第二十話「小さな救世主」

 5発目の銃声が廊下に轟いた。
―― かすん。からからから……
 少し離れた所で何かが転がる音を聞こえてくる。
 頬に冷たい汗が伝り落ちた。銃弾は俺の耳のすぐ近くを通過して真紅の絨毯に穴をあけ
ていた。引き金が引かれる直前に銃が突如藍の手から弾き飛ばされた結果だ。
「た、助かった〜」
 危機を脱したと理解したとたん、強ばっていた体がへなへなと弛緩していく。銃を弾き
飛ばされた藍は右手を押さえながら身を震わせていた。怒り爆発寸前ってやつだろう。
「ごきげんよう……姉上様。妾の再会の挨拶はいかがでしたかのう」
 そして、その声が藍の怒りを爆発させた。
「よくもやってくれたわね!!」
 立ち上がって藍は銃を弾き飛ばした相手に向かって叫んだ。俺もそいつに向かって顔を
向ける。
「やっぱお前だったのか」
 予想通り、銃を弾き飛ばしたのは藍と棗の妹・法光院恵だった。ボディーガードのゴウ
リキの肩に座って、手には己の身長並の弓が握られていた。
―― あれで銃を弾き飛ばしたのか
 見れば床に矢が転がっている。さっき聞こえた転がる音の正体がアレだったのだろう。
もはや神業としかいいようがない。
「銃声を耳にして来てみればお主が殺されそうになっておったので驚いたぞ」
「俺はお前より驚いてたよ」
 立ち上がって俺は肩をすくめた。それから静かに藍から離れる。
「姉である藍を無視するなんて。一年会わない内に生意気になったのね……恵」
「成長したと言ってもらいたいものです。いつまでも姉上に怯えている妾ではありませぬ
よ。現に姉上のお命は妾の手中なのですからな」
 新しい矢をつがえて藍に向ける恵。表情にためらう色は微塵もなかった。
「できると思って?」
 身を低くして藍が構える。
 睨み合う姉妹。まさに一触即発。見てるこっちの寿命が縮むような雰囲気がしばらく続
く。その緊張を壊したのは予想外にも藍の方だった。
「……いいわ。今回は身を引いてあげる。いちおう今日はめでたい日だもの。肉親の血の
匂いを漂わせるのも可哀想だわ」
「素直におっしゃってくださってよいのですぞ。妾に負けた、と」
「くっ! 藍をコケにしたこと、いつかその身をもって後悔させてやるから覚えてなさい!」
 心臓の鼓動すら止めかねない冷たく、鋭い視線を恵に向けると、そんな捨て台詞を吐い
て藍は出てきた部屋に消えていった。
 板チョコのような扉がけたたましい音を立てて閉まる。
「ふぅ〜」
 一気に緊張が解けて俺はその場に腰を下ろした。
「なんじゃ、情けないのう」
「あのな、銃で4発も撃たれたんだぞ? 4発だぞ? 誰だってこうなるってんだよ」
「ふむ。ならば問おう。4発も銃弾を浴びてなぜ死んでおらんのじゃ?」
「これのおかげだよ」
 俺は穴の開いたタキシードを脱ぎ捨て、中に着込んでいた物を恵――正確にはゴウリキ
の足下に放り投げた。
「なるほど。防弾チョッキか。棗姉が勧めたのじゃな」
「まあな」
 これを渡されたときは絶対に必要ないと思ってたが。穴の開いた防弾チョッキ。そこか
ら中の鉄板が見え隠れしている。
―― もしこれがなかったら俺は確実に死んでたな
 付けてなかった場合を想像して背筋がゾクッとした。
「ったく。あんな殺人狂は戦場にでも送っちまえ。さぞかし驚異的な戦果をあげてくれる
だろうさ」
「まあそう言うでない。きっと藍姉も気が立っておったのじゃろう。どうやら今日は旦那
殿がご一緒にこれなんだようじゃからな」
「は?」
 あまりにも信じられない内容に俺は自分の耳を疑った。
「だから旦那殿じゃ」
「ちょ、ちょっと待て」
 冷静になって俺は恵の言葉を頭の中で反芻してみた。
 旦那殿。
―― つ、つまりだ。平気で人を殺すような女が結婚してるってことか?!
 今日までの人生で最大の驚愕だった。
「ち、ちなみによ。その旦那ってのはどんなヤツなんだ?」
 そう聞きつつも俺は頭の中では筋肉ムキムキのいかにもソルジャーな男を想像していた。
「どこにでもいる普通の御仁だぞ。いや、普通よりもややひ弱そうなお方じゃな」
 ますます残忍長女に旦那有りの事実が信じられなくなった。
―― あの女の相手をひ弱な野郎に務まると思うか?
 あの残忍長女を知っているヤツならば誰もが思うはずだ。
「すんげえ会ってみたいんだが」
「残念じゃが今日は無理じゃろう。とはいえ、いずれお主と旦那殿は出会う。お主が姉上
の世話係をしているならば、いつかな」
