第五話「月影組」
 月影本家に向かう車の中。
 ちなみに車は鈴城の愛車・キュー○と極道とは思えないカジュアルなものだった。鈴城が運転し、世羅と柳華の2人は後部座席に煉を挟む形で座っている。
「火守家の弱み……ですの?」
 世羅の問いに煉は頷いた。
「大企業になれば裏取引や何かが必ずあるもんだ。ましてや結婚相手を取引で決めてもらうようなぼんくら息子がひとつも不祥事をおこしていないはずがない」
「でもどうやって調べんのよ?」
「あまりしたくはないが姉さんに頭を下げる。月影家の人脈を使えば不祥事のひとつやふたつや百個は見つかるはずだ。その不祥事を武器に無条件で合併を迫る」
「一気に不祥事の数が増えたわね」
 柳華の冷めたツッコミは無視する。
「そのあとはお前の親を無理矢理納得させるだけだ」
「そこであっしらの出番ってわけですね」
 助手席に座っていた坂下がシートから顔を出す。
「そうだ。お前達がいれば怪しまれずに中に入れるだろうしな。まあ、なるようになるんじゃないか」
 そう言って煉は目を閉じてシートに身を任せる。
「ねえねえ〜♪」
 と、今まで黙っていたミュウが口を開いた。
「ん?」
「この箱なに〜♪ ぶうう〜んで速くてすごいね〜♪」
 空中で運転する真似をしながらミュウが大はしゃぎする。
「これは車っていう乗り物だ」
 煉が苦笑混じりに言うと、世羅と坂下はきょとんとした。
「……なんだ?」
「あ、兄貴……」
「あの、いったい誰に話しかけたんですの?」
 首を傾げる2人に煉と柳華は顔を見合わせた。
 この三人ならいいだろう。そう思って煉はミュウのこと、呪いのことなどを3人に教えた。どうやら3人ともミュウは見えないらしい。
「なぁ〜んだよかった。てっきり2人は愛し合ってるから同棲してるかと思ってしまいました。そうですよね。仕方がないからですよね〜」
 話を聞き終えた世羅の第一声だ。
『仕方がないから』
 それを聞いて柳華はなぜか苛立った。
―― まるで煉が無理して一緒にいるみたいじゃない!
 そう大声で怒鳴り散らそうとして……やめた。もし煉に無理していると言われたらと思うと叫ぶことができなかった。

 少しずつ柳華の中では煉との生活が当たり前のものになってきていたのだ。

「それでその……よ、妖精ってのはどこにいるんですかい?」
 坂下の問いに煉は柳華の頭を指さした。
「ぶ〜んぶ〜ん〜♪ 車は速い〜♪ シャッタ〜♪」
 ミュウは初めての車にはしゃいで車内を何度もカメラで撮っていた。しかし水晶には何も記録されないだろう。
「あっしには全然見えやせんぜ。さっすが兄貴は普通の御仁とは違いやすね」
「先輩も見られるなんて少し悔しいです」
 頬を膨らませて世羅が柳華を見た。思い切り嫉妬に満ちた目だった。
「好きで見えるんじゃないわよ」
「え〜ミュウはリュウカのこと大好きだよ〜♪」
 そう言ってリュウカの頬に張り付いて頬ずりを始めるミュウ。
「わかったからくすぐったい〜〜〜〜!」
 どうやら羽根が耳元をかすめてくすぐったいようだ。
「スリスリスリスリスリスリ〜♪」
「やめて〜〜〜〜!」
 車内に柳華の悲鳴が響く。巻き添えをくいたくない煉は目を閉じて知らないフリを続けることにした。誰にも気付かれないようにほんのわずか口元を緩めて。

 月影組。組員322人。江戸時代からの歴史があり、義理と人情を重んじカタギに迷惑をかけることを禁忌としている組である。
 現在は前組長の月影亮介が事故死したため娘の雫が跡目を継いで組をしきっていた。あと雫には弟がいて現在は高校に通っている。煉にとっては義理の弟だ。
 と、月影組を知らない柳華と世羅に煉は簡単に説明した。

