第九十九話「第一の壁 其の一」

「ここか」
 桜に書いてもらった地図の通りに5分ほど歩いて目的地である拳道場に到着した。
 位置的には学園の敷地の南東、体育館の裏。一応この学園でも部活というものが存在してい
るらしいが、今日はないらしく生徒の姿はどこにもなかった。
 建物は2階建て、屋根はトタンではなく瓦、壁は白一色で、作りは古めかしい。これを誰に
でもわかりやすく説明するなら武家屋敷の一言が適当だろう。
 入り口は木枠に曇りガラスがはめ込まれた両開きの引き戸で、戸の上に『剣道場』、『拳道
場』と達筆な筆文字で書かれた板が打ち付けてあった。
 一通り外観を見終えたところで俺は右の戸を軽く引いてみる。鍵はかかっておらず、すんな
りと戸は移動した。
「招待されてんだし当然か」
 といっても罠がある可能性があるので戸の前に立たず、横に移動してから屈んだ格好のまま
少しずつ戸を開く。完全に開ききっても、数秒待っても何も起こらなかった。
「……入り口は囮で一歩踏み入れた途端に落とし穴ってことも」
 念には念と玄関の床を靴のつま先で何度か触れてみる。
「何も起こらない、か。……もしかしたら重さが発動条件か? 仕方ねぇ、片足だけ乗っけて
――」
「救いようのないバカがいるな」
「うぉっ?!」
 コサックダンスするような格好をしていた俺は、真上から浴びせかけられた声に驚いてバラ
ンスを崩すも引き戸を掴んで何とか耐える。
「ったく、いきなり誰だ……ってお前は」
 ホッと一息吐いてから誰だと思いながら顔を上げて見れば、決闘状を持ってきたハチマキメ
イドが両腕を組んだ格好で俺を見下ろしていた。
「胡乱、凡愚、滑稽、無様、ド低能、すかぽんたん、天下一の大間抜け、ノータリン、今のお
前に相応しい言葉だ。どれでも好きなのを選んでくれよ」
 更に浴びせかけられる嫌味の数々。確かに敵対しているヤツが屈んだ状態で恐る恐る床をつ
ま先で突くという姿を馬鹿にしたくなるのはわからないでもない。
 俺なら無防備な後頭部にケリを叩き込み、起きあがろうとしている所で言っただろう。
「で、お前は何をしているんだ?」
「あ〜、いや、罠でもあんじゃね〜かな〜と確かめて、な」
 ニヤニヤと見られる内に恥ずかしくなった俺は、立ち上がって軽い咳払いをしてから言葉を
返した。ハチマキメイドのいる方とは逆に顔を向けて。
「ふん、罠か。確かにお前を楽に葬り去るならそれが一番手っ取り早かったはずだ。しかし主
は罠や奇襲といった卑怯事を嫌っている。故にそんなものは断じてない」
「そりゃまた崇高な思想だことで。んで、お前の主はどこにいんだよ?」
 言いながら一階の道場を見渡したが誰もいない。となれば理由はふたつ考えられる。
 ひとつは2階にいる。俺の予想ではこっちが濃厚だ。壁に掛けられた木刀と竹刀を見れば1
階が『剣道場』なのがわかる。
―― 決闘状に書かれていたのは『拳道場』。つまりは1階じゃなけりゃ2階ってわけだが
 もうひとつの可能性はかなり低くなったが、ここに火守百織がおらず、戦う相手がハチマキ
メイドだという可能性だ。しかし、ハチマキメイドはハッキリと『主は罠や奇襲といった卑怯
事を嫌っている』と言っていた。この可能性はほぼゼロだろう。
「主は上で待ってる、さっさとこい」
 ハチマキメイドは顎で階段を指し示すと、背を向けて歩き出した。最悪の状況が回避された
事に内心ホッとしながら俺は靴を脱いで後に続く。
「あぁ、そうそう。面白いモノを見せてもらった礼に、まだこっちの世界を理解していない馬
鹿なお前に忠告してやろう」
 階段の折り返しで足を止めたハチマキメイドが息が顔を近づけてくる。驚きと少しの気恥ず
かしさに後ろに下がろうとするも襟首を掴まれて阻止された。
「な、何だよ、いきなり」
「まずは質問だ。お前、罠ってのは扉開けたら矢だの槍だのが発射されるとか、玄関に踏み入
れた途端に落とし穴しか頭になかったろ?」
 図星を突かれ俺が小さく呻くと、ハチマキメイドは声を押し殺しつつも、しかし実に楽しそ
うに笑い出す。
「あ〜、笑えるったらねぇぜ。主が上にいなきゃ大声で笑ったわ。こんなのを選んだ法光院の
お嬢様には早急に喪服をプレゼントする必要があるかもな」
