第二話「大学」
 ミュウがやって来て一月が経過した。
 煉の部屋に三つの寝息が発せられている。
 ベットで眠る柳華とミュウ。その横で雑魚寝する煉のものだ。驚くことに……2人は手
を繋いで眠っていた。

 そう、2人は同じ部屋で寝食を共にしている。

 理由は簡単である。ミュウの呪いだ。
 10時間のタイムリミット。ミュウが訪れた翌日に呪いの真偽を確かめようとして2人
は本気で死にかけた。
 一時間前までは何ともないが、45分前になると息が苦しくなり、30分前になると歩
行すら困難になった。
 そして15分前になると立ち上がることもできなくなり、5分前には全身が焼けるよう
な熱に襲われ……それ以上は確かめる気にはなれなかった。
 苦痛を味わって2人はミュウが妖精であることを改めて実感した。
 というわけでミュウの呪いは立証された。
 もはや命に関わる問題だ。当然ながら柳華と煉は呪い対策を考えた。
 まずはできるだけ時間を共有すること。
 これは煉の提案だった。
 共有することで小さなミスで10時間が経過しないようにするのだ。
 だから同じ部屋で過ごすことにした。柳華は貞操の危機などを心配したが、「ガキに興味
はない」という煉の言葉に決意した。手を繋いで眠るも念の為である。
 「まかり間違って10時間以上も寝て永眠するのはご免だ」と煉が提案したのだ。
 手を繋ぎながら眠る。想像した柳華は嫌悪のあまり卒倒しかけた。他に恥ずかしいとい
う感情もある。とうぜん柳華は却下した。
 しかしその翌日。休日ということもあって2人は爆睡……死にかけた。
 かなりに不本意だったが柳華は了承した。
「言っておくけど、嫌々だからね! 仕方ないから犬に噛まれてると思うわ!」と付け加
えて。
 次に出かけるときは一度触れること。
 煉も柳華もそれぞれの時間がある。買い物、友達づきあい、他にも急用ができてもおか
しくはない。
 これは互いを考えての提案だ。ただし一泊は不許可である。
 他にはミュウと一緒に過ごすこと。これは柳華の提案だった。
 呪いをかけた張本人から目を離して逃げられたら一大事だからである。……といっても
ミュウは2人を気に入って逆に離れようとはしないが。
 最後にミュウの課題に協力すること。これは2人の結論だった。
 呪いを解くにはミュウの課題を終わらせるしかない。
 課題が終了するときにミュウの母親が迎えにくるらしい。その母親なら呪いを解いてく
れるということだった。
 ならミュウの課題とは何か? それは輝いた思い出を100枚カメラに収めること。
「かがやいているかはカメラにはいってるすいしょうさんが決めるの〜♪」
 ということらしい。
 どういう基準かはわからないが、そう簡単に輝いた思い出が転がっているとは思えない。
だから輝いた思い出がありそうな場所、イベントを調べることにした。
 そしてそれは意外にも身近な場所、ごく近い日にあった。

