第十一話「1%の感謝を」

 で、行き着いた先はデパートの屋上。
 小さなゲーム筐体、懐かしい鬼にボールをぶつけるゲーム、トランポリン、メルヘンゴ
ーカート(足下のスイッチを踏むと動き出すアレ)などで家族連れの子供達が遊んでいた。
 それらを少し見てから隣を見る。
「ひぐ……ひぐ……」
 10分たっても恵は泣き止まなかった。
―― どうすりゃ泣き止むんだよ。
 子供のあやしかたなど知らない俺は困り果てていた。
 周囲からは冷たい視線を向けられるし……帰ったら棗のヤツに何をされるかわかったも
んじゃねえし…。
―― 俺には平和にのんびり過ごす時間は訪れないのかよ
 気が滅入ってきた。
「うう。ひぐ……」
「いつまでも泣いてんじゃねえよ。自業自得だろうが」
「わ、わかっておるわ。し、しかしあの姉上の顔を思い出すと……うあ〜〜〜ん!」
 周囲から向けられる視線などお構いなしに恵が大声で泣き出す。
―― やれやれ。やっぱガキはガキってことか。
 それはそれでまだ救いようがある証だ。
 とりあえず俺は、
「ほら落ち着け。もうあの怖い怖い冷徹女はこない」
 心が落ち着くよう優しく頭を撫でてやった。
 これしか思いつかなかったが、効果があったのか恵は泣くのをやめた。
「嘘じゃ。法光院の力を使えば妾の居所なぞ数秒で知ることができる。きっと今頃は狩り
の準備でもしておる頃じゃろう。こうなれば妾も応援を呼ぶ――いや、間に合うまい。こ
の場にいる連中は姉上の手の者かもしれんしな」
「ホント、お前ら歪んでるな。やっぱ他の二人もそうなのか?」
「一番上の姉上・藍姉様は棗姉よりも残忍じゃな。笑顔で相手を殺すタイプよ。とはいえ
それを表には出さぬから周囲からの人気は高い。一番下の瑛はまだ2歳じゃから何も知ら
ぬ無垢な天使といえる。じきに堕天使となるのは明白であるがのう」
「ふ〜ん。まあ、何だ……あいつは、棗はまだ優しい部分が残ってると思うぞ」
 自分で言って疑問をもったが気にしないことにした。
「奴隷としての義務でそういうのかえ?」

