第一話「兄さん、婚約者が三人もやって来てしまいました」
 幼い頃、母親の都合で少年は年に1度は引越しをしていた。
 せっかくできた友人達との別れは幼い少年には辛いものだった。何度経験しても慣れる
ものではない。今回もダメだとわかっていながら少年は母親に泣きついた。
 いや、今回は今までと違い何度首を横に振られようとげんこつと頭に叩き込まれようと
も頼み込んだ。そこまでする理由が少年にはあったのだ。
 しかし、結局はコレと決めたら考えを変えない母親を説得することはできなかった。
「っかし今回は随分粘ってんなぁ。何かここを離れたく理由があんのか?」
 母親の問いに少年は何度も頷きその理由を話した。
 初めて出来た女の子の友達。その子が泣いて『引越ししてほしくない』と頼んできたこ
とを必死に伝えた。
 話を聞き終えた母親は『ニヒッ』と悪巧みを考えた子供のように笑い、
「ほらよ」
 小さな封筒を少年に手渡す。何の変哲もないどこの文房具屋でも売っているだろう茶封
筒。表面には何も書いていない。裏面を見ると書き殴った字で『風月葵』と書かれてある。
 『風月葵』。
 それが少年の名前だった。受け取った手紙を見て葵は小首を傾げる。
「なにこれ?」
「魔法の手紙さね。それを別れたくないって子に渡してきな。そうすりゃ今はお別れでも
後で必ず会えるはずさ」
「ホントに!?」
 また会えるという言葉に葵は目を輝かせた。魔法なんていう胡散臭さい単語は耳から耳
へと通過し、彼がもっとも重要視したのは『後で必ず会える』という約束だった。
 今まで何度も望まない別れを経験してきた。もう二度と会えないのだといつも葵は諦め
ていた。だけど今回は諦めなくてもいい。これさえ渡せばまた会うことができる。
 そうとわかった葵は踵を返し、
「じゃ、じゃあわたしてくるね!ははうえありがと〜!」
 脇目もふらず女の子が待つ公園に向かって全速力で走り出した。速度を落とさずに十字
路を曲がり、寝転がっていた野良犬を飛び越えて、少しでも早く前へと突き進む。
 待ち合わせの公園が視界に入った。柵を飛び越えて中に入り、真っ直ぐにブランコに、
それを前後に揺らす女の子の前で立ち止まる。
「まった?」
「ううん。それでどうだった?おかあさんはおひっこししないっていってくれた?」
「え、えと……だめだった。ごめん」
「……ひぐ」
 小さな嗚咽が発せられたかと思うと公園に女の子の泣き声が高らかに響く。遊んでいた
子供達やその様子を見ていた大人達の視線が一斉に葵へと向けられる。
 その視線が何を意味しているのかは子供の葵でもわかり、かといって混乱した頭では何
も思い浮かばず顔を左右に振って両手を千手観音よろしく上下させる。と、葵の視界に渡
された封筒が入った。
「そうだ! これ!」
 泣いている女の子の手に手紙を握らせる。
「これ、なに?」
「やくそくのてがみ。それがあればおわかれしてもまたかならずあえるんだって!」
「ホント?!」
「うん!」
「ホントのホントにホントでホントなの?!」
「うん! ははうえがそういってたからホントだよ!」
「それならぜったいぜったいぜ〜〜〜ったいにまたあおうね!やくそくだかんね!」
 女の子は葵に向かって小指を差し出す。それの意味する所はひとつしかない。意味に気
づいた葵は、大きく頷いて差し出された小指に自分の小指を絡めた。
「うん!またあおうね!」

 二人の声が重なる。

『やくそく!』

 四月八日、午前7時半。
 20キロのランニング。素振り300本3セット。瞑想1時間。毎日の日課である早朝
トレーニング終えた葵はタオルで汗を拭いながら雲一つない青空を見上げた。
 本日快晴。まったくもって新しい学年としての初日を迎えるには良い天気だった。
「さってと帰って着替えよっと」
 素振りで使用した木刀を肩に担いで葵は土手を後にした。
 家までは歩いて10分。シャワーに5分。着替えに10分。学校まで歩いて20分。朝
食は用意しておいたおにぎりとお茶で登校中に済ませるので問題はない。
 帰宅後の予定を確認した葵は満足いって小さく頷く。
 問題ない。問題を起こす人物はいない。問題など起こるはずがないのだ。のんびりとし
た時間が進み、穏やかな日常を過ごしていく。
 平穏。何と素晴らしき響きだろうと思いながら自宅前で立ち止まった。自宅の門前に瓶
牛乳の蓋が落ちていたのだ。
―― 何で蓋だけ?
 拾い上げて首を捻った。メーカーは間違いなく頼んでいる牛乳のものだ。毎朝2本届け
てもらう契約になっている。
―― 配達の人が落として行ったのかな?