「次の機会を待てってことか」
 俺の言葉に恵はその小さな顔を頷かせた。
「さてっと、どうすっかな」
 立ち上がって一度大きく全身を伸ばす。
「妾と一緒に行かぬか?どうせ行き先は同じであろう」
「けど棗のヤツに戻ってくるよう言われてるんだよな〜」
「何かあれば妾が無理矢理に連れて行ったと言えばよい。姉上は毎日お主と話せるが妾は
違うからのう。今回は姉上に我慢してもらおう。さ、行こうぞ」
 恵の声にあわせてゴウリキが踵を返した。
「ま、いいか」
 多少のポイント減を覚悟しつつ俺も後に続いた。
「して、ここのところどうじゃな?」
「ああ。ここんところ死にかけてばかりだ。ついこの間は毒を打たれて死の淵を彷徨った
ぞ。ま、今はこのとおりピンピンしてるが、ありゃヤバかったな」
「ふむ。なかなか波瀾に満ちた生活をしておるようじゃな。まあ、姉上と一緒にいる限り
はそうそう暇な時はなかろう」
 そう言って恵は「ほっほっほ」と笑った。
「うえ〜。勘弁してくれよ」
 小さく項垂れながら俺は呟く。
「なんなら妾の所へ来てみるかえ? 姉上と一緒におるよりは平穏無事に暮らせるぞ」
「いや、遠慮するよ」
 即座に俺は答えた。
 平穏な生活は魅力的だが、もしここでOKなどしようものなら逃げることになる。それは
自分のプライドが許さなかった。
「そうか。だが気が変わったならいつでも来るがよいぞ」
「その時はそうさせてもらうよ。……なあ、俺からも質問いいか?」
「よいぞ。ただし3サイズは答えぬからの」
「当たり前だっての。ロリコンじゃねえんだから小学生の3サイズなんざに興味はねえ
よ! そういやこの前の時も言ってたな。ませすぎも大概にしろ」
「ほむ。妾としては同世代のおなご達より発育が良いと思うのじゃなが……まあよい。し
て、妾に質問とはなんじゃ?」
「それだよ、それ」
 俺は恵が手にしている弓を指さす。
「よくも銃だけをピンポイントで狙えたよな。やっぱ長いこと習ってんのか?」
「基本はそうじゃが、それ以後は独学じゃよ。妾は古いものが好きで、特に武士が好きな
のじゃ。現在放送されておる時代劇は全て生で見ておるぞ。もちろん録画も忘れんし、邸
には時代劇ものの書物を集めた図書館もある。弓はテレビや書物を読んでいたら自分も彼
らのようになりたいと思うようになって4歳から始めた。もちろん最初は下手であったが
今ではこの通りだ。本当は刀を使いたかったのじゃが、どうしても刀は使えんかった」
「何でだ?」
「妾の体格にあった刀といえどあれは重すぎるのじゃよ」
「なるほど」
 俺は納得しながら頷いた。
 時代劇じゃ楽々振り回してるがあれは偽物。本物はもっとずっしりと重いらしい。小柄
な体に細い腕、華奢な恵に刀を持てるような腕力があるには見えなかった。
 逆に弓は軽いし、矢を射るのも腕力はあまり必要としないと聞く。
―― 確かテレビかなんかで力よりも型が大事とかなんだとか言ってたしな
 それに加えて覚えるのが早い子供だから上達も早かったのだろう。
「目標は40m先にいるハエを撃ち抜くことじゃ」
 不敵に笑って恵が弓を構えた。
「いくらなんでも無理だっての!」
 迷わず俺はツッコンだ。
 それからしばらく他愛もない会話を続ける内に今日の目的地へとたどり着いていた。

「さて、準備は良いか?中ではきっとお祖父様がいらっしゃる。世界を動かすほどの人物
じゃから粗相のないようにな」
 恵の言葉に俺は一度深呼吸してから頷いた。
「よし。ゴウリキ、開けよ」
 2メートルを越す巨人が無駄にデカイ扉を押し開く。
 その先には、
「ふんふんふんふんふんふん!!」
 なぜか筋骨隆々な初老の男が親指一本で腕立て伏せをしていやがった。
「………」
 予想もできなかった光景と漂う汗くささに俺は言葉を失う。
「相変わらず精進しておいでですな、お祖父様」
「ん? お〜恵ではないか。久しぶりだの〜」
 恵の言葉を聞いてそいつは立ち上がる。
「紹介しよう。妾の祖父にして法光院財閥の会長・法光院神(じん)その人じゃ!」
「……」
 ゆっくりと顔を上げる。

 身長は178ある俺よりも頭ひとつほど高い。

 法光院神。

 世界を動かす大物は、大物と呼ぶに相応しい身の丈の持ち主であった。

 だからだろうか俺の口は自然と次の言葉を吐いた。
「デカ!」
 と。

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