第十二話「キミはなにをおねがいする〜?」
 沢渡綾那は一歩下がって表札を見上げた。
「ここってあなたの部屋じゃないわね」
「そ、そうです」
「彼とは恋人じゃないって言っていなかったかしら」
「これには常識じゃ考えられないふっか〜い事情ってものがありまして。一応あいつの部
屋の隣があたしの部屋なんです。今日はあいつが熱出したので……その、普段お世話にな
っているから、恩返しっていうような感じで」
「つまり看病していたのね」
 綾那は含みのある微笑を浮かべ、
「そう。なら彼にこれを渡してちょうだい」
「……これは?」
 柳華は渡された箱をまじまじと見た。どこのデパートでも売っていそうな菓子折だ。
「ダーリンがいつもお世話になっているからお返しよ」
「はっ?!」
 耳にした単語のあまりの違和感に、思わず柳華は素っ頓狂な声をあげてしまった。
「だ、ダーリンですか……?」
「お隣の笹木和征は私のダーリンなの。家が猛反対してるけれど、いずれは屈服させるつ
もり。ふふふふふっ」
「は、はぁ」
 隣人の笹木和征は神出鬼没で滅多に顔を合わせることはない。あるとすれば宅急便を代
理で引き受けてもらった時とか、運が良くて部屋に入ろうとした彼に会えるくらいだ。
 柳華もここへ来て2,3度しか会ったことがなかった。無口でほとんど喋らないことし
か覚えていない。
「ところでいま暇かしら?」
 何か面倒ごとを押し付ける前置きに柳華はノブを掴み、
「ちょっと立て込んでますので。このお返しは今度煉の奴にさせますから」
 押し付けられまいと扉を引く。
「逃がさないわよ」
 足が差し込まれた。扉は足に邪魔されて閉まらない。
「本当に今日ばかりはダメなんです。煉の奴が熱だして寝込んでるって言ったじゃないで
すか。頼みごとでしたらまた今度でお願いします」
「大丈夫よ。彼に何かさせようなんて思っていないわ。心配ならこの部屋ですればいいこ
とだし」
「……な、何させるつもりなんですか?」
「助けてほしいの」
 急に綾那が真剣な顔をする。
「部長……」
「お願い。この通りよ」
 差し込んでいた足を引いて綾那は頭を下げる。今まで見たことがない態度に柳華は驚き、
自らの頬を抓って痛みがあることを確認して、ようやく彼女が本当に困っているのだと理
解した。
「話くらい聞いてやってもいいんじゃないのか」
 声に振り返ると、肩にミュウをのせた煉が立っていた。寝間着の上にジャンパーを羽織
っている。
「こんにちわ。いつもダーリンがお世話になってます」
「だ、ダーリン……?」
 顔をひきつらせながら煉は柳華を見た。
「お隣の笹木さんのこと。聞いてたんじゃないの?」
「いや、お前が眼鏡女に困らされてるってミュウがうるさいから来た。聞こえたのはお願
いの辺りからだ。それで頼みってのは?」
 綾那は頷く。
「実はダーリンの仕事の手伝いをしてほしいの」
「笹木さんって仕事してたのか」
「もちろんよ。彼は幼稚園の先生をしてるわ。奥様方には顔よし性格良しと大変好評よ。
私のダーリンだから当然だけど」
「幼稚園……」
 柳華は目を閉じた。
 和征が黙って立ったまま園児達を凝視し園児達もじっと彼を凝視する。そのまま一日が
過ぎる光景が浮かんだ。
「教室が静かそうだな」
「あんたも同じ想像したのね」
「なにを言っているの。確かにダーリンは口数が少ないけど園児達の前では違うわ。優し
い笑顔を浮かべながら園児達と接するダーリン。思い出すだけでトキめく光景じゃない」
「そんなこと言われても」
「想像できん」
「反論はできないわね」
 綾那は苦笑と共にため息をもらす。
「話が逸れたわね。本題は彼が園児達にお正月のお祝いとして新聞紙で作った剣と兜、鎧
のセットをあげると約束したらしいの。27人全員分ね。ところが彼ったら大晦日の今に
なってそれを思い出して、今のところまだ1セットも作ってない状態」
「けっこう間が抜けてるのね」
「そこがまた母性本能くすぐったりするんだけど」
 ウインクする綾那。似合わない仕草を見せられて2人はげんなりとした。
「それなのに彼ったら元旦に渡すって約束したっていうの。そこで助っ人をって考えたら
好都合にも隣が恋人君と東雲さんだっていうじゃない」
「なるほど」
「もちろん手伝ってくれるわよね?」
「俺は構わないがあいにくと病人でね。どれだけ手伝えるか」
「そうね。……なら貴方の部屋を貸してもらえるかしら。それなら貴方は寝ながらでも作
業できるでしょ?」
「……わかった。それでいい」
「じゃ、材料とダーリン連れて戻ってくるわ」
 綾那は鼻歌交じりに隣の部屋へと消えた。隣の扉が閉まる音が発せられると同時に柳華
は口を開く。
「手伝うなんて言っちゃって良かったの?」
「笹木さんには色々世話になってるしな。それに、あの眼鏡女に逆らうと後が怖い」
 その言葉に柳華は苦笑する。同感だった。

