第九十七話「法光院棗の主張」

「チェ〜〜〜スト〜〜〜!!!!」
 プロジェクターに駆け寄った俺は素早く電源コードを引っこ抜いて上着の内ポケットに
しまい込んだ。
 これでプロジェクターは動かず、あの恥ずかしいシーンを大勢に見られる事はないだろ
うと思い安堵の息を吐く。
 後は棗の奴に別の方法で説明しろと説得するだけと顔を向け、鏡花のヤツが次に持って
きた物を見た俺は頭が痛くなった。
「……聞かなくてもわかるがあえて聞こう。それは何だ!」
 鏡花の手に握られている『私と彩樹のスイートメモリー』と書かれたDVDを指さす。
「彩樹と私が好き合っている証拠が収録されているものよ。言葉では半信半疑でもこれを
見れば誰もが信じる素敵な一品。出かける前に頼んでおいたの」
「だ・か・ら! こういうのは二人で懐かしんだりする為にだけ使うべきで、その他大勢
に見せるために使うなって言っただろうが! 頼むからこれだけは勘弁してくれ!」
「……わかりました。鏡花、持ってきた物は全て邸に持ち帰って」
「かしこまりました」
 棗の命令に鏡花は一礼を返すと、手早くプロジェクターとDVD達を台車に載せて食堂
から退出した。
―― 全力で抵抗してくると思ったのに、やけに素直に諦めたな……まさか。
 出ていったと思わせて、という展開も考えて車に乗り込むのを確認。車はすぐさま発進
して見えなくなった。
―― マジで帰ったな
 意外過ぎる展開に俺は首を傾げて踵を返す。と、少し不安な色を含んだ棗と目が合った。
「あの、怒ってる?」
「ん? 別に。つうか、行動を邪魔されたお前の方が怒ってるんじゃないかと思ってるん
だが。で、素直に言うことを聞いたフリをして騙し討ちっていう展開を予想して、外れて
拍子抜けって所だ」
「私は怒っていないし、騙し討ちなんて事はしないわ。だ、だって彩樹に嫌われたくない
もの。……それでその……彩樹は今のことで怒って、私の事を嫌いになったりとか、別れ
るとか思ったりはしていないわよね?」
 目の前まで来た棗が上目遣いでそう聞いてくる。
「だから別に怒ってないって言ったろ。嫌いにもならないし、別れるとかも思っちゃいな
いって。つうかさ、お前がそういう顔すると調子狂うっていうか、ちょっと可愛いかもと
思った」
 まるで捨てられた子犬のような棗の頭を優しく撫でる。
 俺の言葉に安心したのか、それとも頭を撫でられて嬉しいのか、あるいは両方なのか棗
の表情からは不安が消えて笑顔となっていた。思わず俺もその笑顔につられてしまう。
 何とも穏やかで満ち足りた時間……と思ったそのとき、
「おっほ〜ん。なっちゃ〜ん、レアく〜ん。イチャつくのもその辺にしてくんない?」
 わざとらしい咳払いと蘭の言葉に現実に引き戻された。そして自分がいかに恥ずかしい
事をして、それを大勢に見られていたという事実を理解したとたん、慌てて棗の頭から手
をどけて背を向けた。
「ま、二人が両想いって事実をみんなに納得させるには十分なインパクトだからいいけど、
桐もそう思うでしょ?」
「えぇ。あの棗さんをあんなにしおらしくさせてしまうなんて恋人以外の出来るはずがあ
りませんもの。棗さんの頭を撫でる室峰さんからも愛を感じましたわ。私としては蘭さん
に指摘されて恥じらう顔の方が好みですが」
 二人の言葉に黙っていたその他大勢が一斉に騒ぎ出した。
 ほとんどは今の棗に対する感想だが、中には信じがたい現実だったのか悲鳴を上げて倒
れる人物も何人かいた。
 これは収拾に時間がかかるだろうと思ったが、
「お静かに。彩樹と私の仲も周知できました事ですし、続いて皆様が待ち望んでいた質問
時間とさせていただきますわ」
 手を叩きながら前に出た棗の一声で騒ぎは瞬時に収まった。
「では、質問のある方は手を挙げてください」
 が、それもまた一瞬の事で、質問したいお嬢様方が手と声で激しい自己主張を始めて騒
がしくなった。

