第八十五話「Shine Road」

 目を覚ますと金髪の騒音公害指定娘が『俺様は熱いぜ!』と自己主張するかのように多
量の湯気を発するおしぼりを手にしてこちらを覗き込んでいた。
 いったいそれをどうするつもりだと問いかけるまもなく、
「オ〜ハロ〜」
 らしくない小声の挨拶と共におしぼりが顔に押し付けられる。
 寝ぼけた頭はまず視界が白に支配されたと認識し、押し付けられた物がなんであったか
を考え、それが大量の湯気を発したおしぼりであったと思い出したとたん、猛烈な熱さと
刺すような痛みが俺の顔を襲った。
「うわっちゃ〜〜〜〜っ!!!!」
 慌ててソレを引き剥がそうとするも両腕が重くてほんの僅かしか持ち上がらなかった。
ロディがいたのだからメイド女どもに拉致監禁された可能性はない。となれば棗と恵が腕
に抱きついていると考えるべきだろう。
―― なんて冷静に考えてる場合か!
 両腕が使えないならとるべき方法はひとつ。
「ほんのぉぉぉぉぉっ!!!」
 おしぼりの皺に噛みつき、そのまま大きく首を横に振って放り投げる。おしぼりはほん
の小さな弧を描いて毛布の上に落ちた。
「オゥ〜! さすがムロアーヤだけあって素早くエリミネートしやがったね。もっと暴れ
フタめく姿ミタかったのにちとザンネンだヨ! でも、モダえる姿が笑えたからヨシ!」
 両腰に手を当てて大笑いするロディの弁慶に俺は無言で蹴りを叩き込んだ。
「アウチ!! い、いきなりオトメを強襲するとはナニゴト?!」
「黙れ! いきなり火傷しそうなくらい熱々のおしぼりを顔に置くようなヤツに言われた
かないわ! あ〜くそ顔がひりひりしてきやがった」
 ヒリヒリとした痛みに顔をしかめつつ俺は自分の置かれた状況の確認を開始した。まず
自分の体勢だが壁際中央のソファーに座らされていた。ハルかマスターが運んでくれたの
だと思う。次に両腕は予想通り両隣に座っている棗と恵が抱きついている。二人とも実に
気持ちよさそうな顔をして夢の中だ。
 その他の連中−ハルと晴香、両親ズ−もそれぞれのペアで互いに寄り添い合って眠って
いた。起きているのは後片付けをしているマスターと目の前のロディのみだった。
「吐き気とかメマイはナシか?」
「あ、ああ。問題は……ないっぽいぞ」
「オーケーオーケー。いちおうムロアーヤは酸欠でキゼツしやがったからマスターが気に
してたんダヨ。もしメマイとかしたら迷わずホスピタル駆け込メ! ワカッタか?」
「わ、わかった」
「ヨイお返事だ。それにしても……、愛されちゃってるネェムロアーヤは。イマはこうし
てぐっすりオネムだけどナッツにムロアーヤがオトされたときは凄かったヨ」
「……こいつ暴れたのか?」
「ン〜〜拳と拳の戦いはナカッタ。デ〜モ、口と口の戦いはアッタネ。全3回戦で1勝1
敗1分けでイーブンという結果ヨ! チナミに1回戦のお題は『どうしてムロアーヤを気
絶させたか! しかも酸欠で!』だったネ。先行ナツメやっ子が問いただすとナッツは『あ
っくんが可愛くて、つい。それにあっくんもあたしとのスキンシップ楽しんでくれてたみ
たいだったから……』と反撃! それを聞いてナツメやっ子は顔をヒクつかせたネ」
 そこで一度話を切るとテーブルに置いてあったピッチャーを手に取って口を付け、もう
一方の手を腰に当てた。伝統的な牛乳一気のみの体勢で満タンに入った水を飲み干し、
「くっはぁ! やっぱ喋った喉を潤す一杯はカクベツ! ヨシ、喉もウルおったから続け
るゼ! ナッツの返答に『彩樹が貴女などとのスキンシップを楽しむはずがありません!』
で反撃するも『じゃあ、お嬢ちゃんはあっくんといつもはどんなスキンシップをしてる
の?』と切り返され答えられず敗北! 『そんなので本当にあっくんの恋人なの〜?』と
ナツメやっ子が弱った所を更にナッツが攻撃! それが第2回戦開始のゴング! あ、ち
なみにナツメやっ子といつもどんなスキンシップエンジョイしてヤガ〜ル?」
「スキンシップ……」
 目を閉じて俺は考えてみた。
 恋人になってからという条件なら店内に入ってのアレがは当てはまるかもしれない。
が、過去これまでという条件も加わればノーカウントだろう。
―― 恋人になる前はどうだったっけか?
