第四話「押し掛け女房?とヤ〜サン〜♪」
 11月30日。
「とろとろしてないでさっさと運べ、このうすノロ!」
「あのさぁ、女の子ひとりに32型テレビを持たせる男の台詞!? 少しは助けようとか
思わないの? しかもあんたはなんで軽いCDラジカセ一個だけなのよ!」
 今日も煉と柳華はいつも通りの口喧嘩をしていた。もはや店での恒例行事だ。
「シャッタ〜♪」
 その2人を上から撮影するミュウ。相変わらず水晶は無反応だった。
「表へでなさい! その腐った性根を殴り壊してやるわ!」
「上等だ。やれるものならやってみろ!」
 客が白い目で見る中、ぎゃぎゃーと口喧嘩しながら出ていく2人。

 『またか』、と今日も<ハイテクニクス>では多くのため息が吐き出された。

 午後八時。
 キッチンで料理を作る煉の右頬は哀れなまでに腫れていた。
「くそっ。まさか左アッパーがフェイントで本命が右フックとは……」
 ブツブツと反省とも愚痴ともわからない事を言いながら、手際よくタマネギとニンジン
を切って鍋に放り込む。今日の夕食はカレーだ。しかも甘口である。
 柳華は辛い物が大の苦手なのである。キムチはもちろん麻婆豆腐もダメ。以前に一度だ
け作った麻婆豆腐は一口食べるごとにコップの水を一気に飲み干していた程だ。
 本来ならカレーは中辛か辛口なのだが敗者であるために煉は渋々甘口を作るハメになっ
ていた。火の通った食材に水を入れ、煮だった湯の中にルーを入れる。程なくしてカレー
は完成した。
「ふっふっふっふ……」
 大鍋をかき回す魔女のような笑みを浮かべて煉は右手のタバスコを見る。
 湯気立つカレー。これにタバスコを垂らし、それを柳華が食べれば文字通り口から火を
ふいて暴れるだろう。そして泣いて許しを…泣いて…泣いて…。
 ふと脳裏に柳華の泣き顔が浮かぶ。
「……やっぱやめだ。ガキのイタズラじゃあるまいし。それに食事は楽しくが基本だ」
 復讐心よりもお人好しの心が勝ったらしく、納得するように頷いてタバスコを戸棚に戻
す。と、来客を知らせるインターホンが鳴った。
「珍しいな。お隣の笹木さんか?」
 コンロの火を切って玄関を開ける。
「あ、あの、こんばんわ」
 そこには苦笑する世羅が立っていた。手には大きなドラムバックが握られている。何や
ら第六感が危険を知らせるので、
「じゃ、そういうことで」
 彼女が何かを言い出す前に煉は扉を閉めた。
『あの、それはないんじゃないでしょうか! 途方に暮れた美少女がやってきたら普通は
「どうしたんだい?」とかいって温かく迎えてくれるはずですのにぃ〜』
「漫画の見過ぎだ」
『ですけど困っているのは本当なんです!』
 ドンドンと五月蠅いほどに扉が叩かれる。
―― まいった。あのバッグは絶対に居座る為の装備だ。
 舞い込んできた厄介事に煉は頭を押さえた。
「どうしたの〜?」
 飛んできたミュウが小首を傾げた。後に続いて柳華がやってくる。
「あにしてんの?」
「耳をすまして聞いてみろ」
 煉の言葉に柳華とミュウは揃って耳に手を当てた。
『あのあの、本当にダメでしょうか? ……わかりました』
 扉に阻まれてこもった声。
「なんで世羅が来てんのよ!?」
 声の主を理解して柳華が小声で叫ぶ。
「こっちが聞きたい!」
『もう私は生きていく自信をなくしました。……先立つ不幸をお許し─』
「お前も他人の家の前で勝手に死のうとするな!」
 大声で叫び扉を開けると、
「えへっ」
 舌をちろりと出して世羅が自分の頭を小突く。全て嘘だったらしい。容姿も申し分ない
世羅がすると思わず何でも許したくなる。が、それは普通の男だったらである。
 自分をコケにされて優しくする煉ではない。
「かえってまえ」
 扉を閉めて施錠し、念のためにチェーンロックもかける。
『うわっ。あの、ごめんなさい。謝りますので助けてくださいませ!』
「レン〜たすけてあげたら〜」
 咎めるような口調でミュウが言う。
「だそうだがどうする?」
「アタシに聞かないでよ」
『煉様〜〜』
「……仕方ない」
 泣きそうな声で懇願している世羅に煉はため息をもらして扉を開けた。
「あ、煉様と先輩……?」
 目を丸くした世羅の手からバッグが離れる。そして1,2歩後ろによろめいた。
「も、もしかして…お二人はそういった関係で……?」
「世羅の考えてるような事は全然ないわよ。こっちにも色々事情ってものがあって─」
「先輩、こちらへ! 煉様、これお願いします」
 柳華の声を遮って世羅は腕を掴むと、煉に荷物を渡して土足のまま浴室に入っていった。
「……部屋に土足であがるのは勘弁してほしいんだが」
 強引な世羅に圧倒されて立ち尽くす煉。
「シャッタ〜♪」
 スキャンダルを見つけたカメラマンのようにミュウは笑顔でカメラのシャッターを押し
ていた。