 最初の質問……。
「あの、告白はどちらから?」
「まずは私から想いを告げました。彼からは色々あったあとに教会で……その……」
 頬を朱に染めた棗と目が合い、こっちまで顔が赤くなった。

 ふたつ目の質問……。
「やはり定番のお食事をあ〜ん、と食べさせてあげてるのかしら?」
「もちろんです。ただ、彼は恥ずかしがり屋なので毎食1回だけですが」
 そう言って棗は口を尖らせながら俺を睨んできた。
―― 仕方ないだろうが! 恥ずかしいだけじゃなくて死活問題なんだからよ!
 という心の言葉を目で訴えたが、当然の事ながら通じなかった。

 そして、みっつ目の質問……。
「なぜ奴隷を恋人にするなんて愚行を?」
 それは質問ではなく詰問だった。
「なぜ奴隷を恋人になど?」
 小学生と言っても疑われないほど小柄なお嬢様が再度問いかける。和やかなムードは一
転して不穏な空気に包まれていた。
「風紀委員の風薙恵理さん、でしたわね」
 風紀委員という単語に俺は今すぐ掴みかかりたい心を抑えて恵理を鋭く睨んだ。

「愚行とは?」
 彩樹が風紀委員の名を聞いて鋭い目を向けるも自制してくれたのを横目で確認してか
ら、私は軽い深呼吸の後に問いに問いで返した。
「奴隷なんてただの使い捨ての道具。そんなものを恋人にするなんて前代未聞、これまで
学園が培ってきた伝統に決してぬぐえない泥を塗った行いを愚行と言わずして何を言うと
お思いなのかしらね」
 そう答えた彼女からは嘲笑と怒りが向けられていた。対して私も負けじと風薙恵理を文
字通り見下しながら睨み付けた。
 彼女、いや彼女たちの思想や行いは噂で聞いて知っている。彼女達からしたら私の行い
は最も罪深い行為で許し難いのだろう。
 けれど、それは彩樹を傷つけようとしている彼女達に対する私も同じだ。出来るなら今
すぐにでも実力をもって制裁を加えたいがそれこそ愚行。
 もしここでそのような事をすれば法光院としての名に傷が付き、その名の下で働いてい
る多くの家族の生活を脅かすことになる可能性が生まれる。
 それは上に立つ者として決してできないこと。
―― だからといってこのまま黙って負けを認めることもできない
 法光院という負けを良しとしない名を持つからではない、私の愛する彩樹が言葉で汚さ
れることが許せないからだ。
 小さく呼吸して激しく波立った心を落ち着かせ、戦う冷静な自分へと切り替た私は静か
に、しかしありったけの哀れみを込めて笑ってみせた。
「な、何が可笑しいっての! ……あぁ〜、そっか。今更自らの愚行に気づいて後悔しき
れず気でも狂ったってわけ」
「自己弁護ご苦労様。残念ながら気なんて狂っておりませんわ。ただ、考え違いをしてい
る貴女が可笑しかっただけですの」
「か、考え違いですって?」
「ええそう。彼、彩樹は奴隷であって奴隷でないの」
「はっ、恋人ってオチ?」
「結論はそうね。まず、確かに彼は奴隷……使用人だけれど、これは私の我が儘からそう
なっただけ。常識で考えれば出逢って、本当の事を話して、それからなのでしょうね。で
も、私は彩樹がずっと側にいてくれるという誘惑に負けた」
 私の言葉に風薙恵理は訳がわからないという風に眉根を寄せる。
「わかりやすく説明するなら、彩樹をすぐさま側に置く方法が使用人として手に入れる事
だけだった、そういう事よ」
「で、その男はほいほい雇われて貴女の財力に目がくらんだってワケか」
