第四十話「ミュウの元へA」
柳華−

 上から聞こえてくるプロペラ音。下には小さくなった人やビル。あれから自転車で1時
間ほどの場所にあった陸上自衛隊の基地に忍び込み、争っている兵隊達に気づかれないよ
う軍用の輸送ヘリを盗んだのである。
 いや、気づかれないというのは嘘だ。気づかれて数十の銃口を向けられた。まるで漫画
やアニメの世界でしかありえないような状況。さすがに現実では逃げられない。そう思っ
たが、昴が持っていたスタングレネードの一発で呆気なく危機はさった。
 いったいどこでそんな物手に入れたのかを聞くと、
「秘密です」
 その一言で疑問は闇に葬られた。さらに昴はヘリコプターを難なく操縦している。これ
だけの事があって未だに柳華は今が夢か現実かわからないでいた。
 しかしそれも東京タワーが見えてくるまでだった。
「あそこにミュウがいるのね」
 じっと柳華はまだ小さいタワーの天辺を見据える。ミュウがいることも、彼女が世界中
を混沌に陥れたことも全て現実なのだ。
「おそらくあの黒い渦のような所ですよ」
「あんでそう言い切れんのよ」
「誰がどう見てもタワー付近で変な所はあそこしかありません」
「そう言われるとそうだけど……ねえ、ひとつ聞いてもいい?」
 頭をぽりぽり掻きながら柳華はちらっと昴を見た。
「君から質問とは光栄ですね」
「あんで当たり前のように操縦してんのよ」
 柳華は操縦席をざっと見まわす。操縦桿はわかるとして、他には何に使うんだかわから
ないスイッチやら色々ある。知識もない人間が扱える代物じゃないのだ。
「人の上に立つ者は多彩な技能をもっていなければならないそうです」
「は?」
 訳がわからず柳華は聞き返す。
「こちらにも色々とあるんです。僕の話よりも、ミュウさんの事を考える方が優先のはず
ではありませんか?」
「そうだったわね」
「彼女に近づくまではいいとして、その後はどうするんです。なにか元に戻す方法がある
のですか?」
「ない」
 きっぱりと柳華は言った。
「ならどうするのですか?」
「あたしができる事をするだけよ」
 黒い渦を見据える柳華。喜びがミュウの憎しみをうち消すのだとレグナットは言ってい
た。ならミュウが喜ぶような事をできる限りしてやるしかない。作戦なんていう予め決め
た行為じゃなくて、そのときしてあげたいと思った事でミュウを取り戻すのだ。
「君らしい考えです。なら急いで向かうとしよう」
 微笑を浮かべて昴はタワーを見すえる。