「これはいったいどういうことですの?!」
 鬼気迫る勢いで世羅は柳華に詰め寄った。
「いや、どういうことって……説明がとんでもなく難しいというか、常識外れだから信じ
てもらえないような」
 困った柳華には苦笑を浮かべることしかできなかった。
「難しくありませんわ! まさか先輩と煉様が同棲していたなんて! もうあんなことや
こんなこと、あまつさえそんなことまで! ……羨ましいです!」
 俯いたまま拳を握りしめる世羅。
「するわけないでしょ!」
 顔を真っ赤にして柳華は転がっていた風呂オケをひっつかむと、頬を朱に染めている世
羅の頭を殴り飛ばした。
「もちろん冗談ですわ」
 何事もなかったように世羅は人懐っこい笑みを浮かべる。これを向けられると殴るに殴
れなかった。
―― こいつ、ある意味魔性の女ね……。
 重いため息をひとつ漏らし、柳華は本題を切り出した。
「んで、なにしにきたのよ」
「はい。危うく婚約させられそうだったので家出してきました」
「……家出?」
 こっくりと世羅は頷き、頬に手を当てた。
「私の家はなんと申しましょうか。ぶっちゃけてしまいますとお金持ちなんです」
「煉が聞いたら発狂しそうな言葉ね」
 煉の口癖を思い出した柳華は聞こえないようにぽつりと呟く。
『金持ちがムカツク』
 これが煉の口癖である。日常金欠茶飯事の彼には金持ちが嫌いらしい。
 とはいえ煉はほぼ毎日バイトをしている。自分が部活に出るようになって時間は減って
いるが、それでも月十万以上は余裕で稼いでいるのは間違いない。
 いったい何に使っているのか。少しばかり気になった。
「あの、聞いてますか?」
 世羅の声にハッと我に返った。
「あはは、ごめん。ちょっと考え事してた」
「もう。率直にお聞きします。先輩と煉様はお付き合いされているんですの?」
「ち……がうわよ」
 絞り出すような声で柳華は呟く。
「本当、ですか〜?」
 訝しむように世羅が半眼で柳華を覗き込む。
―― なんですぐに言えなかったの? 世羅が訝しむのもとうぜん。あいつの事なんてなん
とも思ってない。
 そう、なんとも本当に思ってない? 思ってない? 想ってない? 思って……堂々巡
りを始める思考はやがてパンクした。
「ああ〜〜〜〜〜!! そんなことよりも婚約ってなによ!」
 大声を出して柳華は無理矢理話を変えた。その話を出されたとたん、世羅は大きなため
息をもらして壁に頭をつけてから、
「実は……」
 自らの問題を話し始めた。

「なあ」
 することもなくカレーを温めていた煉は肩のミュウに話しかけた。
「みゅ?」
「あの女が居座ると思うか?」
「ん〜。むずかしいもんだい。もしいすわっちゃったらレンはふたまた、だね」
 ミュウらしからぬ発言に煉は眉根を寄せた。
「どこでんな言葉覚えた」
「リュウカがもってるしょうじょマンガ〜♪」
 無言で煉は背後を振り返る。ベットの隣に積まれた少女漫画。確かあまりにもお人好し
な少年が2人の女子に迫られて両者と付き合うというものだ。
 ……黙考。
 なぜか展開は違えど状況が酷似してきてはいないだろうか。
「あのマンガのしゅじんこうレンみたいでおもしろいの〜♪」
「……」
 ぴたりと煉はカレーをかき混ぜる手をとめ、
「勘弁してくれ」
 がっくりと肩を落としたところで浴室から2人が出てきた。

