 姿が見えないと思ったらこんなところにいたの?」
「うん。……あれ?」
「どうしたの?」
「ここしってるよ。わぁ〜〜〜い♪」
 ポケットから出たミュウが目を輝かせて飛翔した。歓喜の声をあげながら森の奥へ消え
ていってしまう。
「ちょ、ちょっとミュウ! ここっていったいなんなの?!」
 答えは返ってこない。煉の手を引いて柳華は彼女の後を追った。
「ミュウ! どこなの? 返事しなさいよ!」
 返事なし。と、右手が強く握り返された。
「怖いよ、お姉ちゃん」
 煉が身を低くして背に隠れる。自分よりも背の高い彼の行動にやっぱり調子が狂った。
―― いつもの煉ならさっさと行くぞ、なんて無愛想に言って歩き出すんだけど
 思わず苦笑してから、
「だ、大丈夫よ。何があってもお姉ちゃんが守ってあげるからね」
 安心させるように煉の頭を撫でた。
「うん」
 2人は慎重に森の奥へと進んでいく。いや、本当に奥へ進んでいるかも、どっちが北か
南かすらもわからなかった。何しろ太陽がないのだ。しかしきちんと空は明るい。かなり
妙な場所だった。
「まるで別の世界みたい……って、まさかね〜」
 肩を竦めて何気なく上を見ると目が合った。木の枝に小さな男の子が立っていた。大き
さはミュウと同じ。長い金髪にはウェーブがかかっている。人形のように可愛い。
 きっと彼もミュウと同じく妖精に違いないと思った。
「ねえ、ここがどこだから知らない?」
 少しでも情報を得ようと柳華は話しかけた。
「見てわからない?」
「わからないから訊いてるんでしょうが!」
 嘲笑うかのような男の子の口調に大声で柳華は喚いた。その場に地団駄を踏む。
「ああもう! こっちは色々あって苛々してんだから、さっさとここがどこだか教えない
とぶん殴るわよ!」
「そうか。お姉さんは苛立ってるんだね」
 嬉しそうに男の子は目を細め、もっていたフルートを口へと持っていく。
「あ…れ…?」
 急に強い眠気が襲ってきた。煉も同じなのかとろんとした目でふらついている。
「そのまま永遠に眠るといい。そうすれば永遠に苛立つこともないから」
「ダメーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!」
「おぶっ!」
 強烈なミュウのドロップキックを受けて男の子は木の枝から転げ落ちた。そして地面に
落下。ピクリとも動かなくなる。
 すると嘘のようにさっきまで感じていた強い眠気は消え去った。
「リュウカだいじょうぶ〜?」
「い、いったいなんだったの」
「このこはシェザール。いちおうミュウのこんやくしゃ〜」
「……はい?」
 柳華はもう一度聞き返した。
「だ〜か〜ら〜こんやくしゃだよ〜」
「婚約者って、あんたはまだ子供じゃない」
「う〜ん。よくわからないけどうまれたときからきまってた〜♪ シェザールはこのリー
ンのもりにわるものがはいってこないようまもってるんだ〜」
 改めて柳華はのびているシェザールを見た。かなり美形だ。服は何やら白いコートのよ
うな物だった。年はわからないが同じぐらいだろう。
 ミュウも顔立ちは整っているので美形カップルになるのは間違いない。
「それにしても婚約者か〜……ん? そういや、なんでミュウの他の妖精がいるの?」
 やっとその疑問に辿り着いた。
「だってここはミュウのうまれこきょうだもん♪」
「生まれ故郷ってことは妖精の世界よね? あんたの母親や長老とかいうヤツもいるんで
しょ? 早く連れてきてよ!」
 宙にいたミュウをひっつかんで眼前にもってくる。
「はいはい〜。だれか私をお呼びになりましたか〜?」
 背後から間延びした声が発せられた。弾かれるように振り返って柳華は絶句した。ま
ず、ミュウの母親はほぼ柳華と同じ身長であった。163くらいだろう。
 しかし、何より驚いたのは彼女が綺麗すぎたからだった。
 ウェーブのかかった蒼色の長髪。清潔さだけでなく神々しさすら感じる白の衣。浮かべ
る笑顔は見た者の視線を釘付けにすること間違いなし。十人中十人が彼女を美女と評価す
るだろう。
「はじめまして。私はミュウの母でサーラといいます。ミュウが大変お世話になりました
ようで。心より感謝いたしております」
「いえいえ、家事とかは煉任せであたしは遊び相手してあげてくらいですから。あ、あた
しは東雲柳華と言います」
「存じております。ミュウを含め貴女や煉さんの事はずっと見させていただいてましたの」
「なら煉の状況も知ってるんですよね?」
 サーラは静かに頷く。
「ねえおかあさん。レンをなおしてあげて。おかあさんならできるよね?」
「ごめんなさい、助けてあげたいのはやまやまなのですが私では無理です」
「どうして!? ミュウがあんたならできるって。嘘言ってるんじゃないでしょうね!」
「嘘ではありません。煉さんの精神に異変が起きたのを知って彼を戻そうと思っていまし
た。でも、煉さんの存在を長老様に知られてしまい……」
 そこで区切るとサーラは踵を返した。
「ちょ、ちょっとどこ行くのよ!」
 彼女は答えることなく森の奥へ歩き始めた。少し歩いたところで立ち止まって振り返る。
ついてこいというのだろう。仕方なしに柳華は煉の手を引いて後を追った。
「あ、まって〜」
 ミュウもそれに続く。3人が追いついたところで静かにサーラが語りだした。
「この世界<フェリーナ>にも掟があります。心を司る妖精は妖精期に外界で与えられた
課題をこなすこと。それ以外の事では外界へ行ってはいけないこと。中でも徹底されてい
るのことがフェリーナに人間が迷い込んだ場合は速やかに処分することですの」
 森がひらける。視界に巨大な山が広がった。富士山よりも高いだろうか。山頂は雷雲に
包まれ見ることは出来ない。だがもっとも目に付いたのはどす黒く山肌。遠くから見ても
木の一本も生えていないのがわかった。
 死の山。山を見た柳華はそう思った。
「煉さんはあの山の山頂にいます」
「なんで?」
「処分するためにです。普通の人間……柳華さんのように生きている人間であれば記憶を
抹消して外界へ送還するのですが、煉さんのような精神のみの場合はあのカイン山脈へ幽
閉された後……」
 言いにくそうに口ごもる。
「幽閉された後どうなるのよ」
「消滅を司る妖精によって完全に消し去られます」
「!?」
 驚きのあまり柳華は目を見開いた。そしてサーラを押し倒し、拳を高々と振り上げる。
「リュウカやめて!」
「構いませんわ。大切な人が奪われた事に怒るのは自然の反応ですもの。さあ、お気の済
むように」
「うっ。……できるわけないじゃない」
 笑顔すら浮かべるサーラに、柳華はゆっくりと拳をおろした。
「……なんとかならないの」
「方法はひとつしかありませんわ。長老様を説得することのみです。それも破滅の妖精が
来るまでの時間に」
「時間ってどのくらい」
 手を貸してサーラを立たせる。
「この時計の針が夜を指し示すまでですわ」
 そう言って彼女は柳華の手に懐中時計を握らせた。
 時間を示す数字は一切なかった。あるのは横一本の線によって白と黒がわかれている。
上が昼で下が夜を示しているらしい。針は昼のちょうど真ん中をさしていた。
「本来この世界には時間という概念がありませんので、このようなあやふやな時計しかな
いんですの。ごめんなさいね」
「リミットがわかれば上等よ。それにしても、あたしも煉もつくづく時間の制限に縁があ
るわよね」
 呪いの制限時間。大学祭の台詞覚えるのもたった1週間。殺し屋に告げられた死の宣告
と、ここ最近迫り来る時間に翻弄されつづける自分に思わず苦笑した。
「行くんですのね」
「当然でしょ。煉には何度も助けられてるんだから、ここいらで一気に借りを返しておか
ないと後で何を請求されるか」
 横でボーっとしている煉を見る。
「ふふっ。そういうことにしておきますわ」
「なによそれ! あ、あたしは……!」
「はいはい」
 笑顔で柳華をたしなめ、サーラが指を鳴らす。と、4人は山のふもとに立っていた。サ
ーラの魔法で四人は一瞬にして移動したらしい。
「ワタシができますのはここまでですわ。ここから先は柳華さん、あなたの精神にかかっ
ています。このフェリーナでは肉体より精神の強さが求められますの。ワタシ達妖精はこ
の世界では永遠に、自分が死んだと強く思わなければ死ぬことはありません。たとえば心
臓を剣で貫かれたとしてもあなたが認識、強く思わなければ痛みもなければ死ぬこともな
いのですわ。だからどんな時でも生きようとする強い意志だけはなくしてはいけませんよ」
「ご教授ありがと。んじゃ、行ってくるから」
 右手を挙げて柳華は真っ直ぐ頂上を目指して足を踏み出した。