 疑問に思いながら門を抜けて鍵を前に突き出す。いつもならそこに鍵穴があったのだが、
むにゅっと柔らかい感触がして鍵が押し返された。普通なら訝しむところだが葵は蓋の疑
問を解消すべく全思考を傾けていて気づかない。なので何度も同じ事を繰り返す。
 むにゅむにゅむにゅむにゅと。
「こ〜ら、いつまで私の胸に鍵先押しつけてるつもりなの」
 その声を聞いてようやく葵は思考を中断して顔を上げる。と、目の前に同い年ぐらいの
少女が立っていた。
 腰まで届く長いポニーテール。髪を結い上げているリボンが所々ボロボロになっていた。
顔は美をつけても問題ない。服は葵の通っている高校のものだ。
 手には牛乳瓶。もちろん中には牛乳満載である。そして、ここでもっとも重要なのは目
の前の少女が見知らぬ他人で自分の家に配達された牛乳を勝手に飲もうとしているという
事実である。葵の中で疑問が一気に氷解した。
「牛乳泥棒だ!」
 葵はビシッと鍵先で少女を指した。
「はぁ?」
「君は他人だ。その君が自分の家の牛乳を飲もうとしている。牛乳泥棒以外の何だってい
うんだい! 答えられるものならこフグッ――」
「はいはい。わかったって」
 全てを言い終える前に口を牛乳瓶の側面で塞がれた。
「問いかけに対する答えだけど。確かに今は他人でもいずれは家族になるからOKってこと
で。あ、それと今日からここに住むんだから別にいいじゃない。はい、解答終わり。解答
の報酬としてコレもらうわね」
 そう言うや少女は腰に手を当てて牛乳瓶と共に体を傾ける。瓶の中にあった白い液体は
あっという間になくなった。
「ぷっはぁ。美味しい。朝は牛乳一気のみに限るわね」
 手の甲で口を拭って爽やかな笑みをもらす少女。
「……」
 何というか外見とは裏腹に少し品のない言動に葵は言葉を失った。
「ごちそうさま。はい、瓶は返すわ」
「あ、ども。……ではなくて! 答えの意味が理解できないんですが?! いずれは家族?
家に住む? どちらも理解できるようで理解したくないというか……その、つまり結論か
ら言うと貴女は『自分と結婚する』みたいに聞こえてならないんですが」
 離れ離れだった腹違いの兄妹という線は全く考えられなかった。アノ母親に惚れる相手
が考えられないし、何よりアノ母親の惚れる相手がいるはずがないのだ。いたらこの世の
終わりだとさえ葵は思っている。それほどに確率が低い。
「そうなる予定なのよ。ま、とりあえず詳しい話しは中でしましょうよ。葵だって着替え
て登校準備ぐらいしたいでしょ?」
 全くの正論に葵は反論できず鍵を鍵穴に差し込んで捻った。カチッという音を確認して
からノブを引く。だが扉はビクともしなかった。
「あれ?」
 不信に思いつつもう一度鍵を捻ってからノブを引くと扉は易々開いた。つまり、この扉
の鍵はずっと開いていたということになる。
「泥棒かしら?」
「かもしれませんね」
 木刀を下段に構えながら音を立てずに家に入る。と、居間に続く扉から声が聞こえてき
た。二人は揃って耳をこらす。
「お掃除お掃除ぴっかぴか〜♪お祖父様の頭みたいにつ〜るっつる〜♪」
 妙な歌詞に二人は脱力した。
「泥棒じゃないみたいね。仮に泥棒だとしても間抜けすぎるわ」
「ですね。とりあえず自分が奇襲をかけて取り押さえます。成功したらその場で、失敗し
たら家を出て安全な場所で警察に連絡してください」
「了解。頑張れ。久しぶりにイイトコみせてよ」
「は、はあ」
 久しぶりと言っても初対面ではないのか。それとも忘れてるだけで実は顔見知りなのか。
どちらにしても今は侵入者の対処を優先したいので葵は生返事で答えた。
 音を立てずにすり足で接近していく。侵入者は居間と連結しているダイニングにいた。
鼻歌を混じらせながら箒を動かしている。着ている服はさっきの少女と同じ物。葵の通う
高校のものだ。
―― あれ?