「……と、そういうわけみたいよ」
 カレーを口に運びながら柳華は世羅の状況を説明した。
 世羅の家−泉家−はなかなかの資産家らしいが、昨今の不景気の影響で大きな赤字が出
た。その負債をなくすには火守(かがみ)財閥と合併するしかない。
 しかし、火守財閥はある条件を出してきた。財閥の跡取り息子との婚姻である。
 そして両親は社員のためにも、と世羅の同意もなしに条件を呑んでしまったというのだ。
「会社の為に娘を売る、か。ありそうな話だ」
 煉は率直な感想を述べた。
「私だって普通の女の子です。嫁ぐなら好きな人にと……」
 潤んだ瞳で煉を見つめる世羅。けれど、見つめられている当の本人は黙々とカレーを食
べていて気付かない。思わず殴り飛ばしたくなった柳華だが、そこで煉が世羅の想いに気
付くのも面白くなかった。
「つまり結婚せず合併ができれば全てが丸く収まるのよ」
 だから柳華はさっさと話を進めた。
「どうやってだ?」
「それがわかれば苦労しないわよ」
 沈黙。カレーをすくうスプーンの音だけが響く。が、それも長く続かなかった。
 ドンドンドンドン!と玄関が激しく叩かれた。いや、叩かれたなんてレベルじゃない。
少しするとゴスドカドン!と扉は壊れんばかりの強さで何度も激しく殴打されていた。
「おら、でてこんかい!」
 ドスの利いた声。明らかに表家業の人間が発せられる声色ではなかった。
「お父様か……もしくは火守財閥の追っ手かもしれません。私はここに隠れてますので後
はお願いいたします」
 小声で世羅は言うと、押し入れを開けて隠れる。
「追っ手、ね」
 煉は立ち上がりコップの水を一気に飲み干した。
「呑気に水飲み干してんじゃないわよ! ヤクザよ? 暴力団よ? ヤーサンよ? もし
捕まったらドラム缶に入れられたあとコンクリ流し込まれたり、海外に売り飛ばされたり、
あたし女だから……いやぁ〜〜!」
 何を想像したのか柳華は顔を真っ赤にして頭を抱える。
「ねえねえヤクザってなに?」
 状況をまったく理解していないミュウが煉の耳をつついた。
「簡単に説明するとだな、暴力で何でも解決するような連中が集まった組織だな」
「ふ〜ん。じゃあ……ミュウぼうりょくふるわれるの〜〜!?」
「お前普通の人間には見えないだろ」
 隠れようと空中で右往左往していたミュウがぴたりと止まった。
「あ〜そうだった〜♪」
「やれやれ。……さて」
 髪をポリポリ掻きながら煉は玄関に向かう。危機感の欠片すらない。
「ちょっと! まさかやり合う気なの!?」
「売られた喧嘩は買う主義だ」
 Vサインをして煉は玄関の扉を開けた。
「おうおうおう! ここに泉家の女が……」
 今時珍しいリーゼントのヤクザは煉をみたとたん固まった。
「あん? どうし……こ、ここここここれは煉の兄貴!? ご、ご無沙汰しておりやす!」
 もうひとりの長髪ヤクザも煉を見たとたん深々と頭を下げる。
「おーっす。どっかで聞いた声だと思ったらやっぱお前達か。カタギに迷惑かけるなんて
……姉さんが許したのか?」
 鋭い眼光が二人を射抜く。
「い、いや…その…」
 目線を上下左右へとリーゼントは言い訳を探す子供のように落ち着きがなくなる。
「とりあえず中に入れ」
 2人の襟首を掴み上げ、煉は有無を言わさず部屋に連れ込んだ。

 叱られた子供のように俯くヤクザ2人。
 そんな2人を腕を組んだ格好で見据える煉の腕を柳華は肘でつつく。
「あにがいったいどうなってんの?」
「こいつらは実家がやってる組の子分だ。リーゼントの方が鈴城で長髪が坂下という」
「組って……あんたヤクザの息子なの!?」
「息子というには少し語弊がある。俺は養子だ。組は姉が跡目を継いでいる」
 初めて聞く身の上話に柳華は少し煉を知れて嬉しいと思った。
 もちろん驚いた。全然ヤクザらしくないからだ。どこをどう見ても口の悪い男にしか見
えない。
「で、どういうことか説明してもらおうか」
「いや、その……もうしわけない!」
 鈴城は大声で謝罪すると、額を地面にこすりつけるようにして土下座した。
「ほんの小遣い稼ぎしようと……」
「もうしわけねえ!」
 坂下も同じように土下座する。
「謝る相手が違う。俺はもう組とは関係ないからな」
「そんなこと言わねえでくれよ、兄貴! もしこんなことが姐さんにバレたら……」
「間違いなく撲殺されるな」
「頼んます! どうか便宜を図っていただけやせんか。こんなオレにだって守らにゃいけ
ねえ女房、子供がいるんです!」
 ダ〜、と滝の涙を流して鈴城が煉にすがりつく。もう彼らを怖いとは思わなかった。そ
れどころか可笑しかった。
「便宜してやったら?」
 クスッと笑って助け船をだすと、今度は瞳を輝かせた鈴城と坂下が柳華の手を掴み、
「今日から……」
「姉御と呼ばせていただきやす!」
 と、言った。
「あははははは」
 もう柳華は笑うしかなかった。
「いいだろう」
 目を閉じて黙っていた煉が口を開く。
「本当ですかい!?」
「ああ。ただし条件がある」
「じょ、条件……とは」
 ごくりと息を飲む2人に対して煉は条件を口にした。

 そんなやり取りがなされている中……。
「あ〜、ヤ〜サンみーっけ〜♪」
 ミュウは呑気にマンガを読んで喜んでいた。

 そして騒ぎの張本人である世羅はというと、
「私は透明人間で通りすがりの青い猫型ロボットなんで気にしないでください〜〜」
 耳を塞ぎながら意味不明な言葉を吐き続けていた。

 そんな彼女が押し入れから引っ張り出されたのはその3分後であった。


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