第五十話「捨てる神あれば拾う神あり」
 交差する二つの影。室内に響く甲高い金属音。
 鋭く細い息づかい。
「ふっ!」
「はぁ!」
 二つの銀光がぶつかって火花を散らす。
「彩樹は私の決縁者。行動を共にするのは当然のことよ!」
「妾も決縁者じゃ! 妾にだって彩樹と一緒におる権利はあろう! だというのに島から
帰ってからずっと彩樹を独占している姉上を妾は許せぬ!」
 再び甲高い金属音が室内に響いた。
―― 修羅場だ。
 少し離れた所から二人の戦いを眺めつつ、俺は重いため息をもらした。

 事の発端は学院から帰ってきて1時間ほどたった頃のこと……。

 俺は恵とババ抜きに興じていた。
 勝敗は4戦中2勝2敗という大接戦。勝負を決めるための第五戦も最終局面を迎えてい
た。俺の手元に残ったカードはあと2枚。片方がババでもう片方が恵と同じ数のカードだ。
「むむ〜。……どっちがババなのじゃ」
 唸りながら恵は2枚のカードを凝視している。もうかれこれ20分ほどこの状態だ。
―― いいかげん腕も疲れてきたんだが……。
 一向に恵はカードを取る気配がない。
「ほれ早くしろ」
「そう急かすでない。勝つか否かの瀬戸際なのじゃ。ゆっくり考えさせよ」
「もう20分も待ってるんだが?」
「む〜……のう、この勝負に勝ったら妾と団子屋へ行ってくれるか?」
 カードを見たまま問いかけてくる恵に対し、
「団子か。そういやここずっと食べてねえし。その賭にのってやるよ。ただし勝てたらの
話しだ」
 俺はカードをシャッフルしながら答えた。
「ひ、卑怯じゃぞ!」
「勝負は勝負だ。ほれ、どっちを取る?」
 シャッフルを終えた2枚のカードを恵の眼前に持っていく。
「うぬぬぬぬぬぬ〜〜〜〜〜!!!! わからんのじゃ〜〜ぁ!」
 業を煮やした恵は大声で叫ぶとジタバタ両手足をバタつかせた。
―― 面白いな。
 表情も行動も豊かな恵は見ていて飽きない。
「ほれほれ、早くしねえとさっきの賭は無しにするぞ〜」
 もっと面白いものが見れるかも知れないと恵をさらに焦らせる言葉を言ってみる。
 と、
「騒がしいわね。何をしているの?」
 風呂から戻ってきた棗が薄く濡れた髪を拭きながら近づいてきた。
「見てわからねえか? ババ抜きだよ、ババ抜き」
「そうですじゃ。これに勝てば彩樹が共に団子屋へ行ってくれる大事な勝負。負けるわ
けにはゆかぬのです」
「勝負なの。そう、それなら」
『あ!』
 俺と恵は同時に声をあげた。二枚あった内の一枚を棗が抜き取ったのだ。
「私の勝ちね」
 俺の手から取ったカードを裏返しにすると、棗は勝ち誇った笑みを浮かべて見せた。カ
ードはもちろんババじゃない。
「というわけで、彩樹は私と自然公園を散歩に決定」
「いや、決定ってお前……はぁ〜」
 何とも強引なやり方に俺は呆れた。
「ずるい」
 顔を俯かせたまま恵がボソリと呟く。
「……言いたいことがあるのならハッキリいいなさい」
「姉上はずるい! ずるいずるいずるいずるい!」
「ずるい? どこが? 私はどちらがババであるか知らなかったのよ? 条件は五分と五
分でずるくはないはずよ」
「姉上は元々この勝負には無関係でありましたでしょう! それに姉上は島から戻ってか
らずっと彩樹を独占しております! それをずるいと言わず何と言われるおつもりか! 
妾は知っておりますぞ! 昨日、彩樹と同じ床の上で寝ていたことを!」
 真っ直ぐ恵は俺を指差した。
「………」
「………」
 俺は棗を見て、棗も俺を見て、揃って顔を赤くするハメになった。
―― 事実だが、あ〜いうこととかそ〜いうことは全然ない。
 ただ単に一緒のベットで寝ただけ。しかも大人4人は楽々寝ることができるキングサイ
ズベットの端と端にだ。
―― もちろん最初は拒否したぞ?
 だが島で唇を奪った−人工呼吸−の貸しを返せと言われて仕方なく従ったんだ。
―― 一応同意もなしにしたのは事実だったし。だからだぞ? 仕方なくだぞ?
 そう自分に言い聞かせる。そんな事を思い出している間にも二人の会話は進んでいた。
「だというのに、姉上はせっかく妾が得たチャンスまでを奪った!さすがの妾も我慢の限
界というもの! 覚悟していただきます!」
 立ち上がった恵は懐に手を入れると、中から小刀を取り出した。
「いいでしょう。受けて立ちます」
 棗も髪を拭いていたバスタオルを投げ捨て、毎度の事ながら幽霊の如く姿を現したメイ
ド女・玲子から受け取った刀を抜く。
「お、おいおいお前らやめ――」
 遊園地での戦いと酷似したヤバい雰囲気に止めに入ろうとしたが、
「お覚悟!」
「返り討ちにしてあげます!」
 それよりもはやく二人は戦闘に入ってしまった。

