第六十四話「Real or Dream?」

 目を覚ますと視界は全て黒一色だった。
―― 月が雲に隠れたか?
 多少雲が空に漂っていた気がする。それが月を隠したのなら暗いのも頷けるんだが……。
―― けど、ここまで暗いか?
 本当に何も見えない。一寸先すらも闇だ。ということは光が一筋も入らない場所という
ことになる。そこまで状況を認識した俺は、
「どこだここは?」
 もっともな疑問に辿り着く。
 とりあえず晴香の家でないことは確かだ。『春の湯』部分を含めて光がまったく入らない
場所なんてない。
―― となると棗の屋敷ってことになるんだろうが。
 屋敷全部を未だに把握しきっていないので、どこだかはわかりようがなかった。
 とにかく。
「動いてどこだか調べるしかないか」
 そう結論に至った俺は身を起こそうとして、じゃらりという嫌な音を耳にした。
「じゃらり?」
 今まで何度か耳にしたことのある音。それが何かなんて考えるまでもない。ただ視界に
ないので信じることにやや抵抗があった。
「はははははは。まさか、まさかな」
 恐る恐る手首の辺りを触れてみる。
 何かがあった。硬くて少しざらついた『何か』が手首にハメられている。そして、その
先には『わっか状の金属』が連なって繋がっていた。
 その正体は――鎖。
 念の為に両足を動かして見ると、同じく下の方からじゃらじゃら音がした。一定の高さ
までしか持ち上がらない。
「な、何でだぁぁぁぁぁ!?」
 拘束されている現状に思わず俺は大声で叫ぶ。と、同時に眩い光が俺を照らした。
「くっ。い、いったい何だってんだ」
『やっと目を覚ましたのね』
 感情を感じさせない声にギョッとなる。
「な、棗か?」
 明かりを掌で遮りながら声の主を探した。
『ええ』
「どこにいるんだよ?」
 声はすれど姿は見えず。光で照らされている範囲に棗の姿はなかった。
『貴方のすぐ傍にいます』
「いねえじゃねえか! つうか、何だよこの鎖は! さっさと外せ!」
『却下』
「何でだよ!」
『彩樹、私はとても悲しんでいます。その理由がわかりますか?』
「わからいでか! いいから鎖を外せっての!」
 叫びつつ、もしかしたら力ずくで外せるかと思い鎖を全力で引っ張ってみる。しかし、
当然というか鎖が外れたり千切れたりする様子はなかった。
―― マズイ。この状況は何やらマズイ。
 俺の中で危険ランプがコンマ1秒単位で点滅している。早く脱出しないと危険だ、と心
の声が叫んだ。
『ふぅ。彩樹、私は商店街でとある噂を耳にしました』
「う、噂だと?」
 さらに嫌な予感が色濃くなった。
『そう。彩樹が恵と婚約しているという噂と本郷晴香を妊娠させたという噂、その他にも
ロリコンや鬼畜など様々な噂です』
「いや、あれは――」
 単に商店街の連中が広めた誤解だ、という言葉は次に発せられた棗の声に遮られた。
『嘘だという事はわかっています。けれど、流れた噂の内容が悲しいのです。なぜ婚約し
ている相手が私ではないのか。なぜ妊娠させた相手が私ではないのか。……なぜ?』
「いや、なぜってお前一緒にいなかっただろうが」
 もし、いたとしたら流れた噂は俺にとって史上最悪のものとなったに違いない。
―― そうならなかった事を喜ぶべきなのか、こうなった事を悲しむべきなのか。
 何とも複雑だ。答えの後に小さなため息が耳に届いた。
『いいえ。原因は彩樹にあります』
「は?」
『貴方が必死で否定し、私の名前を出せば噂で飛び交う名前は恵や本郷晴香ではなかった
はずです』
「いや、そうかもしれないが」
『よってこれより彩樹は私以外の名前を口にできないよう改造手術を行う事を宣言しま
す!』
 宣言を理解するのに数秒を要した。
「か、改造だと!? 冗談だろ?!」
 しかし、手術服を着た連中が姿を現して冗談ではないことを立証した。
―― おいおいおいおい!
 改造なんてまっぴら御免だ。
―― そもそもどこを改造するっていうんだ?
 名前を口に出来なくするということは……。
 脳。
「死ぬ〜! 失敗したら死ぬぞ〜!」
 逃げようと必死に体を動かす。
 けれども強固な鎖が俺の動きを封じてどうにもできなかった。
『安心なさい。痛いのは麻酔だけです』
「ぎゃ〜! まだ死にたくね〜!やめろ〜!」
 暴れる俺を手術服を着た連中が押さえ込みに来たかと思うと、どこからともなく注射器
を手にした棗が姿を現した。
「ふふふふふふ」
 恍惚とした笑みを浮かべながら棗が針を俺の右腕に向ける。
「観念、なさい」
 その言葉と共に針が腕に入ろうとした所で――。

