第八十三話「Party Time −2−」

 時間はほんの少し巻き戻り……。

―― ああもう! この怒りをどこにぶつければいいのかしら!
 邸であれば射撃場で気が収まるまで銃を撃ち続けるのだけれど、場末の喫茶店にそのよ
うな設備などあるはずもない。となると他の方法でこの腹立たしさを発散するしかないの
だが……。
―― ここで出来るといえば飲んで食べることくらいね
 テーブルの上には映え末の喫茶店とは思えないほど多彩な料理で埋め尽くされ飲み物も
十分に用意されている。加えて私はお昼を抜いているので空腹状態。あまりしたくはない
けれど暴飲暴食するには申し分ない状態だった。
―― とりあえず軽く食べてお腹を満たしておこうかしら
 フォークを手にして目の前にあったポテトフライに狙いを定める。
 と、先ほど向けられた恵の表情がお皿に、かけられた言葉が頭の中に再生され、気がつ
けば私は渾身の力でフォークをお皿に突き立てていた。
 しまった、と思うも時既に遅くお皿は断末魔のような音を立てて二つに割れてしまう。
「あ〜あ、大人げない。怒りのはけ口にされたお皿が可哀想だ」
 いつからいたのか隣に芦原春賀が立っていた。まるで子供の癇癪を咎めるような声色を
向けてきた彼を私は無言で睨みつける。
「迷わず成仏しますように……」
 芦原春賀は私の睨みなどどこ吹く風と割れたお皿に向かって手を合わせた。更に数秒の
黙祷をしてからようやく私へと顔を向け、
「……ふむ。ずばりあ〜やとのキスが出来なくて残念だったね」
 同情の言葉と共に肩に手を置いてくる。実に嬉しそうな表情を浮かべて。
「馴れ馴れしく触らないで。死にたいの?」
 怒りの限界を超えた私は素早くフォークの切っ先を芦原春賀の首筋に押し付ける。しか
し彼は微塵も動揺せず、
「まだまだ晴香とラブラブし足りないから死ぬつもりなし。ただイライラをどう発散しよ
うか迷っている、そんな今の君にはこれがお奨めだと思ってね」
 そう言うと一冊のアルバムを差し出してきた。
 赤い布表紙。タイトルはなし。大きさはA4サイズで意外と重い。よく見ると表紙はと
ころどころ剥げている部分があり、それらはほぼ同じ色のマジックか何かで塗りつぶされ
ていた。そうまでして交換しない事から余程大切な品だというのは窺える。
―― それほどまでにこの男が大切にするアルバムの中身はやはり……
 大いなる期待と共に息を呑む。
「見て、いいのね?」
 芦原春賀が無言で頷くのを確認してから私はゆっくりとアルバムを開いた。
―― か、可愛い! 可愛すぎるわ!
 中には期待通り幼い頃の彩樹の写真が綺麗に収められていた。感動のあまり大声をあげ
てしまいそうになるのを必死に堪え、
―― 気づかれたかしら
 そっと背後を振り返る。恵は元・本郷晴香に何やら耳打ちされていてこちらに気を向け
ている様子はない。彩樹も外人娘の相手に専念していた。ホッと安堵の息を吐いて私は顔
をアルバムへと向け直す。
 砂場で本郷晴香と遊んでいる彩樹、滑り台で芦原春賀と遊ぶ彩樹、子供用プールで二人
と遊ぶ彩樹………エトセトラエトセトラ。どれも私と別れた後に撮られたものだった。
 総40ページ、枚数は160枚。見終えた後の満足感は言うまでもなく満点。
「芦原春賀、これを私に売りなさい。値段に糸目はつけません」
 このような一品を見逃す私ではなかった。
「ダメ。それオレの宝ものだし。国家予算積まれたって売らない」
「あらそう。拒否するなら力ずくという手もあるのよ?」
 袖口から出した小型拳銃を芦原春賀の腹部に押しつける。これなら彩樹達に気づかれる
こともない。
「……君さ、物事を何でも暴力、権力、財力で解決しようとする考えは控えた方がいい。
時と場合によっては必要かもしれないけど今回のはあ〜やが最も嫌いとする展開だ。別に
このまま欲望に従って行動するのもいい。でも、コレが一番なのかよく考えた方がいいね」
 しかし、彼は臆することも観念することもなく私の弱点を突いてきた。最愛の人から嫌
われる可能性という弱点を。いや、弱点を突くというよりも脅しだった。
 自分を強引にどうかしようとすれば彩樹は私を取り返しがつかないほど嫌いになると。
過去と現在、これから続く未来のどちらを選ぶかは考えるまでもないだろうと。
 完全にこちらの負けだ。今の私が最も大切なものは後者なのだから。
―― 彩樹という弱みを握られているとはいえ庶民に言い負かされるなんて……。
 次の行動を起こすことも、反論することもできなくなった私は内心悔しく思いながら小
型拳銃を袖の中に戻してから小さく息を吐き、
「ほんの冗談です。どうぞ、これはお返しします。おかげで素敵な一時を過ごすことがで
きました」
 悔しさを悟られぬよう表情はあくまで平静を装ってアルバムを返した。
「いえいえ、どういたしまして。……ちなみに聞くけど、どうしてこのアルバムがほしい
と思ったんだい? やっぱりあ〜やが写っているから?」
「二番目の理由は貴方の言うとおりです」
「なら一番の理由は?」
「……それが私の知らない彩樹を教えてくれるものだから」
 お姉様とお父様によって彩樹との関係を失ってから再び出会うまで、それまで彩樹がど
のような生活を送ってきたのかは調査資料を見ては知っていた。
 しかし得られたのは文面のみ。彼が通っていた小学、中学、高校、どこからも写真の1
枚も手に入れることはできなかった。恐らくはお父様が手を打って処分させたのだろう。
あの人ならばやりかねない事だ。
