第十五話「迫り来る時」
 30分の追いかけっこの末、煉はフェリスを連れて『ミラーダンジョン』に入った。エタ
ーナルランドで最もクリアが困難とされているアトラクションだ。全身鏡張りの迷路。そ
の広さは世界一と言われている。迷子になった場合は入場口で渡されたナビゲーションマ
ップが出口まで案内してくれるので安心。ちょっとした冒険気分を味わえることから大人
子供問わず大人気のアトラクションであった。
「ここ、なら、見つかりにくい、だろう」
 フェリスの腕から手を離すと、煉はその場に腰を下ろした。隣にフェリスも腰を下ろす。
「しっかし、い、いった、い……なんだってんだ。柳華達だけならともかく妖精の長老ま
でいやがった」
「たぶん、私を連れ戻しにきたのよ」
「連れ戻しに? 何でだ?」
「キミって案外頭悪いんだね。どうやってキミを眠らせてからここへ連れてきたか思い出
してみてよ」
 少しばかり煉は黙考した。
 眠らせるのは薬でも使えば簡単だが、エターナルランドまで自分を連れてくるのはかな
り難しい。まさか肩に担いで来たなどということはないだろう。何より人力で来たならば
夕方になっているはずだし、移動中に目を覚ましていたはずだ。
 そうなると考えられる手段はただひとつ。
「魔法ってことか」
「ご名答」
「つまりお前は妖精なんだな」
「そっ」
 クスッと笑ってフェリスも腰を下ろした。
 そういえば愁の記憶で妖精の成長の事があった。妖精はミュウのような姿から何年かす
ると人間と同じ大きさ、今のフェリスの姿に変わるのである。
「もう一回キミを驚かせてあげよっか」
「できるならやってみろ」
「ミュウは私の妹だよ」
「なっ!?」
 煉は言葉を失った。
 ミュウに姉がいたのは驚きだった。しかしよく見れば確かに2人の母親・サーラにフェ
リスは似ている。髪の色、顔立ち共にミュウより似ていた。
「ふふっ」
 目を丸くしている煉に、してやったりとフェリスが笑った。
「驚いたでしょ?」
「ああ。世間ってのは広そうで案外狭いな。偶然っつうのは恐ろしいもんだ」
「偶然じゃないよ」
「偶然じゃない?どういうことだ」
「私ね、フェリーナから逃げてきたの。ずっとひとりでいなくちゃいけない事が嫌になっ
てね」
 フェリスは何かを思い出すように目を閉じた。
「私の仕事はミュウみたいに外界へ降りた妖精達に異常がないかを監視すること。もし何
かあればそれをしかるべき所に伝える」
「しかるべき所?」
 煉は気になって問いかけた。
「そっ。しかるべき所。キミ達の世界で言うなら……そうね、救急隊ってとこかな。私は
用意された部屋で20年間ずっとひとりで、誰とも顔を合わせることなくその仕事を続け
てきた。会話するのも月に数回……母様かミュウが話しかけてくれるだけ。でも最近にな
って突然2人が話しかけてこなくなった。どうしてだと思う?」
「……ミュウがこっちへ来たからか」
