第九話「みんなが待っている」
 山に足を踏み入れたとたん景色が暗転し、2人は闇の中に立っていた。慌てて柳華は周
囲を見渡す。何も見えない。空も山も道も煉も何もかもが。
 ただ右手の温もりが煉の存在を柳華に伝えていた。
「いったいなんだっての」
 悪態をつきながら道を探そうと周囲を見渡す柳華。と、
『人間がこの聖地に何の用じゃ』
 年老いた男の声が頭に直接ひびいた。
「な、なに!? 誰よ!」
『もう一度問う。人間がこの聖地に何の用じゃ』
「煉の心を取り返しに来てやったのよ!」
『帰れ。ここは選ばれし者だけが入ることを許された地。お主如き人間が入ることなど許
されぬ場所じゃ』
 老人の声にぷちん、と柳華の中で紐がキレた。
「黙れこの腐れ外道! 姿も見せないあんたにグチグチ言われる筋合いなんてないっての
よ! 人間如きって、あんたはいったい何様? 神様だっていうの? 馬鹿らしい!」
『たしかに。……お主の言葉も一理あるの』
 闇の一点に光が生まれる。光は銀髪の青年へと形を変えた。年は20代くらいだろうか。
身長は150そこそこ。右手に身長と同じ長さの杖を手にしていた。
「あんたが長老ってヤツ?」
「いかにも。ワシが全妖精を束ねる長老のレグナットじゃ」
「声と顔が思いっきりミスマッチね」
「ふん。我ら妖精は人間と違い老いることはない。できの悪そうなお前にひとつレクチャ
ーしてやろうかの」
 そう言ってレグナットは柳華の答えを聞かずに説明を始めた。
 妖精は2回ほど変異するという。生まれてから1年後にまず幼精期を迎える。幼精期と
は文字通りミュウのことだ。あの姿が幼精期らしい。
 そして幼精期から早くて20年、遅くても30年後に成妖期を迎え、サーラやレグナッ
トの姿になる。
「それ以後は老いることなく、自らが死を望むまで生き続けることができるのじゃ。これ
で人間とワシら妖精の優劣がわかったことじゃろう」
「ぜっっっっんぜんわからないわね! 何が優劣よ。最後の部分なんて死ぬことが怖いか
ら死ななくていい〜みたいにしか聞こえないっての!」
 大声で叫び、勝ち誇った笑みを浮かべているレグナットを指さす。
「なんじゃと?」
 レグナットの笑みが消えた。
「死ななくていいのはこの世界だけでしょ? ま、なに、地域限定ってやつ? 全然凄く
なんてないじゃない。それにここじゃあたしだって死なないんだから、今は同じよ」
「お主、我ら一族を愚弄してただで済むと思ってはおるまいな」
 冷たい殺気に満ちた瞳が柳華を射抜く。ゆっくりとレグナットが杖を柳華に向けた。
向けられた瞳の冷たさに全身が震えた。その目は……そう、あの殺し屋の目と同じだった。
 怖かった。逃げ出したかった。でも、右手に感じる温もりが恐怖から逃げようとするの
を否定した。
「罰なら後でなんでも受けてやるわ! だけどその前に煉を返しなさいよ!」
「ほう。一族を愚弄しておきながら願いじゃと? 片腹痛いとはこのことじゃ」
 鼻で笑うレグナット。彼の言うことはもっともだ。
―― あたしの短気! バカバカ!
 売り言葉に買い言葉だったとはいえ柳華は自分を叱った。
「しかし……」
 長い間を置いて、
「ワシの試練に合格すれば考えてやらんこともない」
「するする! あたしは何をすればいいの?」
「……いでよ!」
 レグナットが杖を横に薙いだ。闇を両断するように天へと続く光の階段が生み出される。
「この階段を上り終えた場所にいるものを倒せ。さすればお主の願い、煉という人間の精
神を返してやろう」
「やるわ」
 柳華は迷わず即答した。
「終わってから嘘とか言ったら絶対に許さないからね」
「妖精族の長老として誓おう。せいぜい自分の無力さに苦しむとよい」
 そう言い残してレグナットの姿が闇に消えた。
「うっさいわよ! ……絶対にこの上のヤツを倒してあの若作りジジイの鼻をあかしてや
るんだから!」
 ひとしきり地団駄を踏んでから柳華は階段を上り始めた。