 侵入者の横顔には見覚えがあった。見るのはもう半年ぶりか。随分懐かしい顔だった。
だがどうして自分の家にいるのか、はたまた何ゆえに掃除などしているのかわからない。
―― 聞けばわかるか。
 葵は戦闘体勢を解くと侵入者、もとい中学時代の後輩に近づいた。
「あ、葵先輩! おかえりなさいませ。ちょっと床が汚れていましたので勝手だとは思い
ましたがお掃除させていただきました」
 足音で気づいたのか後輩−涼風綾−は振り返ると箒を胸に抱き締めながら深々と頭を下
げた。葵も釣られて頭を下げてしまう。相変わらずお上品だな、と葵は思った。
「で、そちらの女性はどこのどなたですの?」
 綾は言う。上品さに満ちた笑顔で。しかし、声のトーンは平坦で冷たい。思わず葵は後
ろへ二歩下がってしまう。
「それはこっちの台詞よ。どうやら顔見知りみたいだけど、とりあえず出てって。これか
ら私と葵は将来を決めるだ〜いじな話しをしなくちゃいけないの」
「しょ、将来?! ど、どどどどどういうことですの先輩! そんな! 先輩はわたくし
を裏切ってこのような『あばずれ』と?! そんな事は許しません!」
「あばずれって何よ、あばずれってのは!」
「お黙りなさい! わたくしの葵様を横取りしようなどとする女はあばずれで十分です! 
もう、お離れになって!」
 綾は葵と少女の間めがけて箒を大上段から振り下ろす。多少慌てつつもその一撃を葵は
右足を一歩後ろに退いて避けた。少女と半身分の間があく。
 しかし、それでも満足しないのか綾は少女に向かって箒を横に薙いだ。距離が近い。避
けられる速度でもない。顔に向かって繰り出された横薙ぎの一撃は少女を強かに打ち据え
る………はずだったが、少女は真っ直ぐ綾を見つめたまま箒を受け止めていた。素手では
ない。いつの間にか少女の手には小型のナイフが握られていた。
「やってくれるじゃない」
「そちらこそ。お名前を聞かせ願えませんこと?」
「いいわ。よ〜く耳を澄ませて聞きなさい。私の名前は鷺宮楓! 葵の婚約者よ!」
 まるで宇宙空間のようにし〜んと室内が静まりかえった。日本語であるはずなのに葵は
言葉が理解できなかった。口を開けたまま言葉もなく立ちつくす。
「な、何を仰るのですか! 葵先輩の婚約者はこのわたくしです!」
 我に返った綾は大声で叫ぶ。
 再び訪れる静寂。またしても理解できない。葵は自分が海外に来てしまったような錯覚
に陥った。が、たっぷり1分という時間を費やして頭が嫌々ながらも言葉を理解する。
『な、なんですって?!』
 三人の大音声が同時に発せられた。
「しょ、証拠はあるの証拠は!」
 楓の詰問に葵は大きく何度も頷く。
「もちろんわたくしにはあります! これです!」
 葵の前に一枚の紙切れが突き出された。薄茶色く色あせ具合が紙の古さを物語っている。
それには書き殴った文字でこう記されていた。
『これは結婚誓約書である。この誓約書を持つ者は我が息子・風月葵と結婚をする権利を
有する。ぶっちゃけ言うと結婚しちまえ。あ〜結婚前の同棲は高校2年になってから許す。
同棲用の住所は以下の通りなんで与賂私貢(ヨロシク)! ここまで読んでも理解しねぇ馬
鹿へ。ようはコレ持ってるヤツはお前の婚約者だ。喜べ!』
 あんの人はー!と思いながら葵はその場に両膝をついた。
 昔からだ。昔から母親は厄介事を引き込んできた。厄介事が何かを問われても思い出せ
ない。いや、思い出したくないから記憶から隔離している。
 だが今回の厄介事は次元が違う。何せ結婚だ。人生を一緒に歩む相手が決まるのだ。こ
れからの人生に深く関わっている。
「ちょっとこれってどういうこと!?」
「葵先輩! ご説明を!」
 葵は眉根に皺を寄せた。
 説明と言われても記憶にない。そんなものを渡した覚えがないのだ。出来ようもない説
明をどうしろと思う。
「さあ! 早く!」
「いや、早くって言われても―――」
 二人の迫力に圧倒されて葵は後ろへ一歩。と、背中の中程辺りに柔らかい感触がして跳
び上がった。そのまま空中で半回転して正体を見る。
 少女がいた。楓や綾と同じ、つまりは葵の通う高校の制服をきている。
 気配は全く感じなかった。気配を感じる修行は幼い頃からずっとしてきた葵が全く感じ
にということは、この少女の気配を消す技能がずば抜けている事を意味する。
 誰なんだと思いつつ葵は更なる嫌な予感を感じていた。
「えっと、君は誰?」
 わかってていても先には進まなければならないと葵は少女に問いかけてみる。
「はい……こういう……もの、です」
 葵は頭を抱えてその場にうずくまった。
 この少女もまた二人が所持していた物と同じ『誓約書』を手にしていたのだ。出来れば
夢であってほしいが夢ではない。その証拠に頬をつねれば痛みがあった。
「ねぇ、葵さ。私ってば今日って日をず〜っと楽しみにしてたんだぁ。葵がどれだけイイ
男になってるかとか、約束を果たした私にどんな言葉をかけてくれるかとか考えながらさ」
 楓はうずくまる葵の肩にそっと手を置く。
「あの……」
 葵はそっと顔を上げた。恐る恐る楓を見て、硬直した。
 顔は笑っていた。でも、目が笑っていなかった。頬が引きつっていた。こめかみの辺り
