第十三話「私とあそんで」
 水鏡に映る妖精達の姿。笑っていたり、怒っていたり、泣いていたり、寝ていたり。色々
な表情が映し出されている。そしてその妖精の側には必ず人間がいた。
 妖精なら一度は与えられる試験。
 長老より与えられた課題をクリアするまで外界、つまり人間の世界で過ごすこと。
 そう、妖精なら誰でも一度は経験するはずなのに……。
「どうして……私にはなかったの」
 水鏡が映しだした映像のひとつを見る。濃い緑色の髪の妖精が楽しそうに笑っていた。
「ずるい」
 どうして自分には彼女のような経験ができないのだろう。どうして自分の周りには誰も
いないのだろう。自分の周囲にあるのは水鏡だけ。
 なぜ自分だけがひとりでいなければならないのか。どうして自分だけなのか。
「もうヤダ」
 彼女は立ち上がった。
「こんな場所……抜け出してやる」

 プールとは夏の風物詩。それはもう過去の話である。今では温水プールで冬でも入るこ
とが出来る時代だ。スキーも冬でなくても遊ぶことができてしまう。
「だからといってなんで俺がプールなんぞに来なくちゃならん」
 揺れる水面を見ながら煉は嘆く。
 煉には苦手な物が4つある。姉と弟と海と……そしてこのプールである。幼い頃に根性
を鍛えるためという名目で荒波に放り込まれたことがあった。当然ながら溺れた。それが
トラウマとなって水、正確には泳ぐための水を見ると鳥肌がたつ。入ったことはないが、
おそらくは恐怖で失神するだろう。しかしながらきちっと海パンのみの格好だ。
「膝が震えてるわよ」
 振り返る。水着に着替えた柳華がにやにや笑っていた。水着は白のワンピースタイプだ。
自慢するだけあってスタイルはなかなかいい、とそこまで思って煉は頭を振った。
「くびふってどうしたの〜?」
 ミュウがゆっくりと降りてきた。彼女は柳華お手製のスクール水着を着ている。胸元に
は『みゅう』とひらがなで名前が書いてある。
「あたしの水着姿があんまりにも刺激が強いんで正気を失いそうになったんじゃないの」
「誰がお前のような寸胴女の水着姿で」
「ほっほ〜う。そんな事言っていいのかな〜?」
 柳華が煉の背中を押した。
「な、何しやがる! 危うくプールに落ちるところだったぞ!」
「落とそうとしたんだから当たり前じゃない。ふっふっふ、ここじゃあたしが優位なのよ。
水が大嫌いなどこかの誰かさんはあたしの気分を害さないように」
 どうやらバイトでの仕返しらしい。言うことを聞かなければプールに叩き落とすと。バ
イトでは色々とこき使っているのが今になって祟った。
「ふっ、プールに近づかなければ落とされることもない」
 勝ち誇った表情で煉はプールから離れようとするが、
「別にいいわよ。そんときはミュウのカガミさ〜んであんたの恥ずかしい過去を教えても
らうから」
 足を止める。ぎりぎりと錆び付いたロボのように振り返ると、にやにや笑いながら柳華
が腕を組んでいた。
「き、貴様ぁ〜〜〜」
「それともお子様ようプールにしてあげようか」
「おこさまぷ〜る〜おっこさまぷ〜る〜♪」
「ぐぬぬぬ〜」
 ミュウにまでバカにされては引き下がることはできない。怒りを押し殺しながら煉が踵
を返したところで
「お待たせいたしました」
 プールに誘った張本人がやってきた。
 お金持ちのお嬢様・泉世羅である。黒のワンピース水着を着こなした彼女は柳華よりも
体の線が細く、どこか気品があった。
「拳など握りしめてどうなさいましたの?」
「なんでもない」
 そう言って煉はプールサイドに座り込んだ。
 実はこの室内プールは泉家が建設したものであった。今日は開店前日ということでほと
んど人はいない。いるのは泉家が招待した客たちである。
 朝食を食べている所に世羅がプールの招待券を持ってやって来た。プールと聞いた時点
で煉は断ろうとしたが、ミュウにプールが見たいと泣きつかれ仕方なしにというわけだ。
「こいつったら水が怖いみたいなのよ」
「まあ」
「人には誰だって苦手なものがひとつやふたつやみっつよっつあるもんだ」
「だからってプールよ? 海なら怖いっていうのも頷けるけどプールが怖いなんて……」
 何を想像したのか、突然吹き出す柳華。
「そんな。笑っては煉様に失礼ですよ」
 そうは言いつつも、世羅も笑いをこらえていた。柳華につられて何かを想像したらしい。
立ち上がった煉はドシドシ足を踏みならしながら休憩所に向かって歩き出す。
「ちょっと。プール入る前からどこ行くのよ」
「喉が乾いたからジュース買ってくる」
 もちろん嘘だ。これ以上からかわれるのはもうごめんだった。
 更衣室で財布を取ってから休憩室に向かう。休憩室では飲み物以外にもハンバーガーや
たこやきの自販機などが置かれていた。
「え〜と……玉露玉露。お、あった」
 自販機に小銭を入れ、目的の玉露缶ジュースを買おうとするが、横から伸びた細い指が
隣のオレンジジュースのボタンを押してしまった。
 取りだし口にオレンジジュースが排出される。
「……」
 しばし呆然とそれを見た後、ゆっくりとボタンを押した人物を振り返った。
「えっへへ〜」
 白のワンピースを着た女の子が笑顔を浮かべていた。年は煉より少し下18、9歳だろ
う。晴れ渡った空のような蒼い髪が印象的で両腕には銀の腕輪がぶら下がっている。
 まるで本から抜け出たような少女であったが、溜まりに溜まった怒りが爆発した煉は見
惚れることなく怒鳴りつけた。
「あのな〜。他人の金でジュース買っておいて笑ってるな!」
「キミって月影煉だよね」
「あ? なんで俺の名前を……」
「一緒に……あそぼ!」
 握手でも求めるように彼女が右手を突き出す。いきなり何をと思ったとたん、急に眠気
が襲ってきた。
「な、なにを……しやがった」
 膝を突いて煉は少女を睨み付ける。
「キミってかなり強情だから少しだけ眠ってもらうの。安心して。私はキミと遊びたいだ
けだから」
 その言葉を最後に煉の意識は闇へと誘われた。