 その頃、ミュウは柳華の心の波動を探して山を彷徨っていた。
「みゅ〜。感じない〜」
 もう山を2周も回ったのに柳華の波動を感じることができない。波動を感じないという
ことは最悪の事態も考えられるだけにミュウは不安になってきた。
「ま、まさかもう……ううん。ダメダメ。リュウカおこるとこわいからだいじょうぶ。ま
ださがしてないとこがあるんだよ、うん。ミュウ、がんばる!」
 頬を叩いて気合いを入れたミュウは再び柳華の波動を求めて飛翔した。

 階段をのぼり終えた柳華は広大な草原に立っていた。しかし草はおろか空もどす黒く、
湿った空気がなんとも気持ち悪かった。
 と、
「お姉ちゃ〜ん」
 いきなり煉が背中から抱きついてきた。
「うわっ。な、なに、どうしたのよ?」
「だ、だってずっと暗くて、お姉ちゃんの姿も声も聞こえなかったら心細かったよ〜」
「そ、そっか。でも大丈夫よ」
 振り返って涙を拭ってやる。それから優しく頭を撫でてあげた。
「あたしは絶対に煉をひとりにしないから、ね?」
「うん!」
 満面の笑みを浮かべて煉が頷いた─そのとき、
『グルルルルル〜』
 おぞましい唸り声が発せられて2人は飛び上がった。
「な〜んか嫌な予感」
「僕、後ろに何かいるような気がするよ〜」
 2人は恐る恐る振り返ってみる。
『グルルルルルルルル〜』
 振り返った2人は巨大な銀の狼が牙を剥いて立っているのを目にした。大きさは約4m
ほど。どうみても友好的ではない。
「ま、まさか!?」
『その通りじゃ。試練とはそのフェンリルを倒すこと。それも、互いの手を離さずにじゃ。
できなければ煉という男の精神もお主らの命もない。実に温情的で合理的な試練じゃろう』
 またレグナットの声が頭に響いた。容易に彼の嘲笑う顔が想像できる。
「こんなのと戦えっての」
 柳華は今にも襲いかかってきそうな狼・フェンリルを見た。勝てそうな見込みなんて1%
すらないだろう。武器でもあれば多少上がるかもしれないが、そんな物は期待できない。
「でも、それでも! なんとしても倒してやる。でないと煉を元に戻せないんだから!」
 その声が合図となった。フェンリルがその巨体からは想像もできない速さで襲ってくる。
「あ!?」
 驚く間もなく牙が柳華の右腕を捉えた。
『認識、強く思わなければ痛みはありません』
 サーラの言葉を思い出す。柳華は噛まれた事を忘れ、無我夢中で右膝をフェンリルの顎
に叩き込んだ。
『ガアアッ!』
 腕から牙を抜いて後ろに跳ぶフェンリル。右腕を食いちぎられるのだけは何とか避けら
れたが牙の食い込んだ箇所からは夥しい量の血が噴き出していた、
「はぁ……はぁ……うっ!」
 見てしまっては完全に認識しないということはできなかったらしい。鈍い痛みに襲われ
て柳華は膝を突いた。
「お姉ちゃん!」
 煉が心配そうに覗き込んでくる。
「大丈夫。絶対にあいつを倒すから。煉はあたしの手を離さないで」
「うん。離さないよ。絶対に離さない。他にできることない?」
「それだけで十分!」
 言って、柳華は無謀にも真っ正面からフェンリルに挑みかかった。

