第百話「第一の壁 其の二」

 道場の造りは1階の剣道場と同じ。違いは床が板張りではなく畳で、壁に掛けられているの
が竹刀ではなく何故か鉄アレイで、中でも目を引いたのは正面奥にある掛け軸だ。
「……なるほどな」
 火守百織がどうして俺を敵とみなしているか、掛け軸に書かれた文字を見れば一目瞭然だ。
 掛け軸は3つあった。
 1つ目には『男に心許すべからず!』と。
 2つ目には『男の言葉に、想いに真なし!』と。
 3つ目には『怒りと悲しみを拳と蹴りにこめよ!』と。
 どれも力強さと荒々しさを感じさせる太い筆文字で描かれ、右下には火守百織の名前があっ
た。つまりは3つ掛け軸に書かれた内容があいつの行動理由であり信念なんだろう。
―― そんな信念抱くって事は過去に男と何かあったって感じか
 掛け軸から道場の中央で仁王立ちしていた火守百織に目を向ける。
 服装は白の胴着に黒帯、額には茜の物と同じであろう白のハチマキが巻かれていた。ただ、
茜の物とは違い、中央に『撲殺実行』と赤い文字で書かれている。
―― 殺る気は十分ってわけか
 半ばわかりきっていた事とはいえ、話し合いでの決着は絶対に無理とわかり俺の口から自然
とため息が漏れた。
「遅かったじゃないの。茜に何か言ってたみたいだけど、あの子何かした?」
「馬鹿な男に素敵なご指導してくださったんでちっと礼の言葉をな」
「ふぅん、あの子が男に対して指導……ま、いっか。来たって事は覚悟ありってオーケー?」
 火守は訝しげに茜を見るも3秒後には俺に満面の笑みを向けてくる。その両中指には殴る部
分が鋸の刃のように改造されたメリケンサックがぶら下がっていた。
 あんなもので顔を殴られたら間違いなく一生残る傷が約束されるだろう。
―― 卑怯事を嫌ってるって茜の言葉を信じて勝負にでるか
 小さく息を吐いて気を引き締めた俺は火守を睨み付けた。
「ああ。お前とやったらタダじゃ済まないってのは覚悟してきた。けどよ、丸腰相手にそれは
卑怯だとは思わないか?」
「……本当に丸腰って証拠はあるってぇの?」
「調べて構わないぜ。何ならこの場で全裸になって証明したっていい」
「茜!」
 火守が声を上げると、足音も立てずに茜が俺の背後に立ち、まずは上着からシャツ、ズボン
の順に全てのポケットに手を入れ、その次は上半身から下半身、つま先まで入念に触れてチェ
ックしていく。
 当然の事ながら俺の衣服から出てきたのはハンカチやら携帯等だけで武器は一切ない。
「キミって胃の中に武器とか隠せる特技ってあったりすんの?」
「あいにくと出来たらテレビに出られそうな特技は持ち合わせちゃいねぇよ」
「茜!」
 二度目の指示。今度は取り出した警棒のようなものを俺の全身にくまなく移動させた。腰の
部分で甲高い音が鳴ると茜はベルトを取り外す。
「ああ、金属探知機か。いやはや疑り深いというか臆病っつうか、何なら全裸になって武器を
持ってない事を証明してやろうか? ……もしかして狙いの本命はそっちだったりしてな」
「うげ、そんなバッチイの見たくもないっての。てかさ、キミの目って節穴? ボクの後ろに
何て書いてあっか見えないん?」
 俺の挑発に対して火守は鼻で笑って後ろの掛け軸を指さす。
―― あからさま過ぎてバレバレか
 怒らせて攻撃を読みやすくする作戦は失敗。とはいえ、むしろ怒らせた方がヤバかった可能
性も否定できないので結果オーライとしておく。
「武器は所持してないようです」
「当たり前だ。今までの人生で拳銃は撃たれた事はあっても撃った事はねぇ! ナイフやら刀
で斬りかかられても斬りかかった事もねぇ!」
「なかなか楽しそうな経験積んでるみたいじゃん」
 自慢にもならない俺の不幸話に火守はケラケラと笑う。が、それもほんの数秒、
「んじゃ、ボクがその経験で人生に幕を下ろさなかった事を後悔するくらいボッコボコにして
やっから覚悟しろっての」
 メリケンサックを茜に投げ渡した火守の表情は獲物を刈り取る猛獣のソレとなっていた。
 ソレを目の当たりにしたとたん、脳天から脊髄を通して恐怖という名の痺れが全身へと伝わ
り、同時に粟立つのを覚えた。
―― 口調は可愛らしいってのに、やっぱこっち側の連中はハンパないな
 向けられる殺気に息を飲みつつ、手足が動くことを確認する。メイド女共で慣れていなけれ
ば間違いなく腰を抜かして戦意喪失となっていた事だろう。
 今回ばかりは連中に感謝した。
「ほらほら、どうしたっての。キミのご要望通り素手なんだからさっさとかかってきなよ!」
「まぁ待てよ。勝負方法は俺に決めさせてもらっていいか?」
「ハンデならダメ。武器を使わないってハンデをしてあげてるんだし。別のハンデを要求する
なら遠慮なく武器使うから」
「待て待て。何をもって勝ちとするかって事を決めるだけだ。まぁ、戦い方でこっち有利にな
る可能性はあるかもしれねぇけどよ」
 メリケンサックを取りに行こうとする火守を呼び止めて俺はそう説明する。
「ふぅん。そうだねぇ……ま、内容次第かな。とりあえず言ってみ?」
「んじゃ、俺が提案する勝負方法だが……」
 促された俺は、一呼吸置いた後に決闘状を受け取った時から決めていた勝負方法を口にし
た。



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