第十七話「出発は突然に」

 朝。

 息苦しさに目を覚ますと俺は宙に浮いていた。
 否。
 首をわしづかみされて持ち上げられてたんだ。
「おはようございます〜」
 ニッコリと笑って俺をわしづかみしてる奴――暗部メイド隊の玲子が挨拶してくる。暗
部ってのは暗殺もできるメイド部隊の略称らしい。らしいってのは訊いても答えてくれね
えから俺がそう思ってるだけだ。
 とはいえ、笑いながら俺を片手で持ち上げる腕力や瞬時に姿を消す特技を考えると案外
的外れじゃねえのかもしれない。
 そんなことよりも……。
―― く、苦しい……
 持ち上げられる=首を締められるであり、締められれば息が出来なくて……ち〜ん。
―― 死んでたまるか!!
 俺は玲子に向かって何度も蹴りを繰り出す。
「あらあら〜元気元気〜。どうやらお目覚めのようね〜」
 玲子は蹴りを易々とかわして俺を解放した。大きく何度も息を吸い込んで事なきを得る。
「て、てめ〜! 俺を殺す――」
 それ以上は言葉を発することができなかった。
―― 棗にあの脅し方教えたのこいつだな
 心の中で悪態をつく。
 微笑みを絶やさず玲子が手にした自動小銃を俺の眉間に向けていた。
「お嬢様が目を覚ましてしまうから、大声で喋らないでね〜。でないと〜こ・ろ・し・ち
ゃ・う・ぞ♪」
 そう言って軽くウインクする。ゾクッ、と頭からつま先へに向かって寒気が縦断してい
った。
―― こいつが言うと棗以上に洒落にならねえ
 わかったと伝えるために俺は小さく何度も頷いた。
「けどよ、俺がこんな早く起きる意味あんのか?」
 時計をみればまだ午前5時。まだ太陽が顔を出す前の時間帯だった。起きているのは新
聞配達の人か早番のサラリーマンとかで、俺と同い年のヤツはそうそう起きている時間帯
じゃない。
 あ、新聞奨学生の生徒は起きているか。
「お嬢様に仕える者は必ず〜お嬢様よりも早く目覚め〜、すぐに与えられた命令を実行で
きるよう準備を〜」
「いや、それはもういい。聞き飽きた」
 一月以上、毎日聞かされれば耳にタコだ。
―― というか、棗が起きてもいねえのに仕事があるはずもねえし
 反論したくとも、それを言うとマジで引き金を引かれかねないので黙っておく。
「わかっているなら結構で〜す。くれぐれも〜……二度寝などしませぬよう。わたしとて
引き金は無性に引きた……ごほん、引きたくはありませんから。それでは〜」
 笑顔で手を振っていた玲子が忽然と姿を消す。
「はぁ〜〜」
 目覚めて早々寿命が縮まされた俺は大きくため息をもらした。

「今日、本家の方へ参ります」
 食堂へ向かう途中、不意に立ち止まって棗が言った。
「はいはい。どこへでも逝ってこい」
 俺は手をひらつかせながらそう答えた。
―― となるとこいつがいない間は昼寝ができるか……
 余暇の予定を頭の中で立てる。
「何を言っているの?彩樹もいくのよ」
「そうかそうか俺もか……って、何でだよ。俺の必要性がひとつも考えつかねえぞ」
「いかなければマイナス1万ポイントです」
「こ、こいつは……くそっ、わかったよ! ……足下みやがって〜」
 最後は小声で呟きながら俺は気づかれぬよう拳をふるわせた。
「それに伴って……玲子、アレを」
「ここに」
 忽然と現れたメイド女が手にしていた物を棗に差し出した。
「貴方にはこれの着用を命じます」
 メイド女から受け取ったソレを俺に渡してくる。
「……そこまでにアレな場所なのか? つうかお前の実家って日本にあるんだよな?」
「日本であって日本でない場所。それが本家です。本家の中で起きた事件は本家が裁を下
す。それが本家敷地内の絶対法律であり、故に法光院の者が犯す罪はたとえ殺人であろう
とも全て不問になります。逆に他者が罪を犯した場合は即死に繋がることも………時々あ
るのです。他にも罪人を裁く弾丸が間違って無関係の者を永眠させることが……」
「いや、いい。もう何もいうな」
 俺は言葉を紡ごうとする棗の口を手で塞いだ。それ以上聞くと本気で怖くて行けなくな
る。そして、気になった。
―― お前は誰かを永眠させたことはないのか?
 と。
 じっと見ていると、急に俺を見ていた棗の顔が険しいものになる。
「言っておきますが私はこれまでの人生で誰ひとりの命の火を消した事はありません」
 俺の手を払って棗が不機嫌極まりない声で言う。
「そ、そうか」
 安堵の息と共に俺はそう答えた。
―― なんで安心してんだよ、俺。
 自分自身その理由がわからなかったが、きっと自分の身の安全が保障されたからだろう
と納得しておく。
「彩樹が私をそのように思っていたなんて……少し………傷つきました」
 棗にジトっとした目で睨まれる。
「あ、いや――」
「ふん」
 謝る間もなく棗は食堂の中へ入ってしまうもすぐに戻ってきて、
「とりあえず、姉には気を付けなさい」
「ああ〜恵が言ってた残忍長女か。ならコレも必要になるかもしれねえな」
 もう一度俺は渡されたモノを見た。
「もし寒気を感じたなら殺られる前に殺るか、もしくは逃げなさい。迷いは即、死に繋が
ると言っても過言ではありません。良いですね?」
 言ってる事は冗談じみていたが、棗の顔は至って真面目だ。その顔が冗談を言っている
のではないことを物語っている。
「本当に殺られそうになったら殺ってもいいのか?」
「殺れるならどうぞおやりなさい」
 ひとつ頷き、棗は食堂の中に消えていった。言葉の意味から察するに俺では無理ってこ
とだろう。
―― 考えてみりゃ長女にだって玲子のようなメイド女が護衛に付いてるか。
 結果的に長女と出会ったら逃げろ。でなければ生命の危機。心臓の鼓動を停止させられ
る可能性が高いということだ。
「うあ〜、行きたくね〜」
 俺はひとり嘆く。
 気分はもう歯医者に行きたくない子供の心境だ。もし長女と遭遇したらどうなるか……
考えただけで体が震えた。
―― 今日が俺の命日になるかもしれん。
 そう思わずにはいられなかった。

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