第八十四話「Party Time −3−」

 駄々をこね続けていたロディをなんとか宥めすかした所で俺は背筋に寒気を感じた。ま
るで不幸の訪れを予感させるようなソレに慌てて店内を見渡す。
 楽しそうに笑っては酒を飲み続けている両親ズ、同じく楽しそうに笑い合っている恵と
晴香、黙々と料理を作り続けているマスター……そして、まるで『越後屋と悪代官が金の
茶菓子を取引した後』という感じに笑っている棗とハルの姿があった。
―― 奴ら、か?
 というか奴らしか考えられない。ここは寒気の原因解明の為に何を理由に笑っているの
か確かめる必要があるだろう。と、思ったら胸ぐらを掴まれて激しく前後に揺さ振られた。
「ロディが話してんのになぁぁぁにヨソ見してるくぁ〜〜〜〜!!!」
「うわっ! こら、ロディ揺らす―――ぐぎゃっ!」
 抗議しようとしたら舌を噛んだ。突き抜けるような痛みが舌から全身へと駆けめぐる。
痛みのあまり涙がこぼれた。
「ナァニ泣いてやがるんだよ! 泣きたいのはロディだYO!」
「わ、わかった。泣きたいのはわかったから!」
「ハナシ聞くか?」
「聞くから揺らすの止めてくれ」
「ならばヨシ!」
 大仰に頷いてからロディは襟首から手を放した。解放された俺は痛む舌に触れて出血し
ていないかを確認する。バッチリ指先に血が付着していた。後日舌が痛みを発して食事し
にくくなることだろう。やれやれだ。
「時にムロアーヤ」
 両肩に手を置いてきてロディはやけに真剣な目を向けてくる。滅多にない表情に気圧さ
れながら俺は言葉を待ち、
「あのロリっ子にも手を出したんだろ、この変態ペドフィリアン」
 発せられた内容を理解したときには渾身の拳骨をロディの頭に叩き込んでいた。鈍い音
と痺れる痛みが拳に伝わり、それ以上の痛みを味わったであろうロディは頭を押さえなが
ら床に膝を突く。
「いきなり拳でナニしやガール!」
「そりゃこっちの台詞だ! 珍しく真剣な話かと思えば面白くもない冗談吐きやがっ
て! 今の痛みは俺の心の痛みだと知れ!」
「ホウホウホ〜ウ、冗談? ロディの乙女アイを侮るナヨ! 間違いなくあのロリっ子…
…え〜〜と、ケ〜ケ〜……」
「恵か?」
「ソウソウ、そのケイっちのムロアーヤを見る目はコイする乙女のマナザシ! あの目は
『今は別のオナゴに奪われていてもイツカは我がモノに!』っていう屈強なラブハンター
のアカシ焼き! つま〜り、ムロアーヤはロリっ子のハートをアイアンクロウ! 手を出
してないのにソウなるかヨ! さあさあ、反論してみろヨ!」
 見ていると苛立つ程に勝ち誇った表情で人差し指を突きつけてくる。少し前までの俺な
ら間違いなく反論していたはずだが、恵の宣戦布告を聞いた今では否定できなかった。
 もし否定すれば恵の真剣な想いすらも否定してしまうような気がしたのだ。
―― しっかし意外だ。
 上映された告白シーンに恵の乱入や宣戦布告はなかったというのに俺に対する恵の想い
に気付くとは。しかも起きている恵と会うのは今日が初めてのはずだ。
―― ……ちょっと待て。ロディすら気づいたということは、だ。
 そういう事に目敏い人達が気づいていないはずはない。いや、気づいている。むしろ気
づかないという方が変だと言っても過言じゃない。
「どうしたどうした、ロディのジャストな指摘にグーの音もデナイか? ……無反応イコ
ールイエス! 認めたよ、ムロアーヤが認めやがったヨ! あははは〜HA!」
 ひとり盛り上がってるロディは放っておいて俺は顔を両親ズの座っている席へと向け、
さっきまで座っていた2人がいない事に気づく。いったいどこへいったのか。