 東雲柳華は19歳。聖城大学に通う大学生である。
 授業を終えた柳華はいつものように部室に向かっていた。
 腕時計に目を向ける。午後2時。リミットまであと三時間。二時間後にはバイトを上が
った煉が来る予定だ。
 『俺は比較的自由だからな』と部活の日は早く上がると煉は言った。
「嫌な奴かと思ったけど、けっこういい奴よね。少しは評価を変えてやるか」
 クスッと笑ってから足を速めようとしたところで、
「せ〜んぱい!」
 いきなり背後から抱きしめられた。声で誰だかすぐに理解する。
「あのね〜、世羅ってば毎度毎度急に抱きついてこないでよ」
 柳華は溜め息を漏らして抱きついてきた主、演劇部の後輩である泉世羅を見た。
 肩口で切りそろえた艶やかな黒髪とつぶらな瞳。細くてすらっとした肢体。思わず守っ
てあげたいと思うような少女だった。
 走ってきたのか顔には薄い汗が滲み、息を弾ませている。
「だってひと月も部に来ないからとても心配していたんですよ。抱きつくくらい許してく
れてもいいじゃないですか」
「あ〜はいはい。ごめんごめん。ちょ〜っと常識外れな出来事に巻き込まれてそれどころ
じゃなかったのよ」
「常識外れなできごと……ですの?」
 首を傾げまじまじと柳華を見る世羅。
 妖精に呪いをかけられて現在男と共同生活中で、毎日手を繋いで寝てますなんて口が裂
けても言えるわけもなく、
「まあ、色々とあったのよ。部の方はそろそろ大学祭の公演で大忙しでしょ? で、キャ
ストとかはもう決めてあるんでしょ?」
 柳華はさりげなく話題をすり替えた。
「ええ。部長が独断と偏見でお決めになりました。私は音響で、先輩が主役の女騎士です
わ。これ台本です」
「……はぁ?!」
 素っ頓狂な声を上げて柳華は渡された台本を見た。
『剣に誓って』と表紙にでかでかと題名がプリントされている。ページをめくると確かに
女騎士役─東雲柳華とあった。
「なんでアタシなのよ」
「気が強くって腕力も申し分ないし、加えて顔も申し分ないから決定! だそうです」
 部長の口まねをして世羅は言った。いつもながら無茶苦茶な部長に柳華は頭を抱える。
「だって大学祭まであと1週間よ? 1週間で台詞と動きを覚えろっていうの?!」
「イエース! ユー アンサー サクセス!」
「なにそれ?アタシをおちょくってるの?」
 柳華は世羅の襟首を掴みあげた。
「い、いいえ。先輩が役の事を聞けば必ず文句を言うはずだから、言ったらとりあえずそ
う叫べと……その、部長が」
 しゅんと俯いた世羅はそのまま地面にしゃがみこんでのの字を書きはじめる。やれやれ
と柳華は頭を掻きながら、
「あったく……それで練習とかは順調にいってるの?」
「それが〜練習はうまくいってるんですが、大道具の進み具合がいまいちで。まだ、半
分しかできてないんですの」
「はあ? あと一週間よ?」
「完成間近だったお城のセットが倒壊してしまうという事故がありまして10人の方が病
院送りにい〜」
 よよよよ、と泣いてから世羅は懇願に満ちた瞳を柳華に向けた。
「そのようなわけで先輩! 先輩の広い人脈でどうか助っ人の方を! この際ヤーサンで
もホームレスさんでも構いません!」
「あんた、アタシをなんだと思ってるのよ」
 世羅の頭を小突くと世羅を置いて柳華は歩き出す。
「しかし助っ人ねえ」
 演劇の舞台セット作りを快く手伝ってくれる人物はひとりしか心当たりがなかった。

 一方その頃、バイトをしていた煉も困惑していた。
「不定期になりますがバイトを四時上がりにしてほしいんです」
「却下」
 にべなく煉の申し出は店長によって却下された。これで42回目だ。
「なぜです」
 とりあえず凄んでみる。しかし煉をよく知る店長は顔色ひとつ変えずに言った。
「それはこっちの台詞だよ。どうして急に四時であがるなんて言うんだい?」
「む……」
 煉は口ごもった。
 ここで正直に柳華に部活をさせるためですと言えばどうなるか……。いらぬ詮索をされ
て柳華は不快な思いをすることだろう。
 中傷を受けるのを煉は慣れているが柳華はそうではないはずだ。多分、と心の中でつけ
くわえる。どうにかいい嘘をと考えるが煉は嘘を吐くのが苦手だった。
 考えた末にとっさに思いつき、
「じ、実は……」
 脂汗を浮かべながら煉はその思いついた精一杯の嘘を口にした。

 体育館の扉が開いて煉が顔をひょっこり出した。誰かを捜すように周囲を見回し、
「ここよ」
 柳華が手を挙げると周囲の視線を気にしながら側へやってくる。
「きっちり4時ね」
 皮肉混じりに言って柳華は右手を上げた。
「約束は守るためにあるからな」
 ぱしん、と煉はその手を叩く。
「ミュウは?」
 小さく息を吐いてから煉はスーツの胸ポケットを指さした。
「遊び疲れたんだと。もちろん課題の成果はない」
「……だと思った」
「さて、暇人は帰る」
 くるっと踵を返した煉の前に、演劇部員たちが壁を作って行く手を阻んだ。
「な、なんだ」
 眼鏡をかけた部員がひとり前に出る。演劇部の部長……沢渡綾那だった。
「あなた・・・いま、暇とか・・・言ったわね」
 眼鏡のズレをなおしながら綾那は嬉しそうに口元をひいた。
「ああ、言った」
「いつ暇なの? 明日は? 明後日は? 暇よね? というか暇に決まってるわ。だっ
て、貴方は運命の糸をたどってここへ来たのだから当然よね。うふふふふふっ」
 不気味に笑い出す綾那に煉は半眼を柳華に向けた。
「なんだこの既知外は?」
「ウチの部の部長よ。すでにあんたの運命は決まったわね」
 言葉の意味がわからない煉が訝しんだ直後、
「さあ、彼をゲットするのよ!」
 その一言で演劇部員総勢18名が一斉に煉へ群がった。さながら軍隊アリだ。
「のぁぁぁぁあ!」
 たまらず煉が悲鳴を上げる。それをはたから見ていた柳華は哀れみの溜め息を漏らした。
と、急に部長に手を掴まれる。
「東雲さん、貴方は部の女神だわ。部の為に恋人を投げうるその愛着心! 次期部長候補
はやはり貴方しかいないわ」
「あのあいつは恋人じゃあ─―」
「みなさん! その人を大道具の前まで連行!」
 演劇部員に担がれた煉は必死に逃げようと抵抗した。
「おい、こら、お前らなんだ!降ろせ!帰って夕食の準備や風呂掃除があるんだよ!」
 とうぜん無視される。部長は猪突猛進人間だ。たとえ国家権力がやってきても考えを改
めないだろう。連れて行かれる煉をながめ柳華は、
「ご愁傷様」
 両手を合わせて健闘を祈った。

