第八十話「告白」

 ここに来た目的のひとつである二人の式は色々と騒がしかったが終わった。拓さんに連
行されたハル達はたちまち寄ってきた級友や親族達に包囲されてしまう。
 こっちから二人の姿は見えなくなった。ということは……。
―― あっちからもこっちは見えないはずだ。
 となればハル達に余計なチャチャ入れられずにもうひとつの目的が果たすことができる。
 そう、ここに来たもうひとつの目的……今日まで先延ばしにした棗の想いに対する俺の
答えを伝えることを。
 告白。想いを伝えること。文字数にして句読点込み27文字。場所の移動と26文字の
告白で3分もあれば十分だろう。簡単な事だ。
 と、ここに来る途中までは思っていたが、実際行動をするとなったらやはり緊張した。
動悸の激しくなった胸を押さえつつ、小さく深呼吸してから両手で頬を叩く。
―― 何してんだ室峰彩樹! 今日、あそこで伝えるって決めたろうが! ビビるな!
 心の中で自らに気合いを入れると俺はハル達を見ていた棗の腕をとって踵を返した。念
には念を入れて参列者の影に隠れながら目的地へ向かう。
「あ、彩樹いったいどこへ向かっているというの?」
 驚きと困惑が入り交じった問いかけに俺は答えず進む。答えなくとも目的地がどこかは
すぐにわかるからだ。
 歩き初めて十数秒。立ち止まった俺はその建物を無言で見上げた。
「ここって……」
 同じように見上げた棗が目を丸くさせる。
 目的地とはさっきハルと晴香が大勢の前で永遠の愛を誓った教会だった。想いを伝える
場所としてここより相応しい場所はないだろう。だからあの日から今日まで返答を先延ば
しにしたのだ。それと大勢の前で告白して更なる恥をかきたくないという理由もある。
―― さて、誰かいるか?
 一歩中に踏み込んで様子を探る。天井の照明が落とされた教会内には神父もシスターの
姿もなかった。恐らくは次の式まで別室で休憩でもしているのだろう。
 頼み込む手間が省けてこっちとしては好都合だった。
「行くぞ」
 棗の手を引いて真紅のバージンロードを突き進む。本当ならゆっくりと進んでやりたい
ところだが邪魔の入る可能性があるので仕方がなかった。
 壇上に上ると棗から手を離して向かい合うようにして立つ。晴香から渡されたブーケを
胸の前で握り締めながら頬を紅く染めた棗と目が合う。刹那、心臓が跳ね上がった。
「こ、ここで先日の続きを聞かせてくれるのね?」
「あ、ああ」
 どもりながら答えて俺は棗から少し顔を背けた。
―― い、いかん。可愛すぎるて目に毒なんですが。
 いつもの凛々しい姿とは違い、滅多に見せない可愛いらしさに俺は顔が沸騰していく錯
覚を覚えた。いや、錯覚ではなく鏡を見れば紅く染まった顔を拝むことができるだろう。
 だが、このまま顔を背けたままというわけにはいかない。
 ゆっくりと顔を戻して棗の肩に手を置く。置いた手を通して棗の震えが伝わってきた。
―― そっか。俺は俺で緊張してるが、棗は棗で答えが気になって不安なんだろうな。
 恐らく答えの内容は先日の行動でわかっていると思う。しかし、わかっていても俺本人
がその通りだと言っていないのだから不安で仕方ないんだろう。
 そう考えたら緊張は自然と消え去っていた。
―― よし。言うか。これ以上は待たせたくないしな。
 息を吸い込み、真っ直ぐに棗の目を見ながら自分の正直な想いを伝えようとした瞬間、
「……んん?」
 いきなり視界がぼやけた。まるで何か透明な膜によって視界が歪まされたような感じだ。
まさかと思い手の甲で目元を拭うと、思った通り透明の雫が付着していた。
 それはまぎれもなく自分の瞳からあふれ出した涙。
―― 何で俺は泣いて……?
 と、棗・告白・涙の3フレーズが先日のハル対決時に思い出した記憶を呼び起こす。

