第三十話「俺、動け……」

 いったい棗の考えとは何なのだろうか。考えても考えても予想すらできない。それがか
えって不安を駆り立てた。
 不安の元凶である棗は電話のある玄関にいっている。作戦の準備をさせるためだろう。
―― ああ、不安だ。
 このまま黙って棗の行動を見ていればいいのか、それとも危険だと思うので止めるべき
なのか……。
「う〜〜〜〜む」
 なんて唸っている間に電話を済ませた棗が戻ってきた。
「準備は整いました。後は……」
 玄関の方で音がした。
「たっだいま〜」
 続けてはずんだ蘭の声。2人が帰ってきたらしい。
「縁さんに少しばかり家の外へ出てもらうだけね」
 まるで悪巧みを考えついた悪人よろしくな表情を浮かべる棗を見て、
―― やっぱ止めるべきだったかもしんねえ。
 心の中で頭を抱えながら後悔した。
「ただいま戻りました」
 戻ってきた縁が買い物袋を両手に持って入ってきた。
「二人ともお帰りなさい。ただ、戻ってきたばかりで申し訳ないのだけれど……縁さん、
ちょっと買ってきていただきたいものがありましたの。今からすぐに行ってきていただけ
ません?」
「あ、はい。構いませんよ」
 考える素振りもみせずに縁は答え、
「ちょっとちょっと何で縁なの? おつかいなら自分のレア君に頼みなよ」
 勝手に縁を使いっ走りにされて不満を露わに蘭が頬を膨らませる。
「彩樹では遅いでしょう。できれば急いで買ってきてほしいの」
「わかりました。それで何を買ってくればいいんですか?」
「これに書いてあります。それとこれはお代金。よろしくお願いしますね」
「はい。では行ってきます」
 千円札1枚を手に再び縁は出ていった。
 ばたん、と玄関の戸が閉じる音。それが棗の行動開始の合図となった。
「蘭さん」
「なに?」
 冷蔵庫に買ってきた物を入れていた蘭が未だ不満げな表情で振り返った。
「私、貴女と縁さんが一歩を踏み出させる為の作戦を考えました。少し危険な賭ですが…
…あの話を聞いて黙っているというのは私の性分ではありません」
「言ってることがわかんないんだけど?」
「つまり、こういうことです。玲子」
 ぱちん、と棗が指を鳴らした刹那、
「申し訳ございません」
 音もなく現れた玲子が蘭の後頭部に手刀を叩き込んだ。
「な、んで……」
 驚愕の表情を浮かべるのも一瞬のこと。蘭は気を失い、前向きに倒れた体を玲子が抱き
留める。
「お、おいおいおい。何してんだよ!」
「言ったはずでしょう。蘭さんと縁さんに一歩を踏み出させる作戦を開始しました。彩樹、
貴方にもこの作戦の為に働いてもらいますよ」
「……わかった。で、何をすりゃいい?」
「目を閉じなさい」
「は?」
「いいから目を閉じなさい」
 何やらわからないが2人の為だと言われた通りに目を閉じる。
―― 何だ、何をする気だ?
 先の見えない不安と恐怖に鼓動が徐々に高まっていく。
「彩樹、助演男優賞を取れるような名演技を期待します」
 棗の言葉が聞こえた直後に一発の銃声が響き、左足に殴りつけられたような衝撃が襲っ
た。
「あ?」
 一瞬何が起こったのかわからなかった。
 目を開けて恐る恐る左足を見る。
 太股に穴がぽっかりと空いていた。そこから真っ赤な血が溢れだし、地面に零れ落ちよ
うとしていた。
―― 撃たれた。
 音と衝撃の意味を理解したとたん、焼けるような痛みが全身を駆けめぐった。
「ぐ、ぐあぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!」
 俺は痛みのあまり大声で叫んだ。
 殴られる痛みなんざ比較にならないほどの激痛。鉄パイプで殴られてもこれほど痛いだ