「あ、リュウカ……リュウカだ! で、でもこれって……いそがなきゃ!」

 試練が始まってたった3分。もう柳華は死んでもおかしくない傷を負っていた。牙や爪
で引き裂かれた全身からは大量の鮮血が流だしており、地面を真っ赤に染め上げている。
 しかし、柳華はそれを認めなかった。認めれば全てが現実となって襲ってくるのだ。
「お、お姉ちゃん……」
 満身創痍な柳華に煉が泣きそうな顔で声をかけてくる。
「大丈夫って言ったでしょ。あたしって演劇部に所属してるから役になりきるって得意な
のよね。今回は不死身の女騎士って感じかな」
 笑って柳華は答えた。
 けれども正直いってかなり辛い状況だった。体の動きも鈍い。目も霞んできた。
―― あたしは絶対死なない。死んだなんて思わない!
 死ぬと思ったら負けなのだ。負けは自分だけではなく煉の死を意味する。
―― けど呪いじゃないのに2人一緒に死んじゃうかもしれないっていうのも何か変よね。
よくよくあいつとは縁があるのかも。
 苦笑する柳華。
『グルルルル……』
 そろそろトドメをさそうというのか、フェンリルは頭を狙ってきている。さすがに頭が
なくなるのは嫌だ。
「煉は逃げることに専念するんだからね。いい?」
「う、うん」
「ん?」
 微かにポケットから振動を感じて手を入れる。震えの原因はサーラからもらった懐中時
計だった。
「なっ!?」
 懐中時計は夜の手前ギリギリをさしていた。時間がない。すぐにでも倒さなければ元の
煉は永久に戻ってこない。
「どうすりゃいいの」
 勝つ手だてが見つからず歯がみしたとき、
『この世界では精神の強さが……』
 ふとサーラの言葉を思い出した。
―― もしかして、一撃で倒せるって強く思えば倒せるんじゃない?
 それしかない。柳華は意を決して拳を握りしめると、挑発するように舌を出した。
―― もう一か八かよ。それで頭かじられたってかまわない! 勝てればそれでいい!
 フェンリルが地を蹴った。瞬きする間に巨大な顎が柳華の頭を食いちぎろうと開かれる。
あまりにも速すぎた。振り上げた拳が間に合わない、そう思った刹那、
「ひっさ〜〜〜つ! ろ〜りんぐさんだ〜あんぺあ〜〜〜〜〜!」
 上空から急降下してきたミュウがフェンリルの頭に拳を叩き込んだ。悲鳴を上げてフェ
ンリルの動きが止まった。
―― この一発で倒せる倒せる倒せる倒せる………ううん、この一発で絶対に倒す!
 拳に決意と想いをこめて、
「おねんねしなさい!!!!!!!」
 必殺の右アッパーを顎に叩き込む。
『ガアァァァァァァァァア!!!!!』
 轟音と地響き。地面に倒れ伏したフェンリルは燐光となって霧散した。
「や、やった。あはは、やっ……た…」
 そこで柳華の意識はなくなった。

