第六十八話「晴香の本音」

「じゃあな、ハル。宣言通りいただいていくぜ」

 倒れているハルに二度目の宣言をしてから、俺は混乱して棒立ちしている晴香を抱きか
かえた。
 晴香の抵抗はない。まだ状況を理解していないらしい。俺とハルを交互に見たり、周囲
を見たり、地面を見たりと忙しなく顔を動かしていることから明らかだ。
―― やれやれ。こいつにもスイッチ入れてやらないと駄目か。
 心の中で嘆息を漏らしつつ、
「お前、状況わかってないだろ?」
 キョロキョロしている晴香に話し掛けた。その声に反応して晴香が小さく身を震わせた。
「ちょ、ちょっとどういうことなの?! 何でハルが倒れてるのよ! まさか、あ〜ちゃ
んがやったの?!」
「ああ。俺が殴り飛ばした」
「どうして! 二人は親友じゃない?! 何でそんな事したの!」
「心友だからこそ殴ったんだよ! あいつはな……あいつは恋人のお前を愛してないって
言うのと同じ言葉を吐きやがったんだ! 許せるはずがねえだろ!」
「そ、そんなの信じない! 嘘に決まってるじゃん! 離して! 降ろしてよ!」
 両足をバタつかせながら晴香は俺の胸を押してきた。かといってこのまま素直に解放し
てやるつもりはなく、
「目的地に着いてからな」
 逆に落とさないよう晴香を引き寄せてから再び歩き出す。
「目的地って、ウチをどこへ連れて行くの?」
「誰も邪魔が入らなくて二人きりになれる場所だ」
「そこで何をするの?」
「決まってんだろ。お前の願い通りにしてやるのさ」
 恐怖を与えるように口元に笑みを浮かべる。自分で言っておきながら吐き気がした。
―― 悪役なんざ今後絶対にならねえ。
 もしなったとしても吐き気とストレスが原因で間違いなく3日で廃業するだろう。だが、
今回だけは悪役に徹しなければならない。
 心を鬼にして、
「嬉しいだろ?」
 俺は顔を近づけながら問いかけた。

 それが引き金となった。

「……や、ヤダ。いやーーーーーっ!!」
 悲鳴を上げたかと思うと晴香が腕に噛みついてきた。襲ってきた痛みに思わず晴香を放
してしまう。解放された晴香は真っ直ぐにハルの元へと走り、
「ハル! ねえ、ハルどうしたの? ハル! ハルってば! 助けてよ、ハル!」
 何度も何度も呼びかけるが、ハルはぴくりとも動かない。ゆっくりと近づき俺は晴香の
肩を掴んだ。
「もう抵抗はしないってよ。お前の事も諦めたんだろ」
「そんなことない! ねえ、ハル! 起きてよ! ウチ、嫌だよ。ハル以外の男の子供な
んて産みたくないよ」
「……だったら、どうしてあんな事を言いやがった」
「最初は冗談で言ったの。だって、ハルからウチに何かしてくれるってことがなかったか
ら、あ〜ちゃんの子供産みたいって言えば慌てて何かしてくれるかなって思って。それに、
あ〜ちゃんなら絶対にウチにそんな事しな――」
 最後まで言わせるつもりはなかった。振り返った晴香の顔に強めの平手を見舞う。
 パシッ、と乾いた音が公園に響いた。
―― まったくこいつらは二人揃って……。
 頭が痛くなるのを感じながら静かに息を吸い込み、
「俺をそんな駆け引きに使うんじゃねえ! かまってほしけりゃ素直に言えば良かったん
だ! 最初からそうすりゃこんな事にはならなかったんだよ!」
 呆けている晴香の襟首を掴んで引き寄せると、俺は腹の底から出した大声で怒鳴り散ら
してやった。
 叫んでから一度嘆息をもらす。
「ま、これも自業自得だと思って諦めろ」
 強引に腕を掴んで晴香を立たせる。抵抗するが所詮は女。力では俺には勝てるはずもな
かった。そのまま俺は公園の外へと向かう。
「ヤダ。離して! お願いだから……離して、あ〜ちゃん………お願いだから!」
「断る。知らないと思うけどな俺はハルと違って独占欲が強いんだ。ほしいと思ったもの
は強引にでも手に入れるんだよ」
「うう。ひっく……ハルぅ………ハルぅ………」
 背後から発せられる晴香の嗚咽。間違いなく瞳からは涙が零れているだろう。その顔を
想像するだけで胸が痛む。早くこの痛みから解放されたい。晴香を悲しみから解放してや
りたい。だけど、どちらも俺にはできないことだ。
 それができるのは……。
「待てよ」
 そう、この声の持ち主のみ。声を受けて俺は足を止めて振り返った。
―― ようやくか。
 ようやく待ちに待っていた展開がやってきたらしい。

 さっきまで倒れていたハルは鋭い眼差しを俺に向けて、こう告げてきた。

「晴香から手を離せ」
 と。


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