第九十四話「NO☆RO☆KE!」
 3時限目の授業に終わりを告げる鐘が鳴った。
 教師は丁度切りもいい場所もあって授業を延長せずに出ていき、少しばかり張りつめて
いた空気が一気に緩やかなものへと変わる。
「くっは〜〜〜、あ〜疲れた」
「お疲れ様でした、お嬢様。肩をおもみしますね」
 小走りにやってきた縁が疲れた肩を優しくほぐしていく。
「今のところは大丈夫っぽいね」
 ほんの数秒ほどほぐされる気持ちよさに身を委ねてからアタシは縁に話しかけた。
「直接的な嫌がらせという点では何も。ただ、他のお嬢様やその奴隷の方達から好意とは
言えない視線を向けられてました。それはもう十字砲火の中央を歩くという感じで。僕と
してはいつ来るかとひやひやでしたよ」
 そう小声で答えた縁は疲労感のある苦笑を浮かべていた。
―― 割れそうな風船って所か
 話を聞いたアタシの率直な感想だった。
 縁には1時限目が終わると同時にレア君が危険な状況であること、もしもの時は守って
あげることを書いた紙を手渡して教えていた。
 口頭ではなく紙で伝えたのはもちろん反対派にアタシが警戒していることを悟られない
為だ。とはいえ、連中はアタシがなっちゃん側の人間だと思っているだろうから意味がな
い可能性もあった。
―― それでもやらないよりはマシだろうしね
 しかし、たった10分の休み時間だけで縁が辛そうにしているのは問題だった。肉体的
に強くても精神的な部分は弱いので心配になる。
「辛いなら予定を繰り上げるから無理しないで言うんだよ」
「正直に言うとほんの少し辛いです。彩樹さんは良い人だし、お嬢様との事では色々して
くれました。そんな恩人がああいう風に見られるのは許せないです。辛いです」
「そうだね。……やっぱり予定繰り上げて今すぐにでも――」
 そう言葉を口にしたところで横に人の気配を感じた。誰かと思いながら顔を向けると真
面目とも難しいとも言える表情をさせたなっちゃんが立っていた。
「ど、どしたの?」
 いきなりの登場に思わずどもってしまう。
「実は折り入って相談がありまして……」
「相談って……」
 アタシと縁は顔を見合わせ、
―― もしかしてアタシの気持ちが通じて現状把握したとか?
―― きっとそうですよ!
 アイコンタクトで言葉を交わす。
「なっちゃんが相談だなんて珍しいね。アタシで協力できること?」
 嬉しさを隠す為に小さく咳払いしてから話を促した。
「ええ。実は…………彩樹との恋人らしい営みが少ないと思うの!」
「……………」
 あまりにも期待はずれな相談内容に肩すかしをくらったアタシは言葉を失った。隣の縁
を見ればどう反応すれば良いのか困った表情を浮かべている。
「え、ええ〜と、具体的に言うと二人ってどんな感じなの?」
「どんな感じとは?」
「つまり少ないけど恋人らしいことはしてるんでしょ? どんな事してるのか教えてほし
いってことよ」
「そうですね、まずは一緒のベッドです」
「恋人と一つ屋根の下に住んでるなら基本だね」
「キスしてます」
「恋人なら基本中の基本だね」
「…………終わりです」
「終わりって、それだけ? 恋人になって一緒にベッドで寝て、キスしてるだけ? ご飯
作ってあげるとか、食べさせてあげるとか、デートとか、お風呂とか両想いの恋人として
ポピュラーな営みはしてないの?」
 アタシの質問になっちゃんは少し寂しそうな顔で頷いた。
「どうしてよ? 今日のなっちゃんを見てたら全部やってるものとばかり思ってた」
 その問いかけになっちゃんは色々と説明してくれた。
「なるほど。レア君がなっちゃんに相応しくなる為に勉強ね〜。それまでは大人の階段上
るような事は御法度で、お風呂も一緒はダメと。……考えが古くさいね、本当に今時レア
な人種じゃない?」
「それは否定できないわね」
「しかも勉強の為にラブラブな時間まで削るっていうのは本末転倒じゃないかって思うわ
けだけど、スケジュール的にどんな感じなのよ?」
「そうですね、……このような感じです」
 一度席に戻ったなっちゃんは持ってきたノートに円グラフで事細かにスケジュールを書
いてくれた。
「何コレ、ほとんどゼロじゃないの?! アタシだったら縁不足のストレスで間違いなく
1日で倒れる自信あるね。ちなみにアタシと縁の1日はこんな感じ」
 なっちゃんが描いた円グラフの隣にアタシのスケジュールを描く。
 ちなみにこんな感じだ。
 7:00 起床(縁に目覚めのちゅ〜をされて)
 7:20 手早くシャワー後に朝食(縁とお互い食べさせ合う)
 7:40〜7:59 テレビ(縁を膝の上に座らせて至福の時)
 8:30〜15:30 学園(縁といちゃいちゃできない苦痛の時)
 16:00〜帰宅(一緒にご飯作ったり、お風呂入ったり等々)
「朝はときどき縁より早く起きちゃう事があってさ。その時は縁の寝顔を見ながら頬を突
いたりして遊んでるんだ。でね〜縁ってさ、頬を突いていると時々指掴んでくるの。それ