ろうかとさえ思う。あまりの苦痛に俺は左足を押さえながら床を何度も転がった。
「て、てんめぇ! 何しやがっ……つぅぅぅ! いっってぇ〜〜〜!!!!」
 怒鳴りつけてやりたくとも痛みで喋るどころじゃない。目から涙がぽろぽろと零れた。
「縁さんがいない間に銃を持った強盗がやってきた。彩樹はその強盗を取り押さえようと
して負傷。私と蘭さんは身代金目的で連れ去られた……そういうことです」
 気遣う様子もなく棗は淡々と答える。何となくこいつが考えた作戦がわかった。
 ショック療法だ。
 過去を再現して二人にお互いの想いを再認識させようって魂胆だろう。
「だからって撃たなくても縛るとか一発殴る程度でいいだろうが!」
「ダメよ。それでは緊迫感が薄いもの。相手は銃を持ち、簡単に引き金を引くと思わせれ
ば即座に動かざるを得ないでしょう?警察を呼ばれても後でもみ消すのが面倒ですし、何
より縁さんに蘭さんがいなくなってしまうかもしれないと思わせることが重要です」
「俺が出血多量で死んでもいいってのかよ」
 こうしている間にも血はどんどん溢れだしてきている。現に出血で足から熱が奪われて
いた。このままじゃ数分もしない内に失血死だ。
「このっ!」
 とりあえずYシャツの袖を破って足を縛った。若干出血の量が減る。失血死までのリミ
ットが少しは伸びることだろう。それでもこのままじゃ確実に死ぬだろうが。
「頑張りなさい。もし生きていたら500ポイントを進呈します」
 手にしていた銃をしまいながら棗は言う。
「そんときゃお前を殴ってやる。泣いて謝ったって殴ってやるからな」
「……なら、頑張りなさい」
 小さく笑って棗は俺の頭をひと撫でした。と、玄関の扉が開いてルクセインがやってき
た。そして玲子から気絶した蘭を受け取って踵を返す。
「玲子、後は頼みます」
 そう言って棗は蘭を抱きかかえたルクセインを連れて出て行ってしまった。残った俺は
大きく息を吐いてから、
「くそったれがっ!」
 出せうる最大の声量で吐き捨てた。
―― やっぱ止めるべきだった。
 もうすでにこの計画は犯罪の域にまで達している。
 誘拐・銃刀法違反・傷害。いくらもみ消せるといってもやっちゃいけねえことだ。
―― けど、あんときの俺も同じようなもんか。
 また思い出した高校での過去。少し間違えれば大変なことになっていた。あのときはあ
の二人をくっつけることで頭がいっぱいだった。
 恐らくは今の棗も同じなのだろう。
―― くそっ。許せねえが今回ばかりは仕方ねえ。あいつの作戦にのってやるか。
 でなけりゃ撃たれ損になる。とりあえず俺がすることは事情を戻ってきた縁に伝えるこ
とだろう。
 とはいえ、
「くそっ。結構出血したせいか体が寒くなってきやがった」
 ついでに視界がぼやけてきた。
―― マズイ。このまま意識を失ったりでもしたら……。
 視界をハッキリさせようと頭を振るも視界がぼやけたまま、ついには瞼が少しずつ下が
り続けてくる。
 そして完全に下がるかというところで、
「お嬢様!」
 都合良く縁が戻ってきた。
「よぉ〜」
 俺は重くなってきた右手をあげて出迎えてやる。
「あ、彩樹さん!? ど、どうしたんですか?! 凄い出血だ。こ、このままだと失血死
しちゃいますよ!」
「か〜も〜な〜。というか、だろ〜な〜」
 意識も朦朧としてきていた。かなりマズイ。
「あ、あの、いったい何が? お嬢様と棗様はどこへ? そう、さっきの銃声は何だった
んですか!」
「すまん。二人とも誘拐された。防ごうとしたらこのザマだよ」
「そ、そんな! それでお嬢様達はどこに?! 彩樹さん、教えてよ!」