「のあああああああああ!!!!」
 俺はもう一度目を覚ました。
「ゆ、夢……だったのか?」
 荒くなっていた息を整えつつ、状況を確認する。辺りは暗いが薄っすらと天井と電灯が
見えた。さっきの、夢の場所とはまるっきり違う。
 ホッと胸をなでおろした。
「はぁ〜。夢落ちでよかったぜ。ったく、人騒がせなゆ――」
 安堵したのもつかの間、そこで俺は言葉を止めた。いや、止めざるを得なかった。
―― か、体が動かせねえ。
 まるで何かに磔にされているかのように動かない。全身に言い表しようのない悪寒が走
った。
―― き、きっとあれだ。あの後で地面に叩きつけられたから体が一時的に麻痺してるだ
   けだ。
 そうであってほしい。そうでないと非常に困る。高鳴る鼓動。噴出す汗。再び荒くなる
呼吸。まるで死刑執行を待つ衆人のような気分だ。
―― い、いや。まだ諦めるな!
 そう、自分に言い聞かせた。
―― まずは本当に動かないのか、もしそうなら何で動かないのかを調べるんだ。
 一度、大きく深呼吸してから上半身に力を込める。
 と、
「ん」
 小さな声が耳に届いた。
―― 今の声は何だ?
 力を込めるのをやめて音源を捜す。
「あ」
 発生源を目の当たりにしたら思わず声が出た。
―― となると……。
 あらかた状況を理解した俺は重い両足を軽くバタつかせてみた。
「む〜」
「むぃ〜」
 再び発せられた、今度はさっきと違う二種類の声。
「な〜るほど。そうかそうか。そういうことか。あははははは――って、お前ら何してや
がんだ!」
 完全に状況を理解した俺は怒りを撒き散らす勢いを込めて叫んだ。
――どおりで動かねえわけだ。
 右腕に恵が、左腕に棗が、右足にハルが、左足に晴香がそれぞれ引っ付いている。起き
あがろうとする程度の力じゃビクともしないのは当然だった。
―― つうか気付かなかった俺も間抜けだな。
 そう思うと自然とため息が漏れる。
「おら、起きろ!」
 渾身の力をもって両手足を動かした。
「む〜。あ〜ちゃんおは〜」
「むぃ〜。あ〜やおはよ〜」
 むっくり身を起こした二人が揃って眼をこする。
「おはようじゃねえよ! 何してやがった!」
「何って……決まってるじゃん。ねえ〜?」
「うん。あ〜や抱き枕。夢心地だったね」
「ね〜」
 二人は揃って笑みを浮かべる。
――こいつら……。
 何ともムカついたので俺は二人の頭に踵を叩き込んでやった。
「痛い」
「あ〜ちゃん酷いよ。たかが足を抱き枕にしただけじゃん! 不当な暴力にウチらは抗議
するぞ!」
「あ〜や酷いね。鬼畜だね。冷血漢だね。心狭いね」
 ギャーギャーボソボソと二人が騒ぎ出す。
「ぬ〜。何じゃ騒がしい」
 その騒ぎを耳にして恵も目を覚ました。
―― このまま恵が騒ぎに混じると厄介だな。
 そうなる前に状況を打開しようと、
「今は何時だ?」
 まずは現状を理解するために二人へ質問した。
「ん〜と。12時だね。うっわ、次の日になってるじゃん」
「飯はどうした?」
「あ〜やが目を覚ますまで作らないって4人で話し合って決めた。だから、これから4人
で作るよ。久しぶりにオレと晴香の料理を堪能してもらうから」
 任せろと言わんばかりにハルが親指を立てた。
―― ナイス! その展開ナイスだ!
 騒ぎが大きくならない上に二人の美味い料理を食べられるという展開に嬉しくなる。だ
がここで嬉しい表情したらからかわれて更に恵参入となりかねない。
「んなら、さっさと顔を洗ってシャキッとしてから飯を作れ!」
 俺は怒りの表情のまま部屋の外を指差した。
「……そだね。ハル、作ろっか」
 晴香の言葉にコクリとハルは頷き、二人は揃って部屋を出ていった。
 それを見て、
