第十九話「人生幸福の後には」
 バレンタインから3日が……柳華はひどく困惑していた。原因は言うまでもなくハート
形チョコの意味だ。
―― 本当にあたしが好きだから? そうなると両想いってやつじゃない!
 そう考えてると自然と頬が緩み、
「うふふ」
 思わず声にだして笑ってしまう。しかし煉のことである、大切=大切な親友という構図
の可能性もあった。確率としては後者の方が高い。
 今度はず〜んと重い気分になってしまった。煉にストレートに聞けばわかるのだろうが、
もしそうだったらと思うと聞けなかった。
「いや、しかし大切な存在ってことには変わりないんだから……えへへ〜」
 でも、やっぱり嬉しいことにはかわりがなかった。

 そしてバレンタインから4日たったある日……。

 授業を終えた柳華が部室へ向かおうと鼻歌交じりに歩いていたとき事件は起きた。
 ぐしゃっと生卵が側頭部に命中し、白身と黄身がにゅるりと顔を伝った。そっと髪に触
ってしたたり落ちる白身が付いた手を見る。
「なんじゃこりゃーーーーーっ!」
 叫んで飛んできたであろう方向を見る。角度からみてキャンパス内にある高校の校舎か
らだろう。
―― でも何で?
 一番に思いついたのは嫌がらせ。だとしても高校生に恨まれる覚えはない。
「まあ、考えても仕方ないか。部室棟のシャワー室で洗い流そっと」
 その時は気楽に考えていた。

 だがしかし、その後も柳華は様々な不幸が続いた。
 講義室に入ったら上から墨汁が降り注いだり、煉特製弁当を芝生で食べていたら野球の
ボールが弁当箱を弾き飛ばしたり、終いには階段から突き落とされた。最後は自慢の運動
神経で乗り切ったが、これは明らかに嫌がらせだ。誰がなんと言おうとも、だ。
「見つけたら絶対に地獄を見せてやるんだからっ」
 怒髪天の柳華は指の関節を鳴らしながら決意した。とはいえ、いつ襲ってくるかわから
ず、犯人の情報もないのでなかなか見つからない。
 誰かに協力を求めようとも考えたが、巻き添えにしてしまうかもしれないと思うとでき
なかった。
「せ、先輩真っ白ですわ!?」
 放課後、スノーマンのような柳華を見て世羅が悲鳴をあげた。
「ああ、気にしないで。これ小麦粉だからシャワー浴びれば元通り。そうだ、予備の着替
えってない?」
「ありますけれど……いったいどうして小麦粉なんて」
「気にしないで〜」
 手の平をひらひらさせながら、柳華はシャワー室へと消えていった。

「イジメだと?」
 話を聞き終えた煉は顔をしかめた。
「はい。あれは間違いありません」
 向かいに座っている世羅が真剣な顔で頷く。小さく唸って煉は両腕を組んだ。
 今は昼休み。バイト中にやってきた世羅に大切な話があると言われ<ハイテクニクス>
向かいのファミレスで話を聞いたところだった。
 言われてみれば思い当たる節はかなりあった。
 最近妙に作り笑いが多く、出かけた時と帰ってきた時の服が替わっていたのが代表的な
ことだ。なにせズボン派の柳華がスカートを履いて帰ってきたのである。その時の新鮮さ
と可愛さに思わず言葉を失ってしまったが、まさかイジメにあっていたとは思わなかった。
「だが柳華は他人に恨みをかうようなヤツじゃない。何か理由思いつくか?」
「そうですねぇ。一番ありそうなのが……嫉妬、でしょうか。先輩って口は悪いですけど
容姿はいいですし、後輩の面倒見もいいですからけっこう人気があるのですわ。だからそ
れをねたんで嫌がらせを……」
「…柳華って人気あるのか?」
 嫌がらせよりも少しそっちの方が気になった。それを聞いた世羅はにんまりと意味あり
げな笑みを浮かべた。
「気になりますの?」
「……ま、まあ凶暴で料理のりの字もできない女に人気があるのは意外だからな」
「うふっ。そういうことにしておきますわ。今でもよく告白されるらしいです。もちろん
断っているって言っておりましたから安心なさってくださいね」
「べ、別に関係ない。ところでイジメの件だが…どうすればいいと思う」
「一番良いのは側で守ってあげることなのですが、私は先輩と同じ講義は受けておりませ
んので」
 申し訳なさそうに世羅はうつむく。
「気に病むことはない。しかし俺もこれ以上バイトを休むわけには……」
 今は呪いのこともあって6時間しか働いていない。食費が減るのは一向に構わないが、
バイト代のほとんどは孤児院の維持費として寄付している。これだけは減らすわけにはい
かないのだ。しかしそれでは柳華がイジメに苦しむのを見過ごすことになる。孤児院か柳
華か。激しい葛藤が頭の中で繰り返される。
「考えている暇はありませんわ。こうしている今も先輩はまた何かされているかもしれま
せん!」
 ふと嫌がらせを受けて泣いている柳華が脳裏に浮かぶ。
「よし、誰だか知らんがとっちめてやるか!」
「それでこそ煉様ですわ。ところで……」
 周囲を見渡してから世羅が口を耳元に寄せてくる。
「ひとつお聞きしたいのですが」
「なんだ?」
 煉はオレンジジュースを飲む。
「煉様は呪いがあるから先輩と一緒にいるわけではないのですよね?」
「……まあな」
「それと……もしかして先輩に告白しませんでしたか?」
 その言葉に、煉は口に含んでいたジュースを吹いてしまった。
「お下品ですわ」
「う、うるさい。なんでそんなことを訊くんだ?」
「バレンタインの翌日から先輩が妙に思い出し笑いが多かったので。……どうなのです?」
 問われて煉は答えに困った。
―― あれは告白になるのか?
 姉の言っていたことが嘘だとすると柳華があのチョコの意味を知っているはずがない。
あの時は恥ずかしかったのとバイトの時間だったので逃げてしまったが答えを聞くべきだ
ったと少し後悔していた。
「む〜。半分半分……」
「半分?」
 煉はバレンタインの日の事を話した。
「おそらく先輩はその意味を知っていると思いますわ。でなければ何度も思いだし笑いな
んてするはずありませんもの」
「……そうか?」
「確証はありません。もし心配でしたらご自分の口で告白なされば良いですのに」
「それは……恥ずかしいだろ」
「もう。これはお二人の問題ですから私は口出しはしませんが、あまり恥ずかしがってば
かりというのも良くないと思いますよ。でも、どうしてそこまでして進展がありませんの
かしら」
 世羅がやれやれとため息をもらす。
「まあ、その内にな」
 そう言って煉は窓の外を見た。