 今度は……完全に。

 想いを伝えようと決心した日。表札のない家。何度呼び鈴を鳴らしても、大声で何度呼
びかけても会いたいあの子もあの怖い女も出てこなかった。
 代わりに黒い服と黒の眼鏡をした大人が家の中から出てくる。目が合うと、
「ここにはもう誰もいない。帰れ」
 冷たい声で言い放って近くに止めてあった黒塗りの車に向かって歩き出す。
「うそだ! ここがあいつの家だ! ここにあいつはいた! ひっこしか? そうなんだ
ろ! だったらどこにいったのかおしえろよ!」
 あの子の居場所を知りたかった俺は男の前に回り込んで叫んだ。
「単なる子供に教える義務はない。どけ。仕事の邪魔をするヤツは子供でも容赦はするな
との命令を受けている。どかなければ……」
 拳を見せつけるように胸の前で握りしめる。
 大きい大人の拳を俺は正直怖いと思った。あんなので殴られたら凄く痛いだろうとも。
でも、殴られたとしても俺はあの子の居場所が知りたくて……。
「どかない! どいてほしかったらあいつのいるばしょおしえろ!」
 真っ向から男を見上げて不動の意思を伝えた瞬間、腹部に重い衝撃を叩き込まれて俺は
意識を失い、次に目を覚ますと辺りが夕焼け色に染まっていて、そして……あの子の家が
なくなっていた。
 更地になってしまったあの子の家を俺はただ呆然と見続けることしかできなかった。
『助けられたお姫様は助けた英雄とずっと一緒にいるものなの! 世界共通のお約束なの
ですから覚えておきなさい!』
 俺がひとりでどこかへ行こうとすると必ず言ってたのに……。
『どこかに行くときはまず私に行き先を言いなさい。勝手にいなくなってはダメですよ?』
 そう言っていたのはお前だったのに……。

「おまえがかってにいなくるんじゃねぇよ――――――――ーーっ!」

 子供の俺に出来たのは涙を流しながらいなくなった少女に対しての不満を大声で叫ぶ事
だけだった。

 その翌日に晴香と出会って、あいつをお姫様の代わりに見立てて、本当のお姫様の事を
記憶の奥底に封じ込めたんだ………。

 過去の再生が終わり現実に戻ってくると俺は目の前の棗を強く抱きしめていた。恐らく
無意識にどこにも行かせまいとしたのだろう。
「あ、彩樹。苦しいわ。もう少し力を緩めてちょうだい」
「す、すまん」
 言われた通りに力を緩める。腕の中でホッと棗が安堵する音が耳に届いた。
「急に泣いたと思ったら抱きしめてくるから驚いたわ。それでどうしたの? もしかして
さっきまでの情熱的な抱擁が答えということかしら?」
「あ、いや違うんだ。これは……あの日の事を思い出してさ」
「あの日?」
「……お前がいなくなった日の事だよ。本当はあの日に伝えるつもりだった。けど、お前
は急に姿を消したろ?」
「……ええ。お父様に庶民の幼稚園に通っていることが知られてしまって。必死に抵抗し
たのだけれど子供だった私では抵抗しきれなかったの」
「そうか」
 半ば予想通りの答えを聞いた俺は少し思案したあと話しを続けた。
「……ホント、あの日はお前が急にいなくなって悲しくて、辛くて、そして許せなかった。
お姫様と英雄はずっと一緒にいるっていう約束を教えたヤツがその約束を破るなってな」
「ごめんなさい」
「あ、悪い。別に責めたかったんじゃない。確認したかったんだ」
「確認?」
「ああ。俺にとっては重要な確認だよ」
 ほんの少し体を離して棗の顔を視界に収める。過去の告白に罪悪感を感じたのか少し瞳
がうるんでいた。
「もう、あの日みたいにいきなり俺の前からいなくなったりしないよな?」
 その瞳を見つめながら俺は願いを込めて、そう問いかけた。
「ええ。貴方が想い続けてくれるならいつまでも私は貴方の傍にいます。だって、あの日
……彩樹が決縁者になった時から私のいたい場所はずっと彩樹の隣なのだから」
「約束してくれるか?」
「この神聖な場所と法光院の姓と……そして、永遠に変わらぬ貴方への想いに誓って」
 誓いと共に棗は笑顔を見せてくれた。
 100万ドルの微笑み。確かそんなフレーズがあったはずだ。しかし、胸の内にあった不安
を打ち消し、心穏やかにしてくれる微笑みに値段なんてつけられなかった。
―― むしろこの笑顔に値段を付ける方がナンセンスだ
 だから、それに見合うだけの棗にとって値段のつけられないであろう、自分にとっても
最高だと思える笑顔で応えて、俺は愛おしいと思えるひとりの少女を強く抱き締めて、
「俺はお前が好きだ。必要だ。だからずっと俺の傍にいてほしい」
 正直な想いを耳元で囁くと、
「私も彩樹を愛しています。必要です。だから絶対に離しません」
 返事と共に棗が強く抱き返してくる。
 しばらく俺達は降り注ぐステンドグラスの光の中で抱きしめあった。
 密着することによって伝わってくる棗の心臓の鼓動、体の温もり、体の柔らかさ。それ
から鼻腔をくすぐる甘い匂い。
―― シャンプーかもしくは香水だろうか。それとも別の何かか。
 何にしても、とても心の落ち着く匂いだった。
「やっと、あの日失ってしまった幸せをやっと取り戻せた」
「そうだな」
 目を閉じてもう一度あの時の記憶を呼び起こす。
 もうさっきのように勝手に涙が出るような事はない。代わりに嬉しさがこみ上げてき
た。棗の言うようにあの日失ったものを取り戻したからだろう。
 棗という自分にとって必要だった、傍にいてほしかった少女を。
 しかし……。
―― 幼稚園時代を忘れてなかったら、もっと早くここに辿り付けたんだろうな
 今更ながら自分の心の弱さに嘆息し、忘れずに想い続けてくれた棗の心の強さに感嘆と
尊敬、そして心から感謝した。
 嬉しさからか自然と腕が抱く力をほんの少し強めてしまう。
―― やっぱな〜んか落ち着く
 棗という心地よい温もりに俺は何とも満ち足りた気持ちになった。できればずっとこの
温もりに包まれていたい。これを至福の時というのだろうか。

