第六十話「虹の橋商店街にて−其の1−」

「ああ〜疲れた」
 大きくため息を漏らし、俺は喫茶店のテーブルに突っ伏した。
―― もう顔見知りには会いたくねえ。
 精神的疲労はもう極限にまで達していた。もし顔見知りに出会おうものなら、きっと俺
は現実から目を背ける為に気絶することだろう。

 さて、何で俺がこんな状態に陥ったかと言うと、理由は商店街での出来事が原因だった
りする。

 まず始めに起こった事件―序章―恵、往来で短刀を抜きやがるの巻

『虹の橋商店街』。
 色々な商品があることから『虹の』、その商品がある店への架け橋だから『橋』、二つあ
わせて『虹の橋商店街』と名づけられたらしい。
 映画館完備の某有名デパートよりも安く、世界中の様々な物品を扱う店が立ち並ぶここ
はまさにひとつの世界・国と言ってもいいかもしれない。
 その入り口にあるアーチを見上げて、
「ここに来たのも久しぶりだな」
 懐かしさからか俺は自然と漏らしていた。
―― 晴香の家に泊まる場合はたいてい3人でここに来てたっけな。
 んで、俺と春賀が荷物持ちにさせられてひ〜こら言っていた。
「ほ〜。活気に満ちあふれておるのう。これが市というものか。楽しそうじゃのう」
 右手を掴んで離さない恵が商店街に対する感想を述べる。
「ん? こういうとこに来たことないのか?」
「うむ。食料も衣類も何もかも盟子達に任せておるからの。こういうモノを見たのはテレ
ビだけじゃ」
「ははははは。さっすが超お金持ちのお嬢様だな」
 口から勝手に乾いた笑い声が出た。
「ん〜と。どういう順にいこっかな」
 左隣で買い物メモを見ていた晴香が小さく唸る。
「あ? いったい何を買うんだよ」
「んっとね。カツ丼用の豚肉、卵、三つ葉でしょ。他に豆腐、生姜、ネギ、1.5リットルペ
ットボトルジュース数本……他にもまあ色々と」
「何だか聞いてるだけで腕が重くなってきたぞ」
 というか間違いなく再びここに戻ってきた時は重い荷物で両腕が悲鳴を上げているに違
いない。
「ん〜。とりあえず順々に行こっか」
「それでいいだろ。いち往復すりゃ全部買えるんだからよ」
「だね。あ、はぐれちゃうとダメだからっと」
 そう言うや晴香は空いていた左手を掴んでくる。
「こうやってあ〜ちゃんと手を繋ぐのも久しぶり」
「そういやそうかもな」
 ふと前にこんな風に手を繋いだ時の事を思い出してみる。
―― ハルカ達をくっつける為の作戦決行日前か。
 急に春賀がよそよそしくなったとかで落ち込んでいたのを見かねて手を繋いでやったん
だ。
「あの時と違ってあ〜ちゃんの手……少し逞しくなった感じがするよ」
「お前はあの頃と同じで――」
 そこまで言って俺は言葉を止めた。
「あの頃と同じで?」
「いや、その……何だ……別に何でもいいだろ」
 ハッキリと言葉にするのは何とも気恥ずかしくて。
―― 触り心地がいい手だな。
 心の中で俺は言った。
 けれども、言葉として聞きたいのか晴香は、
「ねえ、あの頃と同じで何なの〜?」
 何ともムカツク笑みを浮かべながら顔を覗き込んできた。
―― くそっ。迂闊だった。このままじゃ玩具にされる。
 自らの行動に後悔しつつ、打開策を思案しようと立ち止まったその時だった。
「のうお主……いつまで彩樹の手を握っておるつもりじゃ?」
 酷く落ち着いた恵の声。俺と晴香は揃って恵を見る。とても爽やかに恵は笑っていた。
―― やけに爽やかすぎるのが……。
 無性に嫌な予感を沸き立たせる。
「いつまでってあ〜ちゃんの手が荷物持つまでに決まってるじゃん」
「ほう。そうかそうか、彩樹が荷物を持つまで……」
 そこで恵は言葉を止めた。同時に恵の顔から笑みが消え、怒りが露わとなる。
「そのような事を妾が認めるわけなかろうが! 今、ここで彩樹に触れてよいのは妾だけ
じゃ! 決縁者でもないお主に触れる権利などないわ!」
 言うが早いか恵は俺の手を離すと、腰帯に刺さっていた短刀を素早く抜きはなった。
―― おいおいおいおいおい!
 それを見た俺の顔からは一気に血の気が引いていった。この商店街は人の行き来が激し
い。つまり目撃者多数。もしも通報されたりしたら……。
―― ここには俺や晴香の顔を知ってるヤツは多い。
 間違いなくパトカーはここと『春の湯』を囲むだろう。慌てて俺は短刀を奪い、元の鞘
に戻した。
―― バレてないよな?
 怪しまれないよう周囲の様子を伺う。
 微笑む主婦数人。『ママ〜ボクもあれほし〜』と母親にねだる子供1人。『ほっほっほ。
子供は元気が一番一番』と頷く老人1人。
―― やれやれ。玩具でちゃんばらでもしようと思われたらしいな。
 それはそれで騒ぎにならず好都合だ。
 あとは……。
「いつまで握っておるつもりじゃ! 彩樹から離れよ! さもなければ盟子達を仕向けて
亡き者にしてやるぞ!」
 何とも物騒な言葉を口走っている恵を落ち着かせるだけだった。

