第六十三半話「寝てる間に」

−晴香の場合−

 あ〜ちゃんが寝ている。それも無防備に。
 起こさないようそっと近づいて寝顔を覗き込む。
―― 相変わらずあ〜ちゃんの寝顔は可愛い。
 ハルも可愛いけど少し見飽きてしまった部分があった。
「もっしも〜し。寝てるよね〜?」
 小声で呼びかけつつ、ウチは頬を何度か突いてみる。反応なし。完全に寝入っている。
―― ふっふっふ。これならな〜にしたってOKだよね?
 自らに問いかけて即座に頷く。いくら諦めたと言ってもまだまだあ〜ちゃんへの想いは
残っていたらしい。ソレはソレ。コレはコレ。
―― ま〜誰も見てなきゃいいよね。
 結論。
「さ〜てと鬼のいぬまになんとやら。久しぶりにあ〜ちゃんの唇を――」
「あ〜やの唇をどうするんだい? オレにも教えてほしい」
 いきなり背後から問いかけられてウチは飛び上がった。
 声の主が誰なのかなんて聞かなくてもわかっていた。もう10年以上の付き合いがあって、
恋人で、もうすぐ結婚する相手の声だ。わからないはずがない。
「は、ハル。いつからそこに?」
「もっしも〜しの辺りから」
 ほとんど最初の頃だった。
「で?あ〜やの唇をどうするって?」
「そ、そんなの決まってんじゃん。汚れているから拭いてあげようと――」
「自分の唇で?」
 ハルの声は冬をまとっていた。たら〜りと頬に冷たい汗が伝う。
「お、おほほほほほほほ。な、何のことやらウチにはわからないな〜。きっとハルの見間
違いだよ、見間違い」
「晴香。嘘は良くない」
「……あい。ごめんなさい」
 ハルには嘘は通じないとウチは観念して頭を下げた。
「小声で斉唱。あ〜やに冠するお約束条項その1」
『あ〜やとアタックは二人で一緒に』
 指切りしながら斉唱する。ある意味これは仲直りの儀式だった。
「忘れないように」
「あい」
「わかったら浴場の掃除手伝って。さすがにひとりじゃ疲れる」
「うい」
 敬礼してからウチは立ち上がった。
―― 掃除が終わったらまたこっそり来るから。そんときはあ〜ちゃん覚悟だよ。
 寝ているあ〜ちゃんに向かって心の中で呟いてから、
「さて、やりますか」
 気持ちを切り替えてウチは女湯へと向かった。

―春賀の場合―

 晴香が浴場の方へ向かったのを確認して小さくため息をもらす。
―― やっぱりまだ晴香はあ〜やのことが好きなんだな。
 そう思いながらオレは寝ているあ〜やを見た。
 あ〜や。一番の親友。好きだと公言してもいい人物。そして、オレと晴香のキューピッ
ドでもある。あ〜やがいたから晴香と出会えた。あ〜やがいたから晴香と両想いになれた。
 あ〜やがいたから楽しい人生を歩んでこれた。
 だからあ〜やにしてあげられることはなんでもしてあげたい。だからあ〜やにあげられ
るものはなんでもあげたい。
 だけど、晴香だけはあげたくなかった。
 一番大切な人。あ〜やよりも大切な人。最愛の人。
 だから。
『ねえ、あ〜ちゃんの子供産んでもいい?』
 笑顔で晴香がそう言ったとき、顔には出さなかったけど凄く悲しかった。
 ダメだ、と言いたかった。
 けど。
『いいよ』
 気がつけばオレは頷いてそう答えていた。
 きっとあ〜やは拒否するってわかっていたからだと思う。あ〜やだったから頷いたのだと。
―― でも、あ〜やが拒否しなかったら?
 万が一にでもOKしていたらどうしていただろうか。
―― わからない。
 すぐには結論なんて出るはずがなかった。
 もしかしたら出したくなかったのかもしれない。もし、万が一にもそうなったら怖いか
ら。
―― けど、あ〜やなら大丈夫だね。
 じっとあ〜やを見る。
「あ〜や。オレはあ〜やを信じてるよ」
 今までも、そしてこれからも。
―― う〜む、それにしても。
 一歩前に出てあ〜やの顔を覗き込む。
「やっぱあ〜やの寝顔はいいな。うん。こう見ていると楽しくなるし、見ていると……」
 ゴクリと唾液を飲み込む。
―― 思わず抱き締めたくなる。
 その欲望に従ってオレは両腕を広げてあ〜やとへ近づこうとした……そのとき。
「ハ〜〜〜〜ル〜〜〜〜。なぁ〜にしてくれちゃってるのかな〜〜〜〜ぁ?」
 晴香の声と共に髪の毛を掴まれた。
「あいたたたたた」
「まったく。待ってても来ないから変だと思ったらコレだもん。やんなっちゃう」
「いたたたた。晴香、痛い痛い」
 オレは髪を掴む晴香の手を叩いて抗議したが、
「さっきは自分がウチを咎めたってのに……まったく」
 無視された。そのまま晴香は歩き出す。
「あいたたたたた」
「自業自得じゃん。少しはウチの怒りでも痛みで味わえばいいの!」
 何も反論できないオレは、そのまま浴場まで引きずられることとなった。
―― 禿げたら晴香の所為だね。
 20年後あたりが少し不安になった。

