第四十一話「憎しみと思いやり」
一瞬にしてミュウの眼前にたどり着いた。
「ミュウ!」
 大声で呼びかける煉。その声に対するミュウの答えは、
「お前は邪魔だ」
 底冷えした声と黒い稲妻だった。危険を察知したラボーラが右に旋回して稲妻を避けた。
「くそっ。あんな魔法まで使えるようになってるのか」
 ミュウを見ながら煉は舌打ちした。あれでは容易に近づけない。どうにかしなければと
思っていたそのとき、
「ケェ〜〜〜〜〜!!」
 ラボーラが一声鳴いて90度傾いた。
「なっ!?」
 いきなり足下がなくなる。慌てて煉は羽根にしがみついた。
「いったい何だ!」
 周囲を見まわした煉はすぐに理解した。ヘリコプターだ。ラボーラはヘリと正面衝突を
避けるために身を傾けたらしい。
「プロペラ音なんて聞こえなかったぞ。……まさかそれもミュウの仕業か」
 頬を伝う冷や汗を拭う煉。稲妻を出すくらいだ、音を消すくらい造作もないに違いない。
「しかし何でこんな所にヘリが。ん? あれは……柳華?」
 目を凝らしてヘリを見る。ヘリの側面の扉から顔を出しているのは、間違いなく柳華だ
った。

 扉を開けた柳華は我が目を疑った。
「あれが本当にミュウ……なの?」
 信じられない。可愛くて、笑顔の似合うミュウがあんな変わり果てた姿になるなんて。
「もっと近づけて!」
「無理です。この周囲だけなぜか気流が乱れている。場所を維持し続けようとすれば操縦
不能になって墜落しますよ」
「ああ、もう! だったらミュウの近くを横切って!」
「何をするつもりですか」
「決まってんじゃない。ミュウの前に来たら飛びついてやるのよ」
「死ぬ気ですか!? 避けられるに決まっている!」
「うっさい! いいからあんたは言われた事をやりゃあいいの!」
 柳華は大声で叫んだ。
 正直言って怖い。昴の言うとおり今のミュウなら避ける方が当然だろう。でも、賭けて
みたかった。
―― ミュウならきっとあたしを避けない。
 信じたかった、自分を好きだと言ってくれた子を。
「……わかりました。ならば行きます」
 ヘリが旋回しながらミュウへと突き進んでいく。そしてミュウの横を通り過ぎる直前に
柳華は跳んだ。パラシュートはつけていない。もし失敗すれば、ミュウが避ければ確実に
死ぬ。恐怖と必死に戦いながら、
「ミュウーーーーーっ!!!!」
 大声で呼びかけた。

 ミュウは漆黒の世界の中にぽつんと存在する小さな白い世界で膝を抱えていた。
「もうすぐ消えるわね」
 忽然と現れた黒髪の自分。憎しみが集まって生まれた存在が彼女だった。
「もうやめようよ。こんなことしたって何にもならないよ!」
「私が楽しければそれでいいの。それに、私を生み出したのは貴女なのよ。私は貴女がし
たいと思った事を代わって実行しているの」
「そんなこと思わないもん! ミュウはみんなに笑ってもらってたほうがいい!」
 ミュウは首を振りたくりながら叫んだ。
―― 好きな人どうしがケンカするところなんてみたくない。
 そんなのは悲しすぎる。
「ふふふ。何もできない貴女が言っても滑稽なだけよ。消滅する恐怖に堪えながら……ど
うやら邪魔が入ったようね」
 もうひとりの自分が後ろを振り返る。と、漆黒の世界に柳華の姿が映し出された。
「邪魔者は消さないとね」
 そう言い残して姿を消す。
「消すって……」
 その言葉を何度も頭の中で反芻する。
―― 消す……消す……消すってことは……殺すってこと?
 言葉の意味を理解したとたん全身を冷たいものが走った。
「ヤダ……そんなのヤダ! 駄目に決まってる!」
 ミュウは立ち上がり、じっと漆黒の世界を見据えた。