 柳華と煉の姿が徐々に小さくなっていくのを、ミュウはオロオロしながら見ていた。本
当は柳華と一緒に行きたい。大好きな2人とず〜〜〜〜〜〜〜〜〜っと一緒にいたいのだ。
「う〜」
 でも、カイン山脈は長老様から許可をもらったものだけしか入れない聖地だった。無許
可で立ち入れば消滅刑さえありえる重い罪が科せられてしまう。
―― もしリュウカがかえってこなかったら……あぅ〜〜。いきたいよ〜。
 したいことができない悔しさにミュウの瞳から大粒の涙がこぼれる。
「えっく…ううっ…」
「お行きなさい」
 そんなミュウの背をサーラは軽く押した。
「おかあさん」
「大切な人なのでしょう?」
「うん。ミュウはずっとレンやリュウカといたいよ。ふたりといるとむねらへんがほわぁ
んとするの♪ とってもいいキモチになるんだよ♪」
「なら、お行きなさい。ワタシは貴女を自分の想いに素直でない娘に育てた覚えはありま
せんことよ」
「……でも」
 ミュウは俯く。掟を破った後の罰が怖かった。
「大丈夫ですよ。貴女は記憶と思い出を司る妖精。お仕事いう名目があれば長老様も口を
への字にして許してくださるから」
「ほんとう?」
「ええ。さあ、ぐずぐずしていますと追いつけませんよ」
 もう一度ミュウの背が押される。もう迷わない。
 力強く透明の羽を羽ばたかせて空へ。
「いってくるね〜♪」
 大切な、ずっと一緒にいたい2人のもとへ。

「……いいんですか?」
 サーラの肩にシェザールが着地する。
「ふふっ。そういえば、シェザールちゃんはあの子の本当のお役目を知らないのね」
「は?」
「うふふ。秘密です」
 小首を傾げるシェザールに笑いかけてから山頂を見上げる。
「しっかりね、ミュウ。この試練はあの2人だけではないの。貴女の試練でもあるのだか
ら……」

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