第七十五話「心友―未来2―」

 待ちに待った翌日。

「いやはや、何とも……凄いね」
 車を降りたオレは威風堂々とした邸を見上げた。
 邸だけの敷地で『春の湯』2個分は楽にあると思う。更に3階建て。もし『春の湯』の経
営だけで同じお邸を建てるとしたら、いったいどれだけの年数働ければいいのやら。
―― ……絶対に生きてる内には無理だね。
 現在の客数と単価、月の収入を計算してみてそう結論付ける。とはいえ、こんな広すぎ
る家をもっても意味がないからオレは羨ましいとは思わなかった。
「うっわ〜〜おっきいじゃん。さっすがお金持ち。スケールが違うな〜」
 後に続いて車から降りた晴香も同じように邸を見上げた。
「そうでもないぞ。本家はここの20倍は広い。父上と母上のお邸とてここの3倍の敷地面
積があるしのう」
「へぇ〜。んじゃ、恵ちゃんのお邸もこれくらいなの?」
「うむ。わらわの邸はこのように西洋風ではなく瓦屋根の古めかしい屋敷じゃがの。その
為に1階しかない。居住空間の広さでいえばこちらの方が広いといえよう」
「いや、それでも十分凄いって。ね、ハル?」
「同意」
「う〜ん。となるとあ〜ちゃんは確実に玉の輿に乗るってことか。あれ、この場合は玉の
輿であってるんだっけ?」
「知らない。けど、意味は通じるんだしいいと思う」
「だねだね。あ〜ちゃんがお金持ちか〜。そうなったら『春の湯』改造の資金貸してもら
えないかな〜なんて思ったりして」
「却下。そういうの良くない」
 まるであ〜やを利用するような言い方にオレは半眼で晴香を睨む。
「わかってるよ〜だ。ただ言ってみただけだって。ま、急にウチらの前から消えたお詫び
としてジュース1本ぐらい奢ってもらうのはいいよね」
「激しく同意」
「ほむ。話しもまとまった所でそろそろ中へ入ろうかのう。彩樹も首を長くして待ってい
るだろうしな」
 先に玄関前へ行っていた恵ちゃんが扉を開けてオレ達を中へと促す。
「だね。さぁ〜って、今日はあ〜ちゃんとどんな話しよっかな……と?」
「お」
 中に入ると広い玄関にずらりとメイドさんが立っていた。そして、オレ達が入るなり深々
と頭を下げる。その動きには一部の乱れもなかった。
 圧巻。何とも精錬された動きにオレも晴香も言葉を失ってしまう。
「本郷晴香様。芦原春賀様。ようこそおいでくださいました。わたくしはお世話メイドの
長を務めております鏡花と申します。以後お見知り置きくださいませ」
 メイドさんのひとりが一歩前に出て話しかけてきた。年は20代前半か中盤くらい。ノ
ンフレームの眼鏡と……。
―― 何ていうんだろ? タコさんウインナみたいな髪型だ。
 髪型の名前を知らないオレは彼女の髪型をタコウインナと命名した。後は真っ赤なメイ
ド服が彼女達を気高く見せている。
「どうも」
「どもども〜。今日1日ですがお世話になりま〜す。で、あの、あ〜ちゃんは?」
「そこに」
 鏡花さんが横へ一歩移動した。同時にメイドさん達が二手にわかれる。まるでモーセの
十戒のように開けた先には……。
「…………」
 真っ白に燃え尽きたように項垂れたあ〜やが椅子に座っていた。
「あ〜や?」
「おうぅ。よく来たなぁ」
 オレの呼びかけにあ〜やはよろよろと右手を挙げて答えた。何というか消えそうなロウ
ソクのようだ。
「これはどういうわけじゃ?」
 恵ちゃんが子供とは思えない鋭い眼差しを鏡花さんへ向けた。
「詳しく申し上げることはできません。ただ、端的に申し上げるのでしたら……自業自得
としか」
 鋭い視線をものともせず鏡花さんは含みのある笑顔を浮かべた。表情にも言葉にも同情
は感じられない。むしろ……。
―― な〜んか怒ってるね。
 視線を下げてみると鏡花さんを含む全員が震えるほど拳を握りしめていた。下手をした
ら爪が皮膚を破くんじゃないだろうか。そう思えるほど強く。
―― あ〜やは何をやったんだろ?
 疑問はその1点に尽きた。
「で、あ〜やはいったい何をしでかしてこんな状況に?」
 客間に通されたオレは未だによろよろのあ〜やに問いかけた。
「いや、それが俺にも何が何やら。急にあの日の翌朝から機嫌が悪くなってよ」
「あの日?」
「お前達と仲直りした日だよ。顔を合わせるなり『不愉快です』とか言いやがって顔は合
わせないは、合わせたと思ったらメイド女けしかけてくるは、そのメイド女共からは殺気
やら何やら昼夜問わず向けられるはで眠れねえし………ったく。俺がいったい何をしたん
だよ」
 言い終えたあ〜やはベッドに倒れ込む。それから5秒とたたずに眠ってしまった。
「あらら。よっぽど疲れてたんだね」
「……ん?」
 もしかしたらと思いオレは恵ちゃんを見た。しかし、申し訳なさそうに彼女は首を横に
振る。
「すまん。ここ数日雑務で外に出ていた。侍女達も妾と一緒でなくては入ることができぬ
故に情報も入ってこなかったのじゃよ」
「となるとご本人に聞くしかないか。……といって呼び出してあ〜やをどうにかされても
困るし、とりあえずは現状維持ってことで」
 オレの提案に晴香も恵ちゃんも頷いてくれた。
「うむ、そうじゃな。なれば彩樹の幼い頃の話などしてもらえぬかの。姉上は多少知って
おられるようじゃが、妾は全くといってよいほど知らぬのじゃ」
「いいよ。どんなの聞きたい? 面白いのから恥ずかしいのまで色々とあるけど」
 何せあ〜やとは15年の付き合いだ。少しぼやけてるのもあるがほとんどの事を記憶し
ている自信があった。
「ふっ。もちろん全てに決まっておろう」
「ふっふっふ。了解。代わりにここでのあ〜やの生活ぶりをよろしく」
 恵ちゃんとオレは互いに笑いあいながらガッチリと握手を交わす。今ここに『あ〜やの
全てを知りたいと思う同盟』が発足したのだった。

