第七話「暇と多忙は紙一重?」

 1週間が経過した。
 初めは絶対に慣れないと思っていた生活も、気づけばなれてしまった。我ながら適応能
力というものは凄いと思う。
 警戒していた龍泉華琳の魔の手もないので、多少苛つくこともあったが平和な一週間だ
った。

 そして、八日目の朝……。
「ぜは〜ぜは〜ぜは〜」
 毎度のことながら俺は駐車場近くの芝生に倒れ込んでいた。
 毎日ママチャリで棗の車と競争するのはさすがに辛い。しかし、その辛さに耐え抜いた
おかげで朝の勝負は現状全勝している。おかげでポイントは90まで回復していた。
「毎日毎日頑張るわね」
 疲れて倒れている俺を、呆れた顔で見下ろす棗。
「当たり前だ。さっさと1万ポイント貯めてお前とおさらばするのが目的なんだからな」
 しかも2年以内という期限つきだ。ポイントは取れるときにとらなければならない。
―― こいつの奴隷になるなんざまっぴらだしな
 金よりもそっちの方が重要だった。
「せいぜい頑張りなさい」
「つうかお前、最近命令しねえな」
 この1週間で2度ほどしかない。しかもどちらも5ポイント。内容は屋敷内から本を探
してもってこいというものだった。
 俺としては細かくても命令を……と思ったところで、
―― ……ん? もしかして、俺は命令を心待ちにするよう洗脳されてる!?
 いや、実際されかかっていた。危ない危ない。
「用もないのに命令などしてどうします? 無駄なことです」
 そう言って棗は踵を返して校舎へと入っていく。まだまだ解放の夢は遠いようだ。

