第二話「誓約」

 パーン、と実に乾いた音だと一番に思った。
 次にテレビとかだとやけにうるさいが、なるほどこれが本物かと。
―― って、ちょっと待て。俺は撃たれたのか?
 慌てて俺は全身をくまなく触れて調べた。
 両腕OK。両足OK。体OK。顔は……。ぬるり、という感触。恐る恐る右手を眼前ま
でもってくると真っ赤に濡れた手の平が視界に入った。
「……血だ。血だぞ。本気で俺を撃ちやがった!」
「殺すと言ったはずです。今のは警告。次は……外しません
 銃口が胸に向けられた。
「ああ、くそ! わかった。なる、なるよ!」
 ああ、命惜しさに俺は堕ちていくのか。しかし、ただで堕ちるわけにはいかない。
「しかーし! 奴隷じゃねえ、お前の世話係として、だ!」
「世話? この私を? 貴方が?」
「そうだ。つまりあれだろ? お前はどこぞのお嬢様で自分の事を自分でできねえズボラ
な――」
 全て言い終える前に再び銃が火をふいた。
「次に私を侮辱したら頭を吹き飛ばします」
 まさかと思う。こいつ、前の奴隷を殺したんじゃないだろうか、だから新しいのを調達
したのでは、と。頭から足のつま先へと寒気が走り去っていく。
「お、おう」
 とりあえず頷いておいた。
「言っておきますが私は自分の事は自分でする主義です。どこぞにいる着替えもお風呂も
トイレも他人任せなマグロマリオネットとは違うと言うことを頭に叩き込みなさい」
「ならどうして奴隷なんてもの、いや、俺を買ったんだ? 何かをやらせるためだろう」
「ええ。抵抗できない貴方をいたぶって愉しんだり、犯罪でも起こさせて苦悩する貴方を
見て笑ってやったりと……まあ、そのような事を」
 玩具を得た子供が見せるような、そんな無邪気な笑みで彼女は答える。
 一瞬殺意が沸いた。
―― こいつを殺したらさぞかし世の中平和になりそうだ。
 母と妹という人質がなければ本気で実行しただろう。
「やっぱお前は悪魔だ。悪女だよ」
「お褒めの言葉嬉しい限りです」
 心底嬉しそうに女は微笑んだ。
「で、確か奴隷ではなくて世話係として雇え。そういうことだったわね」
 ようやっと本題に戻った。
「あ、ああ」
「まあ、いいでしょう。いずれ私の奴隷になりたいと言うでしょうから、それまではお世
話係として雇います。ああ、良いことを思いつきました」
「あ?」
「これから私の命令を成功する毎にポイント差し上げます。もし、万が一、庶民が宝くじ
の一等を手に入れる確率より低そうですが、10000ポイント溜まった暁には……」
「何だよ?」
「私の夫にして差し上げます」
 年の割には豊かな胸を張り、両腕を組んで大いばりだ。まったくもって自分勝手。
―― こいつ、その報酬できっと俺が大喜びすると思っている。間違いない。馬鹿だ。ア
ホだ。自信過剰もほどほどにしろ
 喜びよりもむしろ怒りがわき上がってくる。
「豚と結婚する方が1億倍もマシだ」
 最大の侮辱を与えるつもりで俺は吐き捨てた。
 直後、連続で撃ち出される銃弾。床が弾け、破片が足を打つ。情けなくも俺はその場で
ダンスを踊るハメになった。
「冗談に決まってますでしょう。本当の報酬は、貴方の解放です。加えて2億の報酬を与
えましょう」
「に、2億……」
 桁違いの報酬に俺は不覚にも息をのんだ。
―― いや、待て。こんなうまい話にはきっと裏があるに違いない。
「とか言って、無理難題を押しつけるつもりだろ。待てよ。そもそもお前が何も言わなけ
りゃポイントなんざ溜まらねえじゃねえか!」
「その様な卑怯な真似はいたしません。法光院の名に誓います。盟約書も用意してありま
すわ」
 そう言い女は胸元から新たな紙を取り出した。紙面には『盟約書』とデカデカ印字され
ており、その下に細々と何か書かれていた。
 何とも用意周到。
―― まさか、初めからこれが狙いだったのか?
 毅然とした、それでいて気品漂う顔からその意図は読みとれない。
「つまりあれか? お前との勝負に勝って勝って勝ち続ければお役ご免になって、さらに
は2億のプレゼントがもらえると?」
「要約すればそうなりますね。ただし期限をもうけさせていただきます」
 女はVサインを作った。
「2年。それまでに1万ポイントを貯められなければ……」
 俺は大きく一度、息をのむ。
「一生私の奴隷として働いてもらいます。どうでしょう? この勝負を受けますか? そ
れとも逃げますか?」
 小悪魔的な笑み。
 最初から俺が断るとは思ってない顔だ。図星だから余計癪にさわる。
「さあ、答えなさい」
 既に迷いは微塵もなかった。
―― 売られた喧嘩は買う主義だ。
 女をじっと見据え、俺は静かに頷いた。
「よろしい。でしたら……」
 いつの間にか手にしていた小型のナイフを差し出してくる。
「何だ?」
「あいにく朱肉がありませんので」
「け、血判状……」
「怖いの?」
「こんなの屁でもねえよ。貸せ」
 ナイフを奪い取り、親指を軽く傷つける。一瞬の痛み。傷口から鮮血がにじみ出てきた。
「念のために訊いて置くけどよ」
「何かしら?」
「この細かい内容はお前にとって好都合に書かれてないだろうな」
「法光院の名にかけて」
 あんま信用できねえが、まあ…逃げるわけにもいかない。
―― やってやるさ。
 そう思いながら『誓約書』に親指を押しつける。
「貸して」
「ん」
 女も同じようにナイフで親指を傷つけて『誓約書』に押しつける。これで誓約が交わさ
れたわけだ。そう思った所でまだ対戦相手の名前も知らなかった事を思い出し、
「お前の名前は?」
「名を訊くならまずは己の名を名乗るものです」
「へいへい。室峰彩樹だ」
「私の名前は法光院棗。法光院財閥会長の孫娘よ」
 そう言って、彼女――棗は親指を舐めた。その仕草が何とも妖しく、ゾクッとした。
―― こりゃあ、そう簡単には勝たせてもらえなそうにないな。

 こうして、俺と法光院棗の戦いが始まるのだった。


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