 ヘリはスピードを上げて真っ直ぐタワーへと向かっていった。

 煉─

 道路は乗り捨てられた車や大破した車、そして車に乗っていたであろう人々で埋め尽く
されていた。そんな中を40台以上のバイクが突き進む。
「死にたくないヤツは道を空けな!」
 先頭を切ってハーレーダヴィットソンを運転していた雫が叫ぶと、組員達が銃口を空に
向けて引き金を引いた。轟く銃声に人々は蜘蛛の子を散らすように逃げていく。まるでモ
ーセの十戒のようにタワーへの道が開けた。
「ええな〜。なんや世界が私にひれ伏した感じや」
 両手で自分の体を抱きしめながら恍惚とした笑みを浮かべる雫は、着物ではなく白と青
のバイクスーツに同色のヘルメットという服装だ。
「姉さん、手放し運転はやめてください!」
 後ろに乗っている煉は本気で焦った。
「安心しいや。両手離し運転は最長20秒の記録あるさかいな」
 笑顔で言う雫に煉は何も言わずに頭を抱えた。
―― 安心できるわけがない
 できることなら自分で運転したかった。しかしながら運転免許を持っておらず、さらに
は動かしかたもわからないので断念。こうして雫に掴まりながら頭を抱えているわけであ
る。もはや事故にならないよう祈るしかできない。
「大丈夫ですぜ兄貴。姐さんのバイクテクは並じゃありやせん。その昔は響子姐さんと親
子で暴走するしか能のない族ども蹴散らしていやしたんですから」
「修羅の雫のふたつ名もあるんやで」
 自慢するように雫は胸を張った。
「はいはい。自慢は後でいくらでも聞いてあげますから、今はタワーに少しでもはやく到
着することだけを考えてください」
「わかってる。ほな本気出すかな」
 そう言って雫が急にスピードを上げた。恐る恐るスピードメーターを横から見る。時速
120キロ。煉の顔から血の気が引いた。もし放り出されたら高確率であの世行きだ。
「おらおら行くで野郎ども! 標140! っ走るで!」
『がってんでさ!』
 さらにスピードが上がっていく。
―― 生きて到着してくれ……。
 必死に神に祈りながら目をつぶってどれくらいがたったかわからなくなった頃、
「ついたで」
 タイヤの擦れるけたたましい音と共にバイクが止まった。バイクから降りて煉は一度深
呼吸してから、
「生きるってのは素晴らしい事だ……」
 二度と乗るまいと誓いながら、しみじみと呟く。まだ体が少しすくんでいた。
「ほれ! へこたれるのは全部終わってからや。顔を上げてみい」
 尻を叩かれる。言われたとおりに顔を上げた煉は目を見張った。タワーの展望室付近。
そこに闇を吸い込むようにして黒い渦が渦巻いていた。
「あそこにミュウがいるのか」
 自分に言い聞かせるように煉は言った。
「そうとしか考えられへんな。で、どうやってミュウちゃんを元に戻すんや?」
「わかりません」
 煉は即答した。
「はぁ? ならここで手をこまねいて見てるいうんか」
「誰が手をこまねくなんて言いました。何も考えずに自分がやれる事をやって助けるって
ことです」
 バイクから降りてタワーの中に入った。すぐにエレベーターを見つけてボタンを押す。
幸いエレベーターは生きていた。
「上に行くのはええとして、それからどないするんや? あの子は空に浮いてるんやで」
「レグナットにどうにかしてもらいます。魔法で空を飛べるようにしてくれるでしょうし」
 小さな電子音の後にドアが開いた。
「行きましょう」
「悪いけど煉ひとりで行きや」
「なぜ――」
 振り返った煉は言葉を失った。
 いつの間にか数百人もの人々に囲まれていた。誰一人として正常な顔をしていない。開
かないようにしておいた正面入り口をこじ開けようとしている。もし扉が開けば一斉に襲
いかかってくるだろう。
「どうやら上に来てほしゅうないようやな。……お前達、覚悟はええな?」
 雫は組員達を見まわしながら言う。誰もが力強く頷いた。
「何を言って……」
「ウチらはここであいつらの相手をする。誰も煉の邪魔をさせはせえへん」
 どこかでガラスの割れる音がした。
「相手の人数はこっちの倍以上もある! 無理です!」
 正面入り口も鉄パイプで叩き割られた。
「そう思うならさっさと行ってミュウちゃんを元に戻さんかい! そうすれば私らは助か
る! 違うか?!」
「……」
「たまには弟を守る姉をさせてや」
 優しく抱きしめられる。が、すぐにエレベーターに突き飛ばされた。あまりにも強く突
き飛ばされて煉は尻餅をついてしまう。
「しっかりやりや」
 雫がボタンを押す。扉が閉まってエレベーターは上昇を始めた。
「姉さん……くそっ!」
 煉は頬を叩いた。
―― くよくよするな! ミュウを元に戻せば姉さんや組員達を助けることになる!
 気持ちを切り替える。今はミュウを元に戻すことだけを考えるのだ、そう自分に言い聞
かせた。少ししてエレベーターが特別展望室で停止する。
 扉が完全に開くのも待たずに煉は飛び出そうとして、
「ようやく現れたか」
 少女に気づいて足を止める。背丈は小学生くらい。全身を黒のマントで覆っている。ま
るで魔女のような出で立ちだ。
「誰だお前は?」
「こうして顔を合わせるのは初めてだな。我が名はナウローラ……死神だ」
「どうして死神がここにいる」
 煉はナウローラを鋭く睨みつけた。しかし彼女は臆することもなく、
「命令でな。今から6時間以内に元に戻らなかった場合にミュウの命を消す」
 静かに告げた。
「貴様!」
 煉はナウローラの無表情な顔めがけて殴りかかろうとして動きを止めた。目にも留まら
ぬ速さで巨大な鎌の刃を首筋に突きつけられていた。
 ほんの少しでも動けば多量の鮮血が吹き出すだろう。歯がみしながら煉は小さな死神を
睨んだ。
「早合点するな。我はお前の敵でなければミュウをこの手にかけたいとも思ってはおらぬ」
 鎌を引いてナウローラは左を指さした。
「ミュウ!」
 その方向へ顔を向けた煉は目を見張った。
 あの元気な笑顔しか見せないミュウが残忍な笑みを浮かべて何かを見ていた。目線を下
にずらす。
「レグナット」
 激しく肩を上下させるレグナット。ミュウは彼が無力であることを楽しんでいたのだ。
「今のミュウにはレグナットの魔法も通じぬ。頼みはもはやお主だけとなった」
「くっ……おい、俺をミュウの所に連れて行け!」
「よかろう。レグナットからも主をミュウの元へ送り届けてほしいと言われている」
 頷いたナウローラは鎌を持つ右腕を高々と掲げると、呪文を唱え始める。
「早くしろ!」
 一刻も早くミュウの元へ行きたかった。たった数秒でも待っているだけで心が苛立って
くる。
「急かすでない。……来るがよい! 我がしもべ――ラボーラ!」
 外に向かって鎌が振り下ろされる。
 虚空に黒い裂け目ができ、ガラスの割れた音を伴ってその中から一匹の巨大な鳥が姿を
現した。
「ゆくぞ」
 ナウローラの声が聞こえたかと思うと、煉は展望室の外─鳥の背に立っていた。
「なっ!?」
「一時的にこやつを貸してやろう」
「ありがたく使わせてもらう」
 答えて煉はミュウを見上げる。
「すぐに戻してやるからな。……よし、行け!」
 煉の命令を了承するかのように高らかに鳴いたラボーラは翼を広げミュウへと直進する。

 ラボーラと煉の行動を見たミュウは、嘲笑を浮かべながら右手を天に向けるのだった。


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