第四十九話「幸せの青い鳥はいずこ」
 恵が泣きやむのを待ってから、
「しっかしメイド女共がひとりも出て来ないってのはどういうわけだ?」
 質問を投げかけつつ棗をデッキチェアに寝かせた。
 いつもなら鮫の背びれが海面に出た瞬間か、もしくはそれ以前に姿を現して行動してい
たはずだ。なのに今回に限っては一向に現れる様子がない。他のメイド女はおろかあの棗
第一主義の玲子までもがだ。
 これまでの事を考えると異常といえた。
「あの子達には夏休みを3日ほど与えました。よくよく考えてみればここ数年、玲子に関
してはもう12年も休みを与えていなかったから」
「おいおい」
 労働基準法をまるっきり無視した超過重労働だ。普通の人間であれば間違いなく過労死
しているだろう。
 まあ、あのメイド女達がそう易々と過労死するはずがないが……
―― させる方もさせる方だが、する方もする方だな。
 そう思った。
 しかし。
「休暇って言われて玲子のヤツは必死に拒否したんじゃないのか?」
 棗の為に働く事が生き甲斐のようなヤツには『休暇』ほどの苦痛はないように思えた。
「ええ。泣きながら働かせてほしいと懇願してきたわ。だからこう言ってあげたの。『もし
働きたいのであれば余所で働きなさい』って」
「お前……あいつにとっちゃ死刑宣告みたいなもんだろ」
 少しだけ玲子に同情した。
「わかっています。けれど、そうでも言わなければ玲子は言うことを聞かないもの。苦肉
の策よ」
「苦肉の策ね。とにかく襲われてもメイド女達は助けにこないってわけか」
「それは良いことを聞いたわ!」
 いきなり上方から発せられた声。
―― どっからだ!?
 声の主を捜すために見当をつけて首を巡らせる。
「あそこじゃ!」
 恵が鬱そうと生い茂る木々の一本を指差した。
―― あいつは!?
 サド女−龍泉華琳。
 以前、俺に毒を打ち込んで死の淵を彷徨わせた過去をもった女。
―― あれから姿を見せないと思ったらこんなとこにいやがったのか。
 華琳は太い枝の上で両腕を組んだ格好のまま仁王立ちし、俺達を見下ろしていた。その
目は明らかに俺達を見下している。
―― しっかし、何で服装はズタボロの制服なんだ?
 小さな疑問だった。
「ほほほほほほほほ! 無様。とてつもなく無様ね、法光院棗! チャールズの一撃はさ
すがにこたえたかしらね?」
「チャールズ?」
「そう。鮫のチャールズよ。可愛かったでしょ? 釣りをしていたら急に襲ってきたので
返り討ちにしてやったらコロッと態度変えたわ。どうやら隷と同じ性癖をもっているらし
くって、扱いやすいったらありゃしないこと。ほほほほほほ」
 耳障りな高笑い。
―― つまりあの鮫はサド女がけしかけたってわけか。
 沸々と体の奥底から怒りがわいてきた。
「彩樹。……妾は今日ほど強い殺意を覚えたことはないぞ」
「ああ。同じくだ。あんのサド女ぁ〜。あ〜やってこ〜やって奥歯ガタガタ言わせてやる」
「たかが小娘と奴隷如きがこのワタシを? ほほほほほ。やれるものならやってごらん
よ! ほ〜ら、お馬鹿さん達〜。ワタシはこっちよ〜」
 明らかな挑発をしてから華琳は森の中へと消えた。
「絶対に奥歯ガタガタ言わせる!」
「妾もやるぞ!」
「いや。お前は棗と一緒にここにいろ。あのサド女が別の手で仕掛けて来るとも限らない
しな。代わりにゴウリキ貸してくれ」
「ほむ。一理あるのう。よし姉上の事は妾に任せるが良い。ゴウリキ、彩樹と共にあの女
を懲らしめるのじゃ!」
「オォォォォォオ!!」
 了承の雄叫びを上げながらゴウリキが森の中へ消える。
「あ、おい! ったく。じゃ、ちょっくら行ってくる。お前はゆっくり休んで待ってろ」
「ええ。存分に懲らしめてやりなさい」
「言われるまでもねえよ」
 そう答えて俺もゴウリキに続いて森の中へ入り、すぐさま肌色の壁に激突するハメにな
った。壁の正体は先を行ったはずのゴウリキの背中。さすが鍛えてるだけあって硬い。