 答えは向こうから教えてくれた。
「あらあらあ〜らあら、何だか楽しそう。いったい何がわかったのか教えてますか?」
 莉愛さんと、
「あたしも! あたしもあっくんに何があったのか聞きた〜い!」
 夏子さん2人の声が背後から俺を通り越してロディに投げかけられる。
「オゥ、ナッツにリ〜ア! 良いトコ来たヨ! キケよキクなよやっぱキケヨ!」
「もちろん喜んで。彩樹さん、お隣失礼しますね」
 隣の椅子が軽く軋む音にで顔をあげると、ほんのり頬を朱色に染め、右手に大ジョッ
キ、左手に『物値気利!』という一升瓶を手にした莉愛さんの姿が目に入った。
 更に顔をよく見てみると頬の朱色加減、いつにも増して目がとろろ〜んとしているとこ
ろを見ると酔いはかなり進行していると推察できる。
「ね、ね、いったい何があったの? ロディちゃんったらもったいぶらないで教えてよ。
ここずっとあっくんネタが聞けなくて寂しかったあたしが可哀相と思うなら早くぅ」
 座らずに後ろではしゃぐ夏子さん。彼女は酔っていようがなかろうがこういう人なので
推察する必要はなかった。
―― 勘弁してほしい方向へ展開が……。
 どう抵抗しようと根掘り葉掘り棗や恵の事を暴露させられるだろう。聞いた二人は時に
は笑い、時には説教しだし、最後は満足げな顔で去って行くに違いない。
 そして、話終えた俺はげっそりとしているであろうことも……。
 ここは三十六計逃げるにしかず。
「え〜と、何だか妙な感じに笑ってるウチのお嬢様が気になるので失礼を――」
「駄目ですよ。彩樹君には色々と訊きたい事があるの。逃げようとしたら、この魔法の酒
瓶で根性叩き直してあげますからそのつもりでね」
 顔はにこやかな笑顔で声は相変わらずのほほんとしているのに、それに反比例して痛い
ほどの力で肩を掴む左手が俺の逃亡を妨害し、右手が凶器の酒瓶を揺らしている。
 振り払おうと思えば振り払える力ではあったが後が怖くて振り払えない。何ともいじめ
っ子に見つけられたいじめられっ子の気分にさせてくれた。
「あ〜はいはい、もう何でも聞いてくださいよ」
 観念して椅子に座り直す俺を見て満足げに頷き、
「よろしい。ではまずロディさんのお話から聞かせてもらおうかしら」
「オーケー墨汁! どうやらムロアーヤはナ〜ナ〜……」
「棗だよ」
「オゥオゥ、そのナツメヤッコだけでなくあそこにいる幼子のケイっちにまで手を出しや
がったなと問いつめたヨ。ンデ、ムロアーヤ反論ナッシング! イコール真実ゥ!」
「ということだそうですけど?」
「こっちが手を出したっていうのは否定します。正確にはこっちが出されたって感じです
ね。詳しく話すと――」
 恵との出会いから遊園地での騒動、そして今に至るあいつの俺に対する行動を説明した。
話を聞き終えたロディと夏子さんは好奇心という輝きを秘めた瞳が更に輝きを増し、莉愛
さんは笑って、
「立派な女誑しですよ。しかもあんな幼い子を……犯罪者さん」
 胸にぐっさりと言葉の刃を突き刺してくれる。ロディ相手とは比べものにならない苦痛
に思わず俺は胸を押さえた。
「ち、違うんですよ。聞いてました? 別に俺はそんなつもりで接したんじゃ――」
「彩樹君が狙って行動したのではない事はわかっていますよ。でも、煮え切らない態度はどう
かと。だってあの子の宣言を受け入れるということは未練有り、もしくは棗さんが駄目なら
あの子に乗り換える、と周囲は思わない?」
 正論、反論どころか頷いてしまうくらい正論だった。
「ヘェーイ! フタマタ! フタマタ! このコウモリボーイ!」
「彩樹君、二股はいけません。二兎を追う者は一兎をも得ず。……あら、もう一兎は得て
