第七十七話「式―行く前のひと騒動?―」

 日曜日。雲一つない快晴。冬には珍しく温かい。陽の光がぽかぽか気持ちが良かった。
「ん〜。絶好の結婚式日和ってやつだな」
 壁に寄りかかったまま俺は大きく伸びをした。
 そう、今日は結婚式だ。もちろん俺のじゃない。ハルと晴香のだ。先日渡された招待状
によれば棗の邸から車で3時間の場所にある教会でやるらしい。
 そんなわけで今日の俺はいつもの執事服じゃない。ちゃんとした礼服だ。ちなみにベス
ト付。用意したのはもちろん棗である。素材がいいのか着心地は最高だった。
―― っかし、よくよく考えるといつもの執事服やこれって高級品なんだろうなぁ。
 何せ世界の法光院家が買う服だ。桁3つぐらいは違っていそうな気がする。つうか、間
違いないだろう。下手したら4桁かもしれない。
 クリーニングにもかなり金がかかるんじゃないだろうか。
―― へ、下手に汚せねえじゃねえか。
 とりあえず無いとは思うがクリーニング代を請求されたら一大事ってもんだ。慌てて俺
は礼服の隅々をチェックした。幸い汚れはなかった。寄りかかっていた背中も綺麗なもの
だ。メイド女達の清掃技術に少しばかり感謝した。で、けっこう遠回りになったが本題は
着替えだ。俺の着替えはものの数分で終わった。男の着替えなんてそんなもんだろう。髪
の毛のセットなんてしないから尚更早い。
 対して女の着替えは遅いのが相場だ。いや、中には早いヤツもいるだろうが遅いのが大
部分ではなかろうかと思う。何で遅いのかは男の俺が知るところじゃない。
 予想として化粧やら髪の毛のセットではないかと思っている。
 しかし、だ。
「かれこれ着替え始めて1時間だぞ?化粧や髪の毛のセット含めたってかかりすぎだろ?
まさか髪の毛のセット中に気持ちよくなって寝てやがるんじゃ……」
 心配になって俺はもはや毎度おなじみの板チョコ扉を見た。近寄って耳を澄ませて中の
様子を伺ってみる。物音ひとつしない。まるで誰もいないかのように静かだ。
―― 怪しいが、とりあえず時間はまだあるし……待つか。
 時計に目を向ける。式の開始は2時だから移動時間を考えても十二分に余裕があった。
まだ焦る必要はない。
―― もしかしたら俺の知らない事があって、それで時間のかかるものかもしれないしな。
可能性としては低いがパーマをかけているかもしれねぇし。
 とにかく今は待つしかないと俺は目を閉じて再び壁に寄りかかった。