「正解。母様が話しかけてくれたのは外界に黄金の雪が降った翌日だった」
 黄金の雪。自分が過去の古傷で精神だけが妖精界に行った事件の後だ。
「内容は全てミュウに関すること。ミュウが外界に行っていることや外界でどんなことを
しているかを事細かに教えてくれたわ。水鏡を通じてその事は知っていたはずなのにね。
そして、私の事をひとつも訊かないで話は終わった。はは、私泣いちゃったよ」
 彼女は笑った。実に乾いた声で。
「それから私はミュウばかり見るようになった。もちろん可愛い妹が心配だったからよ。
でもね、ミュウがキミや追いかけてきた彼女と楽しそうにしているのを見て凄く許せなか
った。私には試練がなかったのになんであの子にはあるのか。あの子はあんなに笑って楽
しそうなのにどうして私はたったひとりで、笑顔を向ける相手もいない場所に居続けなく
ちゃいけないのか……そう思ったらやる気なくしちゃって」
「だから逃げだしたのか」
「てへっ。私っていけない子だね」
 フェリスは小さく舌を出した。
「そうでもないだろ。俺だったら3日で抜け出している。しかし、いくつか疑問がある」
「なに?」
「なんで俺の前に現れた。偶然じゃないんだろ?」
「う〜ん。ミュウが好きになった相手に興味がわいたからかな」
「なるほど。あとひとつの疑問は…………どうやって俺を着替えさせた」
 少し顔を赤らめつつ、煉は言った。
 休憩室で眠らされたとき煉は海パン一枚だった。しかし、いまはきちんと服を着ている。
誰が着替えさせたのか。そんなものはひとりしかいない。
「そ、それは……ぽっ♪」
 両頬を押さえてフェリスが俯く。
「いきなり赤面するな! 口で言え口で!」
 色々な意味に捉えることができる態度に煉は大声で叫んだ。
「ま、キミのご想像にお任せするよ」
「むぐぐ……はぁ〜」
 がっくりと肩を落とす煉。何だか大切なモノが汚された気分だった。声を押し殺してフ
ェリスが笑う。つられて煉も笑った。
 和やかな雰囲気がふたりを包む。と、不意に息が苦しくなった。
「さぁ〜て、これからどうしよっかな〜。色々楽しんだ事だし、また嫌になったら逃げ出
せばいいから、そろそろ帰ろうかな。キミはどうおも――」
 地面に横たわったまま震える煉を目にしてフェリスは固まった。
「ぐっ…な、なんで、だ…」
 喉を押さえながら言う。
「ちょ、ちょっとどうしたの!?」
「ミュウ、の、呪い…だと思、うが…はぁ…はぁ…」
 それにしてはおかしすぎた。柳華と最後に触れてまだ3時間ぐらいしか経っていない。
息苦しくなるのは残り50分からのはずだ。
「ど、どどどどどうすれば……あ、そうか! 呪いがかかってるもうひとりのあの子に触
ればいいのね。なら転移魔法で――」
 煉を立たせてから転移魔法の呪文を口にしようとしたその時、
『やめるのじゃ!』
 レグナットの鋭い声が詠唱を止めさせた。