「って〜。おい、何立ち止まってんだよ!」
「……罠だ。それもたくさん」
 俺の問いに答えながらもゴウリキは薄暗い森の中を見渡していた。
「罠ねぇ」
 全然わからないがサド女がこの森の中に逃げた理由を考えれば可能性は大いにある。挑
発もわざと怒らせて罠に陥れるものだと考えればしっくりきた。
「数は多いのか?」
「いや、少ない。避けていく」
「サド女はどこだ?」
「ほうら、どうしたの? ワタシはここよ! この龍泉華琳を見失うなんて目と脳が腐っ
てるわね」
 少し離れた枝の上から華琳は俺達を見下ろしていた。
「そうやって余裕ぶっこいていられんのも今のウチだ。いいか! 泣いて謝っても許さね
えからな!」
「言うだけなら誰でもできてよ? ああ、そういうこと。弱い犬ほどよく吠える、ね」
 久しぶりに堪忍袋の緒が切れた。
「……ゴウリキ! やれ!」
「オォォォォオ!!!」
 咆吼を上げたゴウリキは一気に跳躍すると、大きな拳を華琳の立つ木に叩き込んだ。悲
鳴ともとれる音を上げながら木が傾く。
「ちっ。やってくれるじゃない。けど、ワタシを掴まえられなければ意味がないというも
のよ! ほほほほほほほ!」
 またあのムカツク高笑いを上げながら華琳は森の奥へ。
「追うぞ!」
 逃がすつもりはない。ゴウリキを先行させて罠を避けながら後を追う。
 華琳にはすぐに追いつくことができた。日々鍛えられる環境にいるんだから当然かもし
れないが、ここまで早く追いつけたというのは逆に変だ。
―― さっき逃げるフリをして罠にハメようというのか。それとも戦いに有利な場所まで
俺達を誘うつもりか。
 前者ならゴウリキで対応できる。ただ、後者だと少し厄介になるかもしれない。
 こっちも何か作戦をと思ったところで、
「てぇいや〜!!!」
 ナイフを持ったマゾ奴隷が地中から飛び出してきやがった。
―― まずった!
 作戦考えるのに集中してたせいで対応できない。避ける事もできず俺はただ呆然と迫っ
てくるナイフを見る。
 そして、突き出されたナイフの切っ先は俺の胸へ突き刺さろうとかという所で、
「ふん!」
 前にいたゴウリキが繰り出した裏拳でマゾ奴隷を薙ぎ払った。マゾ奴隷が宙を舞う。
―― か、間一髪だった。
 わき腹のあたりに一本の赤い筋。もしあと少しでも遅れていたらナイフは間違いなく体
内に潜りこんでやがっただろう。
「あぁ〜〜!! いい! いいですよ〜快感です〜! もっともっとボクを〜〜!」
 地面に叩きつけられたマゾ奴隷は、苦しむどころか喜びに満ちた表情のまま再び襲いか
かってくる。
「かえって逆効果だな」
「オレ、あいつ相手する。お前、あの女を追え」
「わかった。そいつマゾだから殴ったらかえって喜ぶ。さっさとシメ落とすのが良策だぞ」
「わかった。……いけ」
 頷いて俺は再び華琳を追った。
―― くそっ。見失ったか。
 1分ほど直進したが一向に姿が見えない。急に方向転換したのか。いや、もしかしたら
隠れたのかもしれない。
 そう思ったときだ。首に何かが巻き付いて一気に締め上げられた。
「ほほほほほほ。苦しいでしょう? ワタシ、苦しめる技術を色々と知ってましてよ。ど
んな苦しみがいいかしら。快感を伴う苦しみ? 痛みを伴う苦しみ? それとも……」
 さらに首が絞まって息さえできなくなった。
「このまま苦しまずに永遠に眠らせようかしらね」
「ぐぐぐ……」
 永眠してたまるか。
「それが嫌ならワタシに服従することよ。この場でワタシの手を舐めなさい。そうすれば
助けてあげる」
「だ、だれ……が……」
「じゃあ死んじゃってちょうだい。ほぅら!」
 ほとんどの酸素を奪われたおかげで視界がかすんできた。
―― このままだとマジで死ぬな。
 立っていられずその場に膝を突く。女だと思って油断したのが失敗だった。戦闘能力を
考えればサド女が上に決まっていたのだ。
