第三十一話「時の流れ」
 もうどれくらい時間を遡ったのだろうか。確認するためにミュウはそっと柳華の記憶の
流れに触れ、
「みゅ〜。まだリュウカやレンとあったころ〜」
 流れ込んできた記憶を視てがっかりした。
「もっといっぱいさかのぼってたとおもったのに〜」
『時の流れに逆らっているのだ、そう簡単に行けるものではない』
 首にぶら下がっているクロノスが言った。
「ねえねえ、カメラさんはかみさまなんでしょ? だったらばびゅ〜んってリュウカがう
まれたときまでつれてってよ〜」
『無理だ。今の我には門を開けて所有者を招くことしかできない』
「どうして?」
『自らの力を封印したからだ』
「なんで?」
『……色々とあったのだ。聞かないでくれ』
 それきりクロノスは黙ってしまった。
「あう。ごめん」
 たぶん、イヤな事を思い出させてしまったのだろう。きっと柳華が記憶をなくして辛か
ったみたいな。何も考えずに聞いてしまった事をミュウは反省した。
『謝らずともよい。それよりも急いだ方がよいぞ。こうしている間にも主の力は我に注が
れておるのだからな』
「わわ、そうだった〜。いそがないと」
 ミュウは意識を時の流れに集中した。
 時の流れを移動するもは進みたいと意識すればするほど速く移動できるらしかった。
「リュウカ、レン、まっててね」
 ミュウは時を遡る。少しでも速く。少しでも速くと思いながら。

「お〜い、ミュウどこいった〜?」
 煉はゴミ箱の蓋を開けて中を覗き込んだ。当然ながら中には燃えるゴミしかない。
「ここにもいないか。どこ行きやがったんだ、ったく」
 もう時刻は9時を回っていた。いつもなら夕食の匂いを嗅ぎつけてやってくるミュウが
今日に限って帰ってこない。心配して煉は医療施設内を探し歩いていたのだ。
 一通り探してから部屋に戻る。
「ミュウちゃん見つかりました?」
「いや、いなかった」
 煉は柳華から目をそらした。ついさっきの光景が頭にちらついてまともに顔が見られな
かった。
「どうします?」
「冷めたら不味くなるからな。食うか」
 椅子に腰掛けて煉はご飯とみそ汁をよそってテーブルに並べる。テーブルは柳華が食事
をするための物だ。ちなみに今日は麻婆豆腐を作ってみた。他にもポテトサラダときゅう
りの漬け物も用意した。
「では、あ〜ん」
「……食べさせろと?」
「左手で食べると時間がかかってしまいますし、疲れるんです。ですから、あ〜ん♪」
 子供のような柳華に煉は盛大なため息をもらした。
「わかった。確かに食べづらそうだからな」
 そう言って煉は麻婆豆腐をスプーンですくって口に運んでやる。
「美味しいです」
「当たり前だ。俺が作ったんだからな」
「それもあるかもしれないですけど、やっぱり食べさせてもらうと美味しいです。それも
好きな方からですから尚更美味しく感じますね」
「……いいから黙って食え」
 顔を真っ赤にしながら煉は柳華の口にスプーンを突っ込んだ。
「は、ほへんじはいいでふはら」
「あ?」
「でふはらほへんひはいいでふはら」
 全然言葉になっていないのでスプーンを口から抜く。
「で?」
「はい。あのときのお返事はいいですから」
 少しばかり黙考する煉。あのときというのは間違いなくあの告白のことだろう。
「だが、やはり告白されたからには答えないといかんだろ」
「でも、もし好きだともしおっしゃってくれても……それは私でない東雲柳華への言葉と
想いじゃないですか」
「否定はできないな。……もう少し時間をくれ」
「え?」
「今のお前ことを知ってから答える。もしそのとき好きだと思ったなら、俺はハッキリお
前に好きだと告白する」
「はい」
 目元に涙を浮かべて柳華は何度も頷いた。
「待ってます」

