第一話「奴隷なんざクソくらえ!」

 人生何があるかわからない。

 毎日選択がある。
 それは枝分かれした道によく例えられ、どの道を行くかで未来が決まる。
 その道が良いか悪いか。それは道を選んだ者にしかわからない。
 
 そう、人は選択して己の未来を歩んでいくはずだ。

 そのはずなのに、俺こと室峰彩樹(むろみねあやき)には選択肢すら与えられなかった。

「今日から貴方は私専属の召使……そう、奴隷(イヌ)になったので理解するように」
 目を覚まし、いきなり言われた言葉がそれだった。
―― なんですと?
 予想できるはずもない言葉に思考が一瞬ストップした。
―― そもそもこいつは誰だ?
 妙に高そうなドレスを身に付けた女。年は容姿から勝手に自分より下と判断。人を見下
すような顔が一番印象的でムカついた。
「ふざけんな! 誰が『今日からお前は奴隷だ。せっせと働け』なんて言われて働くかよ!
そもそもここはどこで、どうして俺がここにいるんだ!」
 一番の問題はそこだ。
―― 何で俺はここにいる?
 こうなった原因を見つけるために記憶を巻き戻してみる。

 今朝はいつものように起きた。
 珍しくクソ親父がパジャマ姿だった。滅多にいない父の存在に母さんと妹が喜んでいた
が、親父が嫌いな俺にとっては最悪の朝でしかない。
 席についた俺にあのクソ親父が何かを言った。何か重大なことがあった気がする。なの
に記憶がぼやけて思い出せない。

 思い出せ。思い出せ。

 その声が脳に届いたのか、記憶が鮮明になった。

「お前たちに話がある」
「聞かねえ」
 1秒の間もおかずに俺はそう吐き捨てた。
「父さんの会社が倒産した」
 冷たい風が吹いた。色々な意味で。
「……おい、マジなのか?」
「魔術師だ。主要魔法はFBで、これでソロも安心SWは昨日でレベルマックスにした。今
後FWやFPを主力に――」
「真面目に話をしろ!」
「ふむん。でだ、色々と負債やら何やらで借金がウッハウハだったりする」
 親父の会社はでかくCMも流して好景気だったはずだ。
―― それが一気に倒産? 無理だろ。
 どうせ俺を困らせて喜ぶ算段に違いない。そんな事に付き合っていられるか。
「あっそ。そらようござんしたね。つまんねえ冗談聞く気はねえから、それ以上喋んな」
「しかし安心するんだ。借金を返済し、大金を恵んでくださる善人が神様よろしく降臨な
さった」
 俺の言葉など無視して親父は続ける。もう声すら聞きたくないと思い、俺が席を立った
その時だった。
―― ボンボンッ!!
 いきなりの爆発音と白煙。母さんと妹の悲鳴。状況が理解できない。何も見えない。
「クソ親父! 何だこれは!?」
「すまんな馬鹿息子。家族のために……逝ってくれ!」

