番外編「メイド IN アヤキ」

 目を覚ますとまず夕陽色の天井が視界に入った。次に目を少し横へ移動させると夕陽色の原因である
吊るされた裸電球が左右にゆれていた。
 以上2点で俺は確信した。
「またかよ!」
 厄介ごとに巻き込まれていた。夢でない事は頬を抓った際に感じた痛みが証明してくれている。
―― 今度は誰だ。
 棗ではないだろう。あいつなら目を覚ませばすぐに視界に入る場所にいるはずだ。何かと自己主張の
激しいヤツだし。恵という可能性は間違いなくない。あいつは俺の了承無しにどこかへ連れ去ろうとい
う事をしないヤツだ。むしろ堂々と連れて行く。
 この二人ではないとなると残る可能性は2つ。
 メイド女か侍女。が、侍女は俺をどうこうするとは思えない。恵同様にあの女も突発的な行動は取ら
ないだろう。
 となると考えられるのはやはり……。
「やっとお目覚めか。目覚めたのであれば早々に移動してもらいたい」
 静かな空間に澄んだ鈴のような声色が響く。
―― きっと銃口とか向けたメイド女が立ってるな
 と思いながら俺はゆっくりと声のした方へ顔を向けたのだが、予想に反して向けた方には誰もおらず、
たった1個の電球の明かりが届かないほど広い薄暗い空間が広がっているだけだ。
―― ……幻聴か? いや、メイド女の得意技か。
 姿を消す。手品師もびっくりの種も仕掛けもない。暗部メイドの必須技能らしくこの常人びっくり技
を誰もが修得していた。恐る恐る手を伸ばして見た。反応なし。近くにはいないらしい。
「これはいったい何の真似だ?」
 誰かがいるのは確かなので適当な方向を見ながら俺は現状の説明を求めた。
「アナタが望んだ。それが答え」
「俺が望んだ? んなわけねぇだろ! 誰がこんな嫌な予感バリバリの展開を望むってんだ!」
「胸に手を当て、目を閉じてもらいたい」
 有無を言わせぬ、少しばかり殺気のちりばめられた声。微かだが何か金属のこすれる音が耳に届いた。
恐らく刃物系を抜いたか、銃のハンマーを下げたかだろう。
―― 連中と付き合ってたら殺気もわかるようになったし、耳まで良くなったな。これも人の適応能力
のなせる技ってやつだろうか?
 などと呑気に考えつつ、自分が危険な状況であるのは理解した。死にたくないので俺は素直に従って
胸に手を当てて目を閉じる。
「昨日、午後6時21分21秒01。アナタは何と口にしたか。再度この場にて言ってもらいたい」
「いや、んな事言われても無理だろ」
 いちいち喋った時間まで覚えているはずもない。
「なれば昨日夕食を終えて恵お嬢様をおぶって戻る最中に口にした言葉、といえばよろしいか?」
 その条件に合う場面なら記憶の中に1件だけ一致するものがあった。
―― そんときに言った言葉、か。
 移動時間はたったの3分なのにえらく棗と言葉を交わし合っていたので求められているものがどれだ
かは判別できるはずもない。
 俺は更なるヒントを求めた。
「メイドに関わる発言です」
「あ、もしかして暗部メイドってのはどんな生活してやがるだってあれか?」
「それです」
 納得のいく答えを聞いたからか、声から殺気が消えて柔らかい物に変化した。とりあえずの危機を脱
して俺はほっと安堵する。
―― いや、ちょっと待て。
 俺は頭の中でもう一度自分で口にした台詞を反芻してみた。
『暗部メイドってのはどんな生活をしてやがるのか』
 その発言が原因で俺はここにいる。恐らく暗部メイドの手によって。それらを順序よく並べて行き着
いた結果に俺は頭を抱えた。
「自らの置かれた状況を理解されたか。説明の時間が短縮されて助かる。姉妹達もアナタの登場を今か
今かと待っているので」
 そこでようやく声の主が姿を現した。
 身体を覆い尽くす闇と同色のマント。右目を覆い隠すその髪型から豊阿弥蘭を頭に浮かべたが、隠さ
れていない左目の鋭い眼差しがすぐさまそれを否定させた。
 俺の知る豊阿弥蘭はあんな鋭い目はしていない。縁とラブラブになって蘭の左目は始終垂れ気味のは