 んで、現在に至っていた。
 もうかれこれ1時間ほど二人は戦い続けているが、どちらとも動きが衰える様子はない。
―― 相変わらずこいつらは……。
 見た目に反した身体能力を持っているなと思った。もしかしたら常人の域を超えている
かもしれない。いや、超えてるんだろう。
 生まれ持った資質なのか、それとも修練の賜なのか。後者であれば超人育成方法として
各国の軍からお声がかかるに違いない。育成の成功率はわからないが……。
 なんて止める事もできないのでぼんやり考えていると、
「ふっ。さすがは姉上ですのう。この前よりも動きが鋭くなっておりますよ」
「ふふふ。そういう恵こそ。隠れて修練していたようね」
 互いに実力を称えながら楽しげに二人は笑っていた。
「しかし、これではいつまで経っても決着が付かぬと思われますが?」
「そうね。私としてもこれ以上の体力消費は御免です。となれば――」
 二人は揃って俺を見た。
―― あ〜何やらお約束な展開に。
 面倒ごとの矛先が向けられると思った俺はいつでも逃げられるような体勢を取る。
「彩樹、貴方が選びなさい。私か、恵か。もし恵を選ぶというのなら、わかっていますね?」
 脅迫。横を見ると嬉しげに玲子がポップアップ式のショットガンに弾丸−ショットシェ
ル−を装填している所だった。
「のう、彩樹。最初に約束したのは妾じゃ。傍若無人な姉上よりも温厚篤実の妾を選んで
くれるであろう?」
 懇願。潤んだ瞳に上目遣いで恵は見上げてきた。
―― 『くお〜〜!! 可愛いぞ〜〜〜! もちろん恵が最初だから恵を選ぶ!』と叫ん
でから抱き締めてやりたいところなんだが……。
 隣でショットガンのポンプが動く音が静かに響く。
―― そうすると俺の命が非常に危うい。
 たら〜りと嫌な汗が頬を伝う。
「さあ、答えなさい」
「彩樹、妾はお主を信じておるぞ」
 じりじり二人が迫り寄ってくる。
―― こ、これはもはや……。
 この状況を打破するたったひとつの方法を使う決意をした俺は踵を返し、
「逃げるしかねえ!」
 全力疾走で部屋を飛び出た。
「ま、待ちなさい!」
「待つか!」
 迷うことなく邸を出ると、今や愛車となったママチャリに跨り全力でペダルを漕いだ。
―― とりあえずほとぼりが冷めるまでどっかに匿ってもらおう。
 それが最前の策だろう。
 俺は正門を抜けて、まずは一番近い『匿ってくれそうなヤツ』の家に向かった。

 その1棗の友人・豊阿弥蘭

「ダメ、ヤダ、他を探して」
 顔を見せた蘭は俺の話を聞くなりそう答えた。
「お前と縁をくっつけてやった恩人に向かってなんだそりゃ!? 少しは考えろよ!」
「え〜別に聞いた限りじゃ命に関わることじゃないからいいかなって」
「どこをどう聞けばそう解釈するんだか教えてもらいたいもんだ」
「だって、なっちゃんを選べば命には関わらない。違う?」
「うぐっ」
 全くもってその通りなので俺は言い返せなかった。
「そもそもさあ、告白されたんでしょ? それなのにそういう曖昧な態度をとるっていう
のはアタシ的にもどうかって思うよ」
 半眼で蘭が睨んでくる。
「で、でもだな」
「でもじゃないの! いい? 誰だって告白して相手が気のいい約束とか、そう、『俺を惚
れさせてみろ』なんてものをされたら期待するんじゃない?」
「そ、それは、まあ」
「まさかと思うけど……なっちゃんに復讐する為にわざとそんな約束したって事はないよ
ね?」
「お前、俺をそこまで最低なヤツだと思ってんのか?」
 さすがにムカッときた。いくら何でもあんな事を『嘘』や『冗談』で言うほど最悪な人
間じゃない。
「全然。レア君がそんなヤツなら棗さんが好きになるはずないし。とにかくアタシが言え
るのは早めにどっちか決めた方がいいってのと、今日は匿ってあげらんないってこと」
「だから何でだよ」
「君ね、アタシと縁のた〜いせつなイチャイチャタイムを邪魔するっての? そこまで君
はヤボな男だっての、んん?」
「了解。別んとこいくよ」
 俺は即座に踵を返した。
―― 俺だってバカじゃないっての。
 それにこいつらのイチャイチャぶりを見ていたら全身むず痒くなって逆に苦しみそうだ。
「悪いね〜」
 背後からかけられた明るい声。
―― 幸せそうで羨ましいもんだよ、ホント。