「残念ながら逆よ。お金なんて一度も欲しなかった。お金よりも彼は元の生活に戻る為に
抗ったわ。抗うだけじゃない、時には敵であるはずの私を助け、時には叱ってくれたこと
もあったわね。そもそも、金に目がくらむような輩に私が恋心を抱くと思って?」
「ぐっ」
 私の問いかけに風薙恵理は小さく呻くと、バツが悪そうに顔を背けた。意外にも彼女の
私に対する評価は低くはないらしい。
―― だからこそ許せないのかもしれないわね
 期待を裏切った事については心の中で彼女に謝罪した。
「そのような訳で彼は使用人であって使用人ではない。ただ、無理矢理手に入れようとし
た事に対しては愚行と罵られましょう」
 私の言葉に対して風薙恵理はすぐさま反論しなかった。
 正確にはできなかった。彼女の想定していた単なる使用人との恋ではなく、更に私が自
ら彩樹にした事を愚行として認めてしまい、それに黙って聞いていた周囲が共感、あるい
は納得する声が出始めたからだ。
「彩樹」
 それを幸いと思い私は振り返って彩樹を見た。急に話を振られた彩樹は小さく声を出し
て驚く。
「貴方を無理やりに使用人とした事、まだ謝っていなかったわね」
「あ、あ〜〜〜そういやそうだったけな。つうか、今更って感じだけど」
 そう言って彩樹は笑いながら肩をすくめた。
「そうね。貴方なら絶対に許してくれると信じているけれど……ごめんなさい、ああする
ことしかできなかった私を許して」
「な〜んか謝ってるように聞こえないんだが……ま、お前らしいっちゃお前らしいか。ん
じゃ、ご期待に応えて許すよ。ちなみにお詫びの品はあるのか?」
「私の愛を」
「しゃ〜ない、それを有り難くいただくかね。胸焼けしそうなほど多そうだがな」
 私の冗談に彩樹も冗談で返してくる。
「待ってよ! 愚行は取り消す。でも、買われるという事は庶民でしょ? 家柄も血筋も
貴女には相応しくないわよ!」
 黙っていた風雅恵理が急に大声で叫ぶ。その声に、表情には最初にあった嘲笑の色は全
くない。誰が見ても真摯な説得の声と表情だった。
「……残念だけれど、私にとってどちらも恋する条件にはないの。そんなもの前提で生ま
れた想いなんて嫌悪すれど嬉しいとも、ましてや愛しいとは思えないわ」
 私の答えに風薙恵理は今度は呻くこともせず顔を俯かせる。握りしめる拳は怒りか、そ
れとも悔しさかはわからない。だが、私にとってはどちらでも構わなかった。
「いいこと。もしも彩樹を傷つけたなら……私の持ちうる全ての力で貴女を肉体的にも精
神的にも潰す。忘れないことね」
 この場で最も伝えたかった言葉を告げて離れる。
 彼女が走って食堂から出て行ったのはそのすぐ後のこと。舌戦にも勝利し、彩樹の事も
釘を刺すことが出来た私は追わずに見えなくなるまで見届けた。
―― これで一段落ね
 そう思ってホッと一息吐いたのもつかの間、
「あの、もっとお二人の馴れ初めをお聞かせくださいな!」
「先ほど叱られたと仰ってましたが、どのように叱られたのか知りたいです!」
「そうですよね、恋って家柄とかそんなもの関係ないですよね!」
「ええ、ええ、性別だって恋には関係ありませんわ!」
「どうしたら彼のような方に逢えるのかお教えください!」
 決壊したダムの水のように質問してくる生徒達に、まだまだ頑張らないといけないよう
だと私は彩樹と顔を見合わせて笑うのだった。


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