第三十二話「救出・後」

「どっちも嫌なら選ばなきゃいいだろ」

 返ってきたのは何とも彩樹さんらしい答えだった。
「なら交渉決裂ってことかい。あたしは別に構わないよ。無理矢理奪うってのも案外面白
いしさ」
 パースウィトが鞭を手放す。
「そんじゃ、暴れさせてもらうよ」
「うあっ!」
 鋭い膝蹴りが僕のお腹に叩き込まれた。
 咄嗟に腹筋をしめたけど威力がありすぎる。その場に膝をついて僕は何度も咳き込んだ。
「さて、次はあんただ」
 高々と跳躍したパースウィトが落下速度を加えた強烈な蹴りを彩樹さんに見舞う。ボロ
ボロの彩樹さんは4メートルほど転がって止まった。
「弱いねぇ」
 倒れて動かない彩樹さんの頭を踏みつける。
「彩樹! 起きてその女を血祭りにあげなさい!」
 棗さんが叫ぶ。
「む……り……いう、な」
「あんたはそれでも法光院の奴隷かい? 弱すぎるじゃないか」
「う、っせえ。俺は……奴隷、じゃ……ねえ」
「じゃあ、何だっていうんだい? 聞かせてもらいたいねぇ」
「彩樹さん!」
 このままでは彼が危ういと思った僕は痛みに顔をしかめつつも地を蹴った。
「今度は坊やが相手をしてくれるのかい」
 間合いに入った彼女に向かって拳を繰り出すが、パースウィトはそれをいとも簡単に避
けた。今度は懐に潜りこんでから打ち込む。
「遅い」
 またしても避けられた。拳と蹴りのコンビネーションも通じない。全て見切られていた。
「なかなか鋭い攻撃だけどあたしには通用しないねぇ。いいかい? 攻撃ってのはこう打
ち込むのさ」
 鋭い右。当たったと思ったら鋭い左の拳。見えない。鞭よりも速い。でも、手加減して
いるのかそれほど痛くなかった。
「どうだい? 男ならこれくらい出来なけりゃいけないよ」
「なぜ一気に僕を殺さないんです」
「あたしが坊やをほしいからさ。思い切り殴ったら可愛い顔が台無しになるだろ。でも、
そうだねぇ。もう少し弱らせないと抵抗しそうだ」
 ゆっくりと近づいてくるパースウィトを見据えながら僕は身構えた。
――このままじゃ時間の問題だ。
 勝ち目のない戦いに心が焦る。
 と。
 ぴぴっ。耳の小型無線機からの合図。準備完了ということだ。
「ふ〜ん。なるほどねぇ。あんたらは時間稼ぎかい。こりゃあまた大勢だ」
「!」
 気付かれてしまっている。
「動くんじゃないよ! これが目に入るだろう?」
 そう言ってパースウィトは胸元から小さなスイッチを取り出した。
「これを押すとそこのドラム缶に取り付けたTNT火薬がどっか〜ん。二人は木っ端微塵
さ。それが嫌なら動くんじゃないよ」
「卑怯です!」
「身を守るための策に卑怯も何もないだろ。これが裏の世界のやり方さ」
「さぁて、遊びが過ぎたようだ」
 転がっていた鞭を拾って僕を見る。
「坊やをいただいて逃げるかねぇ」
「くっ」
 玲子さん達の助けを期待できない。もう僕には何もできなかった。ゆっくりと周囲を警
戒しながらパースウィトは近づいてくる。
 あと5歩。
―― 連れて行かれたらもうお嬢様とはお会いできないのかな。
 4歩。
―― 僕がいなくなって悲しくてもお嬢様はいつか笑顔を浮かべてくれるかな。
 3歩。
―― お嬢様とお会いできなくなって悲しくても僕は生きていられるかな。
 2歩。
―― 連れて行かれた先で僕はどうなるのかな。
 1歩。
「さあ、おいで坊や」
 手がさしのべられる。その手を見ながら僕は立ち上がった。
―― お嬢様が死んでしまうのだけはやっぱり嫌だ。
 顔をパースウィトの手からお嬢様へと向ける。僕がどんな行動を取るかわかってしまっ
