第三十六話「とつぜんの別れ」
 白い壁紙のそれほど広いとは言えない部屋。その中央に置かれた1メートル半ほどの水
鏡に大人になったミュウと柳華が映し出されていた。
「これはいったいどういう訳か説明してもらおうかのう」
 小さなため息をひとつしてからレグナットは後ろを振り返った。
「きっとボクらの力を多量に注ぎ込まれた影響だろ」
 ふてくされた顔でクラーティオが言う。助けてやったのなんていいぐさだ、そう言いた
いのだろう。もう一度レグナットはため息をついた。
 ミュウの異変に気づいたのはフェリーナでの時間で3時間前。久しぶりにフェリーナの
我が家に戻ったとき、先日から稼働を始めた自動監視装置から異変を探知した事を知らせ
る念波を感受けて、その原因を探るべく水鏡を見たときに知った。
 フェリスからクラーティオにミュウを助けてもらった事を聞いていたので異変の原因を
訊くために呼び出したという訳である。
「良いはずがなかろう。ミュウが成妖になるのは後7,8年も先のはずじゃ。もし急激な
成長による後遺症など出たらどうするのじゃ!」
「ボクが考えるにあの急激な成長が後遺症だと思うね」
「どういうことじゃ?」
「あの娘はひどく衰弱していて回復させるには多量の力を注ぎ込む必要があった。だが命
の力とはいえ過剰に注ぎ込まれれば毒になる。きっと幼精の体では毒になるとあの娘の体
が独自に判断したんだろうな」
「……なるほどのう」
 クラーティオの説明にレグナットは大きく頷いた。
『妖精族を束ねる長老とは思えぬ知識のなさだな』
 テーブルの上に鎮座しているクロノスが言う。
「痛いお言葉ですな。しかしながらここ最近はフェリーナでは起こったことのないことば
かりなのですじゃ」
「ボクが思うに、あの娘は君の後継者になれるのではないか? まだ若すぎるが、あの力
量なら申し分ない」
「ワシもそれを考えていた」
 成妖となったミュウからは驚くほどの力を感じる。彼女の母・サーラも妖精族の中では
上位の力の持ち主だが、今のミュウはそれすら上回っていた。あれほどの逸材をいち妖精
族の長だけで終わらせるには惜しい。決意してレグナットはクロノスを手に取った。
「では参りましょうかのう」
『どこへ行くというのだ?』
「リーンの森へ。まずはミュウの母に了解を得ねばなりませぬから。他にもうひとつ理由
がありますがの」
 レグナットの表情が少しかげる。
「ボクは帰るぞ」
 その声に顔を上げた。クラーティオの周囲に光の粒子が舞い始めている。床に転移魔法
陣が広がった。
「ご苦労じゃった。それからミュウを救ってくれたそなたに感謝を」
 クラーティオは微笑を浮かべると、小さく頷いてから消えていった。
「ではワシらも向かいますかのう」
 杖で軽く地面を突く。次の瞬間、二人は燐光を残して姿を消した。

 目を覚ましたフェリスはベットにミュウがいない事に驚き、すぐさま煉の部屋に転移し
て水鏡で探した。ミュウはすぐに見つかった。
「ミュウが……成妖に……」
 美しく成長したミュウに驚きつつ、安堵して、それから心配になった。ミュウは覚えて
いるのだろうか。幼精は課題を終えるか成妖になった時点で地上にいられなくなることを。
そして、二度と地上にはやってこられないことを。

 そう、その別れこそが幼精に与えられる一番の試練なのだ……。

「長老様ならきっと母様のところへ行くはず」
 きっと駄々をこねるミュウの説得役として母を使う、そう思いフェリスは水鏡を自動モ
ードに切り替えると、転移魔法を起動させる。
―― 何とかして少しでも延期させないと。
 いまのミュウにあの二人との別れは早すぎる。
「急がないと」
 フェリスは燐光だけを残し部屋から姿を消した。

 ミュウが帰ってきて2日が経過した。
「世話になったわね」
 着替えの入った鞄を肩に担ぎながら柳華は世羅に言った。
「いいえ。お役に立てて嬉しいですわ。大学は来週から再開されるんですの?」
「そのつもり。あ〜あ、また勉強の日々か……ちょっと面倒かも」
「あはは。それにして驚きました。まさかミュウちゃんが大きくなるなんて」
 世羅が煉にじゃれついてるミュウを見る。じゃれつかれている煉は拒否して泣かれると
困るので顔を赤くしつつ堪えていた。
「あたしもびっくりしたわよ」
「しかもあんな美人になっちゃいましたしね。……ふふ、ライバル出現ですわね」
「だ〜〜〜! な〜んて言うと思ったら大間違いよ。もうあたしと煉は両想いになったん
だから」
 勝ち誇った顔で胸を張る柳華。まだその事を教えていなかった世羅は目を丸くしている。
「そういうわけ」
 ウインクすると、我に返った世羅はニッコリと笑った。
「おめでとうございます、先輩。あ〜よかったですわ。けれど、そうならそうと教えてほ
しかったです」
「ごめんごめん」
「もうよろしいですわ。あ、そうです! 今度お二人のラブラブを祝してパーティーを開
きましょう。お赤飯はなくてはならないですわね。やはり雫お姉様や雪華お姉様、森也様
は招待しなくてはなりませんよね」
「あ、あの三人だけは呼ばないで」
 涙ながらに柳華は世羅の両肩を掴んだ。あの三人がこの事を知ったら、きっと雫は泣き
ながら長ドスを振り回し、雪華は関節技を極めながら煉に詰め寄り、森也は大声で泣きな
がら首吊り自殺する様相がすぐに思い浮かんだ。
「うふふふふふ。幸せ税と思って諦めてくださいませ」
「いや〜〜〜〜!!」
「おい、何してる。早く帰るぞ」
 相変わらずのむっつり顔で煉が言う。
「リュウカ帰ろ〜」
「ほらほら、お二人ともああ言っておりますよ」
「……はぁ。もう勝手にして」
「はい。勝手にさせていただきますわ」
 小悪魔にしか見えない世羅の笑顔に歯がみしながら柳華は煉の元に向かった。

