第百壱話「第一の壁 其の参」

「……ひとつ聞くけどさ、キミってそっちの趣味があるの?」
 提案した決着方法を聞いた火守はこちらの予想通りの問いを投げてきた。
「いやいや、これっぽっちもねぇから。受け攻めで言うなら攻め希望だから」
「なら正気? ハッキリ言ってキミに勝ち目なんて万が一にもないと思うんだけど」
「何事もやってみなきゃわからないってもんだ」
 そう肩をすくめて答える俺を見て火守は眼を細めた。
 あまりにも火守有利な決着方法を提案した俺の意図がわからないといった所だろう。
 まぁ、わからないでもない。
 『俺は一切攻撃せずに防御に徹する。俺がお前に攻撃するか、転倒、もしくは手か膝を床に
つけたら俺の負け、条件を見たさなけりゃ俺の勝ち。制限時間は日没まで。あと攻撃可能箇所
は顔面と金的は除く』なんて提案だ。
 男を信じない火守にとっては裏があるとしか思えないのも無理はない。
 だが、これ以外に俺が勝つ方法はこれしか考えつかなかった。
 相手は鍛えられた男を病院送りにする実力を持っている。つまりは攻撃力も、それに見合う
技術もあるということになる。攻撃したところですぐに見切られ、カウンターでノックアウト
される展開になるだけだろう。となれば防御に徹する方が勝算はあるというものだ。
 それと女を殴りたくないというのも条件の理由のひとつ。但し、火守が殴っても良しと思え
るほど嫌な女じゃなかった場合だけだったが。
 ちなみに顔面を除外させたのは棗に今回の決闘がバレないようにするためだ。仮にバレてい
たとしても傷という理由を見つけなけりゃ追求はしてこないだろう。
「で、勝負するのか、それともしないのか?」
「いいよ。その条件で勝負してあげる。3分以内にキミが敗北者になるのは決まってるし」
 火守は鼻で笑って地面を指さす。
「大した自信だな。あ、当然と言っちゃ当然だが、メイド女には手出しさせるなよ」
「当たり前でしょ。勝負と言ったらタイマンが基本だよ」
「へぇ〜。気が合うな。その考え方は好きだぜ」
 何とも正々堂々とした考えに、俺は自然とそう返していた。
「好意は嬉しいけど、勝負じゃ手加減しないからよろしく」
「勝負に手加減無用ってのが俺の信条」
「そ。んで、そっちは準備いいの? 着替える時間くらいは待ってあげるけど?」
「これでいい。今の俺にとっての仕事着であり、戦闘服はこれなんでな」
 俺は目線を火守の目に合わせて身構えた。
「あっそ。そんじゃ始めよっか。ジャッジは茜がやるって事でいい?」
 やや腰を落とした構えのまま、火守は入り口付近に立っていたメイド女を指さした。
「オーケーだ」
 主である火守が卑怯を嫌っている事を知り、そして敵である俺に助言してくる点から信用し
ても良いだろう。
「んじゃ……勝負開始!」
 開始を宣言するや火守は間合いを詰めてきた。
 右拳は脇の下、左拳はみぞおちの付近にある。今からそこを打ち抜くぞと宣言しているのだ
ろう。目線を上げれば余裕の笑みを浮かべる火守がいた。
 俺は慌てず、威力を確かめるためにあえて繰り出された右拳を左腕で受ける。
「ぐっ!」
 予想以上の威力にうめき声を止める事はできなかった。
 続けて繰り出された左拳を後ろに跳んで避けると火守と距離をあけた。
 距離が空いたところで構えを説いて左腕をさする。打ち抜かれた箇所は鈍い痛みが広がり、
熱を持っていた。メリケンサックをつけたままであれば間違いなく骨を砕かれていたはずだ。
 防御を固めて時間を稼ぐという作戦はあまりにも無謀と結論づけて頭から消し去った。
「やれやれ、ここにいる連中はどいつもこいつも……」
 病院送りの噂が事実であることを改めて認識し、強敵との戦いに若干辟易する。
「どう? あたしの拳の威力。日没まで受けきってたら五体満足じゃいられないよ。早めに降
参する方がキミの為だと思うけど?」
「敗北がそもそも俺のために……って、そういや勝敗の方法は決めたが勝者には何が進呈され
るか決めてなかったな」
「あぁ、そういえば決めてなかったっけ。んじゃ、こっちの望みはキミが法光院さんとの関係
を破棄してもらうこと。そっちは?」
「俺の言う事を何でも1個聞くってのは?」
「いいわよ」
 迷うことなく、あっけらかんとした感じに火守は言った。
「えらく気前がいいな。『何でも』だぞ。お前の一生を左右するかもしんねぇぞ〜」
「だ〜か〜らいいわよ。キミとあたしの戦力差、勝率から換算しても妥当だと思うし」
「……どれだけ低いんだよ、俺の勝率」
 火守の自信に充ち満ちた顔に対して乾いた笑い声を返す。
「で、降伏宣言はするの? しないの?」
 それに対する答えは決まっていた。


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