「リュウカ〜!」
 ミュウは慌てて近寄り、
「お姉ちゃん!?」
 煉が柳華を抱き起こした。
「あ……息、してない」
「ヤダよ〜リュウカ〜!」
「お姉ちゃん! 息してよ! 目を開けてよ!」
 2人は大声で呼びかけるが、柳華は息を吹き返すことも目を開けることもなかった。
『ミュウよ』
 レグナットが姿を現す。同時に草は緑を取り戻し、空の闇は青に浄化されていった。
「長老様! リュウカをたすけて! 長老さまならできよね?」
 ミュウは泣きながら長老に懇願した。
「その前に……」
 レグナットが杖を横に薙ぐと膝を抱えた青年が姿を現す。……煉だった。
「この娘との約束じゃったからの」
「レン! ねえリュウカ息してないの! どうしようどうしよう?!」
 返事はない。抱えた膝の間に顔を埋めたまま動きもしなかった。
「リュウカがいきしてないんだよ! どうしちゃったの! ねえ、レン!」
「無駄じゃよ。そやつの心を開かぬ限りお主の声は届かぬ」
「なら長老様、はやくレンのこころひらいてよ〜!」
 レグナットは首を横に振った。
「できんのじゃ。だからワシはこの者を消滅することにした。このままにしておっても同
じ事じゃからの」
「う〜〜。長老様のウソつき! 長老様はなんでもできるっていったのに! ウソつきウ
ソつきおおウソつき〜〜〜!」
「仕方のないことじゃ。見知らぬ者の心を開くということは容易ではない。……じゃ
が、ミュウお主ならできるやもしれぬぞ」
「ふえ、ミュウが?」
 ミュウは何度も瞬きして驚いた。
「お主の一族は妖精族でも多くの役目をもっておる。その中に心の傷を癒す役目があると
いうのはまだ知らぬじゃろう」
「はつみみ〜」
「煉という人間を知るお前なら心に入ることもできるじゃろう。そして見事傷を癒すこと
ができたとき、月影煉は再びお主に語りかけてくるのじゃ。…やれるかの?」
「もち!」
 ミュウは即答した。それからすぐに心に入る方法を教わった。
「よいか?」
「うい! あ、長老様……リュウカのことおねがいね」
「安心せい。その娘はまだ生きておる。多くの精神力を消費したのじゃろう。力さえわけ
てやればその内目を覚ますはずじゃ」
「よかった〜♪ あ、そだ」
 ミュウは子供の煉に近寄った。
「ミュウがいないあいだリュウカをよろしくね」
「うん。ミュウお姉ちゃん、頑張って!」
「オ〜ケ〜!」
 ぴしっ、と敬礼して大人の煉の額に自分の額をつける。ミュウは煉の心に入っていった。