に血管が浮き上がっていた。以上の事を踏まえると間違いなく彼女は、
「乙女の期待を裏切った罰は重いわよ」
「うが」
 額に銃口が押し付けられた。何でそんなものをなんて考えている余裕はない。真っ先に
葵は回避方法を頭の中でシュミレーションした。
「ああ、大丈夫よ。実弾じゃなくてゴム弾だから当たっても痛いだけ。まあ、ヘビー級ボ
クサーのパンチを叩き込まれるって思って」
 冗談じゃないと葵は逃げるために膝を立てた。刹那、両肩が綾によって押さえ込まれて
しまう。彼女もまた笑っていた。
「逃がしません」
 そして、当然ながら怒っていたのだった。
「ナイス。んじゃ、私らの期待と信頼を裏切った制裁をじっこ―――」
「そこまで」
 発せられた声と共に楓の指が止まる。見れば楓の首に三つ網が巻きついていた。が、そ
れだけではない。どういう仕組みになっているのか三つ網がもぞもぞ蠢いている。まるで
意思を持っているかのように動いて楓の首を締め上げようとしていた。
「もし葵クンを……傷つけるのなら……このまま、殺す」
「じょ、冗談でしょ?」
「……冗談? なら……実行して……あげよう、か?」
 既に首を三周ほど巻き付いていた三つ編みが動きを止める。何かの溜めに入ったのだと
葵にはわかった。それは楓にもわかったらしく、手にしていた銃を懐に収める。
「降参。葵を傷つけるつもりはもうないから解放して」
「ん」
 少女の頷きと共に三つ編みは楓の首から離れた。
「貴女は?」
「あ、ありません。ありませんのでソレをこちらに向けないでくださいませ!」
「うい」
 何事もなかったように三つ編みが重力に従って垂れた。
―― とりあえず事態は平行線?
 これからどうしようと悩む。やはりよく話し合って諦めてもらうしかないだろう。何せ
3人が持っている紙など渡した覚えなど……。
「覚えて……ないの?」
「えっ?!」
 心を読まれたとしか思えず葵は驚く。
「心を読んだんじゃ……ないよ。電波……受信した、だけ。ほら、受信、アンテナ」
 そう言いながら少女は真っ直ぐ天を向く二本の触覚みたいな前髪の左側を指差す。と、
葵はその言動に覚えがあることに気付いた。
 どこか。そう、まだ幼い頃に何度か……。
「ああ! 思い出した! 妖子ちゃん? 天鳴妖子ちゃんでしょ!」
「……お久し、ぶり」
「それに楓ちゃん。うわぁ! 二人とも久しぶりじゃないか!」
 思い出した葵は懐かしさのあまり二人を片腕でそれぞれぎゅっと抱き締めた。
「ちょ、ちょっと。……ま、いっか」
「……歓喜……」
 いきなり抱き締められた楓は困惑しつつも頬を朱に染め、妖子は負けじと葵にしがみつ
いた。その様子をボーっと眺めていた綾だったが、すぐに仲間はずれである事実に気付い
て、
「再会の喜びも良いですがコレをわたくし達が手にしている理由を教えてください!」
 楓と妖子を葵から引き剥がして話しを元に戻す。葵は笑顔をすぐさま困惑に転じた。
「葵君……覚えて、ない? 約束……したよ? また会おうって」
「約束? また会おう……また、会おう…………ああ!」
 完全に思い出した。幼い頃、引っ越しの際に母からもらった手紙を渡した相手。目の前
の3人。そして、再会の約束をしたことを。
「やっと思い出したわね。で、誰を選ぶの? もちろん私よね?」
 胸を押しつけるようにして楓は葵の左腕を抱き寄せた。
「何を仰ってるのですか! 葵様が選ぶのは貴女達のようなあばずれではなく純情可憐な
わたくしです!」
 負けじと綾も妖子を突き飛ばして右腕に抱きつく。
「自分で言って恥ずかしくない?」
「お黙りなさい!」
 楓と綾は殺気すら漲らせて睨み合う。ごごごごごという幻聴まで聞こえてきた。そんな
一色触発の展開を見守りつつ葵は困り果てていた。
 まだ17歳だ。法律では結婚できない年齢だし、そもそも結婚するつもりなど今のとこ
ろ毛頭なない。今は兄を超える剣術家になりたい以外は頭にないのだ。
 となるとやはりと考えた所で、
「あ。……葵…クン…誓約書はなかったことに、とか……思った……」
 妖子に考えを読みとられて、
「何ですって?! ちょっと! 勝手に約束しといて破棄だなんて許さないわよ!」
 目尻をつり上げた楓に襟首掴み揚げられ、
「そんなっ。嘘だと、嘘だと仰ってください!」
 涙目になった綾に詰め寄られて頭に浮かんだ案はおしゃかになった。と、今の状況を打
開する最後の手段が頭に浮かぶ。
「3人ともちょっと待って! ちょっと頭を整理してくるから。ね? 忘れてた事をいき
なり言われても自分だって困るし、10分でいいから考える時間をくれないかな?」
「仕方ないわね」
「……了承……」
「問題ありません。どうぞごゆるりとお考えになり、そしてご決断ください」
「あ、ありがと。じゃ、ひとりで考えるから!」
 葵は全力疾走で玄関に向かい、下駄箱の上に置かれた電話の受話器を取った。素早くメ
モリを選択して決定ボタンを押す。
 数度の通話音のあと、
『はい、風月道場で――』
「兄さん、事件です!」
 相手が兄だとわかった葵は挨拶もせず小声で、しかしながら切羽詰まった声音で叫ぶ。
『お、葵か。久しぶりだな。元気だったか?』
「え、あ、はい。風邪ひとつなく健やかに過ごして……ではなくてですね! 事件です!