いるのだからこれは当てはまらないかしら?」
「ノンノンノン。莉愛ったら違う違うって。あっくんの場合は追う側じゃなくて追いかけ
られる側なの! 中学生になった頃からあっくんを狙ってるあたしが言うんだから間違いな
し! 幼子だけじゃなくて人妻の心まで奪う怪盗あっくん。さぁ、あたしも奪っていっち
ゃって〜〜〜きゃははははははは!」
 子供のような笑い声と共に夏子さんが背後から圧し掛かってくる。小柄な人なので重さ
はそれほど気にはならないのだが、後頭部に押し付けられる柔らかい感触は無視できない。
「い、いきなり何言ってるんですか。といいますか頼みますから胸押しつけてこないでく
ださい!」
 出来るだけ小さな声で怒鳴る。こんな所をあの二人に見られたら後で何をされるやらわ
かったもんじゃない。が、夏子さんは口で言って素直に従ってくれる人ではなかった。
「や〜だぷ〜」
 逃れようとする俺の首に腕を回してぴったりとくっついてくる。
―― 見つかる前に何とかしないと……。つうか旦那はどうした!?
 俺は拓さんと航さんのいる方へ顔を向け、目に入った光景に思わず頭を抱える。こうい
う時こそ動くべき人は酒瓶を抱えて眠っていた。
「ぐが〜〜〜〜〜〜!!」
 ご丁寧に大いびきまで掻いて。完全に熟睡していらっしゃる。
「いつもなら朝まで余裕で飲み続けている人が何で今日に限って……」
「きっと泣き疲れちゃったのよ。式の最中もうるさかったでしょ? 何度も泣きやむよう
言ったんだけど晴香ちゃんの花嫁姿があんまりにも綺麗とかで泣きやんでくれなくて」
 確かに晴香が教会に入ってから式が終わるまで拓さんは泣き続け、そんな拓さんの顔を
夏子さんがハンカチで拭いながら話しかけていた。時間にしたら30分ほどだ。
「車でこっちに来る間もず〜〜〜〜〜〜っと『綺麗だった、綺麗だった』ってあたしの胸
に顔埋めながら泣いちゃって………もう、久々にきゅんとなってこんな風に抱き締めてあ
げちゃった」
「ぐぁっ。な、夏子さん……く、首……首が……」
 無邪気な抱擁が一転して凶悪なチョークスリーパーへと変貌を遂げる。主に銭湯で不届
き者を対象に使用される夏子さんの技のひとつだ。
 詳しく説明するなら押しつけられる柔らか天国と呼吸が全くできない地獄を味わう技で、
いつの頃からか『桃色スリーパー』という名が利用客から付けられていたりする。
 この技に意識を絶たれた不届き者は数知れず。ひとりたりとも技から抜け出した者もな
し。他にも『桃色ブリーカー』や『桃色シュタイナー』なんてのもあったりする。
 もちろん、どちらも確実に意識をもっていかれる代物だ。まぁ、ぶっちゃけてしまえば
単なるプロレス技なわけだが。
 呼吸ができず徐々に肺の酸素が失われていき、それに反比例して増していく息苦しさが
俺を襲う。必死のタップも酔っている夏子さんは気づいてくれなかった。
―― どうして俺の周囲は武闘派な女ばっかなんだ……。
 少しずつ霞んでいく視界、嘘のように消えた苦しさ、体から力が抜けていくのを実感し
ながら俺は心の中でさめざめと泣いた。
「あれ、あっくんったらあたしに抱き締められた嬉しさで震えちゃってる? もう可愛い
反応してくれちゃって。それなら、もっと強く抱き締めてあげちゃおっと」
 それを変な風に解釈した夏子さんは首の締め付けを更に強くしていって、
「えいや」
 という年不相応な可愛いかけ声を耳にした直後に俺の意識は完全に絶たれてしまった。


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