―― それでも勝つなら奴を油断させるしかない。
 そして、その方法は今のところひとつしかない。
「わ……かっ……た。ふ……じゅう…する……」
 嘘でもかなり癪だったがサド女に負けを宣言した。
「そう。利口でよかったわ。さあ、舐めなさい」
 眼前に白い手が持ち上げられる。勝利を確信しているサド女に警戒心は皆無。
―― 今がチャンス!
 舐めるフリをして俺はその手に思い切り噛みついてやった。
「いっ!」
 サド女が声にならない悲鳴をあげる。同時に首に巻きついていた鞭の締め付けが緩んだ。
その隙を見逃さず、
「こんのぉ!」
 大きく頭を前に倒してから渾身の後頭部頭突きを叩き込むと、完全に鞭から解放されて
首の締め付けがなくなった。
「あ〜〜〜苦しかったぜこんちくしょうが。何を巻き付けやがったかと思えば植物の蔓か」
「い、痛いじゃないの! うら若き乙女の顔をよくも傷物にしてくれましたわね!」
「顔じゃなくてデコだろ、デコ」
「額も顔の一部よ! ……もう貴方を手に入れようとするのはやめたわ。苦しませながら
……殺してあげる」
 胸元から鞭が取り出される。
「そう簡単にはやられ―――っつ!」
 拳の間合いにサド女を入れようと一歩踏み出した所で右腕に鋭い痛みが走った。
―― 血だよ。
 肩に近い部分がパックリと切られていた。出血はほとんどないが響くような痛みが絶え
間なく発せられ始める。
「このワタシの鞭が貴方如きに見切れるかしら」
 獲物を見つけた狩人のような笑み。
 予定外の戦闘能力だった。上だとはわかっていてもこれほどとは思わなかった。いや、
棗や恵の前例を考えて予想すべきだったのかもしれない。
「くそっ!」
 素手では勝ち目がないと悟り、俺は踵を返して逃げた。
「逃がしはしないわ!」
 背後から華琳の怒声と足音。間を置かずして進行方向にあった木が鞭で切り裂かれた。
「ちっ」
 切り裂かれた木とは逆の方向へ逃げる。
「ん?」
 少し走った所で俺は足を止めた。
―― こいつは。
 使えそうだった。
「もう鬼ごっこは終わり?」
 追いついた華琳はまだまだ余裕だと言わんばかりに笑みを浮かべる。
「ああ。ちっとも勝てそうにもねえし。逃げてもここは島だからいずれは追いつかれて死
ぬだけだ。そう考えたら逃げるのが馬鹿馬鹿しくなった」
「そ。それじゃあ――」
「ちょっと待て」
「命乞いならもう聞かなくてよ」
「命乞いじゃねえ。俺だって男だ。最後の最後まで戦って負けたいんだよ。んで、できれ
ばこれで戦ってくれねえか?」
 俺はさっき拾った棒きれを華琳に向けて投げた。
「……よくてよ。最後のお願いぐらい聞いて差し上げるわ」
 華琳は棒きれを拾うと、鞭を胸元に戻して構えた。
「感謝」
 これで勝算ができた。
―― 後は……。
 頭の中で『アレ』の位置を想定しながらサド女と距離をとる。目で確認すれば感づかれ
る恐れがあるからだ。
「行くわよ!」
 華琳が棒きれを下段に構えたまま地を蹴った。
「こい!」
 作戦がバレないようそれらしく俺も構える。そして、俺の前まできた華琳は手品師よろ
しく姿を消した。
「んきゃ!」
 足下から聞こえてくるサド女の悲鳴。
「ふ……は〜〜〜はっはっはっはっは! 俺の勝ちだ! ざまぁ〜みろぃ! 油断大敵っ
てヤツだ」
 無様にUの字な格好になってる華琳を見て俺は大笑いした。
 さて、いったい何がどうしたのか?
 答えは簡単だ。
 マゾ奴隷が作ったであろう落とし穴にまんまとサド女が落っこちた、以上。しかも狭い
上に意外と深いので体勢を立て直す事も脱出することもできないだろう。
「きぃ〜〜〜〜〜!!悔しい〜〜〜〜〜〜〜〜ぃ!!!!!」
 自らの状況を理解した華琳はジタバタと駄々っ子のように両手足を動かして暴れ始める。
少しばかりその滑稽な姿を見てから、
「さぁて〜どうしてくれようかなぁ〜」
 俺は笑った。
 きっとサド女には悪魔のような笑みに映ったことだろう。