 すぐに綾那は新聞紙の束と和征を連れて戻ってきた。
「……ども」
 ぺこりと頭をさげる和征。相変わらずの無表情だ。幼稚園の先生をしていて、園児の前
では笑顔を振りまいているとは思えない。
「作り方はこれを見て」
 綾那はコタツの上に3つの作り方が事細かにかかれている模造紙を広げた。
「わからない事があったら私かダーリンに聞けばいいから。ね、ダーリン」
 こくりと和征は頷いた。煉と柳華は顔を見合わせて、笑った。

 それから四人は黙々と作業を開始した。煉と和征が兜を作り、柳華と綾那が鎧を作るこ
とになった。
「細かい作業って苦手なのよね」
 ハサミを使いながら柳華はぼやく。
「得意だったらみそ汁蒸発させたりセーターを相撲取りサイズにはしないだろうな」
「うっさい」
「それにしても笹木さん、なんで鎧兜なんてあげることになったんです? 鎧兜といった
ら五月なんじゃあ」
「ちゃんばらが園児達に人気なんだ。冬休み前に園児のひとりから鎧兜と剣を作ってと頼
まれた。でもひとりにあげると喧嘩になるから」
 頷ける理由だった。子供というのはほしい物なら他人から奪うこともある。ひとつしか
ない玩具を奪い合う園児達の光景がすぐに想像できた。
「幼稚園の先生も大変ですね」
「そんなことない。園児達が喜ぶ姿を見てるととっても楽しい気持ちになるんだ」
 無表情だった和征が笑みを浮かべる。園児達を心から思っている、そんな笑顔だ。
「いやぁ〜ん! やっぱりダーリンは笑っている顔がいちばん…す・て・き」
 突然奇声を上げた綾那が和征の背に頬ずりを始める。
「さ、寒気が……」
「見てらんない」
 目の前でいちゃつかれて2人は頭を抱える。

「折り紙さ〜ん折り紙さ〜ん♪ こうしてこうしてこうすると〜かんせ〜い♪」
 そんな中、ベットの上では歌いながらミュウが鶴を完成させていた。

「くぅぅぅぅぅ。終わった〜」
 大きく伸びをして柳華は床に倒れ込んだ。時間は午後八時を回っている。
「お疲れさま。これで園児達が喧嘩せずにすむわ」
「2人とも本当にありがとう」
 土下座をする和征に、慌てて柳華は身を起こした。
「や、やめてください。そこまで感謝されることしてないんですから。そうよね、煉」
「その通りです。頭をあげてください」
「けれどもそれでは僕の気がすまない」
「だったら夕食でも作ってごちそうしたらどう? こんな時間だし、彼は病人で東雲さん
は料理の方はからっきしのようだから喜ばれると思うわ」
「あはは〜」
 痛い言葉に柳華は引きつった笑みを浮かべながら、コタツの中で密かに拳を握りしめる。
ちょっとばかりムカついた。
「それは助かる。レトルトだと味気ないし、ましてや柳華の蒸発料理なんて食ったらどう
なることか……」
 柳華の右ストレートが綺麗に煉の頬を打ち据えた。
「何しやがる!事実を言ったまでだろうが!」
「黙れこの無神経男!」
 柳華は煉の両頬をこれでもかというくらい引っ張った。煉も負けじと引っ張り返す。
「くぬくぬ〜!」
「おまへははひがひはいんは!」
「ひふんのふへにひいへひほ!」
 もはや子供の喧嘩だった。
「あうあう〜。けんかはよくない〜」
 ミュウは仲裁しようとするが、なにせ人と妖精では体格差がありすぎる。下手に割り込
もうとすると張り手でたたき落とされたこともあった。
 よって怖くて近づけない。と、喧嘩する2人の襟首を和征が掴み上げ、
「喧嘩はほどほどにするんだぞ」
 笑顔を浮かべながらも、底冷えするような声で言った。もし園児が聞いたらお漏らしし
ながら泣き出すだろう。2人は壊れたマリオネットのような格好で頷いた。