 時雨荘に向かう道すがら……
「何を話してたんだ?」
「あたしと煉が両想いになったって話。そしたら世羅の奴が姉さん達や雫さんを呼んでパ
ーティー開くとか言ってさ」
「あの三人が来たら地獄だ」
 同じような想像をしたのか青ざめる煉。
「だから止めようとしたんだけど無駄だった」
「あいつは決めたら頑固な奴だからな」
 そう言って煉はため息を漏らす。
「ま、ね」
「それにしても……」
 そこで一度言葉を切った煉は顔を赤くして、
「あんまり両想いがどうとかは他人に話すな」
「あんで? 事実なんだからいいじゃない」
「恥ずかしいだろ」
「幸せ税よ、し・あ・わ・せ・税」
 柳華は煉の腕に自分の腕を絡めた。さらに煉の顔が赤くなる。
「あ、そうだ〜。まだおかあさんやおねえちゃんに大きくなったこといってないからかえ
ったら言おう〜♪」
「あれ、フェリスってミュウと一緒じゃなかったの?」
「みゅ? わかんない」
「わかんないって……。彼女があんたをフェリーナに連れてったんだからそのはずよ」
「みゅ〜。おぼえてない〜」
 小首を傾げるミュウ。本当に覚えていないらしい。
「なら帰ったら礼を言うんだぞ」
「うん♪」
 それから時雨荘に到着するまで楽しく話した。久しぶりの我が家に懐かしささえ感じる。
―― これでまた元の楽しい生活が始まるのよね。
 そう思っていた。
 部屋の扉をあけると、厳しい表情をしたレグナットといつのも柔和な笑みを浮かべるサ
ーラ、そして俯いたままのフェリスが立っていた。
「出迎えか?」
 レグナットは小さく頷くと、
「ミュウをな。……ミュウよ。現時点をもって外界での試練は終了じゃ。すぐにフェリー
ナに戻ってもらうぞ」
 予想もしなかった事を告げた。煉もミュウも信じられないといった顔で硬直している。
「さあ、いらっしゃい」
 サーラが手を差し伸べる。我に返ったミュウは首を左右に振りながら後ずさった。
「ヤ、ヤダ……イヤだよ! ミュウはレンとリュウカとず〜〜〜〜〜〜っといっしょにい
るんだもん!」
「それは許されぬ。忘れたわけではあるまい。幼精の試練は課題の終了、もしくは成妖へ
と成長した時点で終了となることを」
「でもおねえちゃんはこっちにいるよ!」
「フェリスの場合は誰もがしている試練をしていないことから例外にした。しかしながら
今回の事は誰もが迎えること。例外にはできぬ。それにミュウよ、試練にはいずれ終わり
が来ることはお主も知っていたはずじゃ」
「さあ、一緒に帰りましょう。帰ったらシェザールやみんなも喜ぶわ」
 ミュウはサーラの手を払いのけ、
「ヤダ! ぜ〜〜〜〜〜〜〜ったいにヤダ!」
 煉の背に隠れる。
「あらあら、困ったわ」
「やっぱりミュウには早いんです! もう少し、もう少しだけ時間をあげてください!」
「この件に例外はない」
 表情ひとつ変えずにレグナットはそう切り捨てた。
「みゅ〜。ねえ、レンはミュウにいなくなってほしくないよね!」
「ま、まあな」
「リュウカもそうだよね!」
「あったりまえでしょ」
 柳華は力強く頷いた。いずれ別れがくることはわかっている。でも、こんな形でなんて
絶対にイヤだった。
「ならば仕方あるまい。……サーラ」
「わかりました」
 頷きあった二人はミュウに杖先を向ける。するとミュウの体が浮かび上がって二人へと
引き寄せられていく。柳華はやめさせようとしたが、
「あ、あれ体が動かない。このっ! くぬ〜!」
 何かに押さえつけられているかのように体がぴくりとも動かなかった。煉も同じらしい。
「何をしやがった!」
「ごめんなさい。邪魔をしてほしくないので束縛魔法を使わせてもらいました」
「あんた母親でしょ! 可愛い娘がこんなに嫌がってんのに何とも思わないの!」
「私だってこんな事はしたくはありません。母親としてならミュウにここで幸せに過ごし
てほしいと思っていますわ。でも私は心の妖精族の長でもありますの。自分の娘だけをひ
いきするわけにはまいりません」
 3人の周囲に光の粒子が蛍のように舞い始める。転移魔法発動の予兆だった。
「ちょ、待ちなさいよ!」
「柳華さん、煉さん…今までミュウに優しくしてくださってありがとうございました」
「ヤダよ〜! リュウカ〜レン〜!」
 大粒の涙をぽろぽろ零しながら泣き叫ぶ。光の量が増えて床に魔法陣が浮かび上がった。
「ミュ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ウ!!!」
 部屋が眩い光に包まれる。そのあまりの眩しさに柳華は目を閉じた。

 そして次に目を開けたとき、フェリスを残して3人の姿はなかった。


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