大事件なんですよ!」
『……ふむ。なら話しを聞かせてくれ。落ち着いてゆっくり簡潔にだぞ』
 葵は3度深呼吸して気分を落ち着かせてからさっきまでの顛末を兄に聞かせた。話しを
聞き終えた兄は何も答えない。
「えと、兄さん?」
 返事はため息で返ってきた。
『あの人らしい。まさか俺だけではなく葵にもしていたとはね』
「じゃ、じゃあ兄さんにも?」
『ああ。俺の場合は18の誕生日の日に7人もやってきたよ。後にも先にもあれほどの大
騒動はないと思う』
「うわぁ」
 3人であれだけの騒ぎだったのだ。2倍ともなればかなりの修羅場が予想できて葵は思
わず身震いした。同時に3人で良かったと胸をなで下ろす。
「それであの、経験者としてできれば対処法を教えていただけると嬉しいのですが」
『ん〜。対処法か。ん?あ あ、葵からだ。どうやら俺と同じ目に遭ってるらしくってね。
対処法を教えようと思ってるんだが、君の方が適任かもしれないね。葵、どうやら翔子が
お前に対処法を授けてくれるらしい。代わるぞ』
「あ、はい。わかりました」
『葵さんですか?』
 少しの間を置いて相手の声が女性のものに変わった。
「はい。翔子義姉さん。お久しぶりです」
『本当ね。最後に会ったのは去年の夏休みだから半年か。時が経つのは早いわね。このま
まだとすぐにオバチャンを通り越しておばあちゃんになっちゃいそう。あ、そうそう聞い
て。最近お肌の艶がなくなってきたような―――』
「あの、お話を中断して申し訳ないんですが対処法を……」
『あ、あらヤダ。おほん。じゃ、じゃあ教えるわね。とりあえず今は好きにさせておいて
良いと思うわ』
「好きにさせてって、自分にあの3人の誰かと結婚しろと?!」
『違う違う。話しは最後まで聞いて。きっとその3人を今すぐに追い返すことは無理だと
思うの』
「……確かに」
 葵はため息をついてその場にしゃがみこんだ。
 仮に追い返そうとしても返り討ちにあうだろう。いや、全力を出せば3人を相手にして
も確実に勝てる自信が葵にあった。ただし、全力を出せればの話しだ。
 葵は異性相手に本気は出せない。つまり葵の負けは確実というわけだった。
『で、結婚したくない葵さんがすることはただひとつ。結婚出来る年齢になる前に汚い言
動を駆使して3人から嫌われるの。そうすれば誰もが葵さんに幻滅して結婚したくなくな
る。はい、葵さんは結婚という魔の手から逃れられました。めでたしめでたし』
「な、なるほど」
 葵は顎に手を添えて考えた。
 嫌われる方法なんていくらでもある。知識は乏しいが得ようと思えれば簡単に手に入る
だろう。強いて問題を上げるなら良心の呵責に耐えられるかどうかだ。
「義姉さん、ありがとうございます。頑張ってみますね!」
『頑張ってね。……葵君にはたぶんムリだと思いますけど』
「はい?」
 小声で発せられた最後が聞き取れなかったので葵は聞き返す。しかし、翔子は笑い声で
濁して答えない。無性に気になって葵はもう一度問いただそうとしたところで、
「ちょっと、もう10分経ったんだけど?」
「うわっ! え、えっといつからそこに?」
 葵はゆっくりと振り返った。両手を腰に当てた格好で楓が立っている。少しつり上がっ
た目が不機嫌ですと主張していた。
「え、えと……義姉さん、ではまた」
 受話器を置く。気付かれないよう小さく深呼吸してから葵は笑顔で振り返った。
「じゃ、じゃあ戻ろっか」
「誰に電話してたの? 女の声だったけど。まさか私ら以外にもまだいるんじゃないでし
ょうね、え?」
「いや、違う違います! 相手は兄さんの奥さん、つまり義理の姉ですよ。これ以上増え
るなんて自分だって嫌ですって」
「私としてもこれ以上敵が増えるのはゴメンだわ。ほら、早くこっち来て。他の二人もお
待ちかねよ」
 楓は葵の手を掴んで踵を返す。異性の柔らかい手の感触に葵は顔を赤らめながら引かれ
るままに附いていった。と、食欲をそそる匂いが葵の鼻に届いた。そしてダイニングへと
