第三十五話「何とも複雑な心境」
 フェリーナの中央にある命の森。  そこには生命を司る命の妖精達が静かに生活している。命を司る彼らならミュウを助け
てくれる、そう確信していたフェリスは命の森にたどり着くや長の家に駆け込んだ。
「騒々しいな」
 そう言ったのは椅子に座って本を読んでいた7,8歳の小さな少年だった。
 しかしながら命の妖精を束ねる長であり、その力は死んだ生物さえ生き返らせるとも言
われている有名な人物だ。
「申し訳ありません。けれど妹の命が消えかかっているんです! お願いします! 妹を
助けてください!」
「……お前は心の妖精族の者か。知っているんだろうな? 他種族の森に許可なく立ち入
った罪がどれほど重いかということを」
「妹が、ミュウが助かればこの命……いらない!」
 真っ直ぐに長を見据えてフェリスは叫んだ。その気持ちに一点の偽りもない。ミュウを
助けられるならこの命捨ててもいいと思っている。
「まったく……」
 長は読んでいた本を閉じる。冷たい視線がフェリスを射抜いた。
「命を生み、育むボクらの存在意義を否定したお前の妹を助けろだって?」
「罰なら後でいくらでも受けるから、ミュウをはやく助けてよ!」
 涙ながらにフェリスは懇願する。こうしている間にも掌に横たわっているミュウが冷た
くなっていた。長は小さなため息を漏らしてから本を置くと、
「わかっている。ボクらは命の妖精。助けられる命を見せられて断ることはしない」
「じゃ、じゃあ助けてくれるのですね!」
「ついてこい」
 部屋を出る長。フェリスは涙を拭いて後を追った。
「ひとつ質問させろ」
「何でしょうか?」
「お前の妹はどうしてそこまで疲弊している。ボクら妖精族の力はそう易々と尽きること
はないというのに」
『我が時の流れに連れて行ったからだ』
 とつじょ二人の頭にクロノスの声が響いた。フェリスは驚いたが、長はおおよその見当
はついていたのか、口元に薄い笑みを浮かべた。
「久しいな」
『2000年ぶりか』
「どこで何をしているかと思えば相変わらずか」
『主もな』
 どうやら二人は面識があるらしい。ただ仲は悪いようだが。
「まあ、積もる話は後に回しだ」
 足を止める。長の前には小さな切り株があった。周囲には四人の大人の妖精─成妖─が
目を閉じて立っている。
「これより治療の儀を行う。お前の妹をその切り株の上に置け」
 言われるままに切り株にミュウを寝かせる。
「お前は邪魔だ」
 と、長がミュウからカメラを取り外して放り投げた。慌てて受け止める。
『後で覚えておれよ』
「ボクは物覚えが悪い」
『だったな。その娘を……ミュウを助けてやってくれ』
「わかっている。2000年前のようにはしないさ」
 沈黙が訪れる。2000年前。ラエティーとの事を思い出したのだろう。
「下がってろ」
「お願いします」
 後ろに下がったフェリスは目を閉じて祈った。
―― 帰ってきて、帰ってきて、お願い、帰ってきて……。
 そう、強く……。

 そのとき、ミュウは夢を見ていた。
 暗く冷たい檻の中に閉じこめられている夢。誰も来てくれず、助けてくれず、ひとりぼ
っちの寂しい夢。煉も柳華もお母さんもお姉ちゃんも誰も来てくれない。寂しさで心が痛
くて砕けてしまいそうだった。
―― もうこんなところヤダ! …きえちゃいたい!
 そんな事を思った時だった。
 暗闇の天井から光が射し込み、煉と柳華が笑顔で手を差し伸べてこう言った。
「帰ってこい」
「ヨーグルト用意して待ってるんだからはやくしなさいよ」
 煉や柳華だけじゃない。
「あらあら、ミュウったらこんな所にいたのね」
 お母さん。
「ほ〜ら。こんな所にいないでいないで。遊園地にでも遊びにいこ」
 お姉ちゃん。
「みゅ、みゅみゅみゅミュウ! 一緒にどこか遊びに行かない?」
 シェザール。
「何を寝ておるか」
 長老様。
「ミュウ!」
 仲間達。みんな、みんなが助けに来てくれた。

『さあ、一緒に帰ろう』

 ミュウを閉じこめていた檻が燐光となって消え失せる。

 大きく頷いてミュウは飛んだ。大好きなみんなの元へ。

 治療を終えて4日が過ぎた。ミュウは気持ちよさそうに眠っている。
 長・クラーティオの説明では峠は越えたらしい。ただ多大な力の消費を一気に回復させ
たために多くの睡眠を必要とするとのことだった。
「ミュウ……」
 フェリスは四日間眠っていなかった。ミュウが目を覚ましたら一番に笑顔で出迎えてあ
げたかったからだ。だが妖精とて眠りは必要である。四日間の看病でフェリスにも眠気が
襲ってきた。
「ダメダメ。ミュウが起きたときに私の笑顔をみせてあげなきゃ」
 頬を叩いて眠気を追い出そうとするがそれも長くは続かず、フェリスは深い眠りへと誘
われていった。