ずだった。
「こうしてアナタと面と向かって話すのは初めてか。なれば自己紹介を。暗部メイドの七幸。以上。さ
て、紹介も済んだところで行くとしよう」
 言うが早いかメイド女・七幸は俺の腕を掴んで立たせた。
「お、おい。どこへ行くっつうんだよ」
「既に頭で現状を理解されたはず。なれば行く先も容易に想像できるのでは?」
「いや、まあ想像できるが……」
 俺は正直言ってしたくない。何故かと言えば自分が更なる不幸に曝される結果までを想像するのが目
に見えているからだ。
「行きます」
 俺が黙っていると、七幸は力強い足取りで歩き始めた。メイド女に力で敵うはずもなく俺はズリズリ
と引きずられて連れてこられた先はというと……。
「おわっ!」
 慌てて俺は目を閉じ、更に掴まれていない方の手の平で両目を覆った。
―― や、やばい。見てしまった。
 心臓が早鐘のように躍動していた。押さえたくとも哀しいかな男の性が反応してしまった。いくら相
手が冷酷無比のメイド女だからって、だからって。
―― 何に反応したかって? それは……。
 嗚呼、暗闇を抜けたらそこは下着の園でした。バッチリと3秒間だが目にしてしまいました。逃げも
隠れもできません。
―― ジーザス。できれば7割殺しぐらいで終わりますように。
 俺に出来ることは震えて断罪を待つことのみ。
「お、来たっしょね」
「え、あ、う、その……よ、ようこそ」
 しかしメイド女達が怒りに駆られて襲いかかってくることはなかった。
―― そ、そうか。きっとこいつらに羞恥心ってもんがないんだな。
 激しい戦闘になれば服も破けて、もしかしたら肌を露出するかもしれない。だがそんな事で恥ずかし
がっては致命的な隙を生む。きっとそうならない為の訓練を受けているに違いない。
「さて、アナタには十三子と四十華と共に今日一日を過ごしていただく。何をするかは二人に聞くとい
いでしょう。ふたりとも後はよろしく。くれぐれも殺さぬように」
 安堵したのもつかの間の物騒な発言。聞き捨てならない。
「お、おい! 何だその殺さぬようにってのは?! 俺に何をさせる気だ!?」
 俺の問いかけに七幸からの返答はなかった。掴まれていた腕が突然解放されたかと思うと力強く背を
押される。前につんのめった俺は柔らかい壁に衝突した。
 いったいそれが何かは想像できたので慌てて俺は後ろに下がった。
「うっし。新人。今日はみっちりあたいらが死なない程度にイジメ、もといしごいてやっるぞ」
「え、えっと、そ、その……本当に死なないで、くだ、さい。死ぬ、と……お嬢様が悲しみます」
 死と隣り合わせの仕事を生業にしている暗部メイドがいうと洒落に聞こえない。いや、洒落じゃなく
本気で常人なら死ぬような事がこれから起こるのだと二人はいいたいのだろう。
 逃走は不可。逃げ道も知らなければ逃げても数秒で捕獲される。実力行使も不可。これはもう説明す
ら必要ないことだ。
 もはやこの激流の流れに身を任せつつも隙をみて岸に辿り着くしか助かる道はないか。
「しっかし、ふぅ〜ん。ほへぇ〜。意外と似合ってるっしょね」
「は、はい。四十華も、そ、うおもいます」
「は? 似合ってるって何がだ?」
 意味不明な発言に俺は首を傾げた。
「目、開けて見るっしょ」
「いや、でもお前ら……」
「開けないと殺すっしょ」
「はい。開けさせてもらいます」
 脅迫に従って俺は目を開ける。目の前には俺の顔があった。違う、目の前にあったのは鏡だった。鏡
に映った俺の顔を見たのだ。
「んじゃ、あと4歩くらいっかなぁ? 下がってからもう一度見てみるっしょ」
「へいへい。………なんじゃこりゃぁぁぁぁぁぁぁあ?!」
 言われた通りに下がってから鏡をもう一度見た俺は最大音量で叫んだ。
 信じたくもない現実が目の前にあった。よくよく考えてみれば妙に足やら股がスースーしてるはずだ。
そりゃそうだ。何せ俺はパリッと糊のきいたスーツを着ていなかった。