戻った葵はテーブルの上に並べられた朝食を目にした。
 綾と妖子の二人は既に食べている。綾はおかずを口にする度に唸り、妖子は黙々と口に
運んでいた。
「ご飯だ」
「そ。ご飯は炊いてあったから後はおかずを適当にぱぱっとね。どうせ朝ご飯はまだなん
でしょ?」
 頷いて答えるより前に腹がぐ〜と鳴った。そんな葵の腹を見て、楓はやっぱりねという
ような微笑を浮かべた。
「体は正直ね。ほら、食べちゃいなさいって」
「は、はい」
 素直に従って葵は席に座るとみそ汁をひとすすりした。
「美味しい」
 今まで食べたみそ汁の中でダントツ1番の太鼓判を押しても良いほどだった。実は何か
危険な薬でも入っていて危険なんじゃ?なんて思ってしまう。が、体はみそ汁を希望。そ
のまま葵は汁を一気に飲み干し具だけになったお椀を楓に差し出す。
「おかわりおねがいします」
「はいはい。けど、おかわりを要求する前に具も食べなさいって」
 葵は具を一気に口の中に掻き込み再度差し出す。みそ汁の美味しさに気付いてないがハ
ッキリいって餌付けされていた。
 おかわりが注がれた椀を受け取るとおかずに取りかかる。
「やっぱ奥さんにするなら料理が得意じゃないといけないわよねぇ」
 楓はテーブルに頬杖をついた格好で食事をがっつく葵を見ながらこれ見よがしに呟く。
楓の先制攻撃に反応して綾が箸をテーブルに叩きつけた。
「行儀悪いわね。残すの? 残すなんて作った人や材料に失礼よ」
「ちゃんと残さず食べます! もう、急に食事を作り始めたと思ったら点数稼ぎでしたの
ね! 嗚呼、どうして気付かなかったのでしょう」
「もう遅いっての。既に葵は私の料理のと・り・こ♪ 勝者は決まったも同然ね」
 追い打ちとしてお前達は敵じゃないとでもいう風に楓は鼻で笑った。当然された方の綾
は悔しさ一千万倍で、スカートのポケットから取りだしたハンカチを噛むと二つに引き裂
いてそれを表現する。対して妖子は箸を止めて、
「さっきは……二人して、葵クンを……イジメてた癖に……」
『うぐっ』
 失点を突かれた楓と綾は同時に胸を押さえる。
 と、食事の魔力から解放された葵は今の状況をチャンスと思った。
「やっぱり添い遂げる人は包み込んでくれる優しさがほしいな。銃で傷つけようとしたり、
それを助けたりする人は却下。出来れば即座に出ていってほしいくらいだ」
 二人ともごめんごめんと心の中で謝りつつ心を鬼にして葵は皮肉たっぷりの愚痴を口に
した。これで二人は諦めて帰るに違いない。そう思ってしまうのは3人を友人程度にしか
思っていない葵の浅はかさだった。
「ごめん。さっきはついカッとなっちゃってさ。葵が嫌いだからあんなことしたんじゃな
いのよ? むしろ、その……好きだから許せなくて。け、けど次からは我慢するわ! だ
から、私のこと嫌わないで。お願いよ」
「わ、わたくしも同じです。心から先輩をお慕いしているからこそ裏切られたと思ってし
まって。よく考えれば先輩がそのような事をなさらない方だとわかっていたのに。……も
う今後は怒りで我を失って先輩を傷つけるような事は致しません! ですからお願いいた
します。お許しください」
 楓と綾の瞳から涙がこぼれた。
―― うう。
 これ以上は見ていられないと葵は胸を押さえながら立ち上がろうとする前に、二人は葵
の手を掴んでそっと包み込み、
『嫌いにならないで』
 逃げることもできないと葵は椅子に座りなおしてテーブルに突っ伏した。
―― 良心の呵責が……胃がががががが。
 もともと優しすぎる性格の心には異性二人を傷つけたという罪悪感に耐えうる耐久度な
ど備わってなどいないのだ。無理に耐えたとしても1日で神経性胃炎で苦しみ、1週間もす
れば胃潰瘍で倒れるのは間違いないだろう。
―― ということは義姉さんから教えていただいた作戦は実行不可能ということで来年に
は3人の内の誰かと結婚しないといけない事が決定?!