 そこで記憶は終わっていた。
―― まさか、誘拐か?
 記憶を何度検証してもそれ以外に考えられない。
「そろそろ頭の整理ができまして?」
「よくもそんな余裕ぶっこいてられるな。はっ。けど、それもここまでだ!」
 ポケットから携帯を取り出す。これで警察を呼べば一気に解決だ。二つ折りの携帯を勢
いよく開き……沈黙。
 一度目を閉じ、擦って、念の為に軽く頭を叩いておく。
 気を取り直してもう一度液晶を見て……沈黙。
 『圏外』
 液晶右上にはアンテナの代わりにそう表示されていた。
「なんでやねん!」
 全国どこでも繋がるが聞いてあきれた。
「無駄なことです。すでに貴方名義て契約している全ての物事を解約しておきました。携
帯電話・ビデオレンタルの会員・図書館カード・郵貯カードその他エトセトラエトセトラ。
そのような訳で携帯電話は使用不可能だと理解なさい」
 嘲笑うかのように目を細めた。いや実際嘲笑っているんだろう。しかも実に楽しげだ。
「とりあえず携帯とかの問題は後回しにしてやる。で、ここはどこなんだよ?」
「私の屋敷であり、家であり、私の部屋ですよ」
「意味わかんねえよ!」
「陳腐な脳みそ積んでますのね。なら正確にかつ細かく説明してあげましょうかしら」
 女は鼻で笑い、一枚の紙をみせた。
『売買契約書』
 タイトルを見た瞬間、全身が震えた。
 それは危険だ。内容を見たら、聞いたら最後だと教えるかのように。
「とも思ったけどやめました。簡潔に言ってあげます。貴方は売られ、私が買いました、
以上」
 うわ。すげぇ簡単。説明は5秒もたたずに終了してしまった。
「って、ちょっと待て。買ったって、そりゃ人身売買だろうが! 犯罪だぞ、犯罪! い
ずれ茶色いコートきたおっさんが手錠振り回しながらやってくるってもんだ」
「来ません」
 自身に満ちた声で女が言う。
「なぜなら国家権力でさえ私の前では無力なのですから」
 悪魔だ。悪女だ。
 いったいどうしたらこんなにも人を見下すような人間に育つ。いや、そんな事は問題じ
ゃない。
「そもそも俺はあのクソ親父の所有物じゃねえ。契約なんて成立するか!」
「あら。なら絶対的自信をもって、衣・食・住やその他諸々の事を全て貴方の力で入手し
てきましたと宣言できまして? 無理、絶対に無理。地球の自転方向が変わるくらいに無
理に決まってますね」
「黙れ!」
「まあ。図星を突かれると今度は声で脅すわけですか。構いませんよ。脅せるものなら脅
して御覧なさい」
 言われるまでもない。こんな弱そうな女なら10秒もかけずに恐怖させてやる自身があ
る。都合よく俺の携帯はカメラ付。素っ裸の写真でも一枚収めればこっちのものだ。
「俺を怒らせたこと後悔しろよ」
 ガキのドレスを掴む、
「もし私に危害を加えれば、その3秒後に貴方のお母上と妹さんは死にます」
 そのまま力任せに引きちぎろうとする寸前で腕を止めた。
「何だそれは?」
「言葉どおりです。貴方が私に危害を加えた場合、即座に貴方のご家族を抹殺するように
命令してある、そう理解すればよいかと」
「は、はは。んな馬鹿な」
「それならこれでいかがでしょうか。……そこの壁破壊」
 俺の背後を指差し呟く。刹那、
――ズガァァァァァァン!!!
 耳を塞ぐ程の爆音と共に壁が爆砕し、巨大な穴があいた。
 沈黙。
 言葉がでない。色々叫んだり言いたいことがあったが、口がまったく動かない。
 ただ、これだけは確かだ。
 相手が悪い。敗北。お手上げ。完敗。目の前のこいつはさっきの言葉を実行するだけの
力がある。あのクソ親父が死ぬのは歓迎するが、母さんや妹が殺されるのは駄目だ。
 ゆっくりとドレスから手を離す。
「ようやくご理解いただけたようで嬉しいです」
「理解? 確かにお前をどうこうするのは無理だってのはわかった。が、ようはお前に危
害を加えなけりゃいいんだ。つまり、ここから出て行けばいいってことだよ」
 かなり大きな屋敷っぽいが町からそうは離れていないだろう。
―― 自慢じゃないが足には自信があるんだ。
 校内長距離陸上大会で優勝だってしている。
 外に出て直接警察にでも駆け込むか、またはマスコミに情報をリークすればこっちのも
のだ。
「できるものならやってみなさい。この部屋から出た時点で……殺します」
 嘲笑うでもなく、怒るでもなく、真面目な顔で彼女はそう宣言した。手にはいつの間に
かリボルバー式の拳銃が握られている。恐らく本物だろう。
―― 動いたら死ぬ? 死にたくなければ奴隷になれと?
 つまり、俺はどうやってもここから出ることも、このガキから逃れることもできない。
神よ、貴方は俺に恨みでもありますかと思わざるを得ない。
 ふとガキを見る。
「命が惜しければ跪いて忠誠を誓いなさい」
 もはや気分は女王様らしい。
 しかし、このまま言い様に奴隷になる訳にはいかない。というか、それが普通だろ。だ
から言ってやったんだ。

「俺はお前の奴隷になる気は1ナノミリメートルもね〜んだよ、このクソガキ!」

 その言葉の直後、彼女の指が引き金を引いた。

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