 しかし、その至福の時間は……。

「ちょ――――ーーっと待つのじゃ――ーーぁ!」
 幼くもハッキリとした、それでいて強い意志のこもった声によって打ち砕かれてしまっ
た。俺は棗から声の主へと体を向け、相手が誰なのかとわかっていても驚かずにはいられ
なかった。
「け、恵」
 強い意思を感じさせる瞳、強く握りしめられた拳、素早く、それでいて強く真紅のバー
ジンロードを踏みしめる足。式前に会ったときとは別人の恵が向かってきていた。
「お前いつから――」
「そんな些細な事はどうでも良い。彩樹。お主の告白とは姉上が好きだというものであっ
たのか?」
「あ、ああ」
 俺は思わずどもりながら返事をした。いくら8歳児とはいえ見られてたと思ったら急に
恥ずかしくなったのだ。
「ふむ。つまりお主と姉上は両想いになったというだけであって姉上がお主の正妻になっ
た訳ではない解釈して構わぬな?」
「な!? 私と彩樹は両想いになったの! 想いが同じであれば必然と結婚するこ――」
「姉上は少し黙ってくだされ。妾は彩樹に質問しておるのです」
 鬼すらも射殺すのではないかと思える程の鋭い眼光にさすがの棗も言葉を止めた。それ
を確認して恵は再び口を開く。
「どうなのじゃ?」
「ま、正直なところ結婚は考えてない」
「彩樹!? ではさっきの告白は、貴方の私への想いは偽りだというの?!」
 案の定、俺の返答に棗が非難の声を浴びせてくる。
「待て待て。早合点するな。いいか? 俺はお前の屋敷で厄介になってる。まあ、世話係
っつうか召使いつうおまけが付くがな」
「そんなものはもう無効に――!!」
「わかってるって。本題はここからだ」
 棗の両肩に手を置き、俺はゆっくりと言い聞かせるように説明した。
 世話係でなくなれば俺はただいるだけの何もしない居候だ。家も棗のモノ、生活費なん
かも棗が出し、洋服も何もかも与えられる。
 働きもせずいるというだけでなに不自由ない暮らしを送れるというのはある意味幸せな
生活かもしれないが……。
―― 単なるヒモっていうか愛玩動物にならないだろうか?
 そんなのは男のプライドが許さないし、何もしない、出来ないの置物な状態で過ごして
我慢できる自信もない。もしもそれを棗が強要したなら俺の今の想いはなくなるだろう。
「それにお前はあの法光院だ。無能なヤツと結婚したとなれば色々と厄介だろうが」
「それで結婚は出来ぬというわけか。ふむ。確かに納得の出来る理由じゃのう。法光院の
夫は無能者。攻撃材料としては打ってつけじゃし、尾ひれのついた噂話が流布する可能性
もあるじゃろうな。そして、噂は火種となり、気が付けば大火災というわけか」
 恵の言葉に俺は頷く。
「じゃ、じゃあ私とは結婚してくれないの?」
 小さく首を傾げると棗は魂の抜けたような声で問い返してくる。
―― しまった。そういや、こいつ精神的ダメージに弱いんだった
 結論から言ったのは失敗だったと心底後悔した。俺は少しでもダメージが和らぐように
と頭を優しく撫でながら、
「だから早合点するなっての。ようは重荷の状態じゃ結婚できないから『まだ』したいと
思えないってことと、重荷じゃなくなれば『まだ』を取り除くこと、それと重荷じゃなく
なるように色々教えてほしいってことだ」
「教える?」
「あれだ、帝王学ってヤツか? とにかくお前を手助けできるくらいの知識がほしいって
ことだよ」