 それから10分ほどの説得で恵の怒りを収めることができた。『本日の添い寝+ソフトク
リーム1ヶ』という交換条件が必要になったが。

 しかし、それはまだ騒ぎの序章でしたなかった。

 第二の事件―八百屋のおばちゃん、恵を俺と晴香の子供だと勘違いして広める。

 まずは入り口の近くにある八百屋で買い物をすることになった。
「あんれま。晴香ちゃんってばいつ子供産んだの? おばちゃん全然知らなかったよ。と
〜ちゃん! カメラカメラ!」
 八百屋のおかみさん『お八』さんは俺達3人を見るや店の中に向かって叫ぶ。
「で、どっちの子だい? ここにいるって事は彩樹君との?」
「おばちゃん勘違いすんな――」
 迷惑な勘違いを正そうと俺は口を開くも、
「わかってるわかってるよ。おばちゃんは全てお見通しさ。若さに身を任せちまったんだ
ろ? で、ハル君とはどうなの? あ、もしかして破局? それだったら彩樹君が責任取
って『春の湯』を継ぐんかね。頑張んなね」
 お八さんのマシンガントークの前に阻まれてしまう。
 さらに店奥からインスタントカメラを持っておやっさん『五右衛門』さんが出てきた。
「はいよ、かあちゃん。持ってきたぜ。んで、晴香ちゃんの子供ってどれだい?」
「ほら、この子よ。可愛いじゃないさ」
「ほ〜。こりゃめんこいや」
 二人は揃って恵を見ながら微笑んだ。
―― あ〜、この人達は変わってねえ。
 相変わらず他人の話を聞かない。何度それで妙な噂を広められたことか。
―― ここは噂を広められる前に誤解をとかねえと。
 明日には商店街中に……いや、街中に広まりかねない。
「ホントに可愛いねぇ。ほら、父ちゃん! ボサッとしてないで写真写真」
「おう」
 連続で発せられるシャッター音とフィルムを巻く音。時折のフラッシュ。
―― 何だかドツボにハマっていきそうな予感が……。俺ひとりじゃムリだ。
 俺は暢気に野菜を選んでいる晴香のを肘で小突く。
「おい、暢気に野菜なんざ選んでないで誤解を解けよ! このまんまじゃ明日には歪曲し
まくった噂が広まって笑われるぞ!」
「ん〜別にいいじゃん。面白そうだし」
「……お前、まさかこれを楽しむために附いてきたんじゃないだろうな?」
「そんなわけないじゃん」
 ニッコリと晴香は微笑む。
―― その顔は『そんなわけある』って顔だろ!
 思わず心の中でツッコム。
「あ、ちょっと奥さん。この子をご覧よ。ほら、春の湯の晴香ちゃんいるじゃない? そ
の子の子供なんだってよ」
 その間にお八さんは買い物に来た奥様達に間違った事実を教え、
「めんこい。めんこいな〜。ウチのガキはかわいげのへったくれもねえかんなぁ」
 我が子の愚痴を漏らしながら4つ目のインスタントカメラで恵を激写していた。
―― こうなれば仕方がない。
「晴香、もう買う物は選んだか?」
「うん。お金の準備もOK。おつりなし」
「じゃあ……やるか」
 目を閉じ、大きく深呼吸してから、
「チェストー!!!」
 目を見開くと同時に俺は五右衛門さんが手にしていたインスタントカメラを手刀で叩き
落とした。さらに地面に転がったカメラを踏みつけ、完全に破壊する。すでに取り終えた
カメラも同じく破壊。
「なぁー!? 坊主、なにしやがんでい!」
「決まってるだろ! 証拠隠滅だ! 晴香!」
 全てのカメラを破壊し終えた俺は恵を小脇に抱えてから叫ぶ。
「オッケ〜」
 何とも晴香の返事は気が抜けていた。
―― こいつはぁ〜。
 一発殴ってやりたかったが今は逃げることが先決だ。
「んじゃ、そういうわけで」
 そう言い残して俺は八百屋を後にした。
「不愉快じゃ」
 恵のその一言が何とも先を不安にさせてくれた。

まだまだつづく

妾は子供ではない……妾は子供ではない……妾は彩樹の決縁者なのじゃ!


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