第三十五話「お姫様動き始める」

 日々の鍛錬。
 それこそが強靱な肉体を維持する秘訣である。故に儂は日々の鍛錬を欠かしたことは一
度もない。
 朝、4時に目を覚まして鍛錬に入る。
「ほっほっほっほっほっほ」
 まずは軽く20キロのランニング。ちょうど屋敷一周がその距離であった。
「ふんふんふんふん!!」
 体が温まった所で次は親指一本でも腕立て伏せを500回左右10セットずつ。
「てぇいぁ〜!」
 50枚の瓦割を50セット。
「さあ、来るがよい!」
 そして仕上げは自ら最強を名乗る者達との100人同時組み手を行う。とはいえ、どい
つもこいつも最強とはほど遠い実力しかないのが現実なのだ。
―― これならば棗の所にいるメイドひとりと戦う方がよいかもしれん。
 今度頼んでみるかと思いつつ、棍を手に襲ってきた100人目を叩きのめしたところで、
「神様、お電話にございます」
 メイド長が受話器を持ってやってきた。
「誰からだ」
「恵お嬢様からでございます。どうしても神様にお訊きしたいことがあるとか」
「ふむ」
 珍しい……いや、初めてのことだ。
 過去これまでに恵が電話をしてきたことなどなかった。その恵が電話で訊きたいことが
あるという。
―― それほど緊急で重要なことなのか。
 とにかく話を聞くしかないだろう。
「でよう」
 受話器を受け取る。
「もしもし、恵か?」
「ごきげんよう、お祖父様。朝早くに申し訳ございませぬ」
 受話器越しでも孫の声はやはり可愛いものだった。
「よいよい。恵からの電話なら大歓迎だ。訊きたいことがあるそうだがどうした?」
 沈黙。
「恵、どうした?」
 すぐに反応はなかったが、受話器の向こうで深呼吸する音が聞こえたかと思うと、
「お祖父様、すでに決縁者のいる者に触れた場合……妾もその者の決縁者になれるであり
ましょうか」
 恵はそう言ったのだった。

 もう夏真っ盛りだった。
 灼熱の太陽にセミの声がそれを実感させる。今日の気温は36度。猛暑だ。とはいえ邸
の中は全域冷暖房完備なので快適になっている。そう、邸の中は、だ。
「ぐぞ〜〜〜」
 外は灼熱地獄であり、俺はその外にいる。拭っても拭っても汗が体から噴き出し、容赦
なく太陽光線が肌を焼く。
「暑いぞこんちくしょうが〜〜〜〜!!」
 立ち上がって俺は叫んだ。
 ミ〜ンミ〜ンミ〜ン。
 耳に届くのはやかましい程の蝉の声のみ。何だか虚しくなった。
「とほほ〜」
 再び身をかがめてソレを引っこ抜く。
 放り投げる、引っこ抜く。
 これを繰り返す。朝からこれを何度繰り返しただろうか。100回までは暑さを忘れようと
数えていたが、100回も数えた頃になると暑さで数えるどころではなくなっていた。
「つうか今日中に終わるんだろうか」
 顔を上げると、まるで緑の絨毯のように生い茂る雑草達が目に入る。絶対に無理のよう
な気がした。
 というわけで灼熱の太陽が照りつける中、汗水垂らしながら俺は雑草取りをしていた。
範囲は邸全て。学校並の敷地を誇る邸の全てだ。
「………」
 そして、残りはまだまだまだまだあった。
―― くぅ〜。400ポイントの甘い罠にかかった自分が情けねぇ〜。
 心で泣きながらも俺は手を動かした。
 ぶちっ。ぽいっ。ぶちっ。ぽいっ。ぶちっ。ぽいっ。
 ミ〜ンミ〜ンミ〜ン。
 たら〜り。
「うが〜〜〜〜〜〜!!!」
 やってられなかった。
「そもそも何でこんな広い場所にある雑草を手でむしらなくちゃなんねえんだよ!」
 機械を使えばあっと言う前に刈れるし楽なはずだった。きっと邸のどこかに一台くらい
あるだろう。というか絶対にあるはずだった。
「よし! こうなったらまずは使わせろと直談判だな。拒否されたら探し出してやる」
 額の汗を拭ってから俺は邸に向かった。
 と。
 後方から重いエンジン音が聞こえてきた。
―― こ、このエンジン音は。
 一度だけ聞いたことがあった。
 そう、この音は――。
「ゴウリキが乗っていたハーレー!」
 勢いを付けて後ろを振り返る。やはり俺の耳は間違っていなかった。

 正門からやってくる一台のバイク。そのバイクに乗った巨人と小さな少女。

 棗の妹・恵とそのボディーガード・ゴウリキの二人がやってきたのだった。

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