 組事務所は<時雨荘>から2時間ほどで到着した。
 事務所といっても100坪ほどの土地に立てられた平屋建ての古い家だ。
「お帰りなさい!」
 煉の姿を見た組員が一斉に頭を下げる。改めて柳華は煉が極道の息子であることを実感した。別に煉が極道の家の人間だろうとなかろうと気にはしない。ただ、浮かない顔をしている煉が気になっていた。
「おもしろ〜い♪」
 一斉に頭を下げる組員が琴線に触れたのか、ミュウが大はしゃぎでシャッターを押しまくっている。もはや20分の間笑わせ柳華を笑い死にさせかけたことなど微塵も気にしていない。柳華は無言でミュウの後頭部に手刀を叩き込んだ。
「みぎゅ〜」
 叩き落とされたハエのように地面で手足を痙攣させるミュウ。
「なに遊んでる。置いていくぞ」
 その声に顔をあげると、すでに煉達は中に入っていた。
「あ、ちょっと待ちなさいよ!」
 ミュウの羽根をつまむと柳華は慌てて後を追った。
「へ〜〜」
 屋敷はかなり古そうだが造りはしっかりしている。掃除も行き届きちっとも汚くない。
「姉さんは相変わらずか?」
 煉は先を歩く鈴城に問いかけた。
「はい。ですが兄貴がいなくなった当初はかなり荒れていやした。兄貴の名を口にした21人を病院送り、前々から縄張りを荒らしていた天龍組をストレス発散玩具のように潰しやした。今は何とか落ち着いていやす」
 苦笑混じりに鈴城は語ったかと思うと、不意に振り返って真面目な顔で煉を見た。
「兄貴。屋敷にもどってきてはくれませんか? そうすればきっと姐さんや蒼司さんも喜びます」
「……」
 何も言わず煉は首を横に振って答えた。
「……わかりやした」
 ため息をもらし鈴城は再び歩き出す。程なくして鈴城はある部屋の前で正座をした。
「姐さん」
「なんだい騒がしいね。敵の襲撃でもあったんか?」
「煉の兄貴がお戻りになりました」
 数秒の静寂のあと……。
 ドッタンバッタンガサゴソガサ!!
 何やら部屋の中が騒がしくなったかと思うと数秒でピタリとやみ、
「お入り」
 障子の向こうから中にいるであろう姐さんが言った。
 一度礼をして鈴城が障子を開けると、紅色の着物を着た女性が正座をして生け花をしていた。月影組の親分であり、姐さんでもある月影雫その人だ。
 気品に溢れた身のこなし。白い紐で結わえた長い艶やかな黒髪を前にたらしている。女である柳華や世羅ですらその美しさに言葉を失ってしまった。
「ご無沙汰してました」
 部屋に入った煉は深々と頭を下げた。
「2年3ヶ月と2日ぶりやね。いきなり姿を消しよったさかい心配していたんやで」
 慈愛に満ちた笑みを浮かべて雫は煉の頭を撫でた。それでも相変わらず煉は憮然とした顔だ。
「すみません」
「怒ってりゃせん。無事なことがわかればそれでいい。して、何用で屋敷にもどったんや?」
 姐さんの顔に戻る雫。
「少しばかりお力をお貸し下さい」
「……話してごらん」
 煉は火守財閥と泉家のこと強制的な婚約のことを話した。
「なるほど、話はわかった」
「力をお貸し願いたい」
「頭を下げることなどあらへん。煉は私の大事な弟や。弟の頼みを断る姉がどこにおるん。…鈴城、皆に伝えや。煉の助けになれ、とね」
「へい!」
 一礼した鈴城は素早く立ち上がってその場を後にした。
「じゃあ俺も。…柳華」
 立ち上がった煉はそう言って右手を差し出した。柳華はその手を軽く叩いた。
「はい。いってらっしゃい」
「みやげを期待してくれ」
 Vサインを残して煉は出ていった。

