第四十二話「ひとりじゃないよ」
 ミュウとイーラの戦いはイーラに分があった。
「くうっ!」
 憎んではダメとわかっていても煉と柳華、色々な人を傷つけた彼女を許せなかった。た
とえそれがイーラの力を強めるとわかっていても。
「あっははははは! 馬鹿な子! 私を憎めば憎むほど貴女が苦しむというのに!」
 闇が白を浸食していく。このままだと闇に飲み込まれて消えてしまう。
「たのしかったこと。うれしかったことを考えないと!」
「そんなことはさせない!」
 イーラが漆黒の稲妻を放った。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!」
 全身を稲妻が駆けめぐる。全身を針で突き刺されたような痛みが襲ってきた。あまりの
痛みに一瞬気を失ってしまいそうになるのを、唇を噛みしめてミュウは堪えた。
「まけ……ないもん!」
 イーラを見据えてミュウは叫ぶ。
 ここで負けたら煉にも柳華にも、母にも姉にも誰にも会えなくなってしまう。
「ほらほらどうしたの? もっと良い声で叫びなさい!」
「うう……レン……リュウカ……」
「無駄よ。じきにあいつらも死ぬ」
 もうろうとなる意識を繋ぎ止めようと、
「おかあさん……おねえちゃん……ちょうろうさま……シェザール……」
 ミュウは親しい者の名前を呼んだ。
「そいつらも私が殺してやるわ」
「…みんな……やさしいんだよ?」
 イーラの動きが一瞬止まった。
「何を言っているの?」
「遊んでくれて、おいしいご飯を作ってくれて、こまってたら助けてくれて、かなしいと
きに優しくだきしめてくれて、うれしいときには一緒によろこんでくれて……みんなみん
な、とっても優しいんだよ」
 ミュウは笑った。
 守るように白い光の幕が包み込む。ミュウを苦しめていた稲妻は届くことなく霧散して
消えていく。再び白い光がふくれ始めた。
「くっ! そっちが力を増すなら……憎しみよ、私の元へ!」
 両腕を広げてイーラが叫ぶ。
 白と闇が世界の中央で拮抗する。いや、徐々に闇が白を押し戻し始めた。
「あっははははは! いくら貴女が力を上げようとも、世界はいま負の力であふれている。
私の力が貴女より劣ることは決してありえないの。さあ、このまま一気に負の力で取り込
んでやるわ!」
「ミュウ、まけない。ミュウはひとりじゃないもん!」
「ならどうして助けてくれないの? それは貴女がひとりだという証拠じゃないの!」
 闇が一気に白の世界を浸食していく。
「見てご覧なさい!」
 闇の空間にいくつもの映像が映し出された。
 殴り合う親子・恋人同士・友人・家族・仲間。そこに思いやりはない。あるのは相手へ
の強い憎しみだけ。たとえ相手が動かなくなってもやめない。
 見ているだけで胸が痛む悲しい光景だった。
 悲しみがミュウの力を弱めてしまう。
「親子の絆なんて、恋人の愛なんて、友との友情なんて、憎しみが強まれば脆いものなの
よ。簡単に裏切り、傷つけてしまう。貴女とあの二人の絆や思いだって同じよ。だから来
ない!」
 浸食され続けた白の世界はミュウひとりがいられる大きさになってしまう。
「ちがうもん。…レンもリュウカもミュウを好きだって……いってくれた」
「それは偽りの言葉」
「ミュウだってみんなのこと好きだもん。……大好きだもん」
「……そのままつまらない幻想を抱きながら消えてしまいなさい」
 冷たい笑みを浮かべてイーラが言った。
 その声をどこか遠くに感じながらミュウはそっと目を閉じる。暗い。何も見えない。何
も聞こえない。ひとりぼっちの世界。
―― ……そっか。だれもミュウのこと好きじゃなかったんだ。
 もうイーラに勝つことなんてどうでもよくなった。このまま寝てしまおう。そうすれば
苦しいこともなくなるはずだから。全てを諦め、全てを忘れてミュウは眠りにつこうとし
た。そのときだった。
『忘れないで……』
 とても懐かしい詩声が聞こえてきた。