「焦る気持ちはわかるが意識失いそうになるから体を前後に激しく揺らすな。おい、メイ
ド女! いるんだろ!」
 縁が手を止めたところで先ほどから姿が見えない玲子に呼びかけた。
「はい。ここに。申し訳ございません。我ら暗部メイド隊の失態です。後で如何様にも処
分していただいて結構でございます」
 姿を現した玲子は棗のシナリオに従って喋った。
「で、奴らはいまどこに?」
「はい。お嬢様達を連れ去った者はどうやら廃棄された工場に向かっているようです。現
……お待ちください」
 話を途中でうち切ると玲子は耳に手をあてた。イヤホン型のレシーバーに通信があった
らしい。
「………」
 少しばかり黙っていたかと思うと、
「暗部メイド隊全てに命令Zを発令。いつでも動けるように準備するのです。お嬢様方に
危険が及ぶと判断したなら迷わず……殺すのです」
 何とも物騒な事を言ってから俺に近寄ってきた。
「問題が発生いたしました。何者かがお嬢様達を誘拐したようです。それもプロが」
 縁に聞こえぬよう玲子が小声で耳打ちしてくる。
「どういうことだ?」
「お嬢様の嘘が本当になってしまった、そうお考えくださいませ」
「ぐあ、何でそうなるんだよ。棗が勝手にシナリオを変更したとか、緊迫感を上げるため
に俺には内緒でんな展開にしたってわけじゃないんだな?」
 至って真剣な表情で玲子は頷く。
「嘘から出た実ってわけかよ。んで、対応は?」
「現在暗部メイド隊の全員で追っております。しかし……」
「あ?」
「決めかねています。早急にお嬢様方を救出するのが良いのか、それともこのまま棗お嬢
様の作戦を実行するのが良いか……どちらを選べばよいのでございましょう」
 初めて玲子は困惑の表情を見せた。
「敵の数は?」
「ひとりです。ただかなりの手練れのようで迂闊に手出しができません」
「こっちは?」
「暗部メイド部隊全員ですので40名が実働可能です」
「ふむ」
 顎に手を当てて考える。敵は強いがひとり。対してこっちは姿を消すことを容易にやっ
てのける連中40人。
―― さて、棗なら何て言うか……って考えるまでもないな。
 俺がよく知る棗なら躊躇わずにこう言うだろう。
「このまま計画続行だ」
「正気でございますか? もしお嬢様のお命が――」
「棗ならこういうぜ。『本当に誘拐された方が緊迫感が増しますね』とかってな」
 もしかしたら違う言葉かもしれないが、棗のヤツなら絶対に助けるよりも計画の続行を
選ぶはずだ。もちろん、それも玲子達なら計画を成功した上で誘拐犯をどうにかできると
信じているからだろう。
「あの、何を話してるの?」
「これからどうするか作戦考えてたんだ。俺達は素人でもこいつらはプロだからな」
「あ、そっか。それで作戦は決まりましたか?」
「ああ。その前にだ。おい、こいつの治療と薬頼む」
 俺は未だに出血を続ける左太股を指さす。
「治療はわかりますが薬とは?」
「増血剤だ。動くには血が足らねえから無理矢理増やす! 某アニメの有名泥棒は無理矢
理飯食ってたがそんな暇はない! それと――」
 用意してほしい物を玲子に耳打ちする。
「かしこまりました。全ての作業を6分で終わらせます」
「さすがさすが。よし、縁……あいつらを絶対に助け出すぞ」
 元気のない縁の肩を全力で叩く。
「はい! お嬢様は命に代えてもお助けします!」
 頷いた縁の顔と瞳には強い意志のようなものが感じられた。

 嘘が実になるも作戦は動き出した。

 それが吉となるか凶となるか。

 それはまだ誰にもわからない。

―― まぁ、俺にとってはすでに大凶だがな

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