「教え終えたら結婚してくれる?」
「当然だ。男に二言はない」
 俺がそう断言すると抜けた魂が戻ったのか棗の表情が見る見る明るくなった。かと思う
と急に顔を赤らめてそっぽを向いてしまう。
「さ、最初からそれを言いなさい! まったく。告白直後に別れ話でもされたと思って生
きた心地がしませんでした!」
「す、すまん。けど、これで結婚できないって言った理由は理解してくれたろ?」
「もちろんです。となれば二人の披露宴を終えて帰ったら早速教育プランを考えなくては
なりませんね。まずは何を学んでもらおうかしら。希望はあって?」
「いや別に。その辺は任せる」
 勉強内容の多さを予想した俺は苦笑混じらせながらそう答えた。
―― さてっと勉強に関しては色々と苦労しそうだが、とりあえずは一件落着だな。
 ホッと安堵の息をもらしたのもつかの間、
「つまり姉上はまだ彩樹の正妻にあらずというわけか。……彩樹、なぜ早くそれを言わん
かったのじゃ!」
 横から恵の猛烈な抗議が浴びせかけられた。
「い、いや、だって告白する相手は棗なんだからお前に言う必要はないと――」
「大ありじゃ! てっきりここで告白と式を同時にすると思い込んでおった妾が大ウツケ
ではないか! ここ数日間の悩みが消えたのは喜ばしいが無駄骨もいいところじゃ!」
「そういやお前は何を悩んでたんだ?」
「そ、それは……姉上が正妻となれば妾はお主の愛人になる。そうなれば今よりも更にお
主との時間が減ってつまらぬ人生じゃ。じゃから気が滅入りながらもお主との時間を増や
す方法を考えておったのじゃよ」
 恵の告白に返す言葉がなかった。
―― そういやお子様だと思ってたがこいつも俺が好きなんだよな。
 だからといって恵には悪いが愛人にするつもりは全くもってない。
「しかし、悩みが杞憂であって本当に安堵したぞ。妾にもまだ彩樹の正妻となる可能性が
なくなったわけじゃないしのう」
 どうにか諦めてもらおうと説得するよりも早く恵が何とも意味深な発言を口にした。そ
の発言に素早く棗が反応する。
「何を言うかと思えば。もはや私と彩樹の堅い愛の絆に付け入る隙など不可能。無駄な努
力はやめて別の異性でも探しなさい」
 恵を威嚇するように真上から見下ろしながら棗は鼻で笑った。
「無駄かどうかは試してみるまで。先の事など誰もわかりませぬぞ。特に人の心は移ろう
もの。全力で彩樹の心を姉上から妾へ移ろわせてみせましょう」
 負けじと恵はその視線を真っ向から受け止める。
「ならば私は貴女の誘惑を全力で阻止するまでです!」
 睨み合う姉妹。そんな二人を見て俺は手で顔を覆った。
―― ちっとも一件落着してねぇ。つうか、普通なら告白してハッピーエンドで終わりだ
ろうによ〜。何でこんな事になるんだ……。
 睨み合う二人を指の隙間から窺いながら俺は重いため息をもらす。それが聞こえたのか
恵はほんのわずかにこちらを見ると苦笑を混じらせながら両肩を竦めると、
「今日はお二人が両想いになった良き日ではありますし、彩樹の精神にこれ以上の負担を
かけるのも本望ではありませぬので今日は宣戦布告だけに留めておきましょうかの」
 出入り口へと踵を返した。
「ああ、お伝え忘れるところでした。姉上、開戦は翌日からとさせていただきます。両想
いという過信に足元をすくわれぬようお気をつけを」
 そう言い残して恵は教会から出て行った。