―恵の場合―

誰もいないかこっそりと部屋の中を覗く。運良く誰もいなかった。
―――姉上はどこへいかれたのか?
トイレか、はたまた別の何かなのか。どちらにしろ好都合だった。
「どれどれ」
足音を立てないようゆっくりと近づき、眠っている彩樹の顔を覗き込む。
「可愛い寝顔じゃのう」
思わず妾は頬を軽く突いてしまった。ぷにぷにと柔らかい感触が指先に伝わってくる。
「む〜」
小さく呻くと彩樹は突いた頬をポリポリと掻く。何ともその仕草が面白くて妾はしばらくそれを続けた。
と、
―――これはもしやチャンスではないのか?
後ろを振り返ってから耳をすます。
誰の声も、足音も聞こえない。すぐには誰もここへはやってこないだろう。
となると、しばらくは彩樹と二人きり。
―――接吻するチャンスじゃ!
失敗した後だけに嬉しさが込み上げてきた。そっと彩樹の顔を覗き込んでから、戦闘前の深呼吸をする。
「よし。彩樹、覚悟するがよいぞ」
寝ている彩樹に告げて、妾はゆっくりと唇を近づけていく。
ドキドキドキドキ。
緊張と期待が心臓の鼓動を早める。
あと数センチ。その距離まできて、
―――これで良いのじゃろうか。
ふと妾は思い、彩樹から離れた。
「う〜む」
両腕を組んで接吻した後の事を想像してみた。
妾―――とても満足。
彩樹―――接吻の事など微塵も知らず。『した』という事実を知った後での反応を見ることができない。
「……複雑じゃ。いや、不満じゃ。このまま接吻しても妾の自己満足でしかないではないか。うう〜む」
寝ている彩樹を見る。
「おお!そうじゃ!」
良い考えを思いついた妾は思わず手を打った。
―――しめしめ。目を覚ましたときの彩樹の驚きが目に浮かぶのう。
目を覚ました彩樹の驚く顔を思い浮かべながら、妾は彩樹の隣に寝ころんだ。
彩樹の右腕を胸に抱き締めて目を閉じる。

―――どうか。夢の中だけでも彩樹が妾だけの決縁者であることを願おう。

―棗の場合―

玲子へのお説教を終えて戻った私は突きつけられた光景にほんの一瞬目を丸くした。
「いつのまに」
両腰に手をあて、ため息をもらす。
「すーすーすー」
「すう〜すぅ〜すぅ〜」
発せられる二つの寝息。ピッタリと触れ合っている二人の人物。
彩樹と恵。
不思議と嫉妬は沸き上がってこなかった。遊園地で二人の姿を見たときは殺意さえ抱いたというのに……。
―――どうしてなのかしらね。
考えてみて、すぐに思いついた理由は……。
恵も彩樹の決縁者となったから。彩樹は私だけのモノではないから。
でも、それでいいとも思わないのも正直な気持ちだ。それは恵も同じだから、ときどき衝突してしまう。
譲れない事を主張するために、彩樹を渡さない為に、お互いが全力を尽くす。
それでも……。
―――もし彩樹が私ではなく恵を選んだのなら。
それは、私の『愛』よりも恵の『愛』が勝ったということ。
もしそうなったらと思うと胸の辺りが締めつけられた。頭を振ってそんな考えを振り払う。
―――そうはならない。彩樹への想いは絶対に私が勝っているもの。
絶対に負けないと心の中で誓い、私も彩樹の隣に寝た。力強く左腕を抱き寄せる。
―――早く私だけを見つめてほしい。私だけを愛してほしい。
抱き寄せた腕から彩樹の心に届くよう、強く、強く願う。

