第二十二話「やって来た理由」
 気付かれないように覗き込む。重く張りつめた空気が部屋を支配していた。
 あの後、男の正体や突然現れた女の正体に驚きつつ、兄姉ならきちんともてなそうとい
うことで煉は部屋へ誘ったのだが、正座をして見つめ合う柳華と彼女の姉・雪華は久しぶ
りの出会いを喜ぶといった雰囲気がまったくといってない。対して兄・森也は居心地が悪
そうに目線をキョロキョロさせている。
「なかがわるいのかな?」
 一緒に様子を窺っていたミュウが言う。
「さあな」
 今になって思えば柳華の家族の事を少しも知らない。
 両親は何をしているのか。何人兄姉なのか。どこに住んでいたのか。ひとつたりとも。
そう思うと近かった柳華の存在が少し遠のいたような気がした。

 見つめてくる姉の瞳を柳華は目線をそらすことなく見つめ返していたが、内心は不安で
しかたがなかった。
―― いったい何しに来たの?
 家族に頼らないという約束は守っている。連れ戻しに来たのではないと思いたい。
「とりあえず、久しぶりね」
「うん」
「大学入学前に一人暮らしを始めたのだから、約2年ぶりになるのね」
「ずっと兄ちゃんは寂しかったぞ! お前の顔が見られなくて兄ちゃんは何度枕を涙で濡
らしたことか……」
 静かな雰囲気を森也が一瞬にしてぶちこわした。
「静かにして兄さん」
 冷ややかな目線を森也に向けて雪華が言う。
「2年で見違えるくらい女っぽくなったな。やっぱ男が寄ってくるのか? みんな追っ払
ってるよな? お前と付き合うヤツは兄ちゃんが決めたヤツ以外は許さないぞ!」
「兄さん」
「まさかあの男とすでにいくところまでいったんじゃないよな?!」
「黙れってんだよ!」
 怒声を上げて雪華は森也の後頭部にエルボーをみまった。
「雪華、お前には兄を敬う気持ちってのがないのか? 兄ちゃん悲しいぞ。少しは柳華を
見習って――」
「死にてえか?」
「黙っております」
 どこに隠し持っていたのかガムテープで自分の口を覆う森也。
 3歳年上で女子プロレスラーの姉。4歳年上で保父の兄。いつも兄が何かをしては姉が
殴っていた。2年たってもその関係は変わってない。あまりにも変わっていない二人に思
わず笑ってしまった。
「おほん。ここへ来たのはここ3ヶ月音沙汰がなかったから。いくら電話しても出ないか
ら心配で見に来たのよ」
「あ」
 電話は煉の部屋に住んでからずっと出ていなかった。そもそも部屋にはミュウと出会っ
た時から2、3度しか戻っていないし、こちらの知り合いには全て煉の部屋の電話番号を
教えていた。
「ごめん」
「理由は……彼ね」
 雪華の視線を追うと、煉がこちらの様子をうかがっていた。雪華の視線に気付いて顔を
引っ込める。
「ここへ来る前に貴女が無事か興信所で調べてもらったの。彼のことはその時に聞かされ
たわ。極道の息子と一緒にいるって聞いたときは心臓が止まるかと思ったわよ」
「月影組の人達は世間が思ってる極道とは違う!」
「それも言われたわ。カタギには人畜無害。中には主婦の井戸端会議にも出席している奴
もいると。でも、極道は極道。そんな連中とは縁を切って家に帰ってきなさい」
「絶対にイヤ」
 真っ直ぐ雪華を見て柳華は即答した。
「貴女の為を思って言っているの」
「お姉ちゃんに煉や月影組の人達の何がわかるってのよ!」
「知らないわ。けれど、どうせ貴女を利用するか体が目的に決まって─―」
 ぱしん、と乾いた音が部屋に響いた。
「ぁ……」
 目を見開いて雪華は熱くなった左頬に触れる。
「何が利用よ! 煉がそんなことするはずないじゃない! お姉ちゃんのバカ! 二度と
あたしの前に顔をだすな!」
 柳華は大声で怒鳴り散らすと部屋を出た。
―― バカ! お姉ちゃんのバカ!
 大好きな姉が人を見かけだけで判断する人だと思わなかった。
「なにも……なにも知らないくせにっ」

「お、おい柳華!」
 森也が後を追って出ていってから、煉は湯飲みを雪華の前に置いた。
「嬉しそうね」
「ん?」
「顔がにやけているわ」
「……そうか?」
 近くに置いてあった手鏡で確認してみる。顔は少しもにやけていなかった。
「妹に平手をくらった私がそんなに滑稽?」
「いや。ただ、嬉しかったのは確かだ」
「嬉しい?」
「あいつが俺の為に怒ってくれたことがな」
 そう言って煉は口元に笑みを浮かべた。身内以外の人間が自分の為に怒ってくれたこと
など初めてだった。さっき顔がにやけていたのもおそらく本当だろう。
「言っておくが俺は柳華を利用しようとも、体が目当てでもない」
「それは柳華の平手が教えてくれたから心配しないで。いちおう望んでここにいるのかを
確かめたかっただけだから。でも、どうして一緒に暮らすようになったか教えてくれるわ
よね」
 煉は頷き、ミュウや呪いの事を話した。
「10時間以内に一度触れないと死ぬ? 妖精? 誰がそんなこと――」
 予想通りの反応を示した雪華が言葉を止めた。ミュウが雪華の前髪を引っ張ったのだ。
「ケンカだめだよ〜! リュウカないてた! ゆるせない〜〜〜ぃ!」
 上下左右と引っ張りまくるミュウ。傍から見るとメデューサの頭で蠢く蛇のようだった。
「柳華と喧嘩したのを怒っているらしい」
「そう。……手品やトリックじゃあないのね?」
「なんなら100km離れてもいいぞ。同じ事だがな」
 雪華が小さくため息をもらす。
「信じるわ。だから早く止めさせてくれない?」
「反省しているとさ。やめてやれ」
「ならもうケンカしないってやくそくしてくれたらゆるしてあげる。でもでも、リュウカ
となかなおりしないとだめだよ!」
 煉がミュウの言葉を伝えると、雪華は静かに頷いた。
「そのつもりよ。さあ、行くわよ」
「……どこへだ?」
「商店街」
「あんでだ?」
 煉は仲直りの方法が商店街という発想に眉根を寄せた。
「今日は何月何日?」
「2月21日だが」
「……それでもわからないの?」
「一体何なんだ。ハッキリ言え」
 雪華は玄関で靴を履くと、
「2月21日は柳華の誕生日なのよ」
 勝ち誇った笑みを浮かべた。


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