「んだと、そりゃどう――くっ!」
 文句を言おうとしたところで襟首が締め上げられる。
「いいか? 主が罠を許していたらオレは間違いなくクレイモアとC4、後は釘を使ったぜ。
単語わかるか? クレイモアは対人地雷でC4はプラスチック爆弾だ」
 それぐらいは知っている。ゲームではお馴染みの武器だ。
「クレイモアをお前が来る可能性のある道に仕掛ける。ま、これは法光院のメイドなら先回り
して解除するのは間違いない。が、それはフェイクだ。クレイモアを解除して罠はもうないと
思わせ、お前が開けた戸の後ろに爆風で外に向かって飛び散るようにC4と釘を設置する。後
はお前が来るのを別の場所でモニターして、来たところでポチッと押せば人間針山のできあが
りってワケだ。イテェだろうな〜。想像してみろよ? 弾丸の様に飛び散った釘がお前の額や
目や耳、頬、喉、胸……全身に突き刺さるんだぜ。即死ならいいが、そうでないなら生き地獄
が味わえるって訳さ」
 実に楽しげにハチマキメイドは仮定の話を口にした。そう、実現可能な仮定を。
「おいおい、急に体が震えだしたぜ。オレの話聞いて怖くなったのか? この程度でビビるっ
てんなら、ここで引き返して、そんでもって法光院のお嬢さんとは縁を切って前の生活に戻る
ことを勧めるよ」
 そう言ってハチマキメイドは襟からそっと手を離す。しかし動く気配はない。俯いた状態で
はわからないが俺の反応を待っているのだろう。
 そんなハチマキメイドの両肩を掴んで俺は顔を上げる。
「な、何だ、やる気か?!」
「お前良い奴だな! いやぁ〜、目から鱗ってこういう事か。ホントそうだよな、今じゃ俺も
非常識側で、それに見合う状況に対処ができなきゃマズイんだよな! つうか、お前に言われ
るまで気づかない俺って馬鹿としか言いようがないな!」
 笑いながら俺はハチマキメイドの肩を叩く。
 震えていたのはハチマキメイドの言葉を怖いと思ったからでもあったが、それ以上に自分が
どういう世界のどの位置にいるのかを再認識し、結果として自分の馬鹿さ加減に腹が立ったか
らだ。
 そう、今の俺の立ち位置で非常識だったのは俺自身だった。
 戦いと言えば喧嘩、攻撃と言えば打撃か投げ、それが少し前までの俺の常識。しかし、今で
はそんな事は希であって、その希に遭遇してもゾウとアリという力の差ばかりになるだろう。
それ以外の戦いは近代兵器、毒物、人、金で買える物なら何でもござれなのだ。
 攻撃が銃弾や砲弾、ミサイルの可能性さえも否定できず、水を含める全ての食事が毒物であ
る可能性も否定できず、狙ってくるのは老人や子供の可能性さえも否定できない。
 それが信じられなくて、信じたくなくて俺は非常識の単語で否定していた。
―― でも、それも今をもって終了だ
 かといって今の俺にこの世界の常識は荷が重すぎる。でも立ち止まる訳にもいかない。
「ったく、これでやることが増えちまったぜ。しかも難易度高すぎて頭痛くなるよ、ホン
ト。でもやるかねぇし……うっし! さっさと決闘終わらせて帰るとするか!」
 気合いを入れるために両頬を叩き、何故か目を丸くさせているハチマキメイドの横をすり抜
けて階段を上る。
「お、そうだ。ハチマキメイド、お前の名前は何つうんだ?」
 2段程上ったところで思い出して俺は足を止めて振り返った。
「わけがわからん。オレの名前がお前に必要か?」
「必要だ」
「敵のお前に教えると思うか?」
「教えてくれないなら毎日聞きに行く」
 そこで会話が途切れて睨み合いになる。
「……アカネ。茜色の茜だ。名字は捨てた」
 3分程したところでハチマキメイドは大きく息を吐き、面倒だと言わんばかりに頭を掻きな
がら名前を口にした。
「茜、俺の馬鹿さ加減に気づかせてくれてサンキュウな!」
 心から感謝を込めて茜の手を握りながら礼を言う。
 ちなみに名前を聞いたのは礼を言う相手を勝手につけたあだ名で言うのが嫌だっただけだ。
「さてっと、そんじゃあ決闘相手とご対面しようか!」
 茜の返事を待たずに俺は残りの階段を上る。

 そして、俺は決闘相手である火守百織と相対したのだった。



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