―― まさかこんな落とし穴があったなんて。私とした事が迂闊でしたっ!
 小さくなってく恵の後ろ姿を見ながら私は奥歯を噛みしめる。心を埋め尽くしていた幸
せは既に怒りと後悔に取って代わっていた。
 彩樹と再会した当初は彼をお父様が認めるよう色々と教え込むはずだった。まずは体力
面、次に知能面、最後に礼儀作法と。
 しかし、最初の告白後からはすっかり忘れていた。他人に認められるよりも自分を認め
もらいたかったから。
―― まさかそのツケが今頃になってやってくるなんて……。
 晴れて両想いになっても後悔せずにはいられなかった。
 恵は強敵だ。料理や私の苦手な裁縫、その他の家事全般をそつなくこなし、幼いながら
に整った顔立ち、そして何より私と違って素直で相手をたてる性格。
 8歳というマイナス点がなければ彩樹の心は恵に傾いていたかもしれない。
 だが年齢というものは減りはしないが増えていく。マイナスはいずれゼロへ。そのとき
恵はきっと私をも超える才女へと育つことだろう。
―― 彩樹に限ってそれを見越して恵を選ぶことは……。
 ありえないと思いつつも私の心には嫉妬の炎が燻り始めていた。

 完全に恵の姿が見えなくなった所でふと視線を感じたので隣に顔を向けると、じっと棗
が俺を睨んでいた。
「な、何だよ」
 責めを匂わす視線に俺は思わずどもった。
「言っておきますが心変わりなど私は絶対に許しませんからね」
「いくら何でも8歳のお子様に心変わりなんてするか。何度も言うが俺はノーマルだ!」
「わ、わかっています。私とて相手が普通のお子様であれば心配などしません。けれど恵
は違う。体は幼くとも私に負ない美貌を持ち、家庭的で、私と同じ貴方の決縁者で法光院
ですし……そ、それに、意地っ張りな私と違ってあの子はとても素直だもの」
 どんどん小声になっていく棗の頭を軽く小突いた。
「バ〜カ。心配がいつの間にか恵の売り込みになってっぞ。さっきの勢いはどうした」
「わかっています。けれど、恵に劣っている部分があると思うと不安になるの。劣ってい
る部分で彩樹を奪われるのではと考えるだけで……」
「あ〜〜〜ったく!」
 どんどん沈んでいく棗に苛ついた俺は顎を持ち上げると有無を言わさず唇を奪った。驚
いて目を見開く様子を一通り観察してから唇を離す。
「どうだ、これで不安なんて吹っ飛んだだろ?」
 呆けた表情のまま棗は小さく頷くと指で自らの唇をなぞり始めた。どうやら俺からキス
した事が信じられないらしい。唇にしたのだからなおのこと実感がもてないのだろう。
―― まあ、苛立った勢いとはいえ俺自身もしたことに驚いているんだが。
 我ながら大胆な事をしたものだと思った。
―― ま、キスひとつで棗の不安が消えるならいつでもしてやるか……って何を考えてる
んだ俺は。いや、でも好きな相手にキスをしたいと思うのは普通の事だし……う〜む。
 今までの考え方とのギャップに俺は少し頭を悩ませ始めたところで、
「あ、あの……彩樹?」
「ん? うむっ!」
 躊躇いがちな声に顔を戻すといきなり唇を奪われた。逃げる暇もなければ頬を両手で挟
まれていたので躱すこともできなかった。接触時間は約5秒ほど。
「ふふっ。奪われたら奪い返す。法光院としての心得よ。覚えておきなさい。それと私達
はもう両想いなのですから今まで我慢してた分するつもりなので覚悟な・さ・い・ね」
 離れた棗は呆けた俺の鼻を軽くつつくと外に向かって走り出した。
―― あ、あはは。こりゃ考える必要もなさそうで。でも、程々に頼むぞ〜。
 今後の猛アタックを想像して思わず嬉しさと困惑入り交じりの笑みが零れてしまう。
「何をぼさっとしているの。さ、一緒に行きましょう」
 出入り口の手前で踵を返して棗が手を差し伸べてきた。
「だな」
 駆け寄ってその手を掴み二人揃って教会を出る。離ればなれだった二人が再び出会い、
同じ想いで結ばれ今後を歩んでいく。

 その事を祝福するかのように教会の鐘が高らかに鳴り響いた。


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