 心に入ると、一面の雪景色だった。
『父様と母様を見殺しにしたお前を私は許さへん。死にさらせ!』
 銃を向ける雫。撃たれて鮮血を流す煉。そんな自分の様子を連は膝を抱えた格好で見つ
めていた。
―― レン!
 嬉しくてミュウは煉の頬に飛びつく。
「…」
 しかし煉は無反応のまま、辛い過去を見ていた。場面が変わって実家の煉の部屋になる。
『もうここにいられない。嫌われたから、一緒にいると辛い。楽しい思い出があるからも
っと辛かった』
 過去の煉は壁に貼ってあった写真を剥がすと鞄に詰め込んで部屋を出た。
 部屋を出た煉はそのまま屋敷を出てゴミ捨て場へ行き、鞄に入っていた思い出の写真を
全て捨てた。翌日は日記を。次にプレゼントを。一日に一個ずつ、煉は今まで大切にして
いた思い出を捨てていった。
 そして1年後。屋敷を出た煉は時雨荘にやってきた。
『ずっと……ひとりか』
―― ちがう! レンはひとりじゃないよ! ミュウだってリュウカだっているよ! だ
からいっしょにかえろ?
 強く呼びかけるが、
『ウソだ。ほら見ろ、誰もいない』
 誰もいない部屋に煉は乾いた笑みを浮かべた。
―― これはむかしだからだよ。えっと……あう〜どうしよう〜。ここはレンのかこをみる
ばしょみたい〜。
 ミュウは煉の肩で悩んだ。
―― いやなことばかりのばしょにいたらかえってきたいとおもわないよ〜。う〜ん……そ
っか♪ かえりたいっておもえるばしょをみせればいいんだよね♪ あ、でも……。
 どうやって見せるのかがわからずミュウはがっくりと項垂れた。と、首にぶら下がって
いたカメラが眩い光を過去の映像に向かって放った。
『ちょっとご飯まだなの?』
 誰もいなかった部屋に柳華が不満顔な顔して立っていた。
『おなかすいたよ〜』
 ミュウも一緒だった。
『慌てるな。料理ってのは急いで作るよりも手間暇かけて作る方がうまいってもんだぞ』
『あんた、あたしを飢えさせる気?』
『……まさか』
『その間はなによ!』
 柳華のスリッパが煉の後頭部を殴打した。
『いい? はやく作りなさいよ!』
『……へいへい』
 眉根に皺を寄せ、口をへの字にして煉は料理を再開する。
―― あわわわ〜。こんなのじゃだめだよ〜
 しかし、
「……柳華……ミュウ」
 呟く煉の瞳に僅かながら輝きが戻っていた。
 場面が変わって食事風景。
 ミュウはヨーグルトに顔をつっこみ、柳華は作るのが遅いといいながらも顔をほころば
せながら料理を食べている。
「帰りたい……」
―― レン。……うん、かえろ! かえっておいしいごはんつくって♪
「でも、こんな俺じゃ嫌われるだけか……」
「馬鹿じゃないの」
 聞き慣れた声。直後、煉は後頭部を強かに蹴り飛ばされた。
―― り、リュウカがなんでここにいるの〜!?
「狼野郎と戦って疲れたもんで寝てたらさ〜何か暗すぎるヤツがいるじゃない? あたし
って根暗なヤツがだいっっっきらいなの。だからいてもたってもいられなくってさ」
「……そうか」
 項垂れる煉。
「ああ〜!」
 それを見て柳華は髪を掻きむしりながら地団駄を踏んだ。
「それをやめろってのよ! そんなんだからあんたの両親も心配するのよ」
「……だろうな」
「と、いうわけで、ご本人達に来てもらったわ」
 そう言って柳華は煉を立たせると背中を強く押す。
「お久しぶりね、煉」
「息災だったか?」
 顔を上げると、そこには死んだはずの響子と亮介が笑顔を浮かべて立っていた。
「父さん……母さん……どうして……」
「うふっ。私の息子ともあろう人が根暗でネチネチイジけてるって聞いたものだからとん
できたのですよ」
 頬に伸ばした手で頬を力の限りひっぱる響子。よく見ると額に青筋が浮かんでいた。
「こんな息子に育てた覚えはありませんのに……こ・ま・り・ま・し・た・わ!」
「ひ、ひはいよはあはん!」
 上下左右斜めに引っ張られて煉は声をあげた。
「ふん。仕置きだと思え。いいか、煉。お前が気に病むこたぁ〜ねえんだ。お前は俺たち
の願いを聞き届けてくれた、感謝してんだぜ」
 優しい父親の笑みを浮かべながら亮介は煉の肩に手を置く。
「それに息子を恨む親がどこにいやがる?」
「お父さんの言うとおりですわよ」
 頬から手を外し、響子は煉を優しく抱きしめる。
「あなたは私たちの自慢の息子なんですもの。恨むはずありませんよ」
「……ありがとう。ありがとう、父さん……母さん……」
 煉の瞳から涙が零れる。
―― ミュウもレンとずっといっしょにいるからね〜♪
 ミュウも2人に負けじと煉の頬にすり寄った。
「ああ。柳華も……その、なんだ……ありがとな」
「な、なによ。あたしはあんたいないと食事とか大変になるし、呪いで死ぬかもしれない
から……そ、それだけの理由よ!」
 大声で叫び、柳華は真っ赤になった顔を背けた。
「さあ、お行きなさいな」
 響子は煉の背を押す。
「成長したお前と会えて嬉しかったぞ。……雫と蒼司をよろしく頼む」
「柳華さんでしたね。煉のことよろしくお願いします」
 そう言い残して2人は姿を消した。
「じゃ、あたしも。目を覚ましたらまず一発殴るから」
 柳華も姿を消す。
「なあミュウ……」
―― なぁに〜?
「目を覚ましたら柳華もミュウもいないなんてこと……ないよな?」
―― うん。ぜったいにいるよ
「帰ったらクリスマスパーティーをするぞ。ケーキは奮発して生クリームと生チョコ二つ
買う」
―― わぁ〜い♪ たのしみたのしみ〜♪ それじゃあミュウもどるからレンもはやくね
 最後にミュウがいなくなった。