 黒のワンピース。首元にはブローチとリボン。

 ワンピースの上に純白のエプロン。

 頭には白のカチューシャ。

 足は……足は黒の、黒のオーバーニーソックス。

 正真正銘のメイドスタイルになっていたんだからな。

 ………幸いパンツはトランクスだった。

 10分21秒。
 更衣室を出た俺はそれだけの時間を歩いていた。先の見えぬ長い長い廊下。電灯はなく光源は壁に一
定間隔で設置されたロウソクの明かり。電気も通っていないここはどこなのだと前行く十三子と四十華に問うと、
「秘密基地っしょ」
「な、ないしょの場所です」
 という何ともおちょくった答えが返ってきた。
―― 答えになっとらんわ!
 声を大にして叫んでツッコミを入れたい衝動に駆られるも俺は踏みとどまった。ツッコミが躱される
のは明らかだし、何よりその後の反撃が怖い。
―― くっそぉ。今日は厄日だ。
 メイド服に着替えさせられて常人が死ぬような場所へ連れて行かれる。これを厄日と言わずに何と言
おうか。それも拒否権ないのだから始末に負えない。

―― ……生きて帰れるといいが。

 それから更に数分してようやく二人は足を止めた。
 二人の前には鋼鉄製の扉がひとつ。天井には監視カメラが2個設置されていた。他には何もない。ど
うやら目的地はここで、通ってきた道はここへ行く為だけのものらしい。
「コード13 Grando Plumbea」
「コード40 Novissimus Soror」
 二人がそれぞれの監視カメラに向かって呟く。認識コードとパスワードか。しかし十数秒待っても扉
が開くことはおろか何の変化も起きなかった。
「壊れてんじゃねぇのか?」
「黙るっしょ。ちょっとあたいらの認識に時間がかかってるっの」
 認識コードとパスワード以外にも色々とチェック作業があるらしい。十三子の言葉通り更に10秒ほ
どして扉が地響きを起こしながら開く。
 その向こうにあったのは学校の教室2個分の空間と妙に安っぽい建物や戦車の書き割りだった。
「うっし。新人。ここが一対多における戦闘の訓練を行う為の射撃場っしょ。簡単に説明してやっから
ありがた〜く聞くように」
 もったいぶった言い回しのあと十三子は軽く咳払いして、
「あの書き割りは書き割りに見えて実は違うっしょ。グレネードの爆風ですら数発は耐えるというめち
ゃ堅い金属なんだぞっと。これからあたいと四十華はあの書き割りの後ろに隠れる。あんたはここで…
…ほい、ペイント弾であたいらを撃つっしょ。あたいらに1発ずつ当てれば訓練終了。簡単っしょ?」
「お前ら相手に簡単なわけないだろうが! 永遠に終わらねぇ気がするぞ!」
「はっは〜。いちおう制限時間は10時間っしょ。ま、せいぜい死なないよう頑張るっしょ〜」
 十三子はいつものデビル笑いを発しながら書き割りの中へと入った。
「あ、あの、実弾は使いません、から安心、して、く、ださい」
 そう言うや四十華はペコリと頭を下げて書き割りの中へ。間を置かずして背後にあった鋼鉄の扉がけ
たたましい音と共に閉じた。

 それが開戦の合図だったらしい。

 ビルの書き割りの中程にぽっかり穴が空いたかと思うと、黒くて細い棒状のものが飛び出した。メイ
ド女が所持する黒くて細い棒状のもの。それが何かと言うことを俺は即座に理解した。
「先手必勝! あたいらがこれまで積みに積んできた恨みをその身をもって味わう為に、死ぬっしょー
ーーー!!!」
 銃口が真っ直ぐ俺の方へ向いた。背筋を冷たいものが駆け抜け、全身から血の気が引いていく。
―― やばっ!
 横に跳ぼうとしたが既に時遅く……。