―― 多分だけど。これ、オレの勝手な思い込み。

 それからあ〜やが目を覚ます3時間後までオレ達は楽しく語り明かした。

「で、お前達は俺の恥ずかしい過去を色々と暴露してくれたってわけか」
 苛立ちを瞳に込めて俺はハルと晴香を睨み付けた。しかし、二人とも困惑するどころか
後頭部に手をもっていくと笑い出した。
「実に楽しかったね。はっはっは」
「ホントホント。ってわけで、まだまだこのネタで盛り上がろう〜!」
「盛り上がるな!」
 調子に乗りすぎてる二人の脳天に体重を載せた肘を叩き込む。勢いそのままに二人は床
に額を打ちつけた。
「痛い」
「同意。あ〜や酷い」
「どっちがだ! あ〜くそ〜。叫んだら頭がいてぇ。体も重いしよ。ま〜だけっこう疲労
が溜まってるっぽいな」
 とりあえず妙に重い腰を捻ってみたらゴリゴリと音が鳴った。首も同様だ。一通り体を
ほぐし終えて椅子に腰掛け、数秒ともたずにテーブルに頭を載せた。
―― だりぃ〜。
 朝よりも体が重く感じた。どうやら休んだ事で体が更なる休息を欲し始めたらしい。か
といって眠気はないし、ハルや晴香達が恥ずかしい過去を暴露しかねないと思ったら寝ら
れやしなかった。
「ほむ。ならば妾がマッサージでもしてやろうか?」
「できるのか?」
「うむ。盟子より色々と教わっておるぞ。天国地獄どちらも可能じゃ」
「……あんた何でもできるんだな?」
 顔だけ動かして俺は盟子を見た。
「侍女のたしなみにございます」
 俺の問いに、盟子は微笑を浮かべながら当然だという声色で答えた。もはや流石としか
言い様がない。それは全て覚えている恵にもあてはまっている。
―― 恵みたいなヤツを天才っていうのかもな。
 教えれば難なく覚えそうだ。そんな恵ならさぞかしマッサージも上手いことだろう。
「そんじゃ、頼むとしようか」
「うむ。なれば天国と地獄好きな方を選ぶがよい」
「天国希望!」
 迷わず俺は即答した。これ以上の地獄なんざお断りだ。さっさとこの重苦しい体から解
放されない。
「なればベッドにうつ伏せとなって寝るがよい」
「うい〜」
 言われたとおりにベッドの上にうつ伏せの格好で寝そべる。少しして背中に重みが加わ
った。気になって顔を振り向かせると恵が馬乗りになって両手をわきわきさせていた。
 ちなみに恵は白のブラウスと黒のスカートという格好だ。どうやら学校の制服らしい。
「ではゆくぞ」
 そう宣言してから恵が両肩に手を置く。と、肩に力が加わり痛みが走った。
「いてててて」
「こら、動くでない。最初は少し痛むが時期に良くなる。大人しくしておれ」
 軽く頭を小突かれた。横ではその様子を見てハルと晴香がくすくす笑ってやがる。
「あ〜ちゃん子供みたい」
「同意。恵ちゃんがあ〜やのお母さんみたいだね」
「くぬぅ〜」
 自分でもそう思ってしまっただけに反論できない。
―― こいつら、マッサージを終えて体が楽になったらシメる!
 心の中で決意した俺は二人を睨みつけたまま黙って恵のマッサージに身を任せる。最初
は痛みしかなかった
 マッサージだが、恵の言うとおり段々と体がポカポカして気持ちよくなってきた。思わ
ず顔が緩んできてしまう。
「うっわ。ホントに気持ち良さそう。ね、恵ちゃん。後でウチにもお願いしていい?」
「すまぬがそれはできぬ。このマッサージは彩樹の為に覚えたもので、他人にしてやる為
に覚えたのではないのでな」