 家に帰ると午後の八時を回っていた。
 あれからお城のセット作りを無理矢理協力させられた。何度か逃げようと試みたが、な
ぜか逃げようと思うと決まってあの眼鏡女が背後に現れ、全てが失敗に終わった。
「くそっ、おかげで夕食が遅くなった」
 だん、と包丁で大根を両断する煉。空腹も相まって腹立たしさこの上なかった。
「ねえねえきょうのごはんなに〜?」
 笑顔のミュウが肩に着地して覗いてくる。
「大根のみそ汁と唐揚げ、肉野菜炒めだ。……ところであそこでの収穫はどうだ?」
「ぜ〜んぜんダメだった〜♪ なんどもシャッターおしたけどすいしょうさんがきょかし
てくれなかったよ」
「そうか。まあ、いまは準備段階だからな。本番まで待つしかないか……」
 大学祭。大道具を作っていたら世羅と名乗った部員が来週あると教えてくれたのだ。祭
りと言えば誰でも心躍る行事である。輝いた思い出もそれなりに収めることができ、ミュ
ウの課題を早めに終わらせるチャンスだろう。
 それに準備であっても輝いた思い出があるかもしれない。協力するのはそれなりに意味
があるだろう……が、
「あの眼鏡女は苦手だ」
「部長のこと?」
 浴室の扉が開いて柳華が出てくる。
「聞いていたのか……って、なんだその格好は!」
 顔を向けた煉は顔を真っ赤にして包丁を柳華に向けた。
 柳華はブラジャーにショーツ姿というあられもないものだったのだ。髪を洗ったのか濡
れた髪をバスタオルで拭いている。
「サービスショットってとこかな」
 そう言って柳華は体をしならせた。どこぞのモデルのポーズだろうか。
「寝言は寝て言え。誰がガキの下着姿を見て喜ぶか」
「あにをー! これでも上から84・57・81のナイスバディなのよ!」
「ざけるな! ったく、サバよむ暇があるならさっさと服着てミュウと遊んでろ」
 肩をすくめて煉は料理を再開する。
「くぬぬぬっ。乙女を侮辱するとは……いっぺん死ねーーーっ!」
 柳華の怒鳴り声に振り返るや視界が一瞬にして暗転し、次の瞬間には顔面に衝撃と痛み
が襲う。そのまま煉は動くことはなかった。
 結局、跳び蹴りを顔面にくらって煉は気絶。夕食がテーブルに並んだのは10時を少し
過ぎたころだった。

 翌日から煉はバイトを四時で切り上げて演劇部の手伝いに駆り出された。部長・沢渡綾
那の魔の手から逃れられなかったのである。
「……」
 文句も言わず黙々と作り続ける。少しでも早く作り上げてさっさと解放されたかった。
「真面目に頑張っちゃって。義理堅いっていうか何というか」
 そんな彼の様子を舞台の上から柳華はそれを見ていた。いまは衣装の仮縫い中だ。
「ねえ先輩。月影さんと先輩ってどんなご関係なんですか?」
 近寄ってきた世羅がぽつりと言った。
「はぁ? いきなり何よ」
「ちょっと気になりまして。先輩って殿方とは無縁の方とばかり思ってましたから」
 世羅に質問に柳華は眉根を寄せた。どう答えたらいいものか、と。
 改めて考えてみると煉との関係は世間では同棲している恋人になるだろう。別にそうだ
と意識したことは一度もない。でもいまの生活をけっこう気に入っているのは確かだ。
 この状態を相手に分かり易く説明するに相応しい日本語がなかなか思いつかず、柳華は
唸りながら悩みはじめる。
「あ、あの、言いにくいのでしたら別によろしいですよ」
「はい、仮縫い終わりです。お疲れさまでした。脱がすから言うとおり動いて」
 衣装係に肩を叩かれて柳華は考えを中断させた。衣装制作班が大急ぎで仮縫いの衣装を
脱がしていく。
「オッケー。すぐに本縫い作業入るわよ! 部長、こっちは終わりました!」
「よろしい。じゃあゲネを始めるわ。スタンバイして!」
 部長の一声で部員達は所定の位置へ走った。音響係の世羅も慌てた様子で舞台裏に消え
る。柳華も舞台袖で待機した。
「じゃあ初めからいきます。……スタート!」
 結局、なぜそんな事を聞いてきたのかはうやむやとなった。

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