そして、2時間が経過した。

 合計3時間が経過したにも関わらず棗は着替えを終えて部屋から出てくる様子はない。
部屋からは相変わらず物音すらしなかった。
 これは間違いない。つうか、それしか考えられない。
―― あの女ぁ〜この大事な日に寝てやがるなぁ〜!
 ぷちん、と俺の中で何かがキレた。
「おい、コラァー! 着替えにどれだけ時間かければ気が済むってんだ?! 式が始まる
まであと5時間なんだぞ! 余裕みて移動するって言ったのはどこのどいつでしたか!?
 覚えてるならさっさと着替えて出てこいってんだよ!」
 鍵のかかった板チョコ扉にガスガスとケリを叩き込みながら叫ぶ。
 返答無し。と、思ったら扉が開いて部屋の中から黒くて太い物体が勢いよく飛び出して
きた。避ける間もなくソレは俺の胸を突く。気が付けば宙を舞っていた。
「ぐぉぉぉぉぉお」
 胸を突かれた苦しさと壁に叩きつけられた痛みに俺はしばらく地面の上をゴロゴロ転が
って悶えるハメになる。
 少しして痛みから解放された俺は地面に寝転がったまま顔を上げてぎょっとなった。拳
銃とは比べ物にならない巨大な銃口と銃身が目の前にあったからだ。よく観察してみると
銃口は赤ん坊の拳くらいで銃身は1メートルもある。
 対人でなく対戦車ライフルか何かだとは思う。が、しかし――。
「何でそんなもん持って更衣室なんかにいるんだ、お前は?! つうか、俺を吹っ飛ばし
たのワザとだろ!」
「ひとつめの質問に対する答えは護衛のためっしょ。戦闘ヘリ対応ってヤツ。地上からの
攻撃にはほぼ完璧だけど、対空能力は少し不足してるんよ。ふたつめの質問に対する質問
はノーコメント。ま、ご想像にお任せっしょ」
 そう言うメイド女―十三子―の顔は大いに楽しそうだった。間違いなくワザとだ。まだ
痛む胸をさすりながら俺は舌打ちして立ち上がった。
「で、護衛対象のお嬢様は3時間も部屋にこもって何してやがんだ?」
「更衣室ですることといったらひとつしかないっしょ。頭だいじょぶかなぁ? もしかし
て今ので壊れた?」
 本気で訝しみながら十三子は銃身で俺の頭を小突いてくる。これもワザとだろう。
―― 棗の事でこいつを含めてメイド女共からは恨まれてっからなぁ。
 おちょくる隙あれば復讐をしたいに違いない。とりあえず実力じゃ逆立ちしたって敵わ
ないので沸き上がってくる怒りを我慢しつつ俺は十三子を睨みつけた。
「で、お嬢様のお着替えはいつ終わるってんだ?」
「後少しっしょ」
「後少しっていつなんだよ?」
「後少しは後少しっしょ。やれやれ、堪え性のない男は女にもてないっよぉ」
 ケケケッと十三子はムカツク声で笑った。
「はっ。どっかの誰かさんにはもててるみたいだけどな〜」
 負けじと俺も笑い返すと十三子は笑うのを止めて歯がみして悔しがった。
―― 今までの恨み辛みをここで一気に発散といきたいところだが……。
 これ以上こいつをおちょくると命に関わる。それは十三子の引き金にかかった指が震え
ていることが物語っていた。
「っと、こんな事してる場合じゃねえんだ。おいコラー! 早く着替えを終わらせろって
んだよ! 聞こえてんのかぁ?!」
 部屋の奥にいるであろう棗に向かって叫ぶも反応なし。物音ひとつもなし。まったくの
無反応に俺は仕方なく奥の手を使うことにした。
 大きく息を吸い込んで、
「あと5分以内に着替えを終わらせねぇと『答え』は一生延期だからなー!」
 俺は腹の底から渾身の音量で奥の手を発した。とたん、静まり返っていた部屋の中がド
タバタしだした。うまく聞き取れないが棗の焦った声が聞こえてくる。
 それから程なくして礼服に着替えた棗が部屋から飛び出してきた。かなり急いで着替え
たからか髪が乱れている。身だしなみはいつもビシッとしているだけに妙に間抜けだ。
―― さて、絶好のからかうチャンスなんだが……。
 教えて慌てさせてやるか、教えずに周囲の笑いを誘ってやろうか。どっちも面白そうな
だけになかなか決められない。
「お嬢様!」
 少しばかり悩んでいたら部屋から鏡花が棗に駆け寄って手鏡を差し出した。そこでよう
やく髪が大いに乱れていることに気付く。
 そして、足を一歩後ろに退いて回れ右。逃げるように更衣室へ駆け込んでしまった。5
分ほどして戻ってきた棗は俺と目が合うとわざとらしく咳払いして、
「待たせました」
 恥ずかしさを誤魔化すためか棗はいつもの女王様然とした口調で言う。
―― うわ〜。ヤバイ。ちょっと可愛いとか思っちまった。
 今までに見せたことのない失敗に内心そう俺は思ったが、
「ああ、存分に待たせてもらったよ。ったく、着替えで3時間は長すぎるぞ。いったい中
で何やってたんだよ? 寝てたって言うならマジで『答え』無しだからな」
 怒った風を装ってたっぷりの皮肉を棗に浴びせかけた。
「寝てなどいません! ただ、服を選ぶのに夢中になって時間を忘れていただけよ」
「夢中になりすぎだっての! 別に結婚式だからってそこまで悩むほどの事でもないだろ
うが。ったく、俺が叫ばなきゃ明日になっても選び続けてたんじゃねぇのか?」
「……否定はできません」
 おいおい、と思った。同時にどうしてそこまで洋服選びに夢中になれるのかがわからな
かった。気になって理由と問うと、
「そ、それは………決まってるでしょう。彩樹が気に入る服を選びたかったの。それで貴
方の視線を釘付けにしたかった。少しでも貴方が私に目を向ける時間を増やしたかった。
だから数百ある服から選別していて遅くなったのよ」
「…………」
 俺は小さく息を吐きながら頭を掻いた。
―― くそ。怒るに怒れねえ。
 怒りよりも気恥ずかしさと嬉しさが勝っていた。もし『答え』を告げた後だったら迷わ
ず抱き締めていたと思う。そう思ってから自然と口元が緩んだ。
―― 意識したとたんにこれか。このままだと俺もバカップルに仲間入りかもな。
 とりあえずハル達を上回らないよう気を付けよう。俺はそう心に決めて棗の手を取った。
「彩樹?」
「行こうぜ。時間に余裕をみて動きたいしな」
 笑う俺を見て棗は少しばかりきょとんとする。そして、俺がもう怒っていないとわかっ
たのか笑顔で頷いた。
 応えをもらったので俺はそのまま玄関へと向かう。
「あ−そうだ。言い忘れてたことがあったっけか」
 恥ずかしさを誤魔化すために咳払い。その後に俺は小声で『似合ってるぞ』と告げる。
背後で棗が息を呑む声と手が強く握られたのはそれからすぐのことだった。


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