「アホ。俺なりに考えてみてそう思っただけだ。もし残忍な長女様なら実弾使っただろう
し、単独で来ないで集団で来るか、最悪俺やお前、客もろとも爆弾か何かでふっとばし
たんじゃねえのか?」
「藍姉様であればありえるのう」
 泣き顔のまま恵は小さく笑った。
―― ありえるのか。
 人間として最低な女だなと長女の情報に付け加える。
「だが棗のヤツはしなかった。まだお前を可愛い妹と思ってる所があるってことだろ。そ
もそも敗北を情けで帳消しにしたとかお前が言ってたじゃねえか」
「う、うむ……」
「だから、長女はどうか知らないが棗はまだお前の事を少しは可愛い妹と思ってるってこ
とだ」
「お主は姉上の事をよく理解しておるの」
「いや、実際はどうだか知らねえよ。もしかしたら今頃お前の言うように狩りの準備を―
―って冗談だから泣くなよ」
 再び泣き出した恵の頭を何度も撫でる。
―― 保育園や小学校低学年の教師の苦労を垣間見た気がする
 今度は泣き止むまで20分かかりやがった。
「とりあえず迎えを呼んで家に帰れ。棗の方は俺がなんとかしてやる」
「うむ」
 こくりと頷き、恵はスカートのポケットから携帯電話を取り出した。手馴れたものでメ
モリーを呼び出し、通話ボタンを押すと耳に当てる。
「メイコか? 妾だ。いま棗姉上の屋敷近くにあるITデパートの屋上におるから迎えに
きてほしいのじゃ。ゴウリキか? ヤツはちと騒ぎに巻き込まれての。近くのバーガー屋
で寝ころんでいると思う。後で回収してほしい。そうじゃ……待っておるぞ」
「迎えは来るのか?」
「うむ。超特急で来ると申していた」
「んじゃ、のんびり空でも眺めて待つか」
 ベンチに寄りかかって俺は空を見上げた。隣の恵も同じように空を見上げる。
「……青いな」
「うむ。思えば空を見上げたのは久々じゃ。いつもは何も思わなんだが……今日は綺麗に
見えおる」
「ふ〜ん」
 雲一つない青い空。
―― 確かに綺麗だな
 などと思っていると、遠くの方から飛行機のジェットエンジン音が聞こえてきた。
―― あ〜ここ屋上だからうるさそうだな〜
 音はどんどん近くなってきて……。青い空に忽然と現れた機影は耳が痛くなるほどの爆
音を発しながら頭上で停止した。
「おいおいおい――」
 俺の声は依然として発せられる爆音によってかき消されてしまう。
「………マジかよ」
 今日だけでいったい何度驚かされてるだろうな、と心の隅で思う。棗の妹の出現、ゴウ
リキとかいう巨人男、棗のマシンガン乱射……。
 それに加えて……。
「戦闘機かよ!」
 もはや何でもアリだった。
 しかも垂直上昇可能の戦闘機――ハリヤー。今頃自衛隊とかマスコミが大騒ぎしてるん
じゃないだろうか。すでに屋上にいた客は逃げて誰もいない。
―― できることなら俺も一目散に逃げたいところだ
 やってきたハリヤーは子供用のメルヘンゴーカートを走らせる場所に静止すると、ゆっ
くり着地した。するとハッチが開いて中から着物を着た女が出てくる。俺、というより恵
に向けて頭を下げた。
「……何とも場違いな格好してやがるな。パイロットスーツ着ないのかよ」
「何をいうか。あれが妾の召使い達の正装じゃぞ。ゴウリキはボデーガード故にああいう
洋モノの格好をさせておるが本来なら武士の格好にしたかったのう」
「さいですか」
「では、妾は帰る。と、とりあえず世話になった。礼を言うぞ」
 差し出された小さな手と握手をかわす。
「気にするな。こっちは久しぶりにカップ麺以外の飯を食わせてもらったからおあいこだ
ろ」
「そうか。……姉上は良い奴隷を見つけたのじゃな」
「ああ〜、そういや言い忘れてたが俺はあいつの奴隷じゃなくて"世話係"だ。服従なんざ
これっぽっちも誓ってねえから」
「ほほ〜」
 急に恵が意味深げな笑みをこぼした。
「何だよ?」
「いや……少し、な」
 恵は俺の疑問に何とも気になる答えを返してコックピットに乗り込む。耳を塞ぐほどの
ジェットエンジンの音。ゆっくりと上昇した機体は、次の瞬間には爆発的速度を得て小さ
くなっていた。
「あ〜〜〜〜疲れた」
 機体が見えなくなった所で大きく息を吐き、俺は急に痒くなった頭をかきながら屋上を
後にすることにした。
―― このままここにいたら色々と面倒だしな
 これ以上の厄介事はもうこりごりだ。そう思い、踵を返して階段を下りようとした所で、
「ごくろうさま」
 背後からの声。振り返らずとも誰かはわかる。
「いつからいたんだよ」
「『あいつは…棗はまだ優しい部分が残ってると思うぞ』の辺りからです」
 そんじゃほとんど最初からだ。
―― 全部聞かれたか
 そう思うと急に恥ずかしくなってきた。俺はスタスタと階段を下りる。
―― こういうときは逃げるが勝ちだ
 が、俺の行く手を20人ほどのメイド女達が塞いだ。
『この先へ行くのであれば私達を倒していただきましょう』
 20人が見事なまでにハモった。同時に様々な銃の銃口を向けられる。思わず俺は両手
を上げてしまった。
「恥ずかしがらなくてもいいのよ」
「んなわけあるか!」
「嘘でございます。彼の顔は赤100%になっております」
 俺の顔を見たメイド女のひとり・玲子が口元をニヤリと引いた。
「う、うっせえよ! それよりも、お前はあいつをどうするつもりなんだ?」
 後ろを振り返り、壁に寄りかかって両腕を組んでいた棗を見る。
「そうですね。本来なら私のモノに手を出した罰を与えるのですが……今日は気分がいい
のでなかったことにしましょう」
「それがいいな。つうかそれが普通だ」
「それと貴方の食事も少しは良いモノにしてあげます。特別サービスを与える女神のよう
な私の温情に感謝しなさい」
「はいはい、あんがとさん。ようやくカップ麺の生活から脱出できるのか」
 今日一番の吉報だった。
 隣に棗が並ぶ。
「彩樹、貴方に1%の感謝を」
 その言葉を残して棗はメイド達を引き連れ階下に消えていった。
「1%……ね」
 何ともあいつらしい表現に俺は笑った。

 後日、2通の手紙が届いた。差出人は法光院恵。
「何だって?」
「謝罪と……宣戦布告が書いてありましたわ。あの子らしい」
 そういう棗の顔はこの前と違って暖かみのある微笑を浮かべていた。
「それとこれは貴方にだそうよ」
 もう一通の方を渡される。
 それには、
『先日は世話になった。得た情報によればお主は姉上と勝負をして、しかも何度か"敗北"
を与えるというではないか。その調子で勝ち続け、姉上の元から解放されるがよい。2年
というならば妾は丁度10になる。法光院の者が奴隷を持つことを許されるのはまさに1
0になったとき。これはもはや運命であろう。故に、解放された暁には妾の奴隷にしてや
るので喜ぶがよい。そのときを心待ちにしておるぞ。
 追記――地図を同封しておく。暇があれば妾の屋敷に遊びに来るがよい。歓迎するぞ』
とあった。
 喜ぶべきか喜ばざるべきか複雑な手紙に、
―― 9割がた喜べねえ
 顔を引きつらせたまま手紙を見ている俺に向かって棗がこう呟いた。
「すけこまし」
―― ガキに興味はねえっての。光源氏じゃあるまいし。
 こうして、せっかくの休日は珍入者の所為でおしゃかとなったわけだ。
―― ……休みて〜

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