 コツコツコツ。今では珍しい振り子時計の音が静まりかえった部屋に響く。

 残された柳華は落ち着かなかった。
 極道の姐さんと一緒の部屋。誰でも落ち着けるはずがないだろう。
「姐さ〜ん姐さ〜ん♪ レンのおねえさ〜ん♪ 姐と〜飴〜ちょっとにて〜る〜♪ シャッタ〜シャッタ〜♪」
 いや、ミュウだけは相変わらずだった。雫の頭上で妙な歌を口ずさみながら楽しそうにシャッターを押している。さすがお気楽妖精だ。
「なに人の顔見てわらってるん?」
「い、いえ…その…」
「さっきから気になってんけど……お前ら煉のなんや?」
 殺気をはらんだ瞳が柳華と世羅を射抜く。
「なにって……その……」
「まさか私の許しも得ずに煉と付きおうとるんやないやろな?」
「うぐ…」
 柳華は呪いが原因で同居してます、という言葉を飲み込んだ。言えば必ず殺される。メラメラと瞳の奥で燃えている殺意が如実に語っていた。
 だというのに…。
「先輩と煉様はご一緒の部屋で住んでらっしゃいますの。とっても羨ましいですわ」
 ほのぼの雰囲気で世羅が禁忌を口にしてしまった。
「あんた、あたしに何か恨みでもあるの?!」
「まあ、そこはかとなく」
 世羅が小悪魔的な微笑を浮かべる。
「このぉ〜。ちょっと地獄へ逝ってきなさ─」
「ちょい待ちぃな!」
 殴りかかろうとした柳華の肩を、雫ががっちりと押さえ込む。恐る恐る振り返ると、
「ひぃ!」
「なんやて?煉と同棲してる?私や組のもんの了解を得ずに……同棲やと?○×な事や○×△□★○な事であまつさえ××○○★★な事まで……許せへん!」
 大声で雫が吼えた。長ドスを手にした雫が額に青筋が浮かばせ、目をすわらせている。
「ちょっとこれは惨事の予感がします」
「呑気に解説してんじゃないわよ!」
 雫の指がこいくちを切る。冷たい鋼の刃が少しばかり顔を出した。
「お姉さん本気なの!?」
「あんたにお姉さんなんて呼んでほしゅうないわ! 私だって煉と同じ部屋で寝たことあらへんのに……」
 掴まれた肩に痛みが走る。そこで柳華は確信した。
―― もしかしなくても、この人はブラコンだわ!! しかも重傷!
 彼女の嫉妬と台詞が十二分にそのことを物語っていた。
「煉を傷物にした礼はた〜っぷりしてやるさかいな〜」
 ついに長ドスが鞘から引き抜かれた。蛍光灯の光を反射して刀身がぎらりと光る。もはや言い訳など通じる状況ではなかった。
「れ、煉〜〜〜〜〜!!」
 無意識に柳華は叫ぶ。
「呼んだか?」
 ふすまが開いて煉が顔を出した。予想外の出来事に思わず何度も瞬きしてしまう。本物の煉だった。刹那、雫は鞘に収めた長ドスを隠し、何事もなかったかのように微笑んだ。
「なんでもあらへん。ちょ〜っとした女同士のスキンシップちゅうやつや。それより情報を集めにいったはずやないの?」
「自分たちが集めるから休んでくれと追い返されました。……ん? なんで涙なんか浮かべてるんだ?」
 柳華の顔を覗き込み煉は眉根を寄せてから、
「姉さん、こいつに何かしましたか?」
 じっと責めるような目で雫を見る。
「さあ、私は何もしとらんよ」
「……ミュウ」
 煉は雫の頭上にいるミュウを見た。
「な〜に〜♪」
「姉さんが柳華に何かしてなかったか?」
「えっとね〜、きゅうにリュウカのかたをつかんだら〜ながくてぎんいろのぼうでなにかしようとしてたよ〜♪ いでよ〜カガミさ〜〜〜ん♪」
 ミュウが右手を掲げて指を鳴らすと、小さな爆発が起こり彼女と同じ大きさの鏡が出現した。
「カガミっよカガミっよカッガミサン〜♪ 姐さんがなにをしてたかみ〜せ〜て〜♪」
『ラブリ〜なミュウちゃんのお願いならお姉さんなんでも叶えちゃう。は〜い』
 喋る鏡は映写機のように天井へ映像を投影した。
 柳華の肩を掴み何やら言い続ける雫。その直後、刀を抜いて振り上げようとして、そこで煉の登場というところで映像は終了した。
「こんなかんじ〜♪」
「そういうことか」
 全てを理解して煉は嘆息した。
「なんや煉いったい何と会話してるんや? まさか病気か!?」
 煉は駆け寄ってきた雫をひらりと躱す。
「怪我はないな?」
「あ、うん。だけど……いいの?」
 柳華は雫を指さした。抱きつこうとした相手に避けられた雫は、そのままバランスを失って畳に顔面を擦りつけたまま倒れている。
「お前に斬りかかろうとした人に情けは無用だ」
 そう言われて柳華はドキッとした。
 自分の為に怒ってくれている。いままでになかった煉の反応が少し嬉しかった。
「それはいくらなんでもあんまりや! 姉さんは煉の事を思っての事なんやでぇ」
 身を起こした雫がさめざめと泣く。
「……3人ともいくぞ」
 煉の手に引かれ、柳華と世羅は部屋を出る。ミュウもその後に続いてきた。
「うわっ、シカトかいな!?」
「その通りです」
 律儀に答えて煉は戸を閉めた。
「……いいの?」
「少しはこれで懲りるだろう。それよりも、今日はここに泊まるぞ。情報が集まり次第脅迫したいからな」
「構わないけど、なんかその台詞聞いてるとあたしら犯罪者みたいね」
「毒をもって毒を制すというやつだ」
 肩をすくめて煉は言った。

 それから2時間後……組員から情報を集めたという報告が入った。


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