 耳をつんざく落雷にも似た轟音。

 刹那、左太股に図太い針で刺されたような痛み。逃げ切れないと悟った俺は両腕で顔をガードした。

「ありゃ? 本気で死んだっしょ?」
 室峰彩樹は両腕で顔を防ぐ格好で倒れたままピクリとも動かない。軽くつま先で頭を小突いても反応
は返ってこなかった。
 念のために脈を取ってみる。脈はあった。乱れはなく正常だ。呼吸もしている。
 銃弾による被害は打撲と内出血。いくらゴム弾とはいっても30口径の重機関銃を60発も浴びせら
れる事は素人には過ぎ足る苦痛だったか。
―― やりすぎかっな? いつもなら不死身っしょに。
 すぐにでも起きあがって罵声を浴びせかけてくると思っていたので予想外だった。
「……四十華。どっしよっか?」
「骨に、い、じょうはないです。痛み止め、う、打って、おき、ます。後は寝か、せておけ、ばよい、
かとお、もいます」
「そっか。ならおっけ。けど、これはお嬢様にバレるっしょね〜」
 両腕と両足には大小いくつもの青あざがあった。目立つなんていうレベルを遙かに超えている。肌色
のペンキで塗りつぶさない限り隠しようがない。
「こ、まりまし、たね」
 このままではお嬢様の怒りを買ってしまう。最低でも休暇、最悪で解雇。お嬢様の為に働く事を至上
の喜びとするあたいらにとってはこの上ない処罰を下されることだろう。
「……あ。そっか。あれがあるっしょ」
 あたいは失敗に焦ってこの作戦を実行するのに必須だったアレを忘れていた。
「アレ? あ、あれ、ならお嬢様もきっとゆる、してくださ、い、ますね」
「うっし! そうと決まれば四十華はアレを回収してくるっしょ。あたいはこいつをお嬢様のお部屋に
お運びしておくっから」
 四十華は小さく頷くと風を切る勢いで部屋から出ていった。
「ほんじゃ、あたいはこっちの処理をしよっかっなぁ」

 目を覚ますと口をへの字にさせた棗が見下ろしていた。
「彩樹。私に何か弁明すべきことは?」
 目が合うと平たい声で話しかけてくる。
 声の質から俺は棗が怒っているのだと悟った。しかし理由がわからない。怒らせるようなことはし
ていないはずだった。
「いったい何ぐぁ!」
 身を起こしたとたん、全身に電流の如く痛みが走る。そのあまりの痛みに俺は右手を伸ばしたまま硬直した。
―― そうだった。俺は……。
 十三子のぶっ放した銃弾の雨に曝されて気絶したんだった。
「あ、あのさ、腕とか足とかあるか?」
 わかってはいるが確認しておきたかった。
「あります」
「穴とか空いてないか?」
「あいていません。代わりに全身青あざだらけです。けれど自業自得でしょう。まったく、あんな事を
した彩樹が悪いのよ! 下着姿が見たいのであれば私に言えば……その、いつだって見せてあげたとい
うのに。そ、それと胸に顔を埋めることも……」
「……はい?」
 状況が飲み込めない。何だか展開が妙だ。
「これです! まさか覚えがないなどとは言いませんね?」
 突きつけられたのは1枚の写真。そこには下着姿のメイド女・十三子の胸に顔を埋める俺の姿が鮮明
すぎる画像で写っていた。
―― ま、まさかあいつら……。
 そのまさかだろう。こうなったのは覗き、しかも覗きだけじゃ我慢できずに襲ってきた俺から自らの貞操を守るた
めに行ったと奴らは写真と共に棗へ報告したのだ。
 写真という絶対的な証拠はメイド女の言葉を信じるに値する物としている。対して言葉しか対抗手段
のない俺には棗を説得することはできない。
「私という物がありながら。十三子よりも私の方がスタイルはあるというのに」
 ブツブツ言いながら棗はその細くて白い指を俺の胸にそっと載せた。

 ちなみに俺の身体はメイド女の銃撃を受けて全身打撲という状態だ。言い換えれば痛みという爆弾を全身に抱
えている。

 もし、その爆弾の起爆スイッチを指で押されたらどうなるか?

―― 厄日だ……。
 今日何度目かも忘れたフレーズを心の中で口にしながら俺はその時を待つ。

「許しませんよ」

 全てを優しく包み込むお日様のような笑顔で死刑執行人は執行のボタンを押すのだった。

 教訓、口は災いの元

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