 それらしいものを挙げるなら『一緒に寝る(気絶してたのが正解だが)』、『遊園地で乗っ
た観覧車の中で寄り添いあった(恵との喧嘩を止める為だったが)』、『海に行った(結果と
してサド女や鮫と戦っただけで終わったが)』、『一緒にサウナに入った(ハルと晴香に謀ら
れた結果だが)』ぐらい。海を除いてどれもこれも自主的なものがなかった。
 いや、棗からという点を入れればある意味自主的なスキンシップがひとつだけあった。
 棗が銃を打って俺が避ける。一度だけ足を撃ち抜かれたこと有り。
―― ま、そんなのをスキンシップなんて言えるわきゃないか
 だから負けることを良しとしない棗であっても夏子さんに言い返せなかったのだろう。
「ノーコメントで」
 そして俺もまたこう答えるしかなかった。
「ツマンネ〜」
「うるせぇ。俺がそうほいほいとイチャついてた内容教えるように見えるか?」
「……ソレもそうネ。じゃ、続けるゼ! ナッツの反撃にまずナツメやっ子は告白と店に
入ってからのバカップルぶりを説明して対抗! が、ナッツは更に『キスしたことは?』
と口撃し『もちろんあります』と答えるナツメやっ子にナッツはニヤリと笑ったネ。あれ
は『ケケケ、勝った』と考えたデビ〜ルなイイ笑顔だったヨ。そして、ナッツはそんなデ
ビ〜ルスマイルのまま『あたしもあっくんとキスしたことあるんだけどなぁ』って言いや
がった! ワッヒョ〜イ!」
「チョットマテ」
 聞き捨てならない内容に俺は自由にならない右腕に代わって右足をロディの肩に置く。
続けてつま先を首の後ろに引っかけて顔を引き寄せた。
「イマナンテイッタ」
「どの部分かちゃんと言いやがらないとロディわかんねぇヨ」
「キスうんぬんで夏子さんが言った台詞だ」
「ん〜〜〜、『あたしもあっくんとキスしたことあるんだけどな』ってトコロか?」
「それだ。本当の本当に夏子さんがそう言ったのか?」
「モチ牌でロン! 一字一句同じく言いやがったゼ」
 自信満々なロディの態度は嘘を言っていない事を物語っていた。こいつは嘘が下手なの
だ。もし嘘を言っているなら言い終えた後で口笛を吹きながら、『明らかに嘘吐いてます』
と言わんばかりにこっちをチラチラ見てくるはずだった。
―― いったいいつだ?
