第十話「飯と逃亡と」

 あの後、ゴウリキとかいうヤツは屋敷前に置いてあったハーレーに乗り込んで外に脱走
しやがったのだが……。
「あむあむあむ」
 幸せそうにチーズバーガーを頬張るガキ――法光院恵(ほうこういんけい)。
―― 別に俺はいいんだが逃げないのだろうか?
 屋敷を破壊されてあの棗が黙っているはずがない。間違いなく俺たちがここにいる事は
バレているはずだ。
「何をしておる。食べよ。遠慮はいらぬぞ。それはいわば料金の前払いじゃからな」
 そう言って恵はテーブルの上にある山盛りのハンバーガーを投げてくる。
 久しぶりの感触。封を開けて久しぶりに嗅ぐ匂いに俺は感動した。
 そして、かぶりつく。
「くぅ〜〜。やっぱカップ麺よりうめ〜!」
「……よほど貧相な食事しかしとらんとみえる」
 ハンバーガーを貪り食う俺に、恵が哀れみを帯びた視線を向けてくる。
「ま、まあな」
 今朝までずっとカップ麺ばかりだったし。
―― 欲を言えばご飯ものがよかったが背に腹はかえられないか
 そう思いながら10個のバーガーを食べ尽くしたところで、
「そういやさっきのデカ物はどうした?」
「ゴウリキか? この中では周囲の目を引くので外で待機させた」
「いや、きっと外でも目を引いてるぞ」
 何せ2メートルを超える巨体であの強面だしな。下手したら警察呼ばれてるんじゃねえ
だろうか。
「気にするでない。気にしたときが妾達の負けだ。法光院の姓をもつ者に敗北は許されぬ
ので妾は気にせぬぞ」
 そう言う恵を少しばかり観察する。
 そういえば以前に記憶した棗百科事典のデータに『恵』という名があった事を思い出す。
もちろん妹という分類で、だ。分類以外には何も書かれていなかった。
 とはいえあの棗の表情と声から見て仲は悪い。とてつもなく。理由は棗百科事典に書い
てはいなかったのでわからない。
―― 好都合だ。聞いてみるか
 今しかチャンスはないだろうと思い、
「なあひとつ聞きたいんだが」
「妾に質問とな? 3サイズなどは答えぬぞ」
「聞きたくもないから安心しろ。お前と棗のことだよ」
 俺の言葉に、それまで明るかった恵の表情が何かに覆い尽くされたかのようになくなっ
た。
「姉上と妾か」
「仲悪いのか?」
「そうじゃ。なにせ姉上は……敵じゃからな」
「姉妹だろ」
「先ほども申したが法光院の姓を持つ者に敗北は許されぬが掟。たとえ相手が姉妹であろ
うともじゃ。その妾に敗北を与え、さらに情けをかけて敗北を取り消した姉上……いつか
その事を後悔させてやるわ」
 子供とは思えないほど冷たく暗い残忍とも言える表情を浮かべる。
―― 歪んでやがる。
 心の中で俺は吐き捨てた。
「さて、お主の質問に答えてやったのだから妾の質問にも答えてもらおうか」
 表情を年相応に戻した恵が顔を近づけてくる。
「質問?」
「どうやって姉上の心を鷲掴みにしおった? 姉上は父上や母上だけではなくお祖父様の
命令ですら断って奴隷を買わなんだ。それだというのに今になってお前を買った。今では
法光院中……姉上を知る者たち全てがその理由は何だと様々な論争を繰り広げておるわ。
さあ、答えるがよい」
「知らねえ」
 俺は多少声を荒くして即答した。
―― こっちが聞きたいくらいだ。
 しかし恵は俺の答えが気に入らなかったらしい。
「嘘を言うでない。何かしたのであろう? 姉上の純潔でも奪ったのか? それとも弱み
を握ったのか? 素直に吐露するのじゃ」
 まるで取り調べた。
 俺を買った理由が棗の弱みになるとでも思っているのだろう。それを使って棗に勝ちた
いというわけか。
―― 胸くそ悪い
 もはや俺は我慢の限界だった。
「さあ言わねば――」
「いい加減にしろ! 知らねえもんは知らねえ! 知りたきゃ本人に聞け! 姉妹だろう
が! 血が繋がってるんだろうが! 法光院の掟? 知るか! 家族はお互い助け合うも
んだ! 家族万歳だっつの! あ〜でも俺はクソ親父は大嫌えだぞ! つうかガキはガキ
らしくしろ!って、何だかムカつき過ぎて何言ってるか自分でもわかんねー!」
「……」
 恵は目を丸くして頭を抱える俺を見ていた。
 まあ、驚くのも無理はないか。それとも何を言っているのか理解に苦しんでいるのかも
しれない。自分自身何言ったか忘れたし。
「とにかく! 俺は何も知らねえから言うつもりはねえ! 以上!」
 もはや用はないと俺は席を立った。
 こいつといると棗以上に腹が立つ。一緒にいるのはもうごめんだった。
「ま、待たぬか! ゴウリキ! その男を捕まえろ!」
 その言葉の直後、俺は巨大な影に包まれた。
 顔を上げると、2メートルを超える巨体が俺を見下ろし、スイカなんざ軽く鷲掴みでき
そうなデカイ手をのばしてきた。
―― デカイ癖に速い。その上……。
 他の客もいるので逃げられない。捕まる、そう思ったときだった。
 轟音。ガラスの割れる音と客の悲鳴。
 何が起こったのか理解できない俺に、更に信じられない光景が飛び込んできた。
―― 浮いた?