「わぁ〜い♪プールっておもしろ〜い♪」
 プールをでたらめな泳法で泳ぐミュウ。
「あんまりプールサイドから離れちゃダメよ」
「わかった〜♪」
「だいじょうぶかな」
 苦笑する柳華。心はもう子供を心配する母親だった。と、急に隣にいた世羅がため息を
もらした。
「先輩が羨ましいです」
「は?」
「煉様と同棲しているだけでなく妖精のミュウちゃんが見られるんですもの。私も妖精さ
んを見たいですわ」
「ならばワシではいかがかな?」
 かけられた2人は声に振り返る。
「あーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!」
 見知った顔に柳華は大声を上げる。
 身長は150センチそこそこ。銀髪に蒼の瞳。そして魔法使いが持っていそうな杖をも
った少年。妖精界で会った妖精の長老・レグナットその人であった。
「相変わらず元気のよい娘よ」
「あ、あんであんたがここにいるのよ」
「うむ。ちと妖精界で事件があっての。お前達にも少し関係があるから会いに来たのじゃ」
「あの〜」
 申し訳なさそうに世羅が手を挙げた。
「なんじゃ?」
「どなた様でしょうか?」
 そういえば世羅とレグナットは初対面だった。柳華は簡単にレグナットを紹介した。説
明を聞き終えた世羅は信じられないといった顔でレグナットを見ている。いきなり目の前
の少年が妖精達の長老で何千年も生きていると言われても信じられないだろう。
「で、事件ってなに?」
「うむ」
 言いにくそうにレグナットは顎をさする。
「ミュウの姉・フェリスが姿を消した」
「姿をって……妖精界から? っていうかミュウにお姉さんなんていたんだ」
「うむ。魔力を追ってきたらここへ辿り着いてのう。もしかしたらミュウに会いに来たの
ではないかと思ったのじゃ」
「そんな子見てないわよ」
「そうか……む!」
 急にレグナットが鋭い表情になる。
「どうしたの?」
「フェリスの魔力じゃ。近い!」
 レグナットはふわりと浮かぶと、直立したまま休憩室の方へ進む。柳華と世羅は顔を見
合わせてから後を追った。
「う〜む」
 先に来ていたレグナットはしゃがんで何かを拾っていた。
「いたの?」
「いや。どうやら転移魔法を使ったようじゃ。誰かと共にな」
「誰か?」
 世羅の問いに、レグナットは持っていた財布を見せた。
「これが落ちておった」
「これって煉の財布じゃない!」
 柳華はレグナッドノ手から財布を奪い取って中を見た。煉の名前が書かれた診察券やビ
デオレンタルショップの会員カードが入っている。間違いない。
「いったいどういうことなの?!」
「とりあえずこれだけは言えるのぅ。煉殿はフェリスに誘拐されたようじゃ」
 柳華と世羅は同時に叫んだ。
『誘拐?!』

 その頃、
「ほえほえ〜」
 何も知らないミュウはプールの水面にぷかぷかと浮いて幸せ気分を満喫していた。


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