 必死に記憶を探ってみるが夏子さんにキスをしたなどという記憶はなかった。されそう
になった事はあるが逃げ切ったし、ましてやこっちからなどは断じてありえない。
 しかし酔っていたとしても夏子さんが冗談でそんな事を言うはずは……ないとは言い難
いが確率は低めだ。となれば事故という可能性があった。更にその事故が幼い頃に起きた
事のなら覚えていないのも頷ける。
―― きっとそうだ。いや、それしかありえないって
 導き出した自己弁護とも言える解答に納得してから俺はもうひとつ気になった事を聞く。
「それ聞いて棗のヤツは何か言ってたか?」
「『そんな冗談に騙されるとでも?』って強気の姿勢だったケド。あ、デモ『あたしは嘘は
言わないわよ』ってナッツが言ったら『後で色々と問いつめる必要がありそうね』ってム
ロアーヤ見ながら呟いてたゼィ」
「……無実を証明するのに骨が折れそうだ」
「ガンバレ。んで、ファイナルラウンドはどっちがよりムロアーヤを好きかでバトったネ。
『私は彩樹と離ればなれになってから1日たりとも彼を忘れた日はありません!』、『彩樹
と会えないと思って涙で枕を濡らし、再会してもお父様に認めてもらうまで想いを告げる
ことすらできなかった辛さを貴女にわかって?』、『彩樹がいなくとも楽しく生活していた
人が私よりも彩樹を想っているなど口にしないで!』……と、これファイナルラウンドの
ごく一部。他の台詞もびしびしとナツメやっ子のムロアーヤラブな想いが伝わってキタよ
〜、うんうん。最後は恵っちも参入してドロ沼になったケド……んっふふ〜」
 いつもの癪に障る笑みを浮かべた顔が近づいてくる。
「な、何だよ」
「や〜っぱ愛されてやがるな、イロオトコ! え〜、コノコノコ〜〜ノッ!」
 俺が抵抗できない事をいいことにロディは頬に指先を痛いくらいに押し付けてくる。
「痛ぇからやめろ」
「ロディ日本語ワカリマセ〜ン。HAHAHAHAHAHA! コノコノ〜――うきゃっ!」
 調子づいて髪の毛を引っ張ったり、両頬を引っ張ったりしてくるロディに蹴りを叩き込
んでやろうとした矢先にヤツが勢いよく顔から地面に倒れ込んだ。
「だ、誰がやりや……オゥ、マスターじゃん」
 身を起こしたロディは振り返った先にいたマスターを目にして顔を引きつらせた。そん
なロディに不機嫌を露わにした表情を向けたままマスターは何も語らない。
「あ〜〜〜、ムロアーヤをイジるの楽しくて忘れてマシタ。ゴメンなさい」
「……」
 愛想笑いを浮かべながら平謝りするロディにマスターは無言で時計を指さした。
「アウチ、時間ヤバイ! ムロアーヤ、20分後にイベントやっから今すぐ腕にハグってる
2人を起こしヤガレ!」
「イベント?」
「ソソソソ。マスターが考えついた粋なイベントだヨ。ま、あと少ししたらわかるから楽
しみにしてヤガレこの野郎。んじゃ、時間までにキスでも何でもして起こしトケよ!」
 言うだけ言うとロディは椅子やテーブルを動かし始める。微妙に釈然としないものの俺
は棗と恵を起こす事にした。

 15分後、俺達は店のほぼ中央に立たされていた。
 ここが『マスターが考えたイベントのスタート位置』とのことだった。そのスタート位
置からは椅子とテーブルとソファーで作られた道が出入り口まで続いている。
 イベントをすると言った張本人は部屋の奥に消えて出てこないでいた。
「いったい何が始まるんだ?」
 何か知ってないかと同じくスタート位置に立たされているハル達に聞いてみた。
「知らない」
「ウチも。宴会の話を持ちかけた時はこんなのあることすら聞かされてなかったし」
「お前等はどう思う?」
「情報が少なすぎて100%正解の答えは無理ね。この作られた道に沿って外に出るっていう
予想はできますけど」
「妾も姉上と同じ意見じゃ。しかし、予想を超えるイベントやもしれぬという期待に心が
躍ってしまうのう」
「まあな。ロディが考えたイベントなら『出口までリレー! 一着に商品ヤルよ!』とか
だろうが、マスターならちゃんとしたものだろうし」
「クッ。マスターに同じコトされてロディが一番最初に思った事をジャストショットとは
サスガはムロアーヤ、やるじゃナ〜イカ」
 声に振り返ると奥の部屋から出てきたらしいロディが両腰に手を当てた格好で立ってい
た。格好はウェイトレスルックではなくウェイターのものに変わっている。