 時を遡り続けていたミュウはついに到着した。柳華の時が生まれた時間−終着点−クロ
ノスが指し示す光の先にはひとつの映像があった。
「うわぁ。あかちゃんだ」
 優しい笑みを浮かべる母に抱かれる元気な赤子。それはリュウカが生まれたばかりの映
像だった。
「やっとついたんだね」
 ミュウは額の汗を腕で拭う。ここまで来るのに多くの力を消費してしまっている。心身
共にかなり疲弊していた。
「これからどうすればいいの?」
『さあ、この時に入るのだ。入れば東雲柳華が生まれる数分前の過去に行ける。そして、
器複製の魔法を唱えるのだ』
「でもミュウはそんなマホウしらないよ」
『案ずるな。我が全て教える、汝はその通りに唱えればよい』
「うん。よぉ〜し、ならレッツゴー!」
 勢いつけて映像に飛び込む。
 クロノスの言うようにミュウは柳華が生まれる寸前の時間に吐き出された。分娩室で柳
華の母親が必死になって我が子を生もうと頑張っている。その横では森也と雪華を抱いた
父親が妻に何度も「頑張れ」と応援していた。
『よし。では器複製の魔法に入るぞ』
「うい!」
 ミュウは敬礼した。
『我の言う呪文と同じものを口にするのだ』
「うい!!」
『……これより生まれいずる命に宿りし器よ……』
「これより……うまれいずるいのちにやどりしうつわよ…」
 赤・青・緑・黄・黒・桃・オレンジの七色の光が出現してミュウの周囲を飛び回り始め
る。飛び回る光はやがて魔法陣を形成した。
『……汝の姿……我が前に現せ……我、時の神に加護されし者なり!』
「なんじの……すがた……わがまえにあらわせ……われ、ときのかみにかごされしものな
り!」
 詠唱を終えたミュウの前に小さな輝きが出現した。
『その輝きを両手で包み込むがよい』
 言われるままにミュウは輝きをそっと両手で包み込んだ。
『ここまでで器の源を複製した。次は複製した源を器にする。詠唱を続けるぞ。……我が
右手は時を戻し……我が左手は時を進め……』
「わがみぎては……ときをもどし……わがひだりては……ときをすすめ……」
『……そして……我が想いは時を作り出す……!』
「そして……わがおもいはときをつくりだす!」
『ありったけの想いをその輝きに注ぎ込むのだ!』
「リュウカ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!」
 大声で叫びながら、ミュウは輝きに向けて一心に願った。
―― リュウカにおもいだしてほしい! ミュウのしってるリュウカに戻ってほしいの!
 すると次の瞬間、
「おぎゃ〜おぎゃ〜!」
 新たな命の産声と共にミュウの手の中で形作られた器がふたつに分かれた。その内のひ
とつは赤子の体内に吸い込まれていく。
『よくやった、幼き妖精の娘よ。複製は無事に終了した』
「これで、これで……リュウカのキオクがもどる……んだね」
 途切れそうになる意識を必死に繋ぎ止めながらミュウは言った。
『いや、まだだ』
「ふぇ〜。まだなにかあるの?」
『器だけあっても記憶は戻らない。次は現在の時まで流ながら記憶を器に入れていかなけ
ればならぬ』
「あ、そっか」
『どうする。一度この流れから出て力の回復を待つか? このままでは主は死ぬかもしれ
ぬぞ』
「ううん。だってうつわにいれないとリュウカのキオクってきえちゃうんでしょ?」
『……その通りだ。動かない時はあってはならない。だから消滅する。だがすぐに消滅す
るとは限らぬ。ここは一度戻って力を回復することを奨め─』
「ダメ! すこしでもはやくリュウカにおもいだしてほしいの! だからこんなのへっち
ゃらだもん!」
 無理してミュウは笑みを浮かべた。
 本当は辛くて仕方がなかった。体中が疲労で悲鳴をあげ、徐々にだが手足が冷たくなっ
てきている。今すぐにでも時の流れを出て休みたい。ぐっすりと眠りたい。
 でも、そしたら一生柳華に自分を思い出してもらえなくなってしまうかもしれない。そ
れだけは死ぬよりもイヤなことだった。
『ならばもう何も言うまい。だが、主がいなくなれば悲しむ者がいることを忘れるな』
「うん。しんぱいしてくれてありがと、カメラさん。ちゅ♪」
 感謝の気持ちを込めてミュウはカメラのファインダーに軽くキスをした。
『……おほん。ならばもうここにいる必要はない。次の時へ』
 再び中空の魔法陣から懐中時計が出現する。
「そうだね」
 頷いてミュウは生まれたばかりの柳華を見た。
「ばいばいリュウカ。こんどはミュウのしってるリュウカとあいたいな」
 赤子の柳華に手を振り、ミュウはまた時の流れに消えていった。


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