その2裙坂桐

「すまないがすでにお嬢様は就寝なされた。力になってやりたいが今回は身を引いてくれ」
 門前で待っていた俺に向かってインターホンからそう返事が返ってきた。
 返事の主は桐の奴隷・桜だ。
「就寝って……まだ」
「ああ、まだ午後7時だ。世間一般的な感覚ではいささか早すぎる就寝とは言える。しか
し、それは世間一般の感覚であってお嬢様はその枠に入ってはおられない。つまりはそう
いうことだ」
「む〜。その、何だ、お前の寝泊まりしてる所を少しだけ2,3日間借りさせてくれりゃ
いいんだ。な、ダメか?」
「すまない。部屋は邸の中にあり、もし間借りさせるのであればお嬢様と親方様お二人の
許可が必要になる」
「ところが許可を取らなきゃいけないお嬢様が就寝したってか。……起こすってのは?」
 何が何でも間借りしたい俺はもう少し粘ってみた。
 数秒の沈黙。
「どうした?」
 沈黙に耐えきれず俺はインターホンに向かって問いかけた。
「すまない。怒りを静めるのに少々手間取った」
「………」
 逆鱗にかすったらしい。
―― ここもダメか。
 ため息をひとつ漏らし、
「無理を言って悪かった。別の所をあたってみる」
 謝罪の言葉を継げてから俺は宛もなく自転車を走らせた。
―― もう匿ってもらえる宛がなくなった。
 後は野宿という選択しかない。が、それはもっとも危険な選択だった。
 もし蘭か桐の家に匿ってもらっていたならばメイド女達が強引な方法で俺を掴まえるよ
うなことはしないだろう。さしもの棗でも友人の家をどうこうしようとは思えない。
 では野宿をした場合はどうなるか……。
―― 寝込みを襲われるのが目に見えてる。
 ほとぼりが冷めるまで寝ずにいられる自信はなかった。
「どうすっかな〜」
 打開策を考えながら足だけを動かす。
―― そもそも棗のヤツがあんな脅しなんざしねえで恵に譲ってやりゃあいいんだ。
 そうすればこんな事にはならなかっただろう。
―― 告白した時とか遊園地でのあいつはなかなか良かったんだがな〜。
 ここ最近じゃまた前のようになっている。
―― そんなんじゃ俺は落とせねえぞ〜
 そう思いつつ意識を現実に戻すと、
「え?」
「ん?」
 眼前に人が立っていた。ブレーキを使っても止められない距離だ。
―― マズイ!
 このままではぶつかると俺は慌ててハンドルを切った。自転車は転倒し、勢いそのまま
俺も地面に転がった。
「いってぇ〜」
 うまく転べず右腕と右肘、右膝が擦り剥けていた。じんわりと痛みが広がると共に鮮血
がにじみ出てくる。
「大丈夫かい?」
「ああ。そっちこそ大丈夫か?」
 腕の傷を舐めながら答える。
「おかげさまで……あれ? もしかしてあ〜や?」
「あ?」
 3ヶ月ぶりに聞くあだ名に顔を上げると、
「やほ」
 そいつはいた。
「お、おおおおおおお前は……」
 親友で、幼馴染みの……。
「ハルカ〜ぁ!」
 捨てる神あれば拾う神とはこの事だろう。
―― こいつならきっと匿ってくれる。
 感動のあまり俺は無意識にハルカへ飛びついた。
「こんなに情熱的な抱擁……照れるね」

3ヶ月ぶりに会った幼馴染みは照れた顔でそう言った。

あ〜やが帰ってきた!


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