がもう可愛くて可愛くて悶えるの我慢するのに苦労しちゃうのよね〜……って、あ」
 そこまで言ってなっちゃんから向けられる妬みの視線に気がついた。
「あ〜ごめんごめん。縁の事になるとなかなか歯止めがきかなくて。つまりはなっちゃん
もアタシらと同じ風にイチャイチャしたいって事だよね?」
「ええ」
「それならまずやることはコレの改善じゃないの?」
 アタシは原因である円グラフを指さす。
「二人の今後を考えたら必要なことかも知れないけど、間違いなく近いうちになっちゃん
の不満は爆発するね」
「……否定できないわ。かといって彩樹が受け入れてくれるかどうかも……」
 ここまで弱気ななっちゃんは珍しい。今までなら毅然と自信に満ちた顔で『受け入れさ
せるわ!』と宣言していたはずだ。
―― これはちょっと重傷かもしれないね
 しかし、治す特効薬は頑固者ときてる。
「ん〜〜〜、ならレア君が改善案を受け入れるよう強硬手段に出るってのはどう?」
「強硬手段?」
「そうよ。コレってどれだけ続けてるの?」
「2週間ほどです」
「2週間か……ぼちぼちってとこか」
「ぼちぼちとは?」
「疲労のこと。このスケジュールで疲れないはずないじゃないの。だからいずれ無理がた
たって倒れると思う。でも、レア君って体力と根性は人一倍じゃない? だからスケジュ
ールを更に厳しくしてそれを早めるの。なっちゃんにとっては辛いかも知れないけど、頑
固なレア君を頷かせるにはこれしかないと思う」
 アタシの言葉になっちゃんは目を閉じた。きっと彼女の中でどちらを選ぶか悩んでいる
のだろう。未来か現在か。レア君の意思か自分の意思か。
「……決めました。蘭さんの作戦でいこうと思います。正直なところ先の事よりも彩樹と
いる今を楽しみたいの。ふふ、これを聞いたら彩樹は怒るかしらね」
「もし怒ったらアタシがひっぱたいて目を覚まさせてあげるよ」
「それはダメよ。彩樹を傷つけていいのは私だけ」
「はいはい、自分で目を覚まさせるって言いたいのよね。わかってるって。……なっちゃ
んには辛いだろうけれど頑張ってね。協力できることがあればアタシも縁も手伝うから。
ね、縁?」
「はい。全力でお手伝いいたします」
「ありがとう、蘭さん。縁さんも」
「ところでさ〜。不満が爆発してないってことは所々でイイ事もあったんでしょ?」
「え、それは……まあ」
 話題を変えたとたん、なっちゃんは何を思いだしたのか恥ずかしそうに頬を赤らめた。
「教えてよ。勢いとはいえアタシも教えたんだからさ」
「わ、わかりました。実は夜はひとつのベッドで私と彩樹、妹の恵の3人が川の字で寝て
いるのです。もちろん彩樹は真ん中よ。それである日、ふと夜中に目を覚ましたら彩樹が
私を抱き締めていたんです。きっと寝ぼけていたのでしょうけれど、まるで大切なモノを
守るような優しくも力強い抱き締め方……嗚呼、思い出しただけで頬が緩んでしまうわ」
「ほほう。こっちの場合はもっぱらアタシが抱き締める側なのよね。でも、確かに一度は
縁から抱き締めてもらいたいかも……」
「お、お嬢様がお望みなら」
「じゃ、今夜からよろしく」
 アタシの言葉に縁は赤い顔で何度も頷いた。
「他にもあるのよ。先日の夕食時に私としたことが頬にソースを付けて気づかずにいた
の。きっと彩樹の顔を見るのに夢中だったのね。そしたら彩樹が指で拭ってくれたの。そ
れは私をからかう為だったのだけれど、私は彩樹の子供のような顔が可笑しくて怒る気に
もなれなかったわ。それに拭ってくれたということは私を見てくれたという事だものね。
他にも―――」
 どうやら話題替えはなっちゃんに火を付けてしまったらしい。
―― こりゃ授業が始まるまで惚気話を聞かされるね
 しかしそれでなっちゃんの不満が少しでも解消されるなら良しとしよう。友達として出
来るのはもうそれくらいしかない。
「蘭さん、聞いているのですか?」
「あ、うん。聞いてる聞いてる」
 それからアタシと縁は授業開始のチャイムが鳴るまでなっちゃんの惚気話に付き合うこ
とになったのだが……縁が定位置に戻った所で気づいた。
―― レア君がいない?
 いちおう奴隷が教室にいる義務はない。しかし、今のなっちゃんが頼み事をしてレア君
と一緒にいる時間を減らすとは考えられなかった。
 トイレだとしても時間までには戻るだろう。ボイコットはありえない。
―― ということは、もしかして……。
 嫌な予感がしたアタシはすぐさま後ろの縁へ振り返った。目が合うと縁もレア君がいな
いこと、それからアタシの言いたいことも理解してくれたらしく頷いて教室から出て行く。
「彩樹はどうしたのかしら?」
 まだ席に戻っていなかったなっちゃんは恋人の不在に気づき首を傾げていた。
―― もう黙ってられないよね
 意を決したアタシは怒られることを覚悟でレア君の置かれている状況をなっちゃんに話
した。


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