―― 両想いなのだからはやく告白すれば良いのに。困った人達ですわ
 いまいち踏ん切りのつかない煉の態度に世羅はもう一度ため息をもらした。

 翌日。
 煉は世羅から話を聞いたことを伝え、ミュウと共に柳華の護衛につくことにした。聖城
大学のキャンパスを3人で歩く。
「ホントにバイト出なくていいの?」
「代打を送っておいた」
「代打?」
「レグナットのヤツだ。あいつら飯だけ食って働いてないからな。この際しっかり働いて
もらう。その間に俺は犯人を見つけて地獄を見せてやるさ」
 煉は不敵に笑いながら指の関節をならす。
「ミュウもえいってやる! リュウカをいじめるなんてゆるせない! みつけてみさいる
きっくをあびせるんだから!」
 ミュウの方もやる気満々だ。2人がいるだけでとても心強い。巻き添えにしたくなくて
黙っていたが、5日連続の嫌がらせでさすがの柳華も心がまいっていた。
 なので少しだけ世羅に感謝した。ただ勝手に喋ったことは後で叱っておこう。
「ありがと。あ、でも地獄を見せるのはいいけど、最初の一撃は絶対にあたしだからね」
「わかって――むっ!?」
 いきなり煉に背中を押された。足がもつれて地面に倒れてしまう。軽く膝を擦り剥いて
しまった。
「いきなりあにすんの……よ」
 痛む膝を押さえながら振り向いた柳華は目を丸くした。煉が頭から血を流していたので
ある。彼の足下には小さな釘だらけの野球ボールが転がっていた。
「どうやら護衛に来て正解だったようだ」
 飛んできたと思われる方向を鋭く見据える煉。真っ赤な血が頭から頬へ、更に顎へと伝
って地面にシミを作った。
「わわわ〜っ!」
「ちょ、ちょっと血が出てるじゃない!」
 慌てて立ち上がり、ハンカチで血を拭うが拭いても拭いても血がでてくる。
「傷が深い。病院いこ」
「いや、円を呼ぶ。病院なんかよりあいつの方が信頼できる」
「わ、わかった。わかったからちょっとこれを頭に当てて座ってるのよ」
 ハンカチを渡すと柳華はメモリーダイヤルで円を呼び出した。

 柳華が話し始めのるを見てから、
「……イジメで済む領域じゃないな」
 ボールを拾い上げる。当たる寸前に威力を殺したからいいが、もしこれが柳華に当たっ
ていたらこんな傷では済まなかったろう。
 角度からいって大学校舎の3階辺りだ。人影はない。人に見られることもなければ落下
速度で力が弱くても十分な威力を出せる。少しは頭がいいらしい。
「レンいたくない〜? ちがいっぱいでてるよ」
 心配そうにミュウが言う。
「大丈夫だ。……ミュウ」
「みゅ?」
「相手が諦めるまで護衛を続けるつもりだったが予定変更だ。すぐに見つけて地獄を見せ
る。手伝ってくれるか?」
「おっけ〜でらじゃ〜!」
「俺を怒らせたこと……後悔させてやる」
 煉は今までに見せたことのない獰猛な笑みを浮かべた。

 その頃、<ハイテクニクス>では……
「あいつ、すげえな……おい」
「あ、ああ」
 レグナットが100kgもある品物を片手で持ち上げて社員達を驚かせていた。


←前へ  目次へ  次へ→