「む。妾も彩樹の為に会心の料理を馳走してやろう。待っておるがよい」
 後に続いて恵も部屋を出ていく。
「残るはこいつか」
 俺は未だに目を覚ます気配すらない棗を見た。少し強めに左腕を上下させてみる。
「すーすー」
 目覚める気配なし。
「だったらこれでどうだ!」
 力ずくで棗の体を起こしてから、
「さっさと起きやがれ――――――――――ーっ!!!!!!」
 右手でもって体を前後に揺らしつつ、大声で叫ぶ。
「……ん」
 十数秒ほど頭をガックンガックン前後させて、ようやく棗は薄く目を開いた。
「おら、目を覚ましたらさっさと離れろ」
「……あや、き?」
 小さく棗が首を傾げる。
「あ? 寝ぼけてんのか?」
 瞼のあき具合や喋り方で一目瞭然だが念のために問いかけてみた。
「おき、ています」
 ガクン、と顔が前に倒れる。
―― こりゃ完全に寝ぼけてるな。
 しかし珍しいことだった。これまで何度も起こしてきたが寝ぼけたことなど一度もない。
いつもならすぐに目を覚まして、
『起きました。着替えるので部屋の外へ出ていって』
 となるんだが……。
「疲れてんのか?」
「……何故、私ではなかったの?」
「は?」
 何のことかわからず俺は思わず聞き返した。
「私は……彩樹を心から愛してるのに。なぜ、噂に私の名前がでなかったの?」
「いや、そりゃお前がいなかったからで――お、おい!」
 何の前触れもなく棗が抱きついてきた。全身を包み込むような温もり。心臓が勝手に鼓
動を早めて、顔が勝手に赤くなる。
「こんなに……愛して……いる、のに」
 耳に届くか細い呟き。と、いきなり首筋に痛みが走った。
―― こ、こいつ噛みやがった。
 見えないが間違いない。何やら首筋から『チュー』という音が聞こえてきた。
―― 吸血鬼に血を吸われてる気分だ。
 つい数秒程前まで早かった鼓動が落ち着きを取り戻す。突き放そうとも考えたが、もし
ここで突き放して棗が倒れたりしようものなら。
『お嬢様に何という事をっ!!』
 などと底冷えするような声と共にメイド女が姿を現すに違いない。
―― 嗚呼、棗に対して俺は何て無力なんだ。
 少し泣きたくなった。
 それから1分ほどしただろうか。離れた棗は俺の両頬に触れると、
「ふふ。……これで、彩樹は……私の、も、の……」
 ゾクッとするような笑みを浮かべて、また俺へと倒れ込んできた。また眠りに落ちたら
しい。
―― 愛しているのに、か。
 胸に刺さる罪悪感。口から勝手にため息が漏れた。
 あの『誓約変更』から2ヶ月。何度も『それらしい』アプローチを棗はしてきている。
まあ、それなりに俺の中であいつの好感度が上昇しているのは認める。
 だが。
―― ま〜だ少し何かが足りない。
 スイッチが入る為のほんの些細な『力』が。
―― あ〜あれを聞いてみるか。
 未だに残っている疑問と不安。それを聞けば何かわかるかもしれない。
「ま、そっちは置いとくとして。まずはハル問題だな」
 そっと棗を布団に寝かせ立ち上がる。
―― しっかし、何であんな夢を見たんだろうな。
 未だに夢の内容が頭に残っていた。思い出すだけで体が勝手に震える。
 と、
『室峰彩樹に悪夢を、悪夢を、悪夢を、悪夢を、悪夢を、悪夢を――』
 押入の中から不気味な声。気になって開けて、即座に閉めた。
「なるほど」
 納得した俺は自然と頬が引きつった。

 押入の中。
 そこでは『室峰彩樹』と書かれた紙を貼り付けたわら人形が針で刺され続けていた。

 刺していた人物は言うまでもない。

―― 俺、呪われ死にするかもな。

そういや、さっきの噛みつきは何だったんだ?


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