 観念して結婚するか、それとも胃炎と胃潰瘍に苦しむ茨の道を選ぶか。二者択一。今の
ところこれ以外の選択肢はない。選ばなくてはならない。
 葵はそっと顔を上げる。涙を流しながら二人は葵の言葉を待っている。
―― 無理。耐えられそうにない。
 既に胃はキリキリと痛み出している。この痛みに四六時中耐えられる自信はなかった。
「二度としません?」
 楓と綾はぶんぶん音がなるほど頷いて、
「しない!」
「しません!」
「じゃあ、許します」
 笑ってそう言葉を口にしたとたん、葵は力強く手を引っ張られた。抗う間もない。葵は
テーブルの上に倒れる。幸い食器を下敷きにはしなかった。
 いきなりの事に葵は目を瞬かせ、
「ありがと。葵」
 そんな葵の頭をぬいぐるみを抱くように楓は両手を回し、
「やっぱり先輩はわたくしが思った通りの人です」
 負けじと綾も葵の頭を抱き締める。結果、葵はふくよかな膨らみに挟まれるという青春
真っ盛りの男としては何とも羨ましい状況に陥った。
―― ど、どどどどどうすれば?!
 柔らかさと気持ちよさと何やらいい匂いが葵の思考を混乱させる。混乱は体の動きをと
め、それはこの状況を続けても良いと二人に認識させた。
 熱くきつく、そして情熱的な抱擁が続く。
 と、黙々とご飯を口に運んでいた妖子の目は3人へと向け、
「……この女ったらしが……不快……」
 こっそり熱々に温め直したみそ汁が入ったお椀を肘で突き飛ばす。テーブルの上を滑る
お椀。障害物に行く手を遮られることなく突き進み葵の横っ腹に激突した。
 お椀が垂直に傾く。そうなれば当然中身が零れて葵にぶっかかる。中身は熱々のみそ汁
だ。そんなものを浴びたらどうなるか?
「あ、あああああああああっつーーーーーーーぃ!!!!!」
 跳び上がった葵はテーブルから転げ落ち、その勢いのまま床を右往左往転げ回った。
 と、こうなるのである。
 火傷をしたら冷やしましょう。ということで葵は水シャワーで汗を流すと共にみそ汁を
ぶっかけられた部分を冷やした。幸い水ぶくれにはならなかったものの真っ赤になってヒ
リヒリと痛む。
「二人を泣かせた罰かな〜」
 実は妖子の嫉妬によるものだと知らない葵は火傷の理由をそんな風に思う。十分に冷や
してから浴室を出ると誰かが用意してくれたのか下着と制服一式が置かれていた。
 どうして下着の場所までわかったんだという事はあえて考えない。素早く着替えて葵は
3人の待つダイニングに戻った。
「じゃ〜んけ〜〜ん!ぽん!」
 と、楓のかけ声の後に3人が一斉に手を出す。楓はグー、綾はチョキ、妖子はパーであ
いこ。葵は首を傾げた。暇つぶしにしては何やら雰囲気が変なのだ。
「ふふふふ。勝つのは私なんだから」
「いいえ。貴女方のような毒婦には絶対にこの権利は譲る事はいたしません!」
「……愚かな女ども……勝つのは……ワタシ……」
 妙に3人とも殺気立っている。
「え〜っと3人ともどうしたの?」
 キケンだとわかりつつも葵は勇気を出して問いかけた。
「部屋割りよ、へ・や・わ・り!」
 二人を見据えたまま楓は叫んだ。なるほど、と葵は納得してからコップに水を汲む。そ
して、一気に飲み干そうと一口含んだところで、
「誰が葵と同じ部屋にするかってね!」
「ぶふぉ!」
 葵は口内にたまっていた水を一気に噴き出した。濡れた口の周りを手の甲で拭いながら3
人を見る。
「冗談ですよね?」
「本気も本気ですわ! 葵先輩と同じ部屋で過ごす。嗚呼、きっと甘美なひと時に違いあ
りません。一緒にいたら自然と手を繋いで、キスとか、更に……きゃぁぁぁぁぁ!」
 顔を真っ赤にさせて綾はテーブルをバシバシ叩く。
「はっ。葵は私と一緒の部屋になるのよ! そんなのは妄想だけにしときなさい!」
「だから何度も口にしておりますが貴女の思い通りには致しません!」
「……ククッ……だから……勝つのは………ワタシなのよ、確実に」
『電波受信禁止!』
 楓と綾の罵声が絶妙なハーモニーで妖子に叩きつけられた。
「……チッ……心の狭い女どもが……」
『何ですって?!』
 3人の争いは更にヒートアップしていく。
―― そ、そんな……一緒の部屋?