 程なくしてキッチンから食欲をそそる匂いが漂ってきた。時折、
「味見してみてダーリン」
 とか、
「ダーリンの料理はこの世で一番美味しいわ」
 終いには、
「この場で私を食べちゃって!」
 なんて少し場をわきまえてほしい大胆発言が聞こえてきた。煉と柳華が顔を赤くしたの
は言うまでもない。
「それにしても眼鏡女と笹木さんの接点が思いつかん」
「それもそうね」
 素朴な疑問だった。恋人になるにはまず出会いからである。いつ出かけていつ帰ってい
るのかわからない和征と毎日演劇に燃える綾那……接点が思い浮かばなかった。
「2人の謎が一個減って一個増えたわ」
 キッチンから2人の笑い声が聞こえてくる。
「楽しそうだな」
「みたいね」
「お前も料理ができればな〜」
「うっさいわね。包丁さばきならあんたにだって負けないわよ」
「なら今度からお前も手伝え」
「ふっふ〜ん」
 柳華は笑った。
「あ、あんだよ」
「あんたもあんな風な事したいの?」
「ん、んなわけあるかっ。ただ単に俺ひとりで料理するのも疲れてきただけだ」
「ムリしちゃって」
 顔を背ける煉の頬をつつきながら柳華は、ふと彼と一緒に料理する光景を思い浮かべて
みた。食材を切る自分と調理する煉、そしてつまみ食いするミュウ。
 まるで夫婦と娘の円満な家庭のようだ。
―― ふ、夫婦って、あたしは何を考えてんだか。でも、いいかもね。
 いつも作ってもらってばかりだ。一緒に料理を作る。料理のできない柳華にとって魅力
的な提案だった。
「あたしはいいわよ」
「どうせそう言うと――なぬ!?」
 煉が振り返った。かなり驚いているのか目を丸くしている。その顔があまりにも面白い
ので柳華は大声で笑った。

 和征と綾那は食事を終えてすぐに帰っていった。園児達に鎧兜と剣を渡し回ったあとに
初詣へ行くらしい。
「あ〜どっと疲れた」
 2人が帰った直後に煉が呟いた言葉である。煉も同感だった。
 食事中あの2人の熱々ぶりに辟易していた。食べさせ合うのは当たり前。和征の頬につ
いたご飯粒を取って食べたり、愛を語りだしたり、柳華と自分のどちらが綺麗かを彼に質
問したりもした。
 それらを見せつけられた柳華は心臓が破裂するくらい恥ずかしかった。反面少し羨まし
いとも。
『僕は綾那が一番だよ』
 笑みを浮かべながら和征は答えた。
―― あたしも一度でいいからあんな風に言ってもらいたいな〜
 少しばかり乙女の夢に浸る柳華。
「リュウカ〜。もうすこしでおしょうがつだよ〜♪」
 ミュウの声で現実に戻る。
 テレビではタレントが神社の前でカウントダウンをしようとしていた。熱は下がったが、
さすがに寒空の下で初詣は風邪を再発しかねない。よってテレビを使っての初詣をするこ
とにしたのだ。
『みなさんご一緒に! 5! 4!』
「3〜♪」
「2!」
「いち〜」
 三人は顔を見合わせ、頭を下げた。
『あけましておめでとう』
 年が明けた。テレビに新年を祝う色とりどりの文字が表示された後、大勢の参拝客と境
内が映し出される。
「………」
 煉は目を閉じると、テレビに向かって手を合わせる。横にいたミュウも真似をしていた。
「……うむ」
「テレビに向かって神頼み?」
「まあな。テレビだって神社は神社だ。それに元旦に願った方が叶う確率高そうだろ」
「何を頼んだのかぜひ聞かせてもらいたいな」
 肘で煉を小突く。
「誰が貴様に教えるか」
「あんですって〜っ!」
「けんかだめだめ〜。レンとリュウカはなかよし〜♪」
 きゅ、とミュウの手が指を握りしめてくる。
「まあ、今日はおめでたい日だから勘弁してやるわ」
「あっそ。ミュウは何をお願いしたんだ?」
「ミュウはねミュウはね、ず〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っとレンとリュウカといっし
ょにいられますようにっておねがいしたの〜〜♪」
「柳華はともかく、ミュウとはずっと一緒にいてもいいな」
 笑みを浮かべて煉がミュウの頭を撫でる。と、急に仏頂面になってこちらを見た。
「んで、お前は?」
「あんたになんて絶対に教えない」
 柳華は顔を背け、ちらっとテレビを見た。まだ神社の映像が流れている。目を閉じて真
剣に願った。
『この生活がずっと……続きますように』
 と。

 持ち主に気付かれぬようカメラは三人の姿を自らに収める。

 次第に強まっていく絆を感じる……

 残り……85枚


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