番外編「天国と地獄」

 かぽーーーん。
 壁一枚。正確にはガラス一枚向こうで桶の置く音が響く。間を置かずして水音。さて、ここはどこだかというと
……脱衣所だったりする。
―― つまり壁、ガラスの向こうは風呂場であって、そこにいる棗は当然はだ……
 うっかり想像してしまい数秒の思考停止に陥る。さすがにX指定な妄想は脳への過負荷が強すぎた。
「っていうかよ〜何で俺がここにいるんだ?」
 ため息ひとつもらしてから、現状に対する疑問を声に出す。
 と、
「万が一にも裸で無防備な私を襲おうという不届き者が現れるかもしれません。世話係として、何より決縁者とし
て護るのは当然の事よ」
 俺の声が聞こえたらしくガラスの向こうから棗が答えた。
「俺が護らんでもメイド女達がいるだろうが」
「脱衣所までなら玲子達は必死に護るでしょう。けれど、浴室の中へはやってきません」
「何でだよ」
「そう命令したからです。もう彩樹以外に肌を見せたくないもの。だって、私は貴方のものだものね。貴方もその方
がいいでしょう?」
 その言葉に顔が勝手に熱くなった。が、すぐさま感じた無数の殺気に熱くなった顔は冷めていく。
 殺気はひとつじゃない。少なくても10以上。発生源は考えるまでもなく暗部メイドの連中だろう。
 しかし、姿はまったく見えない。見えないのに存在している。だから怖い。
 ここは嬉恥ずかしドキドキな脱衣所に非ず。
―― 嗚呼、俺は餓えた狼達の檻の中にいるんだっけな〜。
 生きた心地がしなかった。
 さらに、
「そうだわ。どうせなら一緒に入りましょう。一度お互いの素肌を見合っておくのも良いと思うの。今後の為に
も名案だと思わない?」
 狼達の殺意を膨れ上がらせる棗の発言。

『ハァハァ……ハァハァ……』

 聞こえる。微かにだが複数の息遣いが聞こえる。普段なら聞こえない息遣いが聞こえるってことはつまり……。
―― その事に気づかないほど興奮してるってことか。
 きっと間違いなく各々の武器を手に俺を睨み付けていることだろう。
「沈黙は肯定とみなすけれどいいのね?」
「い、いやいやいやいや遠慮するぞ。うん。ほら、何だ、その、まだそういうのは早すぎるって思わないか?」
「思いません。むしろ遅いと思っています」
「その根拠は?」
「私達はすでに両思いです。愛し合ってるのだから当然の行為でしょう。だ、だから、私がいいたいのは……その、
あ、彩樹ともっと愛を深めたいと……ああ、もう! 何を言わせるの! こういう事は貴方から言うのが普通で
しょう!」
 中からばっしゃ〜んと水を叩いた音が響く。恥ずかしさのあまり半狂乱したらしい。かくいう俺は恥ずかしすぎ
て固まってしまっていた。

 と。
『聞こえてきます。室峰彩樹氏の邪なる心の声が……ああ、そんなことを!? 何てはしたない!』

『許せない……許さない……お嬢様を……私達のお嬢様を……』

『こ〜ろ〜し〜た〜い〜』

『ワタシの幸運を中和している不幸グッズで彼の者に不幸を……』

『ああ、この腕にずっしりと存在感を示すガトリングガンの"ガンちゃん"が撃って撃ってと囁いて囁いて、思わず
指が動くっしょ』

 どこからともなく聞こえてくる声。

 恥ずかしさは吹っ飛んで全身を恐怖という名の痺れが襲う。
―― このまま棗と関係を深めていくと命が危ういんじゃ……。
 何だか先行き不安だ。
 そんな俺に向かって、
「入るのか入らないのかハッキリなさい!」
 ある意味死刑宣告がぶつけられる。
―― 先……あるかな。
 もはや俺には目を閉じて祈るほかはなかった。

 注意:これは本編で両想いになる前に書いたものです。

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