 丁度ミュウが目を覚ましたのはその時だった。
「みゅ……レンとリュウカのとこにかえんないとヨ〜グルト……ぼっしゅ〜」
 思い切り寝ぼけていたミュウは小さなベットから出ると、右手をかざして何かを唱える。
と、彼女の周りに光の粒子が舞い始めた。転移魔法の準備段階だった。
「レンと……リュウカのとこ…」
 呟く。次の瞬間、ミュウはその場から一瞬にして煉の真上に移動した。そのままミュウ
は重力に誘われるままソファーで眠る煉の上に落下した。
「みゅ……レンとねる〜」
 まだ寝ぼけていたミュウはもそもそと毛布の中に潜り込んだ。自分の体に変化が起きて
いたことも知らずに。

 その日、柳華はカーテンの隙間から差し込む朝日の眩しさに目を覚ました。体を伸ばし
てからカーテンを開ける。今日も青空が広がっていた。
 告白されてから1週間が経過した。
 あの翌日、記憶を取り戻したと連絡を受けた兄や姉、世羅、組員数名を引き連れて雫ま
でやってきた。その日はもうどんちゃん騒ぎだ。
「ふふっ」
 思い出し笑いする柳華。今日も朝から幸せスタートであった。
「さて、煉でも起こしてやるか」
 煉を起こしに行くまでは。
「なあっ?!」
 信じられない光景を目の当たりにして柳華は大声を上げた。
「む〜。大声出してどうした?」
「だ、だだだだだ誰よそいつは! あ、あたしっていう恋人がありながら!」
 顔を真っ赤にして柳華は煉の隣を指さす。
「あ? そいつ……ぬあっ?!」
 やっと気づいた煉が慌ててその場から離れる。煉の横。そこでは神々しいまで美しい少
女が眠っていたのである。身長は160そこそこ。綺麗な緑色の髪が特徴だった。
「これはいったいどういうこと?」
 煉の襟首を掴みあげる。
「知らん!」
「だったらなんであんたの隣で気持ちよさそうに眠ってんのよ、しかも裸で!」
「聞かれてもわからんものはわからないに決まってるだろ!」
「かぁ〜〜〜〜〜!! 一週間で堂々と浮気なんてやってくれんじゃない」
 襟首から手を離した柳華は左手で拳を作る。
「みゅ〜」
 少女が目を覚ました。動きを止めて二人は少女に注目する。が、すぐに煉は顔を背けた。
起きあがった少女は両手で目をこすり、きょろきょろ辺りを見回したあと、
「あ、レンとリュウカだ! わ〜い!」
 満面の笑みを浮かべて柳華に抱きついた。
「な、なに? なんであたしの事知ってんのよ?」
「リュウカ、キオクもどってないの?」
「いや、戻ったけど……あんたなんて知らない」
「……ひぐ。ひどいよ〜。ミュウ、リュウカにおもいだしてほしくていっぱいいっぱいが
んばったのに……うえ〜〜〜ん!」
 大声で泣き始める少女。柳華と煉は同時に顔を見合わせ、
『ミュウ?!』
 叫んだ。確かによく見ればどことなくミュウの面影があった。声も聞き覚えがある。
けど、どうしてミニサイズからこんなに大きくなってしまったのかがわからない。
「ほ、本当の本当にミュウなの?」
「そうだよ〜!」
「なら何でこんなに大きくなってるのよ?」
「みゅ? ……わわ、ミュウおおきくなってる!? わわ、おむねもおおきくなってる?!
あ、リュウカよりもちょっとおおきいかも」
 無言で柳華はミュウの頭を殴り飛ばした。
「いたいよ〜」
「どうやらミュウみたいね」
「だな」
 納得したように頷く煉。
「あ、ねえねえレン〜!ミュウがんばったからごほうびちょうだい、ごほうび〜。よ〜ぐ
ると〜」
 柳華から離れたミュウが煉に抱きつく。ちなみに彼女は裸である。
「こらー! そんな格好で煉に抱きつくんじゃなーい!」
 問答無用で引き剥がして柳華は大きく嘆息した。ミュウが元気になって帰ってきてくれ
た事は嬉しい。でも、自分より美人でスタイルがよくなって帰ってきてはほしくなかった。

 嬉しさと小さな嫉妬で何とも複雑な心境の柳華だった。


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