第三十八話「事件の発端」
 ミュウが外界で大事件を起こしているとは知らずに煉達はフェリーナに訪れていた。
「ここへ来るのも二度目だけど…よく見ると童話に出てきそうな所よね」
 柳華はきょろきょろとリーンの村を見渡した。赤・青・緑・黄。多彩な色の壁をした可
愛らしい家があった。村を囲むように生い茂っている背の高い木々の近くでは幼精が楽し
そうに飛翔している。もし絵本作家がこれを見たら絵本を描かずにはいられないだろう。
「変ね」
「あにが?」
「成妖が見あたらない。いつもなら幼精達と一緒にいるはずなのに……」
「……それは確かに不自然だな」
 煉も同意する。不審に思いながらも三人はミュウの家に向かうと、疑問の答えがそこに
あった。
「いたわね」
 家を大勢の成妖達が囲んでいた。
「いったい何があったんですか?」
 フェリスが一番外側にいた成妖に訊く。
「あ、フェリス大変なのよ! ミュウが外界で大変な騒ぎを起こしてるの!」
「ちょっとそれどういうことよ!」
 信じられなくて柳華はその成妖に詰め寄った。
「それはワシから説明しよう」
 群衆がふたつに分かれてレグナットが姿を現した。横にサーラもいる。二人とも暗い表
情をしていた。
「ならさっさと説明してもらおうじゃないの」
「わかっておる」
 煉や柳華の存在に驚く様子を見せずレグナットは一度成妖達を見回すと、
「お主らは先ほど話したとおり動いてくれ。子供らは家に入れて決して外には出さぬよう
にな」
 成妖達は一斉に頷いてから散り散りに去っていく。全ての成妖達がいなくなったのを見
計らって、
「話は中でするとしよう」
 レグナットは家の中に入っていった。

 テーブルの席に座った柳華の前に青く透き通った飲み物が置かれる。
「で、ミュウが大騒ぎ起こしてるってどういうことよ?」
 柳華はレグナットを睨みつけた。
「実は外界ではいま全ての生き物が互いを憎しみあい、争いをしておる」
「全てって……世界中でってこと?」
 レグナットは小さく頷き、
「ミュウが放出している憎しみの波が小さな憎しみを一気に増幅してしまっておるのじゃ。
それを浴びた者はたとえ恋人や我が子であろうとも憎しみあっておる」
「どうしてミュウがそんな事をしてるんだ?」
「……その原因はオーディアじゃ」
「オーディア?」
 聞いたことのない単語に柳華は首を傾げる。
「オーディアって、あのオーディア?」
 フェリスは知っていたらしく再度レグナットに問いかけ、
「オーディアってのは誰だ?」
 もっともな質問を煉が言った。
「ワシの孫娘じゃよ」
「あんたって孫とかいたの!?」
 柳華は目を丸くした。長老というから長生きしているだろうし、それなら奥さんや子供
がいても変じゃないけど、想像できなかった。
「まあな。話を戻すぞ。ミュウはオーディアによって二人から引き離された憎しみを増幅
されておるのじゃろう」
 レグナットは心の妖精族について少しばかり語った。

 心の妖精には二つの種族がいる。
 白と黒の二種族。ミュウやフェリスは白でオーディアは黒の種族だ。
 白は主に喜びや楽しさ、好意や愛などの心を、黒は怒りや悲しみ、憎しみなどの心を管
理しているのだという。
「黒の妖精は増えすぎた怒りや憎しみなどを抑制するのが仕事なのじゃ」
「はぁ? だったら何でミュウの憎しみを増幅なんてさせてるのよ」
 レグナットは首を横に振った。
「ワシにもわからん。わからんから困っておるのじゃ」
「ミュウは元に戻せるのか?」
 飲み物をひと飲みしてから煉が言った。
「絶対にとは言い切れぬがお主達が説得すれば大丈夫だと思っておる。ミュウの憎しみは
ワシがお主達から引き離したからに違いない。ならばお主達と引き合わせ憎しみを喜びで
消すことができるじゃろう」
「なるほどな」
「あのさ、ひとつ気になったことがあるんだけど」
「何じゃ?」
「あたし達がミュウが出してる憎しみの波を受けたら他の連中と同じようになるんじゃな
いの? そんなんじゃミュウの所へ行くなんて無理よ」
「案ずるでない。ワシが波から心を守る防御壁を展開する」
「それなら安心ね。んじゃ!」
 勢いよく柳華は席を立った。
「そうと決まればさっさと行こうじゃないの」
「うむ。フェリスとサーラはウォークスの丘へ行け。この意味がわかっておるな?」
「はい。あの子の心に届くよう想いを込めます」
「柳華さん、煉さん……ミュウの事をよろしくお願いします」
 サーラが深々と頭を下げる。
「任せなさいって。きっと元の元気なミュウに戻してやるから」
「ではゆくぞ」
 レグナットが杖で床を叩く。瞬時に転移魔法の魔法陣が床に描かれ、周囲に燐光が具現
化したと思った次の瞬間、柳華達はフェリーナから人間界へと移動していた。

 地上で争いを続ける人々を、オーディアはミュウの肩に座りながら楽しそうに眺めてい
た。
「あはははは。た〜のし〜。これだけあれば練習いくらしたってだいじょうぶね」
 立ち上がったオーディアは飛び降りると、下で争っている恋人同士の頭に触れた。
 とたん、
「あれ、俺達何で喧嘩してたんだ?」
「さ、さあ……」
 二人は我に返って首を傾げる。しかし再びミュウの波動は途絶えていない。再び喧嘩を
始めるふたり。
「あ、そか。魔法をやめさせないといけないんだ」
 理解してオーディアはミュウの肩に戻ると、そっと囁いた。
「もういいんだよ。きっと貴女のたいせつな人も心配してる。もうやめよう」
 いつもならこれで彼女は憎しみから抜け出すはずだった。けれどもミュウはいつまでた
っても波動の放出をやめなかった。
「ど、どうして!? ねえ、やめていいんだよ! そうだ、魔法で……」
 慌ててオーディアは憎しみを小さくさせる魔法をかけるが効果はない。それどころか逆
に増していた。
「と、どうしよう」
 こんなつもりじゃなかった。
 祖父に会いに行こうとしたついでに憎しみを感じたので、ちょっとした事を考えついた
のだ。ミュウの憎しみを他の者に伝染させ自分の練習台を作り、もし全員の憎しみを消す
ことができたら両親や祖父が凄いって言ってくれる。喜んでくれる。
 そう思っていた。

 けれども増幅されたミュウの憎しみはオーディアの力ではどうにもならないほどの大き
さになっていた。子供のほんの出来心がこの事態を招いてしまったのである。

 自分の手におえなくなった事への恐怖。両親や祖父から怒られ、嫌われるのではないか
という不安。ひとりになったときの自分を思い浮かべ、
「うえぇぇぇぇぇぇぇぇん!」
 オーディアは泣くことしかできなかった。


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