 名前を呼ばれて漆黒のミュウは顔を上げる。ひとりの女が両腕を広げてこちらに落下し
てきていた。
「しののめ……柳華」
 女の名前を呟く。
 今のミュウはミュウであってミュウではなかった。憎しみが凝り固まって生み出された
人格。それが今のミュウであった。
「ふふふっ。馬鹿な女。避けるとわかっているのにわざわざ死ににくるなんて」
 今のミュウにとって柳華と煉は邪魔者以外の何者でもない。避けて無様に落下していく
様を見てやる。そう思って後ろに移動しようとして、しかしできなかった。
「なぜ!?」
 焦りの色を表情に出しながら必死に移動を試みる。それでも動くことはできなかった。
『リュウカを死なせたりしないんだから!』
 柳華が目の前まできたときに、その声が頭に響いた。
「まだこんな力を残していたのっ!」
 忌々しげにミュウが舌打ちする。柳華がミュウに飛びついたのはそのすぐあとだった。
「離せ!」
「離すわけないでしょ! あんた自分が何やってんのかわかってるの!」
「わかっているとも。私はお前達人間を憎しみで支配してやるのさ! それが私の生まれ
た訳であり存在理由!」
 言いながらミュウは柳華の腹部を殴った。
「ぐっ! あ、あんた、ミュウじゃないわね!」
「そうよ。私はミュウなんて存在じゃない。我が名はイーラ! 全てを憎しみで支配し、
滅ぼす者!」
 再度腹部を殴る。柳華の顔が苦痛に歪んだ。
『やめて!』
 頭にまたあの女の声が響く。小賢しい。だがもうさっきのような強制力は出せないよう
だ。ならば絶望を与え消滅させてやる。
「貴女にも滅びをくれてやるわ」
 イーラは右手に漆黒の雷を生み出し、その手を柳華に押しつけた。手から柳華の全身へ
と雷が迸る。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!」
 柳華が絶叫を上げた。象ですら10秒も浴びせれば死に至らしめる雷だ。
「いい悲鳴ね。心が弾むわ」
 喜びに打ち震えながらイーラは柳華の喉を掴み上げる。
「み、ミュウ……」
「さよなら」
 イーラは手を離した。
 落下して小さくなっていく柳華。だが突如横からやってきた黒い影によって受け止めら
れた。
「ちっ」
 柳華を助けたのはもうひとりの危険人物─月影煉だった。
「どうやら、あの二人は同時に殺さないとダメのようね」
 嘆息しつつも楽しみが続くことが内心嬉しかった。
 イーラは二人を見据えながら宙に文字を描いていく。描かれた文字はまるで磁石に吸い
寄せられる砂鉄のように二人の元へ。
「ふふふふ。苦しみ、お互いを嫌って死んでいくがいいわ」
 すぐに訪れるであろう結末を考えながらイーラは笑った。

「おい、大丈夫か! 目を覚ませ、おい!」
 何度も柳華に呼びかける。
 小さな呻き声を上げて柳華が目を覚ます。ホッと煉は胸をなで下ろした。
「れ……ん」
「動けるか?」
「あはは、ちょっと無理みたい。さすがにあの電撃は効いたわ。…そうだ。煉、あのミュ
ウはミュウじゃない。憎しみが集まってできた存在がミュウの体を支配してるみたい」
「だろうな。あの姿を見ればすぐに予想できる」
 言いながら顔を上げた煉は眉根を寄せた。
「何だ? ……文字?」
 見たこともない黒く輝く文字だった。
 その文字は目の前までやってくると、一旦停止し、煉が訝しんで触れようとしたとたん、
二つに分かれて体に入ってきた。ひとつは自分に。もうひとつは柳華に。するとその次の
瞬間、握っていた手から漆黒の電流が迸った。
「ぐあぁぁぁぁぁぁぁぁあ!」
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁあ!」
 全身を襲う激痛と痺れ。慌てて煉は柳華から離れた。
 すると電流は消失する。代わりに全身を焼けそうな熱と息苦しさが襲った。
「ぐっ…こ、これは…呪いの……」
 思わず喉を押さえてしまう。間違いなく呪いの最終段階時に襲ってくる苦しみだった。
「り、りゅう…か……あぁぁぁぁあ!」
 呪いから逃れようと柳華に触れた煉は再び襲った電流に声を上げた。