「……だって。あ〜やは幸せものだね」
 したり顔になってハルが頬をつついてきた。
―― 幸せつうか、その……お子様にでも直球でそう言われると恥ずいものがあるな。
 間違いなく顔は赤い。見られて更にからかわれるのも癪なのでベッドに顔を突っ伏した。
しかし、それでも奴らには楽しいネタ提供になったらしい。
「うっわ。見てよ見てよ。恥ずかしくて顔隠しちゃったよ。あ〜ちゃんってば可愛い♪」
「これはぜひ顔を見たいね。というわけであ〜やこっち向いて」
 黙秘で対応。下手に返答したらボロが出かねない。
「よっし! じゃ、ウチが実力行使でこっち向かせちゃうから!」
「手伝う」
 そう言うや二人の足音が近づいてきて、足音がなくなったと同時に頭を掴まれた。二人
分の力が顔を横に向けようと加えられる。
―― くそっ。このまま俺はこいつらの玩具になるってのかよ。
 さすがに二人分の力には抗えないと諦めかけたその時だった。
 コンコン、と規則正しい2回のノック。間を置かずして扉の開く音が耳に届く。
「……姉上」
 マッサージの手を休めた恵が苦々しげに入ってきた者の正体を口にした。
「あ、いや、その……ども〜。お邪魔してます〜」
 続いてきまずそうな晴香の声による挨拶。ハルは何も言わない。理由は考えなくてもわ
かっていた。
―― やっぱまだ怒ってやがる。
 鋭い眼差しに皺の寄った眉根。視界に入れた棗の顔は明らかに不機嫌さを表していた。
「部屋にいなかったのでここだと思いました」
「何か用か?」
「……別に。ここは私の邸。どこへ行こうと私の勝手です」
 俺達に一瞥をくれたかと思うと棗は椅子に腰掛けた。何故か腰掛けた後も鋭い眼差しは
俺に向けられたままだ。
―― 視線と言う名の針のむしろだぞ。
 このままだとストレスで胃が痛み始めそうだった。
「ねえ、何かすんごくご機嫌斜めって感じじゃない?」
 小声で晴香が耳打ちしてきた。
「見りゃわかるだろ」
「理由聞いて仲直りした方がいいんじゃない?」
「同意。このままだとあ〜やも辛いと思う」
「わかっちゃいるんだけどもな〜」
 今の棗の鋭い眼差しはまるでナイフだ。ちょっとでも何かしようものなら切り裂かれそ
うで怖かった。
 会話が止まる。さっきまであった明るい雰囲気は一蹴されて何とも気まずい空気が漂い
始めた。
「で、お前らはどんな恥ずかしい俺の過去を暴露してくれやがったんだ?」
 とりあえず気まずい雰囲気を払拭しようとからかわれるのを覚悟でネタを振った。
「ん? あ〜やが小5まで猫のぬいぐるみが一緒じゃないと寝られなかったとか」
「あ〜ちゃんが小6までエビをずっとザリガニだと思ってたとか」
「自転車の明かりを点灯させようとして足を前輪に巻き込まれて転倒という話も聞かせて
もらったぞ。点灯させようとして転倒という洒落のきいたよい話じゃ」
 3人は一斉に笑った。もはや気まずい雰囲気はどこへやら。作戦は大成功だ。大成功な
のはいいんだが……。
―― 恥ずかしい過去を暴露された挙げ句に笑い者にされて……。
 黙っていられるほど俺は我慢強くなかった。
「お〜〜〜ま〜〜〜え〜〜〜ら〜〜〜よくも勝手に暴露ってくれやがったなこんちくしょ
うめがぁぁぁぁ!」
 勢いつけて身を起こし、驚いてこっちを見ているハルと晴香の頭に渾身のチョップを叩
き込んでやった。背中に乗っていた恵がベッドから転げ落ちたようだが気にしない。