 ひとりになった煉は小さく息を吐いてからゆっくり振り返った。
「よかったね」
 もうひとりの煉が笑顔で立っていた。
「お前には本当に悪いことをした。辛いことを全て押しつけて……なんて言えばいいのか」
「ううん。気にしないで。役立つことができて嬉しいし、お姉ちゃんにも会えたから。優
しいよね、お姉ちゃん」
「少しガサツだったり3サイズをサバ読みする事があるがな」
 もうひとりの煉が冷ややかな視線を向けた。
「なんで知ってるの?」
「あ? 大学祭の時に眼鏡女が教えてくれた。なんで教えてくれたのかは意味不明だった
がな」
「ふ〜ん。……まあいいけど。お姉ちゃんをイジめちゃダメだからね」
「……考慮する」
「それじゃあ……」
 もうひとりの煉が右手を差し出す。過去の苦しみを肩代わりするという彼の役目はなく
なった。役目の終えた人格は主人格と統合する。二度と会うこともできないだろう。
「お姉ちゃんによろしくね」
「わかった」
 握手を交わす。もうひとりの煉は光となって煉に吸収されていった。

「……終わったか」
 統合した煉を感じ取ったレグナットは口元に笑みを浮かべると、
「わざわざ来てもらってすまんの」
 上を見上げた。黒のマントを羽織い、右手に巨大な鎌をもった少女が浮かんでいる。
煉の両親を連れてきた死神だ。
「よい。お主と我の仲ではないか。今度縁側で茶でも交わそうぞ」
「なら羊羹をもって行かせてもらうとするかのう」
「うむ。ではな」
 死神は鎌で切り裂いた空間の中へと姿を消した。
「ふう。今回はなかなか良心が痛んだのう」
「お疲れ様です」
「サーラか」
 彼女はにっこりと微笑んだ。傷ついた煉の精神をフェリーナへ呼び込んだのも全ては過
去の傷から立ち直させるためだった。破滅の妖精を呼びだすというのも、精神だけの人間
を消滅させるというのも全て偽りである。
 フェンリルは単なる幻影だった。ただ人間というものは脳が認識すれば怪我をしなくて
も痛みや傷ができる。精神が優位のこの世界なら尚更だ。もし諦めたとしても傷を癒して
煉も戻してやるつもりであった。
「どうやらミュウの試験は合格のようですね」
「うむ」
 もうひとつの目的。それはミュウに新たな力を与えるためであった。
 ミュウはサーラの後を継いで心の妖精族の次期長としての未来がある。もちろん彼女は
サーラが長という事実を知らないが。そのひとつの試練としてあの2人を利用した。
「あの2人には謝罪を入れぬといかんのう」
「何か3人に贈り物を差し上げてはどうでしょう」
「ふむ。しかし何がよいかのう」
 レグナットは顎に手をあてる。
「フェリーナしかなく、外界にはないすてきな贈り物があるではありませんか」
 そう言ってサーラは両腕を広げて空を見上げた。

 目を覚ました煉は大勢の人間に囲まれていた。雫、柳華、ミュウ、鈴城、坂下、そして
月影組の面々であった。
「煉!」
 まず雫が煉を抱きしめた。
「ねえ……さん?」
「そうや。姉さんやで」
「……帰って、きたのか」
 体に伝わってくる雫の温もりに帰ってきた事を実感していく。周囲を見渡すと柳華を目
が合う。何も言わず彼女はウインクした。それが全てを物語っていた。
 夢じゃなかった。両親に会ったことも……そして、
―― 俺が柳華相手に甘えていたことも。
口元がほんのわずか緩む。
「な、なんじゃこりゃ!?」
坂下が大声上げた。何事かと全員が坂下の視線の先……外を見て、そのあまりの美しさに
目を奪われた。
 黄金の雪が漆黒の空から降り注いでいた。

『柳華殿、煉殿。フェリーナではすまなかった。謝罪も含めたワシからのクリスマスプレ
ゼントじゃ』

 頭に響いた声に柳華とミュウは顔を見合わせたあと、笑った。

 12月24日の夜。
 後の歴史にも語り継がれていく『黄金の雪』は多くの幸せと笑顔を人々に与えた。

 煉に笑顔が戻ったのは、その翌日であった。

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