 目を閉じればそこは暗い闇だけの世界

 誰もいない、何も見えない。ひとりぼっちになったみたいでとても寂しいね

 でも、怖がらないで。悲しまないで。目を覚ませば。目を覚ませば……

―― これは、いつもおかあさんが寝る前に歌ってくれた……。
 子守詩だった。ゆっくりとミュウは目をあけた。

 きっと私があなたの前にいるから。

 決してひとりにはしないから……。

 目をあけたそこには……。

 完全にミュウが闇に飲み込まれた。白は闇が全てを呑み込み一寸もない。
「これで、……これでこの体と心は私の物になったのよ!」
 心の奥底から喜びがこみ上げてくる。
「はは……やったわ! これでもう消える不安に怯えることもない。あとは全ての存在を
憎しみで――」
 そこでイーラは言葉を止めた。いや、止めざるを得なかった。光が、取り込んだ白の光
がミュウと共に再び現れたのだ。
「な、なによ。……いったい何が起きたというの?!」
『大切な娘を消されてしまっては困りますのよ』
 蒼い髪の妖精が新たな光を伴って現れた。
「なっ!」
 彼女だけではなかった。次々とミュウを守るかのように両腕を広げた妖精達が現れる。
たちまち闇の世界は白い光に取って代わられた。
『私たちはミュウをひとりになんてしない。ミュウが私たちを想ってくれるように私たち
もミュウを想っているから』
「こんな……こんなことが……」
 その場にぺたん、とイーラは膝をついた。
 争っていた人々が次々と眠っていく。みな安らかに。幸せそうな笑顔を浮かべている。
あれほど色濃かった憎しみが世界から消えていた。
―― 勝てない。勝てるはずがない。力もなければ私には誰も側にいないのだから。
 力を失ったイーラに戦おうという気はもはや残っていなかった。

 大勢の妖精達を見つめるイーラは、ただ消えてしまう事への恐怖に震える、か弱い少女
だった。

「おかあさん…おねえちゃん……みんな……」
 身を起こしたミュウは涙を浮かべた。
 温かい。ひとりじゃないのはこんなにも温かい。とても嬉しくて、幸せな気分だった。
『遅くなってしまってごめんなさいね』
 サーラが優しく抱きしめてくる。
「ううん。ありがとうおかあさん。お姉ちゃんも」
『泣くのはまだはやいよ』
 ぽん、と背を押された。
『ミュウにはまだやることが残ってるんだから』
 そう言ってフェリスが妖精達に囲まれているイーラを指差す。
「うん」
 ゆっくりとミュウは歩み寄った。
 ミュウが近づくと、震えながらイーラが首を左右に振りながら後じさる。
『何をするかはもうわかってるよな?』
 いつの間にか煉が右隣に、
『あいつも寂しかったのよ』
 柳華が左隣に立っていた。
「うん。わかってるよ」
 笑って頷いてからミュウは、そっと優しくイーラを抱きしめた。
「いやだ。……消えたくない…消さないで……」
「消さないよ。だってイーラはミュウだもん。イーラはミュウから生まれたんだから」
 震えるイーラの頭を何度も撫でてあげる。優しく、優しく何度も。
「え……」
 イーラの震えが小さくなった。
「一緒に生きていこうよ、二人で」
「二人…で?」
 目を丸くしたイーラが上目遣いで見上げた。
「うん、二人で。あ、他にもレンやリュウカやおかあさんやおねえちゃんやえ〜と……う
ん、いっぱいの仲間が側にいてくれるから、きっと楽しいと思うよ♪ ね? ……一緒に
いこう」
 にっこりとミュウは満面の笑みを浮かべた。
「いいの?」
「駄目だったらミュウは言わないよ。ほら、行こうよ」
「……うん」
 イーラも泣きながらも満面の笑みを浮かべて、何度も頷いた。

 たくさんの笑顔に見守られながら抱きしめ合うミュウとイーラ。
 闇は消え去り、全ては白い光へと。
 憎しみは喜びへと

 『ありがとう』

 特別展望台─上

 ミュウから発せられる白い光を見たレグナットはその場に膝をつき、
「終わった……ようじゃの」
 汗まみれの顔に笑みを浮かべた。
「うむ。……それよりも体の方はよいのか?」
「ちと辛いが─」
 ナウローラの肩を借りて立ち上がり、レグナットは身を寄せ合いながら眠っている煉と
柳華を見た。あのまま漆黒の電流を浴び続けていれば死んでいた。そうなれば再びミュウ
は自分を責め、憎むに違いない。そうならぬよう二人に治療魔法をかけ続けた。
 そのかいあって二人の傷はそれほどでもない。2週間もあれば傷は完治するだろう。
「あの二人を死なせるわけにはいかぬからな」
「そうだな。……しかしながら、そなたは今回活躍しなかったな」
「ワシも老いぼれたということじゃよ。そろそろ誰か若い者に長老の座を譲って隠居でも
するかのう」
「何を言うかと思えば。老け込むにはまだ早かろう」
「お互いにな。……では行くか」
 転移魔法を起動させる。
「どこへだ?」
「ワシの屋敷じゃ。慌ただしかったのでクロノス様を置いてきてしまった。きっと怒って
いなさる」
 憤慨を表すかのようにテーブルの上でカメラが転がり続ける様を思い浮かべてレグナッ
トは苦笑した。
「小言だけで済めばよいがな」
「いくらでも聞く覚悟じゃよ。破壊された建物を直すにはクロノス様のお力をお貸し願わ
なければならぬからな」
 精神を集中させる。魔法陣の輝きが増した。
 もう一度レグナットはラボーラの上で身を寄せ合っている3人を見た。
―― ……お主達の絆…見せてもらったぞ……。
 心の中でそっと呟く。
 光に包まれた二人は、その場から姿を消した。

 翌日、人々は何事もなかったように日常の生活を送っていた。


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