 数分後、名も知らぬ島にサド女とマゾ奴隷の悲鳴が轟いた。
 何をしたかは秘密としておく。

 んで、その後の事だが………。

 マゾ奴隷もゴウリキが掴まえ、二人揃って冷凍庫に放り込んだ。
「さ、さささささむいぃ〜。こ、このワタシを凍えささささせるつもりででですの!」
 奥歯ガタガタいわせることに成功。それから再び二人をドラム缶に詰めて海に流すこと
になった。もちろん食料と水も一緒だ。さすがにそこまで冷酷には徹しきれなかった。
「んじゃ、頑張って生きろよ」
「きぃ〜〜〜!! 今に見てなさい! 今回の借りはいずれかなら――」
 うるさいので蓋を閉じる。
「よし。やってしまえ」
「どっちに投げる」
「う〜〜〜ん。あっちでいいんじゃねえか」
 別にどこでもいいので適当に右を指差してみた。
「わかった。すぅ〜………ふんぬっ!!!!」
 総量300キロはあるだろうドラム缶が高々と宙を舞い、海に落下した。ドラム缶は穏
やかな波に揺られながら少しずつ島から離れていく。
「さて、戻るか」
 十分にドラム缶が流されたのを確認して俺は踵を返した。

 ちなみに鮫のフライングボディーアタックをまともに受けた棗だが、幸い面での衝撃、
海に押し込まれただけだったおかげか目立った怪我はなかった。酸欠による後遺症もない
らしい。
「ホント、悪運強いな」
「ふふふ。未来の世界的重要人物を殺すほど神もバカではないということよ」
 溺れた時のか弱さはどこへやら、もういつもの棗に戻っていた。
「ま、そうでなきゃ鳥肌立つしな」
「は?」
「いんやこっちの話しだ。しっかし、もう遊ぶ時間じゃねえな」
 窓の外を見ると夕日はほとんど沈んで夜のとばりが下りていた。
「今日がダメでも明日があるわ。ここでの滞在期間は3日。まだまだ十分に遊べます」
「そっか。そうだよな。明日があるよな!」
 明日こそは力の限りバカンスを満喫してやると心に誓った。

 ……のだが。

 翌日。
「ぐおぉぉぉぉぉぉぉお」
 俺は自家用機のシートの上で悶えるハメになっていた。
 痛い。めちゃくちゃ背中や肩の辺りが痛くてたまらない。原因は恐らく鮫の体当たりを
受けたからだろう。というか、それしか考えられない。
 恵が言うには、
「鮫の泳ぐスピードは時速55キロとも言われておる。いわば車に体当たりされたような
ものじゃ。そうなるのも無理はなかろう」
 ということだった。
 確証はないが骨にヒビが入っている可能性は大いにあるとか。そんな訳で遊ぶことなく
本当にとんぼ返りと相成った。
「ああ、俺のバカンス……俺の休暇……とほほ〜……あだだだだだ」
 小さくなっていく島を見ながら俺はため息をもらし、襲ってきた痛みに再び悶える。
「もう。寝てなさいと言っておいたでしょう。子供ではないのだから言うことを聞きなさ
い。体がどうなってもいいというの? はい、俯せになりなさい」
 正論なので渋々ながらも言われた通りにする。
「お前にゃ俺の気持ちなんざわからねえだろうさ」
「わかっているつもりです。ですから戻ったら休暇を与えるつもりですよ」
「嘘じゃ――うひゃ!」
 背中に感じた冷たさに俺は思わず声を上げた。
「湿布如きで声なんて上げるものではありません」
「う、うっせえよ。ところで休暇ってホントか?!」
「ええ。どうせこの調子では入院することになるでしょう。そうなれば休暇を与えないわ
けにもいきませんもの」
「にゅ、入院? 入院だと!? それはいかん! それだけはあっちゃいけえねえことだ! 絶対に入院なんてしねえぞ!」
「どうして?」
「毎回毎回騒ぎの後には入院してるんだぞ? 展開がマンネリ化してるじゃねえか! 読
者が減るぞ!」
 画面の向こうにいるであろうヤツに向かって叫ぶ。
「……妙なことを言わないの。それともこのまま激痛に襲われる毎日が過ごしたい?」
「いえ。素直に入院しますです、はい」
 さすがにこの激痛を毎日味わう生活だけは勘弁したい。
「あ〜、そうそうそうでした」
 ぽん、と棗は手を打ち、
「浜辺でのことですけれど」
 そっと耳打ちしてきた。
「浜辺でのこと?」
「私の唇を奪ったことです。しかも無断で」
 自然と顔が熱くなっていくのを感じた。恐らく顔はタコ色になっていることだろう。
「あ、あれは人命救助で仕方が――」
「けれど奪った事にかわりはないでしょう。償いはきっちりとしてもらいますからね」
 そう言う棗の顔は契約書をちらつかせる悪徳金融に見えた。
―― くそっ。何でだよ。俺は命の恩人だぞ?
 どうして償う必要なんてあるんだ。逆に感謝して礼をされるのが筋ってもんだろ。
「何をしてもらおうかしら」
 隣に腰掛けた棗は心底楽しそうな声で呟く。

 どうやら抵抗は無理のようだ。唯一できることとしたら……。

「くそ〜〜〜〜っ。俺の幸せはいつになったらやってくるんだぁ〜〜〜〜〜!!!!!」

 この不満を叫ぶことくらいしかなかった。

―― 嗚呼、本当にはやく来てくれ幸せよ。

 ちなみに、病院での診断結果――肩胛骨骨折。全治3週間だった。

次回、ついに彩樹側の人物が!


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