「私は誰よりも彩樹を知る人間になりたいの。ただ、大いに不満ではありますが現段階で
彩樹を最も知っているのは彼の家族を除けば貴方と本郷晴香。ですがいずれは私が貴方達
よりも、そして彩樹の家族よりも彩樹を知る人間になります」
「その為にアルバムがほしかったと」
「ええ。貴方が知る彩樹の姿を私が見ることのできるたったひとつの方法だもの」
「なるほど。理由はわかった。ただ疑問がひとつ。コレがオレの所にある理由は? 聞く
限りじゃ君の親は取りこぼしをする人物には思えないけどね」
「さすがに手が出せなかったのでしょうね」
「その理由と根拠は?」
「教える必要性がありません。貴方や貴方の妻、家族にはお父様も手は出さない。その事
実がわかればいいのではなくて?」
「……確かに」
「話は終わりですね。ならもう貴方に用はありませんので失礼します」
 言ってから踵を返して誰もいないテーブルへと体を向け、
「……ああ、そうそう。このアルバムはあげられないけど……焼き増しした写真ならあ
げられるよ。これ、この通り」
 一歩を踏み出すよりも早く投げかけられた言葉に弾かれるようにして再度踵を返し、彼
の手にある写真を目にした。
 タオルケットをかけられて安眠している彩樹、金魚すくいに失敗して悔しがっている彩
樹、ちょんまげをしたマスコットキャラの腕にぶらさがっている彩樹……まぎれもなくア
ルバムに収められていた写真達だった。
「いるかい?」
「いります」
 間髪容れず答えて写真をもぎ取った。その中の1枚を見る。
 私の知らない彩樹の写真。ほんの少し彩樹に近づけたような気がして自然と笑みが零れ
てしまう。言い負けた怒りもサッパリ失せてしまった。
「ちなみにこのアルバムは現77冊中の1冊。残り76冊分、枚数で言うと10640枚
あるけど、どうする?」
「愚問ですね。他にもあるなら全て寄越しなさい」
「条件があるね」
 芦原春賀は神妙な面もちで立てた人差し指を私の眼前へ突きつけてきた。
「な、何です。お金ですか?」
「それもあるけど……」
 最後まで言わず彼はじっと私を見つめてくる。
「ま、まさか私の身体を?!」
 自らの体を掻き抱きながら後ずさる。迂闊にも彩樹以外の男に何かされそうになる所を
想像してしまい、そのあまりのおぞましさに身の毛がよだった。
「君の身体なんてたとえ世界中のお金を積まれても欲しがらないから。そんなモノをもら
うくらいなら焼き肉屋で上ロース奢ってもらった方がマシ」
 ため息の後に彼は大仰に肩をすくめてみせる。
「…………それで条件とはなんです」
 愚かな事を想像してしまった自分に対する怒りと恥じらい、馬鹿にしてくれた芦原春賀
に対する怒りを拳を握り締めて押さえ込みながら、私は話を促した。
「簡単さ。条件とは君の家で暮らすようになってからのあ〜やの写真がほしい。君の事だ
からツーショットの時とか限定とは思うけど写してる、違うかな?」
 違わなかった。
 再会するまでの写真はないが以後のものはツーショットはもちろん、寝顔、食事中、お
風呂上がりなど日常の様々なひとコマを収めた写真を暗部に撮影させ、専用の部屋で保存
している。枚数は先日10万枚を超えたと報告があった。
 用途は主にストレス中和とつまらない授業時の暇つぶしなど。今のお気に入りは私の額
に口づける彩樹の写真。先日の屋根上での出来事を収めた一枚だ。
 そう、あの時の幸福なひとときを収めた一枚。それを見ているだけでいるだけで……。
「沈黙は肯定っという事で良いかい?」
 その声にハッと我に返った私は咳払いひとつして妄想に耽っていた事を誤魔化すと、
「い、いいでしょう。その条件を飲みます」
「交渉成立。で、受け渡し方法は?」
「そうね、玲子……あそこにいる者を使いに出しますから渡してちょうだい。その時にこ
ちらが所有する写真のリストを渡します。さすがに全てという訳にはいかないでしょう?」
「だね。あ〜そうそう、枚数が枚数だから料金もらう」
「庶民には辛い値段だものね。それでいかほどになるのかしら?」
「えっと、焼き増し1枚が52円だから………574560円だね」
「支払いはキャッシュで? それとも振込み?」
「金額が金額だから振込みで」
「わかりました。では後で振込先の口座番号を教えなさい」
「うい」
「他に確認事項はあるかしら?」
「ほしい写真をリストから選んだ後はどうすればいいか教えてほしい」
「ここに記載されている番号に連絡を。繋がったら自分の名前を口になさい」
 名刺を芦原春賀に渡す。仕事用に使っているもので私の元へ繋がる前に本人確認をして
いる。もちろんプライベートの番号もあるが彩樹専用なので教えるわけにはいかない。
「なぜに?」
 庶民ならではの当然の疑問に私はこれまで何度もしてきた説明を口にした。
「音声認識による本人確認を行うためです。貴方がそれを落とし、拾った赤の他人が悪用
するとも限りませんから」
「……同意」
「それでは電話で落ち合う日時を決め、指定の場所にいる玲子にリストを渡せば後日写真
を郵送するということで決まりね。他に質問は?」
 無い事を芦原春賀は首を横に振って答えた。
「商談成立ね。今から彩樹の写真が届く日が楽しみよ」
「同じく。今からあ〜やの写真が届くのが楽しみさ。……フッフッフッフ」
「奇遇ね。私も楽しみよ。彩樹の写真………本当に楽しみ。ふふ、ふふふふふふふ」


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