たのか瞳から涙を零されていた。
「泣かないでお嬢様。いつか、きっといつか会えます。だから今は――」
「そんなのは許可しない! 縁はアタシのだよ! アタシの側にいるんだ! アタシもず
っと縁の側にいる! いたいの! だからそんなの許さない!」
「ごめんなさい。そのお言葉は聞けません。……そういえばお嬢様のお言葉に逆らうのは
これが初めてですね」
「縁!」
「さようなら」
 パースウィトの手を取って僕は一歩を踏み出す。お嬢様がいない生活を送るために。
「これから楽しくなりそうだよ」
「それは無理でございます」
「え?」
 突然耳に届いた声。突然パースウィトの背後に姿を現した玲子さん。
「なっ!?」
「パースウィト。良いことを教えてあげます。人の恋路を邪魔する方は……馬に蹴られて
地獄に堕ちるのでございますよ」
 彼女が手にしていた刀を一閃させた。
「デザイアッ!!!」
 斬り飛ばされた右腕を押さえてパースウィトが叫ぶ。
「殲滅!」
 玲子さんは凛とした声で叫んだ。
 すると、玲子さんと同じように突然メイドさん達が姿を現し、手にしていたマシンガン
をパースウィトに向けて一斉に引き金を引く。
 銃弾が濁流のごとくパースウィトの全身を襲った。
 数秒後、ボロボロになったパースウィトが地面に倒れ伏していた。あれだけ強かった彼
女がいとも簡単に……。
「さすがのパースウィトも秒間400発の弾丸は防ぎきれなかったようでございますね」
「玲子……さん」
 驚きのあまり僕は何を言おうとしたか忘れてしまった。
「もうご安心を。さあ、お二人の縄をこれで」
「ありがとうございます」
 手渡されたナイフを持って二人に駆け寄る。
「もう大丈夫ですよ。何も怖がることはないですから」
「縁!」
 解放されたお嬢様が僕を抱きしめてきた。
「はい、お嬢様。僕はここにいます。お嬢様のお側に」
「うん。うん」
 何度も何度もお嬢様は頷いた。
―― ああ、温かい。
 お嬢様の温もり。これからもこの温もりを感じることができるのだと思うと、とても嬉
しかった。
「おい! 縁、後ろだ!」
 彩樹さんの声が小さな幸せから僕を現実に戻した。凍えるような殺気を感じて後ろを振
り返る。
―― いつの間に?!
 さっきまで倒れていたはずのパースウィトが目の前で鞭を振り上げていた。
「せめてその女だけは壊させてもらうよ!」
「お嬢様は僕が守る!」
 振り下ろされた鞭か僕の顔を襲った。

「え、縁〜〜!!!」
 目の前で起きた惨劇に蘭が悲鳴を上げた。鞭を顔に受けた縁が鮮血を散らしながらその
場に倒れていく。
「玲子!」
「確保!」
 40人のメイド女が一斉にパースウィトを押さえ込む。
「移送!」
 パースウィトを連れて40人は出ていった。
「縁! 縁! ああ、血が、血が……」
「大丈夫……なのか?」
 痛む体にむち打って俺は二人に近寄った。
 縁は顔の左側を縦一文字に傷つけられていた。傷口からは血が溢れだしてきている。こ
のままだと危険なのは確実だった
「ど、どうしよう。ねえ、レア君! 棗さん!」
「玲子、縁さんの傷の具合は?」
「このままでは失血の恐れがございます。申し訳ありません。油断しておりました」
「言い訳は後で聞きます。そのような事より輸送ヘリを。急いで縁さんを病院に運びます。
病院の方にも連絡してすぐに治療を行えるようになさい」
「かしこまりました」

 それから2分後、輸送ヘリが到着。俺達は病院へ搬送された。

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