 時は煉達がミラーキャッスルに消えていった直後に遡る。

「くあ〜〜〜〜っ!!!!!」
 2人に逃げられた柳華は人目も気にせず地団駄を踏みまくった。
 せっかく心配してやれば女といちゃいちゃ腕を組んで嬉しそうな顔をしていた。絶対に
一発殴ってやらなくては気がすまない。裏切られた乙女の怒りは恐ろしいのだ。
「せんぱ〜い!」
「リュウカ〜」
 遅れて世羅達がやってきた。
「遅いわよ! 煉の大馬鹿はとっくにこの中に姿を消しちゃったじゃない!」
 柳華はミラーキャッスルを指さした。
「お主が速すぎるのじゃ。恋人を奪われ嫉妬にかられるのは自由じゃが、他者を気遣う心
を忘れる─ぐはっ!」
 全てを言い終える前にレグナットは柳華の拳の餌食となった。それを見て世羅とミュウ
は両手を合わせた。
「あんであたしが嫉妬しなくちゃいけないのよ! あいつとは単なる同居人! 恋人でも
なんでもないの!」
「そうですよね。恋人ではなくて恋人未満ですもの」
「ちっが〜〜う! だぁ〜〜〜〜〜!」
「あくまで否定するなら私がまたアタックしてもよろしいのですね」
 柳華は叫ぶのやめ、
「ダメ」
 即答する。
「単なる同居人なのでしょう? では私はアタックしますわ。一度はフラれたとはいえ、
アタックし続ければいつかは振り向いてくださるかもしれませんし。最後は体で誘惑して
でも煉様の心を奪いさります」
「だ、ダメ! え、えと……さっきのナシ。思いっきり嫉妬してました」
 柳華はぎりぎり聞こえるような声で言った。
「もう」
 腰に手を当ててため息をもらす世羅。が、すぐに笑った。
「やっと認めましたね」
「だって恥ずかしいじゃない。いつも喧嘩ばっかりしてて、本当は好きです……なんてさ」
「そうでしょうか。素直じゃない先輩らしいですわ」
「そうだよ〜。ミュウはカガミさんにきいてリュウカがレンをだいすきってしってるんだ
よ〜♪」
 柳華はミュウの羽根を摘んだ。
「いったいそんなこといつしたのよ」
「う〜んとね、このまえリュウカがレン〜レン〜ってねながらいってたとき〜。びょうき
かな〜っておもったからカガミさんにきいたの。そしたらコイのやまいだっていわれたん
だ〜。コイってなに〜ってきいたら、カガミさんはリュウカがレンのことがだいすきだか
らゆめであってるって。どうしたらなおるのってきいたらコクハクだって〜♪ しようし
よう、こくはく〜♪」
 あまりの恥ずかしさに柳華は心の中で頭を抱え、悶えまくった。
「もう今日中に告白してしまったらどうですか? 今日怒ったのは全部貴方が好きでした
ことなの、という風に。さすれば煉様も、そんなに俺のことが好きなのか! という具合
になるんじゃないかと。煉様も先輩の事はまんざらではないと思いますよ」
 含みありありな笑みを浮かべる2人に、柳華は思わず拳を振り上げて、ぐらりと倒れた。
「リュウカ!」
「どうなさったんですか!?」
「息が………く……るし…い…」
 ほとんど息ができなかった。続けて体が高熱のような熱を出し始める。この感覚には一
度だけ覚えがあった。呪いのリミットが5分を切ったときの症状だ。
 でも、煉に触って5時間も経過していないはずだった。
「な………んで……はぁ……はぁ…」
「わぁ〜〜〜〜〜!!!!」
 ミュウが大声を上げた。
「何事じゃ!」
 張り倒されていたレグナットが身を起こす。すぐさまミュウがもっていた時計を見せた。
「いきなりトケイさんのはりがぎゅう〜〜〜んてうごいて、ここにきちゃったの!」
「これは呪いのリミットを知らせる時計じゃな。な、なんと!?」
 時計を見たレグナットが目を見開いた。
「どうなさいましたの?」
「制限時間が5分をきっておる。じゃが娘とあの男が離れてそう時間はたっておるまい。
……そうか!」
「みゅ?」
「魔法じゃよ」
「魔法といいますと、一瞬にしてプールからこのエターナルランドに来ることができたあ
れですの?」
 レグナットは静かに頷いた。
「詳しい話は後じゃ。早くこの娘をあの男と触れさせねば」
「あ、ちょうろうさま!このおしろのなかからおねえちゃんのちからをかんじるよ〜」
「いかん。おそらく転移魔法でこちらに来るつもりじゃ。もしワシの考えが正しければ最
悪の事態を招いてしまう」
「最悪の事態って……まさか!」
 世羅は悲鳴に近い声を上げた。周囲の人が何事かと4人、正確には3人に目を向けだし
ている。
「やめるのじゃ!」
 念話でレグナットはフェリスに呼びかけた。
『長老様!?』
「そうじゃ。魔法は使うでない。さすれば両者の命は消えるじゃろう。よいか、ミュウの
波動を追ってワシらの元へ来るのじゃ。こちらはミュウの案内でお主らの元に向かう」
『わ、わかりました』
「ミュウ、よいな?」
「うい!」
 敬礼をしてミュウはレグナットの肩に着地する。
「世羅といったな。主はワシの杖を持て。この娘はワシがおぶる」
「だいじょうぶなのちょうろうさま〜。おとしおとし」
「馬鹿者。年を取らないという事は肉体も衰えぬということじゃ。それよりも男の元へ案
内せい。時間はもうないのじゃ! この2人を死なせたくはあるまい」
 柳華を背負い、全力疾走でレグナットはミラーキャッスルに入る。世羅も後に続いた。
係員が何かを叫んでいたが非常事態だ。無視する。
「2人とも、助かりますわよね」
 心配そうに世羅が言う。
「もちのロン。ミュウはずっとふたりといるんだもん。しんでほしくないもん」
 レグナットがミュウの言葉を伝える。笑って世羅は頷いた。

 ミュウの時計は無情にも時を紡いでいく。

 残り時間あと……3分


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