―――早く私だけの『あなた』になってほしい

と。

―再びWハルカ―

協力して浴場と脱衣所の清掃を終えて戻った晴香と春賀は部屋で『川の字』に寝ている3人を見て目を丸く
させた。
「こ、これは……」
「羨ましいね。というか先を越されたね」
二人の胸中に小さな嫉妬が生まれた。
「ここはやっぱりウチらもやるしかないと思わない?」
「でも、両腕占領されてる」
「あのね〜。抱きつくところはあと2つあるじゃん。ほれ」
そう言って部屋に入った晴香は棗の足を退かして寝そべると、彩樹の右足を抱き枕にした。
それを見て春賀が頷く。
「なるほど」
続いて春賀も恵の足を退けて寝そべると、彩樹の左足を抱き枕にする。
「う〜ん。久しぶりのあ〜ちゃんの温もり」
「寝たら良い夢が見られそうだ」
「だね。んじゃ、そういうことで……ハル、おやすみ」
「おやすみ。晴香」
二人は揃って目を閉じる。

3ヶ月ぶりに再会した幼なじみの温もりを抱いて、二人は夢の中へ。

―玲子の場合―

お嬢様の寝顔を見て幸せを感じつつ、視界の端に映る室峰彩樹に私は怒りを感じていた。
―――なぜこの男はお嬢様の想いに答えないの。
幼い頃からお仕えしてきてあの男に対するお嬢様の想いがどれほどのものかを知っている。いつもお嬢様
から聞かされたお話はあの男に関するモノだったから。
だというのに……。
それほどお嬢様が思っているというのにこの男―――室峰彩樹は応えない。
―――何て罪深い男。
お嬢様の想い人でなければ即座に愛刀で両断していることだろう。想い人であっても何かしなければ気が済
まなかった。
しかし、気晴らしの方法が思いつかない。
どうにか良い方法がないかと思案して10分ほどした頃……。
「お〜ね〜え〜さ〜ま〜ぁ〜」
聞くだけで時間の流れを遅く感じるような声がかけられた。この喋り方をするのはひとりしかいない。
24番目の『妹』―――にしな 二四那 だ。
「どうしたの?」
振り返ると、やはり二四那がいた。肩までの髪を複数のみつ網に編んでいるのが特徴的な子だ。
「え〜え〜。お〜ね〜え〜さ〜ま〜が〜ぁ〜き〜ば〜ら〜し〜の〜」
「3秒以内に縮めて」
「は〜い〜」
答えた二四那は背後から1枚のスケッチブックを取り出した。
「み〜て〜く〜だ〜さ〜い〜」
言われた通りに見ると、わら人形とナイフが描かれており、その隣に室峰彩樹と書かれた人間がのたうち回
っている絵があった。
「これは?」
「じっ〜せ〜ん〜あ〜る〜の〜み〜で〜す〜」
笑顔でわら人形と何かの儀式に使われそうなナイフを差し出してくる。
「なるほど。これで室峰彩樹を呪えということね」
「は〜い〜」
「いいものをありがとう。さすがは可愛い私の妹。良い子ね」
抱き締めて髪を撫でる。
「え〜へ〜へ〜。じゃ〜あ〜に〜し〜な〜はぁ〜お〜そ〜と〜の〜け〜い〜び〜に〜も〜ど〜り〜ま〜す〜」
「そうして」
私が答えると、小さく手を振った二四那が部屋から消えた。
目線をわら人形とナイフに向ける。
―――これを使えば室峰彩樹を……。
想像したら勝手に口が綻び、
「ふふふふふふふふふふふふふふ」
笑い声が漏れた。
―――あとは実行場所を探さなくては。
周囲を見渡して思案する。いくつか場所があったが、その中でも隠れられて声が出きるだけ聞こえない場所
となるとひとつしかなかった。
音を立てずにそこへ忍び込み、私はわら人形にナイフを突き立てた。
「室峰彩樹に悪夢を、悪夢を、悪夢を、悪夢を、悪夢を……」
最大の恨みを込めて。

刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す……。

これにより、彩樹が本当に悪夢を見ることになる。

その夢とは……。

つ〜ぎ〜の〜お〜は〜な〜し〜を〜ぽ〜ち〜っと〜な〜


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