「あいたぁ」
「あうち。あ〜や痛い」
「痛くな〜い!俺はもっと苦痛を味わったぞ!くそぅ。折角忘れてたってのに。かさぶた
剥がすように暴露しやがって……こうなったら、お返しにお前らの恥ずかしい過去を暴露
してやる!」
 じっと二人を睨みつけたまま記憶から検索を開始する。すぐさま晴香の恥ずかしい過去
がヒットした。
「晴香! 高1のとき授業中寝ていた所を起こされたお前は……」
「んっきゃあ〜! ダメダメダメ! それは言っちゃダメだって!」
「甘い! 立ち上がっていきなり制服を脱ぎ始めた! ハルが止めなきゃマジでストリッ
プショーだった! このお間抜け娘め!」
 顔を真っ赤にして口を押さえにきた晴香をひょいと避けて暴露してやった。目標を失っ
た晴香はそのままベッドに突っ伏したまま動かなくなる。さっきの俺と同様で恥ずかしさ
のあまり殻に閉じこもったらしい。
 続けて俺はハルの方を向いた。
「ハル! お前は小学校の卒業式の日に卒業証書受け取ったままの格好で寝ただろ!」
「……ぽっ」
 何を思ったのかハルは両頬に手を当てながら頬を朱色に染めた。とたん、全身に妙な痺
れが走ったかと思うとむず痒くなった。
「気色悪い恥ずかしがり方すな! 鳥肌が立つだろうが! あぁぁぁかゆ!」
「……ほむ。色々とお主達も面白い過去があるものじゃのう」
 ベッドの端からひょっこり顔を出した恵が感慨深げに呟く。と、何を思ったのか手を叩
いて立ち上がった。
「よし。では妾も自ら恥ずかしい過去を暴露しようではないか!」
「おぉ。興味ありだね」
「聞かせろ聞かせろ」
 非常識な環境での恥ずかしい話しには大いに興味がわいた。
「うむ。これは学校へ入って間もない時の事なのじゃが……学校の食堂で転び、その拍子
に手にしていた冷やし中華を頭から被ってしもうた」
 数秒の沈黙。俺もハルも徐に顔をあげた晴香も何も言えずにただ恵を見ていた。
「ん? 何じゃ? どうした?」
「いや、普通すぎるな〜っと思ってよ。もっとこうマジかよ!? というネタを期待した
んだが……まあ、確かに恥ずかしいよな」
「うん。普通に恥ずかしいね」
「ウチだったら恥ずかしくて1週間は学校行けないかも」
「うむ。それは妾も同じじゃった。じゃから、それ以後の昼食は盟子の弁当じゃよ。それ
と、あの場に居た者には見た事を口外したら命はないと脅しておいたので校内に広がる事
もなかったぞ」
 Vサインを向けた恵がしたり顔に言う。
 再び数秒ほど沈黙。それから何とも恵らしいやり方だと俺達は揃って笑った。

 そんな感じで楽しい時間がまだまだ続くであろうと思いかけたそのとき……。

 部屋に笑い声とは別の音が発せられていることに気付いた。

 何かを飲み込むような音。その発生源は俺達の後ろで……。

「……お、おい」
 気になって振り返った俺は受けた衝撃のあまりそれしか言えなかった。
―― 夢じゃないよな?
 近くにいたハルの頭を叩く。
「あ〜や痛い」
 その反応から夢ではない事がわかった。今度は見間違いかと目を擦ってみたが変わるこ
とはなかった。
 事実。現実。しかし、目の前の現実は信じがたいものだった。

 何せあの棗が大粒の涙をポロポロ流して泣いていたのだから。

−つづく−


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