 2メートルの巨体が微かにだが浮いていた。そして、そのまま俺の方へ倒れ込んでくる。
慌てて横に跳んで避けた。
「な、何だ?」
「やはり的が大きいと狙いやすいわね」
 もはや聞き慣れた声。顔を向けると案の定棗が、予想以上にごつい軽機関銃2丁を両腕
抱えて店の外に立っていた。
―― あれをぶっぱなしたのか。
 周囲の迷惑を考えない棗らしい行動に俺は額を押さえた。
「この馬鹿! もしこいつ以外に当たってたらどうすんだよ!」
「ゴム弾なのだから死にはしません。負傷した場合はきちんと慰謝料は払います。もちろ
んこの店にも損害分のお金を支払いますよ」
「そういう問題じゃなくてだな……。あのさ、お前はもうちっと穏便に済ませようとは思
わないのかよ?」
「思っていますから私単独で来たのです。本来なら戦車隊と精鋭を揃えて一気に殲滅する
ところですね。さて、そんな話よりも……恵」
 視線を向けられた恵はびくりと身を震わせた。顔には恐怖がありありと浮かぶ。
「私の"モノ"に手を出したのですから……わかっていますね?」
 ゆっくり気品さえ漂わせつつ店に入る棗。思わずお前のモノじゃねえよ、とツッコミた
くなったが雰囲気のせいかできなかった。
「あ、ああ……」
 怖くて動けないのか恵は震えているだけだ。そんな無抵抗な子供に、棗は酷薄な笑みを
浮かべながら銃口を向ける。
「呪うなら姉であるこの私のモノに手を出した己の愚かさを呪いなさいね。さようなら…
…そして、ごきげんよう」
 微塵も躊躇うことなく棗が引き金を引く。
「って、ちょっと待てーーーい!」
 前に俺は転がっていたトレイで棗の側頭部をぶん殴った。店内にこ気味よい音が鳴る。
「いきなり何をするの!」
「そりゃこっちの台詞だ! 妹に躊躇いもなく銃弾浴びせようとすんじゃねえよ!」
「ゴム弾だと言ったはずです。痛くてもがき苦しんでも死ぬことはありません」
「痛がる妹を想像して何も思わないのかよ!」
「ざまあみろ、と思いますわね」
 俺は躊躇いなくもう一度トレイで殴った。
「い、一度ならず二度までも私の頭を殴るなんて……」
「殴られて当然のことをしてるんだよ、お前は! いくら嫌いな妹だからって銃を向ける
のはやめろ! 良心ってものがお前の心には組み込まれてねえのか!」
「うるさいわね。私たち姉妹の事に世話係である貴方が口出ししないでちょうだい」
 駄目だ。頭に血が上ってるのか冷静な判断ができてないらしい。
―― こうなったら使うか……子供だましを
 俺は注文カウンターを指差し、
「おい見ろ! この店には牧場直輸入の濃厚な牛乳で作ったソフトクリームがあるそうだ
ぞ!」
「なんですって?!」
 驚愕と喜びに満ちた顔をカウンターに向ける棗。
―― うあ。疑わねえとは……まあこっちには好都合だ。
 その隙に俺は震えている恵を小脇に抱えて店を飛び出した。
 少しして背後から、
「そんなのないじゃない! 私に嘘を吐けばどうなるかわかっていますの!」
「知るか! 120円のカップアイスでも食って頭冷やしやがれ!」
 ぶつけられた罵声にそう答え、俺は街中へと全力で走りぬけた。
―― ああ、後が怖え〜

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