 その日の4時限目。
 突っ立っているだけの俺と奴隷達は暇をもてあましていた。
「あ〜〜つまんね」
 体育館の前で俺は欠伸を漏らす。今日の4時限目はお嬢様の身体測定だった。いまこの
とき、体育館の中では泣く子も黙るお嬢様方が薄着で歩いていたりする。
―― 高校の奴らなら絶対に120%確実に覗きに行っただろうな。
 高校の級友を思いだし、思わず吹き出した。
 それに比べて……。
「お前ら突っ立ったままでよく飽きねえな」
 体育館から出てくるのが各々の仕えるお嬢様でないか確認しながら周囲を警戒する奴隷
達に顔を向ける。彼らはみな不逞の輩からお嬢様方を守るための番をしているのだ。ちな
みに不本意だが俺もそのひとりになっている。
 まぁ、この学園のセキュリティは凄いらしいからお嬢様方に何かしようと考える外部か
らの侵入はありえないらしいが。ちなみに何が凄いのかは教えてはもらえなかった。
「だ、だって、ご主人様が立ってろって」
 そう答えたのはお嬢様その2である蘭の奴隷・縁だった。
 奴隷というより愛玩動物と言った方がいいだろう。毎日撫でられたり、抱きしめられた
りしている、ある意味幸せなヤツだ。
「お前さ、自分の意志ってもんがねえのか?」
「僕は僕の意志で、ご主人様に喜ぶことをしてるんだよ。ご主人様は僕が言うこと聞くと
いつも喜んでくれるんだ」
 屈託のない笑みを浮かべる縁。完全に奴隷根性が染みついていた。
「ま、お前がいいんなら構わないけどな。でもよ、それだとこれから辛くねえか?」
「……何で?」
「何でって、お前はあのお嬢様が好きなんだろ?」
「うん。ご主人様は僕に優しくしてくれるから好きだよ」
「恋人にして〜とか、結婚して〜とか思わねえのか? お前も普通の男だったら一度や二
度は思っただろ」
 疑問を素直にぶつけると、縁は首が引きちぎれんばかりに首を振りたくった。
「そ、そんな畏れ多いこと思うわけないよ! ぼ、僕は奴隷だよ? 奴隷はご主人様にそ
ういう感情もっちゃいけないんだって奴隷養成学校の先生にも言われたし。好きだけどそ
んな事思ったことないよ」
 縁の答えは半ば予想していたものだった。
「お前らは?」
 他の奴隷達を見る。答えるどころか顔も、目線すらも向けずに無言。ただただ主人に尽
くす忠実な奴隷として行動している。
「あ〜ヤダヤダ。お前らは縁より重病かよ」
「そういう君はどうなの?」
「あ?」
「棗お嬢様を恋人にしたいとか、棗お嬢様と結婚したいと思ったことは――」
「ねえ! 1秒たらずとも考えたことはねえ!」
 即答し、俺は両腕をクロスさせた。
 一瞬恋人になった場合などを想像してみるも、そのあまりのおぞましさに全身鳥肌がた
った。きっと毎日無理難題をふっかけられるに違いないからだ。
「誰があんな冷酷問答無用お嬢様を。まだ雌豚相手にした方が――」
 俺はそこで喋るのをやめた。いや、止めざるをえなかった。
 首筋に感じる何やら冷たい感触。目線だけ動かすと、キラリと冷たい輝きを放つナイフ
が首筋に添えられていた。
 万が一、そのナイフが数センチ引かれたりしたら……ち〜んぽくぽくぽく。ナム〜。顔
から血の気が引いていくのがわかった。
「よくも、そう堂々とお嬢様の悪口が言えるものですね」
 女の声。冷たく感情の希薄な声の癖して、いやに間延びしてやがった。
「事実だからな」
「ふ〜ん。そ〜う〜」
 ナイフが微かに引かれた。
 痛みは感じない。だがきっとうっすら血が滲んでいることだろう。
「誰だよ、お前は」
 それでも臆せずに俺は質問した。内心無様に震えてはいたがな。
「教えてほしい〜?」
「ああ、ぜひともお願いしたいね」
「嫌〜だと言ったら〜?」
「死に土産に見てやる」
 俺は吐き捨てるように、背後にいる誰ともわからぬ女に向かって言ってやった。その言
葉に偽りはない。どうせ死ぬなら抵抗して相手が悔しがる顔を見て死ぬのを選ぶ。
―― できれば死にたくないけどな〜
 数秒の沈黙。俺にとっては拷問ともいえる数秒だった。
「……ふふっ。やはり〜面白い男〜」
 ナイフが首筋からはずされた。危機が去ったと理解した俺はその場で振り返る。
「ごきげんよう〜。室峰彩樹〜」
 首筋にナイフを突きつけたのは棗の屋敷にいた、あの自由自在に姿を消せるメイド女だ
った。メイド女は手にしていたナイフを手品のごとく消してしまう。
「何がごきげんようだ! 殺す気か?!」
「ほほほほ〜。まさか〜、90%ほどしか殺そうかと思ってませんでしたよ〜」
「それは殺そうとしてたって言うんだよ! つうか日本語変だし、全然口調も前に会った
ときと性格も違ってるぞ!」
 棗の部屋では完璧なメイドだった。言葉遣いも仕草も今のように間延びしてなければと
ろとろしてなかった。
―― 別人か? 双子の姉妹とでも言うのか?
 俺の疑問は即座に返ってきた。
「当たり前よ〜。なぜお嬢様でないのに〜敬意を払って〜……話さないといけないの?」
 いきなり間延びしなくなったかと思うと、メイド女は一瞬にして俺の横に立ち、今度は
黒光りする銃口をこめかみに押しつけてきた。
 リボルバー型のそれにはきっちりと銃弾が収まっている。引き金がひかれたらと思うと
頬を冷たい汗が伝った。
「ただ疑問に思っただけだ。そうもギャップもあれば聞きたくもなるだろ」
「そうでございますね。もっともなお答えです。まあ〜この喋り方のときは〜比較的安全
だと思ってくださ〜い」
 再び間延びするようになる。
 いったい何が比較的安全なのか問いたい。かといって問うたら己の身が危ういのでやめ
ておく。
「んで、俺に何か用かよ?」
 やっと本題を言うことができた。
「あら〜、そうでした〜。はいはい〜中へごあんな〜い」
 メイド女は俺の背にまわると、あろうことか体育館へ押し始めた。
「待て待て。こん中じゃいまお嬢様方が身体測定してんだぞ! そんな状況の中に俺が入
ったらどうなると思う!」
「リンチかしら〜。時にはいいもの〜よ〜」
「よくねえよ! 俺はこよなく平和を愛してるんだ。わざわざ不幸になる趣味はない」
「でも〜。これは嬢様のご命令なのね〜。だ〜か〜ら〜とりあえずこれつけて〜」
 視界が暗転。どうやらアイマスクか何かを付けられたらしい。
「はい。これで安心〜。では、れっつらご〜」
 為すすべもないまま俺は体育館の中に押し込まれる。
「はうっ。な、ななななぜ殿方が入っていらっしゃいますの?!」
 お嬢様のひとりが悲鳴をあげた。それが引き金となって次々と高音の悲鳴があがった。
 ゴツッ。
 何か硬いものが勢いよく命中し、痛みと共に俺の頭が揺さぶられた。
「うお〜〜〜〜〜」
 あまりの痛みにその場にうずくまる羽目になった。
「あ〜、確かこいつ……棗んところのレア君じゃない?」
 どっかで聞いたような声。
「レア君じゃねえ! それに俺はここへ入りたくて入ったわけじゃないんだよ」
「その通りでございます。棗お嬢様のご命令により、私、暗部メイド長の玲子がお連れい
たしました。皆様方にはご迷惑おかけいたします。ですがご安心ください。皆様方の穢れ
のない白い柔肌はこのアイマスクによって見ること適いません。万が一にでもこの者が皆
様方の白い柔肌を目にしてたら……」
 何かが抜かれる音。そう、まるで刀が鞘から取り出されるような。
「この者の両目を使い物にならぬようにいたします」
 アイマスクに何かが押し付けられる。俺は恐る恐るそれに触れてみた。冷たくて硬い金
属の感触が指に伝わる。
「おい、何だこれは?」
「お気になさらずに。単なる切れ味のよい日本刀にございますから」
 何も考えずに全力で後ろに下がった。しかしアイマスク越しに感じられる感触は消えて
くれない。
―― 何がどうなってやがる!?
 消えない感触に焦りながらも俺は必死に全力で後ろに下がり続ける。と、何かに蹴躓き
なすべもなく仰向けに倒れてしまった。
「ご安心を。貴方がそのアイマスクを取らない限りは安全です」
「……信用していいんだろうな?」
「ご自由に」
 アイマスクから刀の感触が消えた。
「……わかったよ。わかったからさっさと連れてけ」
 半ばヤケクソになって立ち上がった俺はメイド女・玲子の手に引かれてどこかへと連れ
て行かれる。
「お嬢様、お待たせいたしました」
「ようやく来たの。待ちくたびれたわ。やはり何が何でも傍に置いておくべきでした」
「何がなんだかさっぱりわからん」
「アイマスクを外しなさい」
「うなっ!?」
 アイマスクを取った俺は驚き、状況を理解すると急いで棗に背を向けた。瞬時に鼓動が
一気に上がった。恥ずかしくも顔は茹蛸状態になっているだろう。
「どうしたの? こっちを向きなさい」
「向けるか!」
 正確には向きたくても向く勇気がなかった。
―― なんで下着姿なんだよ。
 そう、あろうことか我が雇い主はブラジャーにショーツ姿というあられもない姿でたっ
ていたのだ。
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