第三十四話「Complicityanaccomplice」

 夜。
 今日は珍しいお客がいた。
 ゴシックロリータという種類の服を着た化粧の濃い20代の女性。今までに見たことの
ないお客だった。
―― 新人だろうか。
 グラスを拭きながら頭の中にある情報から合致しそうな人物を検索するも合致するもの
はいなかった。
「マスター、もう一杯ちょうだい」
 だが誰であろうと客は客。注文の品を作り、空になったグラスを戻した。
「今の時間教えて」
「ただいま午前1時です」
「ちっ。10分も遅刻じゃないの」
 腹立たしげに呟いてウォッカを一気に飲み干す。そこでドアに付けているカウベルが来
客を知らせた。
「お〜ま〜ち〜」
 入ってきた客を見て私は驚愕した。
 まさかこの店に裏世界でトップとも言われるあの『デザイア』が訪れるとは誰が予想で
きただろうか。
 『デザイア』
 その名の通り、欲望の数だけの武器を隠し持っているという。ただ今までに彼女がもつ
全ての武器を見た者はいない。
 だが、これだけは言える。デザイアと戦った者で生きていた者はいないと。
「マスタ〜。おいしい水をひとつ〜プリ〜ズ〜」
「かしこまりました」
 驚きをこれまでの経験で培ってきた精神力で押さえ込み、冷静になってミネラルウォー
ターを彼女の前に置く。
 私はしばしグラスを拭きながら二人の会話に耳を傾けた。
「バーにきたんだからお酒くらい飲みなさいよ」
「だ〜め。いつお嬢様に危機がおとずれるとも限らないし〜パースウィトと違ってお酒弱
いから〜」
 二度目の驚きを私は内心感じていた。
 『パースウィト』。
 彼女もまた裏世界では有名な殺し屋だった。追跡者の名をもつ彼女から逃れた者は過去
いないという。
「はっ。かの有名な『デザイア』もあの子にメロメロってわけなの」
「ええ〜」
「反応がつまんないけど、まあいいや。んじゃあ、契約通りに仕事してあげたんだから報
酬ちょうだい」
 デザイアに向かってパースウィトが左手を差し出した。
「その前に〜ちゃんとした顔に戻りなさい〜」
「え〜、これ作るのに時間かかったんだけど」
「戻さないと〜……この場で永遠の眠りについてもらいますよ」
 声を聞いただけで私の全身に寒気が走った。
「はいはいはい。この分の料金も上乗せしてよ」
 そう言うとパースウィトは己の顔に爪を立て、一気にその手を引いた。メリメリと音を
立てながら皮が剥がれていった。いや、それはマスクだ。かなり精巧にできている。
 これまで変装で裏世界を生きている者達を何人も見てきたが、これほどまで精巧なマス
クは初めてだった。
―― さすがは『パースウィト』というところか。
 マスクが全て取り除かれると、幼い顔が姿を現した。
「は〜。さっぱり。何だかんだいってもマスク付けてると蒸れるっていうか妙な感じなん
だよね。この点さえクリアできれば完璧っかな」
「マスクはお肌にも悪いしね〜」
「そうそう。あたしってまだ14歳だけど、やっぱ今後の事を考えると……って、話しを
そらさないで。はい、報酬報酬」
 デザイアは無言で分厚い茶封筒をパースウィトに渡した。厚さから予想して1000万
といったところか。
「は? これだけってんじゃないよね?」
「残りは指定された口座に振り込んだから安心して〜。それはマスクの代金〜。でも〜…
…本当は貴女を痛めつけたくて痛めつけたくて仕方がないの」
 デザイアの口調が再度変わった。
 それだけで室内の温度が5度は下がったような錯覚に陥る。
「法光院のお嬢様を殴っちゃったこと? わ〜るい。何だかムカついちゃってさ〜。ほら、
あたしって命令されんの嫌いじゃん? それでクライアントも何人か殺したことあるし。
デザイアなら知ってるじゃない。それに、その件はあたしの右腕斬り飛ばしたことでチャ
ラになるでしょ」
 数秒間の沈黙。私にとっては地獄ともいえる数秒間だった。
「……まあ〜いいでしょう〜」
 私は心の中で安堵した。
 もしこの二人が戦い始めたら店がメチャメチャ所ではすまなかったに違いない。
「あたしの右腕が義手じゃなかったらあんたの腕いただいてるところよ」
「その分の料金も〜口座にきち〜んと振り込んだから安心して〜」
「そりゃあんがと。けど、あたしを逃がしたりして大丈夫だったの?」
「ええ。仕方ないわね、お嬢様はそう言ってくださったから〜。もしかしたら〜あの方は
私と貴女のこと気付いているかもしれないわね〜」
 デザイアの言葉にパースウィトは顔を青くさせた。
「うえ〜マジ〜? さすがのあたしだって法光院は相手にしたくないよ」
「大丈夫〜。貴女のおかげでお嬢様の目的も〜完遂できたようだから〜」
「目的?」
「そう。人間、時には同じ傷を負わなければ〜わからないこともあるの〜。だから私は〜
貴女に縁君の顔に傷をつけてほしいと依頼した〜」
「ふ〜ん。ま、あたしにはどうだってもいいことだけど。ね、しばらくこの国に滞在する
予定なんだけどさ、今度どっか遊びにいかない?」
 それから二人は年頃の娘のように、服や何やらの話しを始めた。楽しげに会話する二人
の邪魔をせぬようそっとグラスを新しい物と交換する。
「お、あんがと〜」
「ありがとう。ああ〜そうそう、マスタ〜」
「なんでございましょう?」
「ここでの会話は全て忘れてね〜」
 デザイアは無邪気な笑顔で言う。けれども向けられた殺気が笑顔の裏の意味をひしひし
と告げていた。
『忘れなければ殺す』
 と。
「かしこまりました」
 私も裏の人間が通うバーを運営している者……不要な記憶を消すことなど造作もない。
 二人は再び楽しげに会話を始める。
 そして二人が店を去った後、私は彼女たちがいた数時間の記憶を脳から消去した。

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