第三十三話「壊された壁。結ばれた想い」

 病院に運ばれた俺は全身打撲と銃の傷で全治2週間。縁は顔の傷で全治1週間と診断さ
れた。

「傷の具合はどう?」
 椅子に腰掛けながら棗が問いかけてくる。
「最悪。全身がズキズキと痛ぇ。まさに地獄の苦しみってやつだ」
「痛み止めを飲む?」
「……何か気味が悪いな」
 痛む体にむち打って半身を起こしながら俺は棗を見た。
―― 何だろうか。いつもと何だか雰囲気が違う。
 刺々しい何かが取れて、何ていうか……妙に優しい。
「悪いもんでも食ったのか?」
 変に思って俺が訊くと、右の頬に平手をおみまいされた。
「心配してあげている私に対する言葉には不適当です。訂正なさい」
「ん〜。じゃあ、お前は本当に棗か?」
 今度は額にチョップを叩き込まれた。
「この神すら感動のあまり涙するほどの美貌をもつ女性が私以外にいると?」
「その物言いは正真正銘本物の棗だ」
「当たり前です。足を撃った事への謝罪も含めて優しく看病してあげているというのに…
…これではたまりません」
 口を尖らせたかと思うと棗はそっぽを向く。その何とも棗らしくない行動に俺は笑って
しまった。
「何が可笑しいというの?」
 両頬を思い切り引っ張られる。この方が棗らしいとは思うが、こんなことされて黙って
いる俺じゃない。
「ほ、ほのやほう」
 そっちがその気ならこっちにだって考えがある。俺は棗の腕を掴んで横に広げた。
「あ」
 結果的に棗の顔が間近に寄ってくる。互いの吐息がかかる距離。
―― この距離なら今の俺でも。
「棗、いいか?」
 真っ直ぐ棗を見つめる。
「え」
「いいか?」
 もう一度俺が問うと、
「その……もしかして」
 棗は顔を赤らめて上目遣いに見上げてきた。
「いいか?」
「彩樹が望むなら……」
 静かに棗は目を閉じた。
―― 観念したか。よしよし。
 もっと抵抗すると思っていたが、これはこれで好都合だ。一度深呼吸してから意を決し
て、俺は目を閉じてから……してやった。