「ん? オゥ、汗で服がベトベトになったから着替えたんだヨ。予備なかったからメン用
のウェイター服サ! なかなか似合いやがるだろ、ホレんナヨ!」
「誰が惚れるか! んで、マスターのイベントってのはまだなのか? 何もわからずに突
っ立ってるのもけっこう辛いんだが」
「オーケーオーケー! ヨゥ、マスター、やっちゃってもエエかな〜?」
 出入り口の前に立ったロディが遅れてやってきたマスターに聞くと、マスターは何も語
らずにただ頷いて見せた。
「イエッサー! ヨーーーシ、キケ野郎ども! ……じゃなかった。今日から永遠の愛を
誓ったジョハルとダハル、そして両想いなりやがったムロアーヤとナツメやっ子とラブハ
ンター恵っちの輝ける未来を願って……ご開帳!!」
 何とも気が抜ける前振りの後に出入り口が開かれた次の瞬間、眩い朝日が真っ直ぐ俺達
へと射し込んだ。眩しさのあまり俺達は全員腕や手で朝日を遮る。
「おい、眩しいぞ。これがイベントだってのか?!」
「そのトオリ! ちっとばかし横に動いて目をオープンしてみ」
 言い方に少々ムカつきながらも俺は言われた通りにしてみた。
「こりゃ凄ぇ」
「綺麗な光景ね」
「うむ、こういう光景を絶景と呼ぶのじゃろうのう」
「だねだね。うっわ、このお店ってこんなこと起きるんだぁ」
「……いいね」
 五者五様の感想を述べながら店内に作られた自然の絶景―入り込んだ朝日が作り出した
光の道―を眺めた。
「その名もシャインローーード! あ、そのまんまじゃんってツッコミはナシな! これ
は気に入った連中がこの先も輝ける未来を歩んでほしいってマスターが願ったヤツにだけ
見せてるヨ」
 ロディの説明にマスターは小さく何度も頷いている。
「ってわけだからこのカップル共め、さっさとこの道通ってシアワセになっちまえ〜!」
「だそうだ。今日の主役はお前等だし、先に行っとけよ」
「ウチは輝く未来を突き進むあ〜ちゃんを応援したいから後希望〜」
「晴香に同意。あ〜や、先に行け」
 2人に背中を押されて俺達は再びスタート位置に立った。
―― 輝ける未来、か。
 いちおう両想いで恋人という関係にはなった。しかし、その関係を続けるには乗り越え
なきゃいけない苦難が多く待ち続けているだろう。
 すぐさま思いつくとすればメイド女共から毎日殺気を浴びせられ、死にそうな目にもあ
わされるはずだ。難しい勉強に四苦八苦するのも想像できる。
 そして、少し挫けそうにもなることも。
―― それでも最後は苦難に打ち勝って輝ける未来ってのを手にしてやる!
 眩い朝日を腕で遮りながら俺は棗を見た。
「行くとするか。俺達の輝ける未来とやらに向かってよ」
「ええ。私の未来は貴方と共に。一緒に歩んでいきましょう」
 2人揃って扉への一歩を踏み出す。
「その輝ける未来とやらに妾もおるのか?」
 一歩遅れて附いてくる恵がからかい半分、期待半分な顔で見上げてくる。
「ノーコメントで」
「そこは迷わずに『いない』と答えるべきではないのかしらね」
 恵に対する返答が気に入らなかったらしく棗は握っていた手に爪を立ててきた。
「本気で痛いからやめてください、お願いします」
「なら言い直しなさい」
「言い直さないっての。考えてみろよ、お前と一緒にいるってことは姉妹である恵が一緒
にいても別に変じゃないだろ」
「でしたら最初からそう言えばいいのよ。それを意味深に答える彩樹が悪いのですから少
しは痛みを味わいなさい」
「へ〜い」
 というような会話をしている間に扉の前まで来ていた。あと一歩前に踏み出せば店をで
る。見方を変えれば自分が望む未来への第一歩、苦難に立ち向かう一歩だ。
「あっちゃ〜〜〜ん、棗ちゃんと幸せになってね〜〜!! ウチはハルともっとも〜〜〜
っと幸せになっちゃうけどね〜〜〜!!」
 晴香の応援というより挑戦状な言葉を耳にしつつ、俺と棗は頷き合って同時のその一歩
を踏み出した。
「あ〜〜〜、そうだ。これ言うの忘れてたわ」
 言おう言おうと思っていて忘れていたことを思い出し、俺は後ろを振り返ってそれを連
中に向かって口にした。
「誰が書いたか知らねえけど、恋人ってのは『結成』するもんじゃなくて『誕生』するも
んだ。今度使うときは間違えんなよ」
 と。

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