 葵は顔を青くさせた。
あの手紙には『同姓』の許可があったし彼女達がここに居座りそうな気はしていた。が、
同じ部屋とは考えもしなかった。
 葵とて年頃の男子である。そういった方面に興味がないわけではない。わけではないが
相手が本当に好きだと思っていればの話である。
 彼女達は好きだが友人としてであって条件には当てはまらないのだ。
―― に、逃げよう。
 今はそれしかない。それしか考えられない。どんなに不利な戦いであっても真正面に戦
うと誓っていたがその誓いも今日までだ。
 3人ともじゃんけんに夢中になっている。逃げるとしたら今しかないだろう。葵は音を立
てずに踵を返す。
「よ〜〜〜っし!私の勝ちだわ!」
 と、葵が一歩前に踏み出した所で決着がついてしまった。
「ふっふ〜ん。葵ぃ〜今夜が楽しみねぇ」
 葵はそっと振り返る。楓はニッコリ笑顔だった。一途の望みをかけて葵は首を横にふっ
て訴えかけてみた。勘弁してください、と。
「だ〜め」
 訴えは笑顔であっさり却下された。
「では、そういうことで」
 しゅたっと右手をあげてから葵は居間を飛び出した。靴に履き替えて外へ。と、郵便配
達員がポストに封筒を入れようとしていたのですれ違い様に奪取する。
 そのまま走りに走って行き着いた先は毎日修行場として使っている土手だった。
「……何でここに。黄昏るにはもってこいだからか」
 弱々しく独白しつつ配達員から奪った封筒に目を向けた。宛先は葵宛だった。裏面を見
た葵が苦いものになる。一番見たくない名前が書かれていたのだ。
 『風月撫子』。そう、実の母の名が。
「…………」
 悩んだ末に葵は封筒を開いて中の手紙を広げた。
 ………読了。
「あの人は………っ!」
 葵は手紙を握りつぶした。
 内容はこうだった。
『写真見たんだがどいつも美人だなぁ、おい。んで、今頃その女達に囲まれてウッハウハ
か? ま、お前のこったから逃げてるとは思うが諦めろ。相手にぞっこんの女ってのは大
概スッポンみたいにしつこいもんだかんな。てかよ、お前がタネを巻いて実らせたんだ、
お前で収穫してやれ。何なら全員まとめて相手してやるのもいいんじゃないか? 孫は多
い方がこっちとしちゃ嬉しい。つうわけで、健闘を祈る! お前を心から愛しているはず
のラブリー撫子より夜露肢駆!』
 今すぐにでも殴り飛ばしてやりたかったが母は2日前から姿を消して行方知れずになっ
ていた。恐らくというか間違いなく逃げたのだろう。探し出すのはムリだ。
「……はぁ」
 そう思ったら重いため息と共に力が抜けた。
 今は母に対して怒りを募らせている場合ではないと葵はこれからの事を考えた。
 所持金無し。理由を説明して匿ってもらえそうな知り合いをひとりヒット。しかしその
人物に借りを作ると後が怖いので却下した。他にも知人はいるのだが迷惑かけても大丈夫
と思えるほど親しい相手はいなかった。
 結局帰るしかないのだった。と、結論がついたところで、
「……発見……確保……」
 か細い声とは逆にガッチリと両肩を掴まれたかと思うと背中に柔らかいものがのしかか
ってきた。何であるかは考えるまでもない。
 葵は本日最大のため息をもらした。したくはなかったが諦めたのだ。
―― 彼女達だって本気で嫌がる事はしないはずだし。
 葵は彼女達を信じようと思った。まあ、そう思い込んで楽になるしか彼には道がなかっ
たわけなのだが……。
 よっこらせと声にだしてから葵は立ち上がって、
「帰ろっか」
 コナキジジイのように背中にへばり付いている妖子を見た。小さく彼女は頷くが離れよ
うとはしなかった。ちょっと体を左右に振ってみる。
「ぶら〜ん………ぶら〜ん……」
「え、えっと……歩きにくいから離れてくれると嬉しいんだけど」
「……ヤ〜ダ……葵クン……独占。ふふっ。ね、このまま帰ろ」
「……了解です」
 答えて葵は妖子をぶらさげながら歩き出す。と、妖子が楽しげに鼻歌を歌い始めた。懐
かしいメロディ。昔、妖子と一緒の学校に通っていた頃、よく帰り道で聞いた曲だった。
「懐かしいなぁ。よく帰り道に口ずさんでたっけ」
 前から誰もこない事を確認してから葵は目を閉じた。
 覚えている。正確には思い出した。
 妖子、楓、綾。それぞれと一緒に過ごした思い出。短くも楽しくて充実していた。
―― そっか。またあんな風に過ごせるって思えばいいのか。
 引っ越しにより続けられなかった時間を取り戻せるチャンスが巡ってきていた。そうと
考えたら足が軽くなる。

 目を開けた葵は軽快な足取りで家路についた。


目次へ  次へ→