 その数分前。

「縁、顔の傷痛む?」
 お嬢様が優しく顔の包帯に触れてきた。ただそれだけなのに痛みが少し引いたような気
がする。
「大丈夫です。お嬢様がお守りできるのだったら傷のひとつやふたつへっちゃらですから」
「……ごめん」
「謝らないでください。謝るのは……僕の方です」
 僕は真っ直ぐにお嬢様の目を見た。
「お嬢様のお顔の傷。それを見て今まで逃げてしまっていたこと……ごめんなさい」
「いいんだよ。醜い傷だから仕方ないって」
 お嬢様が浮かべたのは寂しそうな笑顔だった。
「そんなことありません! 僕は一度もそんなこと思ったこともないです! でも、怖か
った。お嬢様のお顔の傷を見るたびに罪を問われてるような気がして怖かったんです。だ
から逃げて……」
「……そっか」
「それから、あの、これから言いたい事があるんですけど……その前に聞かせていただけ
ますか?」
 それは今まで訊きたくても怖くて訊けなかったことだった。
「なに?」
 でも、
「お嬢様はそのお顔の傷をどう思っていますか?」
 勇気を振り絞って僕は質問した。
「うん」
 一度目を閉じてから、
「誇りに思ってるよ。なんたって大好きな縁を守ってできた傷なんだ、当たり前じゃない」
 今度はさっきとは違う、本当の笑顔を浮かべてくださった。
―― そうだったんだ。僕と同じように思ってくださっていたんだ……。
 僕は顔の包帯に触れた。
 お嬢様を守ってできたこの傷。僕はとても誇りに思った。お嬢様を守る事ができた証な
んだと。お嬢様の言葉を聞いてようやく僕の中にあった不安と恐怖はなくなった。
「ありがとう……ございます」
 代わりに沸き上がってきた嬉しさから自然と涙が零れてしまう。
「ねえ、縁が言いたいこと……教えて」
「はい。お嬢様……奴隷として失格ですけど、僕は、僕は……お嬢様を心よりお慕いして
います。ご主人様としてもひとりの素敵な女性としても」
 言ってから急に恥ずかしくなった。
―― ああ、ついに言ってしまった。
 お嬢様は目を丸くしていた。けれどすぐにニッコリと笑い、
「じゃあ、アタシも言うね。アタシも好きだよ、縁。今まで言っていたのは奴隷としてだ
ったけど、今のは違う。ひとりの男の子として縁が好きだから」
 優しく、だけど強くお嬢様が抱きしめてきた。
「嬉しいです。今までの人生で一番嬉しいです」
 僕も同じように、お嬢様がどこかへ行ってしまわないように、今の幸せをもっと感じる
ことができるように抱きしめる。
「あ」
 そこで僕は気付いた。
 視線の向こう。反対側にいる彩樹さん達も何だかいい雰囲気だった。
「なに? おお〜」
「ど、どうなっちゃうでしょうか」
「なっちゃんはOKだからレア君次第かな」
 僕とお嬢様は静かに二人の動向を窺った。目を閉じた棗様。その顔をじっと見つめる彩
樹さん。
 そして――。
「こなくそ〜!」
 なぜか彩樹さんは棗さんに頭突きを叩き込んだ。
「へ?」
「え?」
 予想外の展開に僕とお嬢様は目を丸くさせてしまう。だって、あの様子なら二人はキス
すると思うのが普通なんだから。
「いったぁ〜」
 頭突きを叩き込まれた棗様は額を押さえた格好でベットに倒れ込んだ。
「は〜はっはっはっは! ざまぁ〜みろ〜。言っただろ? 終わったら殴ってやるってよ。
けど、今じゃ殴っても威力ねぇから頭突きだ! 少しは俺の受けた痛みを味わったかこん
ちくしょうが!」
 そんな棗様を見て彩樹さんが大笑いする。
「彩樹さんって怖い物知らずですね」
 心からそう思った。
「こりゃ〜後が大変だぞ〜」
 お嬢様の言う『大変』はすぐに現実となった。
 起きあがった棗様が寝ている彩樹さんに倒れ込む。きっちり肘を鳩尾に叩き込んでいた。
「ぐえ!」
 潰れたカエルのような彩樹さんのうめき声。続けて嵐のような往復びんたやチョップが
彩樹さんを襲った。
「期待した私が愚かでした!」
 棗様が彩樹さんに向かって叫ぶ。そのお顔は遠目から見ても真っ赤だった。
「あ〜あ〜。なっちゃんとレア君が進展するのはまだまだ先みたい」
「ですね」
 互いに激しく罵りあう2人を見て僕は苦笑した。
―― けど、そんなに先じゃないようにも思えます。
 と心の中で思う。
「でもさ」
 と、急に笑うのを止めてお嬢様が顔を寄せてきた。
「はい?」
「アタシ達は進展してるし、レア君ができなかったこともできるよね」
 『何を?』と質問するよりも前にお嬢様の唇で僕の唇はふさがれていた。
―― え? え? え? ……えええええええ!?
 驚きで頭の中が真っ白になってしまった。
「どう?」
 唇を離したお嬢様が問いかけてくる。
「え、その、あの……とっても、柔らかかったです」
 胸がドキドキして声を出すのも一苦労だった。
「もっと感じたい?」
「え、えと……」
 声に出すのが恥ずかしくて僕は小さく頷いた。再び重なるお嬢様と僕の唇。僕はこの幸
せがずっと続けばいいな、と心から思った。

縁・蘭編完?


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