 その様子をイーラは楽しそうに見つめていた。
 先ほどの文字には呪いのリミットを一瞬にして残り1分にし、さらに互いが触れようと
すれば電流が襲うという仕掛けを施しておいたのだ。
「ふふふっ。さあ、呪いで死ぬか電流で死ぬか苦しみながら選ぶといいわ」
 ひとしきり笑い続けていたイーラは、ふと思いついたように言った。v
「そうそう。どちらかが死ねば苦しみから解放されるわ。生きる選択肢が増えてよかった
わね」
 どれを選ぶかなんてわかりきっていることだ。
―― 人間ならきっと生き残ることを選ぶ……。
 さあ、選ぶといい。
 そして、
「己を憎み、怒り狂って命を絶ってしまえばいいのよ」
 冷めた目でイーラは二人を見下ろした。

 苦しみながら煉は必死に考えた。
―― どうすればいい。触れなければ呪いで苦しみ、触れれば電撃で苦しむ。……あの女の
言っていることが本当なら俺が死ねば柳華が助かる。いや、柳華を殺せば俺が助かる?
 考えて煉は自分の顔を殴った。
―― 馬鹿野郎! 何を考えたんだ。そんなことできるわけあるか。だが打開策が……。
 考えても考えても答えがでない。
「く…そっ…」
 歯がみしながら拳を握りしめる煉。その拳に柳華がそっと触れた。
「あたしは……死ぬ、なら……煉と…触れながらが……あぁぁぁあ!」
 電流に苦しみながらも柳華は笑っていた。
「……はは、そ、そうだな。同感だ」
 苦しみに耐えながらつられて煉も笑う。
 そうだ。どちらを選ぶのかなんて考えるまでもなかった。
「だが俺はまだ死ぬつもりなんてない。…少しの間……我慢してくれ」
 そう言って煉は髪を結い上げている柳華のリボンを取ると、手が離れないようにきつく
しばった。電流はなおも二人を襲い続けていたが、さっきよりも痛みは感じない。痛覚が
マヒしたのか、覚悟の心が痛みを押さえているのかはわからない。
 どちらにせよ好都合だ。
「待ってろよ。いまそこに行ってやる!」
 煉はラボーラを叩いてミュウへと向かわせた。

「なぜ?! なぜ殺さないの?! なぜ死なないのよ!」
 イーラには理解できなかった。呪いはどちらかが死ねば解除するように仕掛けておいた。
そうだ。人は自分が助かる為なら他人を容易に殺す。そのはずではなかったのか。
「な、何なのよ……貴方達はいったい何なの!?」
 迫ってくるラボーラにめがけてイーラは稲妻を放った。
 しかしラボーラはまるで来ることがわかっているかのように全ての稲妻をかわしながら
迫ってくる。
「来るな……来るな! 来るなぁぁぁぁぁあ!!!」
「ミューーーーーーーウ!!!!!」
 両腕を広げた煉に抱きしめられた。不快な何かが体の中に渦巻く。
「は、離せ! 離せ!」
 半狂乱になって叫びながらイーラは全力で稲妻を煉に放った。
 それでも煉は、
「アホ。誰が離すか。……ほら、早く帰ってこい」
 優しく笑っていた。
「そう…よ。あたし、たち……には、あんたが……必要なんだから」
 柳華も笑っていた。
「あ、ああ…あ……レ、ン…リュウ、カ…な、なな何なのこの感情は……やめろ! 私が、
私が消えてしまう!」
 イーラは自分の存在が薄れていることに恐怖した。
―― イヤ! 消えたくない! どうすれば、どうすれば……そうよ!
 助かる方法を思いつき、イーラは精神の中に潜った。
 未だに小さいながらも存在する白い世界に入り込む。いや、白い世界は徐々に広がって
いた。
「お前さえ、お前さえ消えてしまえば!」
 不快の元凶。ミュウを消してしまえばいいのだ。そうすれば消えずに済む。
―― この体も心も全て私のものに!
 狂気に満ちた笑みを浮かべてイーラは右手に漆黒の魔力を集中させる。
「ミュウはきえないもん! みんなにごめんなさいして、レンとリュウカとずっといっし
ょにいるんだから!」
 対してミュウも白い魔力を放出しながら真っ直ぐにイーラを見据えた。

 ミュウとイーラ。

 お互いの存在をかけての戦いがいま始まろうとしていた。


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